Coquilleフェス・途中退場は厳禁
会場の照明がゆっくりと落ちていく。それと連動するように、地鳴りのような期待のこもった声が、満員の客席のあちこちから沸き上がった。
バックで流れ始めたのは、重々しく、腹に響くようなアナウンスだった。このイベントが持つ趣旨や、今日という日の意義が、重厚感たっぷりの声でスピーカーから流れ、観客たちの期待感をさらに煽り立てていく。
数千人の視線が、一斉に中央のセンターステージへと釘付けになった。
巨大な電子パネルに鮮烈な数字が浮かび上がり、カウントダウンが始まる。テン、ナイン、エイト——。
秒数が少なくなっていくにつれて、会場全体が一体となって数字を叫ぶ声も大きくなっていった。
そして、いよいよ最後の「ワン」のカウントが終わり、会場が一瞬、完全な暗転に包まれる————。
直後、鼓膜を突き破らんばかりの凄まじい登場音が轟き、それを遥かに上回る割れんばかりの大歓声が会場を震わせた。激しいレーザー光線が交錯し、ド派手な爆音が響き渡る。その熱狂に迎えられて、ステージの床から数人の若者たちが勢いよく飛び出してきた。
「TIDAL-4だ! わあ! もう出てきた!」
ジェシカが、まるで少女のように興奮した様子ではしゃぎ、隣のダニエルの腕を叩いている。
海帆は、周囲を埋め尽くす凄まじい爆音と歓声に負けないよう、大声を張り上げてジェシカに尋ねた。
「TIDAL-4って!?」
「TIDALプロジェクトっていう、Coquilleプロダクションが主催しているオーディション番組の人気トップ四人のことです! 物凄く注目されているんですよ!」
「デビューグループなのね?」
海帆が大きな声で確認すると、ジェシカはぶんぶんと、髪を振り乱すほどの勢いで首を横に振った。
「違います。オーデイションは今まさに現在進行中なんです。来年、彼らの中からたった一人だけが選ばれて正式にデビューすることになるんですけど、この四人は容姿が良いのはもちろん、歌もダンスもすでに最高で、トークも抜群に面白いんです! とにかくパフォーマンスがずば抜けていて、それぞれに個別でファンクラブができちゃうくらい人気が高くなっちゃったから、今日のイベントの特別ユニットとして出演してるんですよ!」
ジェシカが息もつかせぬ興奮気味の口調で教えてくれる話を、海帆は真剣に聞きながら、ステージの上へと視線を注視させた。
舞台を所狭しと縦横無尽に駆け回っている四人の若者たちは、とてもデビュー前のアマチュアとは思えないほど堂々としたパフォーマンスを披露していた。巧みに歌い踊りながら、客席の隅々まで視線を送り、観客たちを挑発するように煽って会場のボルテージを上げていく。
「凄いね。舞台慣れしてる」
海帆は思わず感心し、時間を忘れてステージに魅入ってしまった。
四人の中で一番、可愛らしくて若そうに見える子なんて、まだ十代じゃないだろうか。そんな幼さの残る少年までもが、ひとたびライトを浴びればプロの顔つきで行き届いたファンサを振りまいている。
曲がいよいよ終盤に差し掛かり、ステージの端から派手な銀テープがパーンと音を立てて炸裂した。眩い光の破片が舞い散る中、四人が完璧なキメポーズを取ると、地を揺るがすような大歓声が沸き上がった。
「みなさん、こんにちはー!」
「最高のフェスへようこそ! 来てくれてありがとう!」
「今日は最後まで、一緒に楽しもうね!」
それぞれが息を弾ませながら、客席に向かって満面の笑みで手を振り挨拶をする。そのたびに、前列のファンからは悲鳴のような甲高い歓声が上がった。
隣を見れば、ジェシカとダニエルも、弾けるような笑顔でステージに向かって大きく手を振り返している。
ステージ上の四人のうち、一番年長らしき落ち着いた雰囲気の青年が、自分たちのこれまでの経歴やオーディションの過酷さをユーモアを交えて説明し、それぞれの自己紹介と一言挨拶をスムーズに進行していく。青年がメンバーの名前を呼ぶたびに、客席のあちこちから推しの名前を叫ぶ応援の声が響き渡った。
「凄い人気だね」
「そうでしょう!? 彼らのオーディション番組、毎回の視聴率もとんでもない数字なんですよ。ミホさんも今度ぜひアーカイブで見てみてください!」
ジェシカに熱い視線でそう言われて、海帆は圧倒されながらもとりあえず「分かった、見てみるね」と頷いた。
四人の初々しくも完璧な自己紹介と挨拶が終わり、一通りの軽快な雑談が一段落したところで、年長者の青年が「さあ、それでは!」と、一段と声を張り上げた。
「いよいよ、本日の『Coquilleフェス』の司会進行をしていただく、我等が最高のMCに登場していただきましょう! 今やテレビやスクリーンで見ない日はない、Coquilleプロダクションを代表する大人気アーティストのお二人です! どうぞ!」
青年の掛け声と同時に、ステージの床から濃密な白いスモークがぶわっと焚かれ、ステージ中央の一点へと眩いスポットライトが集中した。
華やかな登場音と共に、スモークの向こうから現れたのは、美しいミディアムヘアーを綺麗にオールバックにセットした、知的で洗練された印象の女性と、世海だった。
ドォッ、と地鳴りのような、これまでの誰よりも凄まじい歓声が会場全体に轟き渡る。
「ミホさん! エリックがMCですって! 事前のタイムスケジュールにも情報がまったくなかったから、私、全然知らなかったです!」
ジェシカが狂喜乱舞しながら、海帆の肩を掴んでぴょんぴょんと跳ねている。
「しかも、一緒にいるのはメレディス・チャオですよ!」
ダニエルも興奮を隠せない様子で、嬉しそうに両手を大きく振っていた。
海帆はなんとかジェシカの勢いに頷き返しながらも、その場に縫い付けられたように呆然と、ステージの真ん中に立つ世海を見上げた。
世海とメレディスの二人は、フォーマルすぎない、ゆったりとしたシルエットのパンツと上質なシャツという、どこかリラックス感のある衣装を身に纏っていた。しかし、そこは一線級の表現者たちだ。さすがの圧倒的な着こなしとプロポーションで、颯爽と観客の歓声を全身に浴びるように前へと進み出て来る。
「みなさん、こんにちは! Coquilleフェスへ、ようこそ! 本日、この素晴らしいフェスのメインMCを務めさせていただきます、メレディス・チャオです!」
ハキハキとした心地よい声が響き、再び大きな歓声が沸き上がった。トップクラスの人気女優だとジェシカが以前言っていたのも、その一言の発声だけで完全に納得させられるオーラがある。
「メレディスは元々はアイドルグループ出身だったんですけど、もの凄く多才な人なんですよ。女優で成功した後、化粧品とか美容グッズのプロデュースも手掛けてヒットさせて、今は司会とかもこなしているんですよ」
ジェシカが耳元で熱っぽく説明してくれる。その横では、ダニエルが壇上のメレディスに向けて熱烈な声援を叫んでいた。
メレディスはそんな客席の熱を愛おしそうに見渡し、華麗に手を振る。そして、少し大げさで茶目っ気のある仕草を見せながら、隣に立つ世海の方を振り返り、手招きするように紹介した。
「そして! なんと私にとって幸運なことに、今日、このステージで一緒にMCを担当してくれるのが、絶世の美男子として名高い、現在出演中の連続ドラマも大ヒットを記録! その圧倒的な演技力と存在感で多くのファンを魅了し続ける、今、最も勢いのある『神のごときイケメン』エリック・スンです!」
世海の名前が会場にコールされた瞬間、それまでを遥かに凌駕する、鼓膜が震えるほどの大歓声が会場いっぱいに響き渡った。
そこかしこから、ファン達の魂の叫びが上がる。
「エリックー! カッコよすぎる!」
「美貌が眩しい! 今日も顔面が神を超越してる!」
「いやあ! エリックが動いてる! 本当に生きてるー! 実在してるー!!」
「お願い、こっちを冷たく睨みつけて!」
「僕のこと踏みつけて——!!」
あまりの熱狂と、飛び交う独特なパワーワードの数々に、海帆はただ圧倒されて立ち尽くす。
「エリックは人気者ですね」
ジェシカがにっこりと海帆に笑いかけた。
海帆は周囲のエリックファン達の盛り上がりと熱量に気を取られてしまい、それに言葉を返すことができなかった。
普段から人気があるとは聞いていたし、頭では理解していたつもりだったけれど、いざこうして何千人もの人間が彼一人の一挙手一投足に狂喜乱舞する現場に立ち、その熱量を実感すると圧倒されてしまった。
こんなにも多くの人に影響を与える人だったのか。
ステージにいるTIDAL-4のメンバーたちも、世海に対して憧れの眼差しを隠せない様子で熱烈に拍手をしている。
大歓声を受け、世海は照れたように俯いた後、真っ直ぐな瞳で観客席全体を見渡し、慣れた手つきでマイクを美しく構えた。
「過分なご紹介をいただき、ありがとうございます。エリック・スンです。これほど大きな、そしてファンの皆さんの熱気に満ちたイベントのMCに選んでいただけるなんて、実はとても緊張していますが、皆さんに負けないくらい精一杯がんばります。メレディス、僕の司会は頼りないと思うけど、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ光栄よ、エリック! こんなに素敵なイケメンと一緒にお仕事ができるなんて、そうそうない機会ですもの! この芸能界で、諦めずに仕事を頑張ってやり続けてきて本当に良かったわ!」
メレディスのユーモアあふれる返しに、会場からはクスクスとした温かい笑いが起こり、張り詰めていた空気の熱が、和やかな雰囲気へと変わっていく。
世海は困ったように笑いつつ、トップバッターを務めたTIDAL-4のメンバーたちへと自然な流れでトークを振り、彼らの魅力を引き出すように絡んでみせた。
「エリック、司会進行もこんなに上手にできるんですね~。喋るの苦手なんじゃないかなって勝手に思ってましたけど、結構イケてますよ!」
「……そうだね」
ジェシカの言葉に、ようやく我に返って短く返事ができるようになった海帆だったが、その視線は、ステージの上でスポットライトを浴びて滑らかに話す世海の姿を、吸い寄せられるようにずっと追い続けていた。
完全に仕事モードの世海は、相変わらずキラキラとした輝きを放っていた。いや、以前より、キラキラ度が確実に増しているような気がする。
(でも、ちょっと痩せた気がする)
忙しいのだから、多少、身体が絞られてもしょうがないのかもしれない。けれど、もともと細身の体型なのに、これ以上痩せちゃったら免疫力落ちたりしないかしら。ちゃんと、ご飯食べてるのかな。
色気のない心配ばかりが浮かんでくる。
そんな海帆の、小さな心配が届いてしまったのだろうか。
舞台の上で、メレディスや若手メンバーと軽快にトークを繰り広げ、会場を沸かせていた世海が、ふとした瞬間に、本当に何気ない動作で、海帆たちがいる客席のブロックの方へと目線を向けた。
海帆は完全に油断していた。
まさか何千人の観客がひしめき合っている暗い会場の中から、自分という存在がピンポイントで見つけられると思っていなかったし、眼鏡をかけてウィッグまでしているという安心感から、完全に無防備に、普段通りの顔を晒してステージを見上げていた。
世海と真っ直ぐに目が合った。
舞台上の照明を反射して輝く彼の大きな瞳が、海帆の姿を捉えた瞬間、さらに信じられないものを見たというように見開かれる。
————しまった!
海帆は心臓が跳ね上がるのを感じながら、大慌てで、けれど周囲に怪しまれないようさり気なさを装って、被っていたキャップのつばをぐっと目深に下ろした。しかし、あの一瞬の静止したような空気の感覚からして、時はすでに遅かったかもしれない。
隣にいるエリックファンの女性達が、目線を寄こした世海に向かって大きく手を振っている。海帆はできるだけその激しい動きの陰に隠れるようにして、小さく身を縮めた。
どうしよう、この距離と暗さでバレたか? 気のせいだと思いたいけれど、完全にバレちゃった?
軽くパニックになっている海帆の耳に、メレディスの軽快で艶やかな声が届く。
「さあそれでは、もう一組の特別コラボにもステージに登場してもらいましょう! エリック、次の紹介をお願いできる?」
「…………はい。では、ご紹介します——」
ほんの一瞬だけ、本当に僅かな、一拍の空白。
けれど、マイクを通してよどみなく次のパフォーマンスの紹介を告げる世海の声音は、プロとして一切の動揺は感じられなかった。
それでも海帆は、これ以上彼と再び目が合ってしまったり、周囲に余計な不審な動きを察知されたりしないよう、ステージから視線を逸らして泳がせていた。
「…………ジェシカ、バレたかもしれない。エリック、こっち見てない?」
海帆が恐る恐る隣のジェシカの袖を引いて囁くと、ジェシカはステージを凝視したまま、のん気な声を返した。
「あー、見てますね。ガッツリ見てますよ、ミホさんのこと。よく見つけられましたねー。さすがです」
「わ、私、やっぱりちょっと、一度外に出る。帰るよ……」
「何を言ってるんですか、ミホさん。途中退場したら余計に目立っちゃいますよ。それに、その変装はエリックのファンにバレない為のものであって、エリック本人にバレる分には別にいいじゃないですか」
いや、大問題だよ、と反論しようとしたまさにその瞬間、地を揺るがすような、凄まじい大歓声が再び巻き起こった。
次の特別グループのパフォーマンスが始まったのだ。
大音量の重低音が、再び会場を支配する。
「今日限りの、このフェスでしか絶対に見られない特別なステージです。皆さん、心の準備はいいですか? 一瞬も見逃さないように、しっかりとその目に焼き付けて楽しんでいってくださいね」
世海のどこか弾むような、それでいてひときわ優しく響く明るいトークに、思わず海帆はステージへと目線を上げる。
世海がこっちをじっと見つめ、にっこり笑いながら、次のパフォーマンスの結びの言葉を告げた。
「途中退場は厳禁だよ。最後まで楽しんで」




