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Oh! My リトルマーメイド  作者: 大城まこ豊
第三章

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不本意なチェックイン

—行かないとか正気じゃない! あたしだったら彼氏が入院したって這ってでも行くのに!—

 親友、吉岡明莉(よしおかあかり)からの容赦ないメッセージに、海帆(みほ)はベッドの上で深い溜息を吐き出した。

 彼氏が入院したら看病に行くだろう……。

 そう返信しようとしたが、どうせ倍以上の熱量で反論されるのがオチだ。

 海帆は「ファンじゃないし、興味ないから」とだけ、当たり障りのない返文を送る。

 だが、秒で返ってきたのは、核心を突く一言だった。

—喧嘩したの?—

 どうして自分の周りの人間は、揃いも揃ってすべての原因を世海(シーハイ)との関係に結びつけたがるのだろう。

 まあ、実際ケンカしたのだけれど。

 なんでもないよと返すと、今度は、やっぱり喧嘩したんだ、と決めつけられた。

 もうどうだっていいや、という諦めの境地で携帯電話を放り出し、海帆は濡れた髪を乾かし始めた。

 今日も帰宅は深夜近く。夕飯は出来合いで済ませた。ここ最近はずっとこの調子だ。

 仕事自体は順調そのもので、むしろ手応えすらある。ただ、これから訪れるであろう嵐のような繁忙期を前に、着々と外堀を埋める準備に追われている感覚だった。

 中途採用のスタッフが増えたことで、海帆は小さなミーティングから大規模な会議にまで頻繁に駆り出されるようになり、今やロビーフロアスタッフの代表という立場で発言を求められることが多くなった。

 デスクに立って直接お客様に応対する時間よりも、タブレットやノートPCを片手にミーティングスペースを渡り歩く時間の方が圧倒的に長い。

 数字を示して発言し、こまめな情報共有でチームビルディングを強固にする。

 通常業務とは質の違う脳の疲労が、ずっしりと海帆の肩に圧し掛かっていた。

 乾かしも中途半端にドライヤーを放り出すと、携帯電話の通知ランプが点滅していた。

 仕方がなく手に取って画面をタップする。

—喧嘩して拗ねるのは勝手だけどさ、ファンミーティングって格好の的だって知ってる? 壇上に立つ側は逃げ場がないんだよ。あんた心配じゃないの?—

 心配を煽るようなことを言わないでよ……。

 これ以上言葉を返す気力もなくなり、海帆は部屋の明かりを消してベッドに潜り込んだ。



『ミホさ~ん、大変なんです!』

 携帯電話の向こうから、ジェシカの悲痛な声が響いた。

「ジェシカ、どうしたの?」

 夜勤明け、眠りについていた海帆は携帯電話の着信に叩き起こされ、ジェシカの慌てた様子に一気に目が覚めた。

『実は、今コキーユイベントの入場ゲートに来てるんですけど、アビーが突然来られなくなっちゃって!』

「アビーが? どうしてまた……」

『なんか、お父さんがギックリ腰で、お母さんが足首を捻ったとかで……とにかく、ドタキャンされちゃったんです! 三人一緒じゃないとイベントに入れないのに!』

「どうして? もう一人の人と二人で入れないの?」

『蔡主任から貰ったチケットは、三枚連番の代表者登録なんです! 全員揃って同時にチェックインしないとQRコードが無効になっちゃう分配制限付きのやつで。ミホさんの穴埋めはできてたのに、アビーがいないから全員アウトなんです!』

「……………………」

『ミホさん、今から来れませんか? ゲートを通ってくれないと、私たちまで入場を拒否されて席が空席になっちゃいます……!』

 ミホさ~ん、お願いします! と今にも泣き出しそうなジェシカの声に、海帆は思わず天を仰いだ。電話を取ってしまった自分を呪う。

 断ればいい。夜勤明けだし、他の人をあたってくれと言って。

 だが、今から代わりの人間がすぐに見つかるわけもない。自分が断れば、楽しみにしていた友人たちのチケットは文字通り紙屑と化し、ステージにも不自然な空席を作ることになる。

 ホテリエとしての、予約・発券トラブルを見過ごせない性分が、むくむくと鎌首をもたげた。

『エリックの晴れ舞台なのに……!』と泣き出しそうなジェシカの声が追い打ちをかける。

 海帆は決断した。

「……少し、待ってて。すぐ行くから」

 海帆は諦めて受話器を置くと、猛烈な勢いでクローゼットを開け放った。

 過去最速の速さで支度を終え、部屋の玄関を飛び出す。

 MRTに駆け込んで向かったのは、台湾の秋葉原とも呼ばれるエリアの駅。

 その駅からほど近い場所に、近未来的なデザインの建物がある。今回のイベントライブ会場は、そのデジタル系ショッピングモール内にあるのだ。

 駅の改札を抜けた海帆は、脇目も振らずにイベント会場へと急いだ。

「あ、ミホさん! こっちです、こっち!」

 人混みの向こうから、ジェシカが千切れんばかりに手を振っているのが見えた。

 ゲート前は、熱気にあてられた大勢の若者たちでごった返している。

「ジェシカ、待たせてごめん」

「大丈夫です、まだ間に合います! って、わぁ、ミホさんスカートだ! 珍しい」

 ジェシカが嬉しそうに海帆のことを見上げた。

 アシンメトリーなポケットが特徴的なオフホワイトのスカートに、遊び心のあるプリントシャツ。軽やかな素材のブルゾンを羽織り、足元はショートブーツ。

 バタバタと家を出たものの、せめてものカモフラージュにと、普段の自分ならあまり選ばないテイストの服を引っ張り出してきたのだ。

「ありがとう。これで大丈夫かどうか、自分じゃよく分からないんだけど」

 海帆はそう言って、眼鏡の位置を直し、帽子を目深に被り直した。

 するとジェシカが、ニカッと悪戯っぽく笑った。

「大丈夫ですよ、ミホさん。わたし、良いものを持ってきてますから! あ、でもその前に紹介しますね。彼はダニエルって言います。私の友達です!」

 ジェシカがそう言うと、隣に佇んでいた背の高い男性が、少し照れくさそうに一歩前に出た。

「エリックのファンっていう訳ではないんですけど、Coquilleプロダクションに推しがいるんですって。だから誘ったんです」

 ジェシカにそう紹介され、ダニエルは控えめに微笑んだ。海帆はホテリエとしての営業スマイルを瞬時に張り直す。

 爽やかで誠実そうな青年だ。眼差しが優し気で、穏やかな気質が見て取れる。

「初めまして、ダニエル。橘海帆です」

 海帆が挨拶をすると、ダニエルは穏やかに笑って、よろしくと言って挨拶を返してきた。

「いつもジェシカから『スーパーウーマンな先輩がいる』って聞いていたから、お会いできて嬉しいよ」

「なにそれ?」

 おどけてジェシカに流し目を送ると、彼女は悪びれもせず屈託なく笑った。

「だって、実際超人じゃないですか! ……あ、それよりミホさん、これです!」

 そんなことより、と言ってジェシカがバッグの奥から引っ張り出してきた物を見た瞬間、海帆の思考は停止した。

 ジェシカが持っていたのは、鮮やかなブルーのキャップだった。そこから艶やかなミルクティーブラウンのロングヘアーが、たっぷりと伸びている。

「……………………ウィッグ?」

 呆然と呟く海帆に、ジェシカは元気に頷いた。

「はい! 私が持っているコレクションの一つです。ちなみに、キャップの色はエリック・スンの推しカラーのブルーなんですよ!」

「へえ……」

 引き気味の海帆の手に、見事な帽子ウィッグを押し付け、ジェシカはぐいぐいとその背中を押した。

「さあミホさん、早く着けてきてください。それからゲートを突破しましょう!」

 ジェシカに押し出されるまま、海帆は混雑するレストルームへと向かった。

 個室に入り、手の中の物体をじっと見つめる。

 ……悩んでいても仕方ない。ジェシカ達が待っている。

 意を決して、キャップを被る。顔周りに、柔らかなロングヘアーがさらりと流れ落ちてきた。

 位置を微調整し、個室を出て足早にパウダールームへ向かう。

 鏡の前に立ち、鏡面に映った自分の姿をしげしげと見つめた。

 そこには、もう久しく見ていない、ロングヘアーの自分が佇んでいた。

(マジか……)

 違和感しか感じない。おかしすぎて逆に目立つんじゃないだろうか。

 落ち着かない手つきで、ゆるくウェーブがかった毛先を指ですいて整えてみる。カールの箇所が指先に絡みついた。

 その瞬間、実際には頭皮が引っ張られている訳ではないのに、かすかな感覚の記憶が脳裏をよぎった。

 幼い頃、海帆が腰まで髪を伸ばしていた頃のこと。

 その波打つ長い髪が珍しかったのか、小さな世海はよく海帆の髪の毛を、指にクルクルと巻き付けて遊ぶことがあった。

 髪の毛が引っ張られる感覚が嫌で、やめてと何度も言ったのに、しばらくすると忘れたようにまた指を絡めてくるので、そのうち海帆も諦めて、世海のおもちゃにされるがままになっていたのだ。

 とても古い記憶だ。今まで忘れていた。

「あの、すみません。次いいですか?」

 後ろから声をかけられ、ハッと我に返った。鏡の前で完全にフリーズしていたらしい。

「あ、ごめんなさい!」

 慌てて場所を譲る。

 本当ならこんな怪しいウィッグは外してしまいたかったが、トイレは長蛇の列で、もう一度個室に戻る余裕はなさそうだった。

 海帆は腹を括り、ロングヘアーを揺らしながらジェシカたちの待つロビーへと戻った。

「ジェシカ、お待たせ」

 声をかけられたジェシカは、振り返った瞬間、あんぐりと口を開けたまま彫刻のように固まった。

 海帆はたまらなく居心地が悪くなる。

「やっぱ、ウィッグはやめた方が……」

「……………………ミホさん、髪、伸ばした方がいいですよ。絶対、絶対、伸ばした方がいいです」

 ゆっくりと噛み締めるように、真剣な眼差しで訴えてくるジェシカに、「そ、そう? わかった……」とだけ、海帆は答えた。

「準備できたなら、そろそろ行こうか?」

 ダニエルが、まだ固まって海帆を見上げるジェシカをそっと促す。

「え? あ、そうね。じゃあ、ミホさん、行きましょう!」

 ジェシカの号令の下、海帆は緊張した面持ちで携帯電話を握りしめ、入場列の最後尾に並んだ。

 チェックインは驚くほどスムーズだった。

 QRコードをかざし、手の甲に蛍光の入場スタンプを押してもらう。無事にゲートを通過できた瞬間、海帆は張り詰めていた肩の力をようやく抜くことができた。

 改めて見渡した会場内は、プロ仕様の音響設備を備えた、縦長の巨大なスタジオだった。キャパシティは三千人以上といったところか。すでにフロアは人で埋め尽くされており、開演直前特有の、熱気と期待感が混ざり合った独特なざわめきが空気を震わせている。

 人を掻き分けないと席に行けなさそうだったが、背の高いダニエルが先導してくれたおかげで、三人は迷うことなく自分たちの席へとたどり着いた。

 男性の頼もしさに改めて気づかされた海帆は、ここに来て初めてダニエルという存在に注目して、ジェシカにそっと耳打ちする。

「優しそうな人だよね、ダニエルって。どういう知合いなの?」

 ジェシカは、嬉しそうに笑った。

「高校の頃の先輩なんです。ドラマ好きなところが気が合って、お互い情報交換をよくしているんですよ」

「へえ、そうなんだ」

 アビーに比べて男性の扱いが上手く、少し遊び慣れている印象のあったジェシカだが、堅実そうな男性の友人がいたのがちょっと意外だった。

「ダニエルの推しって誰なの?」

「メレディス・チャオていう女優さんです。今日出ますよ。あとエリックの事も好きだって言ってました」

 スラスラと答えるジェシカ。結構、仲がいいのかもしれない。

「ダニエルもロビンの事が好きだったりする?」

 ジェシカが若手実力派俳優、ロビン・ルオに狂っている事を知っているので聞いてみたら、案の定、ジェシカは頷いた。

「はい、そうなんですよ! ミーハーですよね? でも凄く情報通なんで、色々と教えてくれて助かってるんです!」

「そうなんだ」

 屈託のないジェシカに、海帆はつい笑ってしまう。

「物販、見に行く?」

 ダニエルが二人に声をかけた。

 言葉は二人に向けているが、その視線は完全にジェシカだけを捉えていた。それを察した海帆は、「私はここで待ってるから、二人で行ってきなよ」と送り出した。

 一人になり、ふぅと座席に深く腰掛ける。

 蔡主任が用意してくれた席は、前から七列目という絶好のポジションだった。ステージとの距離感が程よく、これなら出演者の細かな表情まで肉眼で捉えられるだろう。しかも通路側なので、いざという時の出入りもスムーズだ。

 海帆の視線は、無意識のうちに会場のディテールへと向かっていた。スタッフの配置、動線、非常口の場所……。完全に職業病だ。

 インカムをつけたスタッフたちの動きは機敏で、こうした大型イベントの運営に手慣れているのが見て取れる。音響の最終チェックも実に念入りだ。

 警備も運営も問題なさそうだな。

 そう考えて、自分の心配性な気質にうんざりした。

 何かトラブルが起きるわけでもないのに、どうしてこうも神経を尖らせてしまうのか。

 自分は数合わせの穴埋め要員で来ただけ、始まったら適当に楽しんでさっさと帰ろう。

 そう自分に言い聞かせたタイミングで、両手にグッズを抱えたジェシカたちが興奮した様子で戻ってきた。

「物販、マジで戦場でしたよ! 人が凄すぎて!」

 文句を言いながらも、ジェシカの顔は達成感に満ち溢れている。

 戦利品を見せてもらいながら他愛のない話をしていると、やがて会場のBGMがフェードアウトし、アナウンスが流れ始めた。

 ゆっくりと、フロアの照明が落とされていく。

 暗転の向こうで、いよいよCoquilleフェスの幕が上がろうとしていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

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