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緊迫して息を詰めていた私は、シエルさんの魔力が向いた先でマヒトさんの姿が消え、声も聞こえなくなり、ほっと息を吐いた。
それから一拍遅れて、あれと首をかしげる。
悠久回廊という魔法名はもしかして。
ボクの考えた最強の魔法、的なものだった気がする。
シエルさんは肩で息をしている。
魔法ひとつで疲れたというより、焦りの気持ちだろうか。
「人に向けるつもりはなかったが、この魔法なら確実に隔離が出来る。対象の周囲に魔法の牢を作って亜空間に閉じ込める魔法だ。どれだけ対人対策の魔道具があっても関係ない。が、いや、しかしこの魔法は」
「ひとまずマリアさんの洗脳解除をお願いします!」
ゴチャゴチャ呟くシエルさんに、私は叫んだ。
はっと弾かれたようにシエルさんはマリアさんのところへ走った。
そのまま頭に手を当て、目を閉じる。
魔術解析もそれに対する干渉も、頭の中に情報が流れるのだと言っていたから、目を閉じた方が集中できるのだろう。
しばらく手を当てたあと、シエルさんの肩から力が抜けた。
「解除、できた」
ほうっと息を吐くシエルさんの隣で、ザイルさんとヘッグさんも息を吐く。
私も力が抜けて、膝から崩れそうになった。
すぐにグレンさんが抱き上げてくれる。
「精神に関わる魔法を解除するのは、間違えれば精神を壊してしまう。落ち着けば大丈夫なんだが、集中できないと危ないんだ。ああ、無事に解除できて良かった」
以前は簡単にしていたように見えたけれど、大切な人の精神に触れる作業。
しかも洗脳をした犯人が近くにいた状態。
極度の緊張状態だったのか、シエルさんは何度も深い呼吸をする。
「マリアが人質にとられて、ここまで来たのか」
グレンさんが私をぎゅっと抱きしめながら、マヒトさんがいた場所を見た。
そこに人はいない。
彼はシエルさんが作った亜空間に閉じ込められた。
「ああ……私、なんてこと」
マリアさんの声が聞こえた。
洗脳が解けて、状況がわかったみたいだ。
「ミナちゃん、私、ごめんなさい!」
「マリアさん無事で良かった!」
グレンさんに抱き上げられたまま、マリアさんを見る。
唇を噛みしめて、ひどい顔だ。
「私、気をつけるって約束したのに、つい作業に邪魔で手首の魔道具を外してしまって……あんな、ことに」
口元を手で覆うマリアさんは今にも泣きそうだ。
「シェーラちゃんの店に関わる職人さんたちに、あの人が混じっていたの。作業が終わって、結界魔道具をつけ直そうとしたところで話しかけられて」
あのときだという感覚が、マリアさんにはあったようだ。
すごく悔いて気にしている顔に、私はわざと明るく返す。
「大丈夫です。実質的な被害は出ていないし、みんな無事で良かった!」
私の言葉にマリアさんが泣き崩れた。
シエルさんがその肩を抱き、優しく宥めるように撫でる。
しばらくマリアさんが落ち着くのを待ち、シエルさんは話しかけた。
「もう大丈夫だ。あの犯人は確実に亜空間に隔離……あ」
シエルさんは言葉の途中で顔色を変えた。
「あ……あ、しまった。なんてことだ!」
そして門の外、さっきまでマヒトさんがいた場所を見て、愕然とした顔になっている。
「人に使わない前提で好き勝手に作ったんだ。あれから威力も上げて、想像の限りの魔法に仕上げて……咄嗟だったから、最後に構築していたものをそのまま使ってしまった!」
シエルさんは青ざめた顔で頭を抱えた。
私たちは顔を見合わせる。
何にショックを受けているのか、よくわからない。
「さっきの魔法がどうしたんだ。対象を隔離するものだろう?」
「隔離、だけではないんだ」
シエルさんの顔が青ざめている。
そういえば悠久回廊という名前は、シエルさんが初めて竜人自治区に来たあの日、自慢げに話していたものだ。
確か対象を亜空間に閉じ込めて……そうだ。
相手の魔力を吸い上げて結界を強化とか聞いた気がする。
あれ、他にも何かあった。
えええと、確か。
「亜空間の周囲の、時間の流れを変えるのだったか。老いると表現していたな」
グレンさんが口にした。
あのとき馬車の中で聞いた話を、グレンさんも覚えていたんだ。
「そうなんだ。時間の流れを一億倍まで加速させる方法を思いついて、魔法を作り込んだんだ。咄嗟だったので、その最新イメージを再現してしまった。亜空間を破ろうとしなければ、隔離だけで済むはずなんだが」
いちおくばい。
え、待って。
ちょっとすぐに計算は出来ないけれど、もしかしてそれって。
ここで一分経過する間に、魔法空間の時間の流れは百年とか二百年とか経っている感じだろうか。
え、待って。
エルフは寿命が長いと聞くけれど、数百年だよね。
マリアさんの洗脳を解除して、そのあと話をしていた今、まあまあ時間が経過している。
え、今どうなってるの?
まさか……ええと。
「中の魔力が消えたら、亜空間は閉じる。そのまま消滅するんだ。しかし脱出できても消滅するから、その……どちらかは、わからないということに。だが今、破られた感覚はない状態で、亜空間の存在を感知できないんだ」
シエルさんの顔色の理由。
そうだよね。もしかしたら殺……いや、いやいやいや。
「魔法の痕跡をたどれば確認は可能ではあるが……怖くて確認が出来ない!」
シエルさんが膝をついて両手で顔を覆っている。
ああ、なんだかごめんなさい。
あのときシエルさんを急かしたから、確実に隔離が出来る魔法として咄嗟に使ってしまったんだよね。
助かったけれど、青ざめているシエルさんを見ると、申し訳ない気分になる。
「つまり、奴を隔離した亜空間ではかなりの時間が経過しているのか。襲ってきた奴が返り討ちに遭ったんだから、そう問題にする必要はないと思うが」
さくっとヘッグさんが口にする。
ここは異世界で、法律や道徳観念も少しあちらと異なる。
魔獣がいて、冒険者という職業があって、魔法がある。
あちらの世界よりも、こちらの世界は人の命が軽いようには感じていた。
ザイルさんやソルさんもヘッグさんの言葉に頷いている。
加害者に対する正当防衛として、当然という感じだ。
でもシエルさんの中では、あちらの道徳観念で大変なことをしたと考える。
私もオロオロしてしまう。
「シエルさん、ありがとう」
マリアさんがうずくまっているシエルさんを、頭を抱える腕ごと抱きしめた。
「私を助けるためだったのよね。ミナちゃんも私も無事なのは、シエルさんのおかげよ。シエルさんがあの人を隔離してくれなかったら、何かを命じられた私がミナちゃんに危害を加えていたかも知れない。そんなことになっていたら……本当に助けてくれて、ありがとう」
マリアさんがシエルさんに優しく語りかける。
うん、そうだ。
シエルさんは助けてくれるためにあの魔法を使ったんだ。
緊急措置で必要だったんだ。
気に病むことではない。
「だから、忘れましょう」
マリアさんの穏やかで優しい声。
え、忘れましょう?
「彼がどうなったかは考えなくていいの。危険は去ったわ。ミナちゃんを狙うとんでもない人は、もし逃げ出せてもかなりのダメージを受けたと思うの。シエルさんは追い払ってくれたのよ。もう忘れたらいいの」
うん。まあ、うん。そうなんだけど。
なんだかマリアさん、悪魔の囁きをしているみたいだ。
マリアさんの相手を許してしまう包容力、使い方によってはダメ男を作っちゃう気がするんだけど。
いや、でもまあ、シエルさんならそれでいいのかな。
色々と深刻にダメージを受けそうだし、この二人ならいい相性なのかも。
それにそう言うマリアさんも顔色が悪い。
自分にも言い聞かせているみたいな感じじゃないかな。
今回のコレは、相手がどうなったかはわからない。
確認が出来ないのなら、もうそれはそれで忘れるが正解かも知れない。
逃げ延びたかも知れないし、逃げられずに消滅したのかも知れない。
うん。置いておこう。
「それよりシエル。ミナの魔力が変なのだが、これを解除してもらえないか」
グレンさんが話を変えた。
シエルさんが顔を上げ、私を見る。
あ、そうだ。
魔力変換されて魔法は使えるけれど、私本来の魔力は封じられたままだ。
私は腕輪をシエルさんに見せた。
「魔力が封じられる腕輪を手首につけられたんです」
少しだけ戸惑ったシエルさんは、きゅっと口を引き結ぶと、私の腕につけられた魔道具を見た。
「なるほど。確かに魔力を封じる魔道具だな。変な構造だが無理に外すのはまずいか。少し待て、解析してきちんと手順を踏んで外さないといけないようだ」
シエルさんが魔道具の解析に集中する。
マイナス思考を振り払ってくれて、ほっとした。
あとからまた思い悩むかも知れないけれど、そこはマリアさんにお任せだ。
「これを私がつけられると、番の魔力としてはどう感じるのでしょうか」
私が訊くと、グレンさんは眉を寄せて答える。
「ずっと変な感じだった。ミナの魔力が消えたから、急いでここへ来たんだ。ミナの姿は確認が出来たが、魔力が感じられないのでずっと落ち着かない。何が起きているのかわからず、どう動くべきか迷ってしまった」
ああ、なるほど。
攻撃魔法の音じゃなくて、私の魔力が消えたから急いで来てくれたんだ。
「オレとザイルはグレンが顔色を変えて飛び出したから、追ったんだ」
「ちょうど居間にいてな。それで散歩に出ようとしていたシエルとも行き会った」
飛び出したグレンさん。
それを追ったザイルさんとヘッグさん、シエルさん。
「今もミナの魔力が消えたままで、気持ち悪い」
グレンさんの眉がさらに不快そうに寄る。
シエルさんはなるべく急いで解除ができるよう、頑張ってくれた。
解除が完了すると、複雑な模様部分にヒビが入り、パキンと腕輪が割れた。
割れた腕輪は地面に落ちて、音を立てる。
シエルさんは拾うと、亜空間に入れた。
「これは危険な腕輪だ。バラして、素材だけ活用させてもらおう」
なるほど。素材までバラせば再利用は出来なくなる。
うん。きっちり活用してもらおう。
疲れたねと言いながら下宿に帰る。
お風呂は昼間温泉に入ったし、もういいかなと思ってしまった。
竜人の里の様子を話題に出して、私とグレンさん、シエルさんとマリアさんは賑やかに帰った。
背後のヘッグさんとザイルさんの話は、私たちには聞こえなかった。
◇ ◇ ◇
「ザイル、実際どうなんだ?」
ヘッグの問いかけに、ザイルはシエルの魔法が使われた場所を振り返る。
「シエルの魔法が破られた形跡はない。様々な魔道具を持っていたようだから、何かを使い亜空間を破ろうとして、自滅したんだろう。自分で何かを成せる力量もないのに、魔道具を頼って悪事を働くからこうなったんだと思うが、シエルが気にするなら黙っておこうか」
魔法を破ろうとしなければ隔離だけで済んだはず。
そこから考えると、彼は自滅したのだ。
まあシエルたちの価値観を考慮すると、黙っているべきだろう。
「異世界召喚をヴォバルに持ちかけ、各地に瘴気溜まりを作り、洗脳を仕掛けるなどずいぶん煩わされたが、終わりはあっけなかったな」
「伴侶が巻き込まれたことで、異世界の賢者殿が元凶を排除してくれたわけだ」
ヘッグのその言葉に、予言が頭を掠めた。
聖女と源を同じくする賢者と伴侶が、安寧をもたらす。
「そうだな。警戒は長引くほど疲弊する。片付いて良かった」
予言はミナの心の平穏のために、異世界と手紙のやりとりが出来ることだとザイルは考えていたが、そればかりでもないらしい。
こんなにもあっけなく厄介な敵が排除されるとは思わなかった。
彼自身も思っていなかっただろう。
あっけなく自分が消滅するだなんて。
「あとは今後の異世界召喚の阻止か。あっちに潜り込んだ奴らは、召喚の魔方陣を破壊できたってよ。魔術師たちのところにあった資料も奪って燃やした。残っていないかヴォバルで今しばらく探るそうだが、あらかた片付いたと見ていいだろう。あとはあの庵の資料だな」
ヴォバルはそれほど厄介な敵でもなかった。
上層部はむしろ単純で、陰謀というほどの何かはない。
操られて動いただけの連中だ。
「ミナがあちらの者たちを帰還させ終わるまで、庵の資料は置いておくべきか」
ザイルの言葉にヘッグも頷く。
回帰魔法で万一の事故が起きた場合、異世界召喚が必要になるかも知れない。
そのとき、資料が何も残っていなかったでは困る。
「回帰魔法とやらで使う魔宝石が多ければ、安全率が高まるんだろう。竜人の里が落ち着いたから、総力を挙げて準備に動ける。シエルが作った魔宝石に魔力を込めるのも、あちらが手伝ってくれる。実際いつ頃になりそうなんだ? 早ければ早いほど安全な気がするが」
ふむとザイルが顎に手を当て考える。
「たしか千年前の勇者の召喚から聖女と竜王の死亡までは数年。数ヶ月で元の世界へ帰せるのなら、千年前のときほど魔力はかからないかとは思う。回帰スキルのリスクがどれほどかもわかっていないが」
「ミナの魔力量は傑出しているが、数倍は準備するべきだな」
「むしろ数十倍か。総力でかかればかなり準備できるはずだ。無駄に終わっても、安全策をとろう」
回帰スキルを安全に使えるよう、竜人族の皆がとんでもない数の魔宝石を準備したとミナが知るのは、ひと月ほど経ってからのことだった。




