不機嫌な理由
エピソードの区切りを調整しました。
内容に変わりはありません。
「ミホさん! ちょっと待ってください!」
名前を呼ばれて振り向くと、俊宏が店の扉を開けて、こちらへ走ってくるのが見えたので、海帆は立ち止まった。
「トシさん、どうしました?」
意外な顔をして海帆は俊宏を待った。
彼は日本語で話しかけてきたのだ。
「日本語話せるんですね」
「あーはい、実は昔日本人と付き合っていたことがありまして。それで覚えました」
少しだけですけど、と笑う俊宏はなかなか爽やかな青年で、日本人女性が好みそうな見た目をしていた。
「なんでしょうか」
向かい合って問いかける海帆に、俊宏は言いにくそうにして、海帆の様子を伺う。
「その、あいつ、エリックのことなんですけど……」
そうだろうな、と海帆は思った。
それ以外に、海帆を追いかけてまで話す話題なんてないだろう。
「彼がどうしました?」
「……あいつのあの感じ、その、いつもじゃないんで。普段はあんなんじゃないんです」
ということは、俊宏が言う世海のあの感じとは、海帆が原因でなっているという訳だ。
「ふーん」
「今のエリックには、時間が必要なんです。あなたのことを、ええと、消化して、整理する時間が」
「……どういう意味?」
首をかしげる海帆に、俊宏は言おうかどうか迷う素振りを見せたが、結局言うことにしたようだ。
「あなたは、あいつの初恋の人なんです。小さい頃の。だから色々と、今混乱してるんですよ」
「……………………」
不思議と海帆は驚かなかった。
それどころか、なんだか納得してしまった。
「なるほど、つまり、私は彼を失望させてしまったんですね」
「ええと、はい、そうです。でも、あいつも子供じゃないんで。すぐに回復するとは思います」
なので、あいつのこと見捨てないでほしいです、と言う俊宏に、海帆は思わず苦笑してしまった。
なぜ海帆が見捨てるのだろうか、突き放してるのは向こうではないか。
「それはどうでしょうね。初恋の女の子が、こんな男みたいになったらショックは強いんじゃないかな」
「え? あ、いやそういう意味じゃ……」
「いいんですよ。気を使わないでください」
はあ、と海帆はため息をついた。
「私ね、小さい頃は髪が長くて、自分で言うのも何だけど、お人形さんみたいな格好をしてたんですよ。本当に。彼はそんな私とほとんど毎日一緒にいたんですよね」
あの頃のことを思い出して、海帆は少しだけ寂しくなった。
「悪いことしちゃったな」
「あなたが謝ることじゃないですよ」
俊宏の真剣な表情に、海帆は応えることができずに微笑んで、それじゃと言い残してきびすを返した。
しばらく歩いてから、スマホを取り出し、リダイヤルをタップする。
「もしもし。あ、カメリアさん。ミホです。さっきは、ありがとうございました」
『ちゃんと言われた通り、指定の時間に電話したけど、どう? うまくいった?』
「ばっちりです。助かりました。ありがとうございます」
『そう、よかった。お役に立てたのなら、嬉しいわ。でも、大丈夫?』
椿の気遣わしげな声が優しくて、海帆は何もかも喋ってしまいたい衝動に駆られたが、なんとかとどまる。
「大丈夫です。ちょっと失敗しちゃっただけなんです」
「そうなの。話したくなったらいつでも聞くからね」
そう言って、椿は何も聞かずに電話を切ってくれた。
彼女の優しさに感謝しつつ、海帆はスマホをしまう。
嫌われてるかもな、と思っていたが、やっぱり相当嫌われていた。
理由は思い当たる。海帆が距離を詰めすぎたのだ。
世海は警戒心が人一倍強く、友達もなかなかできない子で、心を開くのに時間がかかる子供だった。だから、物心ついた時から側にいた海帆に懐き、海帆としか遊ばなかったのだ。
知っていたはずなのに、海帆は懐かしさのあまり彼のテリトリーに入り込んでかき回してしまった。世海の中では、今や海帆は他人も同然で、心を開く存在ではなくなってしまっていたのに。
あなたは、あいつの初恋の人なんです。
はあ、とため息が出る。
にぎやかになった夜市の中を歩きながら、海帆はぼんやりと行き交う人々を眺める。
しばらく距離を置こう。世海も彼を取り巻く人達も。
そう決めたら少しだけ気持ちが軽くなって、海帆は久しぶりに雄一の声が聞きたいなと思った。
「お前さ、そんなに落ち込むんだったら今からでも謝りに行ったら?」
「……………………別に落ち込んでいない」
俊宏の言葉に、世海はビールに口をつけながら低いうめき声で答えた。
すでに空になった瓶が四、五本テーブルに転がっている。
「そんな状態で何を強がってるんだか。初恋の人に子供みたいな態度を取った自分が嫌で後悔してるんだろ」
向かいに座ってテーブルに残った料理をつまむ俊宏をぎろりと睨みつける。なかなか迫力のある顔つきだが、俊宏は慣れたもので、ただ肩をすくめただけだった。
「俺は強がってないし、後悔もしていない」
「なに言ってんだか。ミホさんが出ていく時ずっと後ろ姿見てたくせに。置いていかれた犬みたいな顔して」
「そんな顔していない」
「してたよ。まあ分かるけどな。綺麗な人だよな、ミホさんって。美人じゃないけど、すごく雰囲気がある」
お前が惑わされるのも分かるよ、と俊宏は頷いた。
「あんまりにもボロカスに言いまくるから、どんな人が来るんだろうって思ってたけど。全然、男っぽくないじゃないか。背は確かに高いけど、ここじゃ普通だし」
「…………ブサイクだとは言っていない」
ビールのおかわりがもらえず、世海はテーブルに突っ伏して拗ねて、友人を睨む。
「お前は何なんだよ。なに馴れ馴れしくあいつの名前を呼んでるんだ。さっきもあいつの後を追いかけてたし。お陰で俺は、母さんにずっと嫌味を言われっぱなしだったんだぞ」
「怒るなよ。俺はお前のフォローに行ってあげてたんだ」
「は?」
世海が顔を上げる。
俊宏は、感謝しろよと言ってふんぞり返った。
「世海の態度がやたら悪いのは、あなたがあいつの初恋の人で、色々とくすぶってるせいだから時間が必要だって言ってあげたんだ」
「なに勝手なこと言ってんだ!」
ぎょっとして思わず大声が出た。
だが俊宏はどこ吹く風だ。
「怒るなよ。こうでもしないと、お前あの人とこのままで終わっちゃうぞ」
「俺は別にそれでもいいんだよ!」
「いいわけないだろ。じゃあ聞くけど、なんでお前はいつまでたっても怒っていて、彼女に対して子供っぽい態度ばっかり取ってるんだ?」
「それは…………」
言い淀む世海に、俊宏はビールを渡してやる。
「正当な理由があるから怒ってるんだろ? それは分かる。でも、いくらお前が怒っていたって、肝心のミホさんがその理由を分かっていなかったら意味がないんだよ」
俊宏はため息をついて、ビールの蓋を取る。
「あのな、日本人てさ、基本的に争わない人種なんだよ。例えば明らかに自分の事を嫌っていて、嫌なことを言ってきたり反抗的な態度を取る奴がいたりするよな。俺達はすぐになんだテメーってなって言いたいこと言いまくるけど、日本人はそうじゃないんだよ。あの人達はな、自分に不利益だったり不要とみなした奴はまず自分の世界からシャットアウトするんだ。視界に入れないんだよ。徹底的に」
なにか身に覚えがあるのか、俊宏は体を震わせて話を続けた。
「日本人とは、相当仲良くなってからでないと喧嘩すらできないんだからな」
「……………………だからなんだよ」
「だからな、お前このままふてくされた態度をずっと取ってると、彼女の中でお前は、顔しか取り柄がないやたら態度の悪いイケ好かない男、で終わっちゃってそれっきりになるぞ」
それでいいのか? と言われて、世海はなにも答えられなかた。
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