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後編

 私と彼は幼馴染みだった。


 彼の家は、正直に言って伯爵家である私の家よりも、ずっと貧乏だった。貧乏だからって、それが悪いわけじゃない。でも、身分にこだわるこの国では、本来なら、二人が会話をすることだってありえないはずだった。

 それでも彼のお父さんは、私の父と親友だった。父から聞いた話だが、昔どこかの戦場で、彼のお父さんが、命の危険を冒して若い頃の父を救ってくれたのだという。そうでなければ、私はそもそもこの世に生まれてすらいないのだ。


 彼のお父さんが父と遊びに来る時は、いつも彼が付いて来ていた。

 本当の作法なら、私は家の奥に引き込んで、気軽に男の子と遊んだりするべきではなかったのだろう。

 しかし近場に同年代の遊び相手が居なかったこともあり、私は父に、どうしてもあの子と遊びたいとせがんだ。やれやれと言って許可をくれた父に、大好きだと言って頬ずりしたのは、我ながら計算高い子どもだったと思う。

 彼とはいつも、庭を探検したり、追いかけっこをしたり、男の子同士で遊ぶようにして遊んだ。彼との遊びは常に楽しく新鮮で、その時のことを思い出すと、今でも頬が緩む。

 だが何ということだろう。十歳の時まで、彼は私のことを、女の子だと思っていなかったのだ。


 ――え、あの、ティナ、その、ど、どうしたの?


 あるお茶会で、母に頼んで精一杯のおめかしをしたというのに、彼はまるで奇妙なものを見るような目をして、狼狽えるばかりだった。

 普段からズボンを履いて泥だらけになっていた自分には、あんなドレスなど似合っていなかったのだろうか。愕然として、もうドレスなんか着るものかと思ったのは、既にその時から、彼が私にとって、そういう存在だったからなのだろう。


 ――よかった! ティナが女の子になっちゃったのかと思ったよ!


 君が男に戻ってくれてよかったと、次の日にそう言われた時には、さすがに腹が立ってひっぱたいてしまったが。


 ――ティナ、王子様に会ってきたの?


 十二歳のある日、私は初めて王都でエリフォード王子にお会いした。

 王子は噂どおりに見目麗しく、初めて王城に上がった興奮も手伝って、私は帰ってきてから、彼にとんでもないことを口走った。


 ――そうよ、私、王子に一目で恋したの!


 恋なんて、それがどんなものであるか、その時の私は何も分かっていなかったのに。

 王子に会ったと言った私を見る彼の目が、何だか少し探るようでくすぐったく、からかってやろうという気持ちもあったのかもしれない。


 それにしても、その時の彼の返事は酷かった。

 君が言っている恋というのは幻想だ。そんなのは、周りの雰囲気に流されているだけの一時的な感情だ。図星を指されたのもあったが、私が怒ったのは、その後の彼の言葉に対してだった。


 ――大体、僕は恋なんかしたことがないからね。恋なんて感情、本当にあるのかも分からないよ。


 その言葉にかっとなった私は、彼にもう絶交だと告げて家に帰った。

 部屋に戻ると、私は自分が泣いているのに気がついた。

 理由は知っている。彼に酷いことを言われたからだ。でも、彼の言葉の、一体どこが酷かったのだろう。


 ――僕は恋なんかしたことがないからね。


 そうだ、それだ。恋なんかしたことがないとは酷い話だ。だってそうではないか、私はこんなに、いつも彼のことを想っているのに――


 ――え?


 違う、そうじゃないよとごまかしてみたけれど、その時にはもう遅かった。

 私は、彼のことが好きなのだ。友だちとしてじゃない、一人の異性として。一緒に遊んでいる時の彼の笑顔が好きだ。すぐに強がりを言うその癖が好きだ。彼の目が、声が、性格が、手の指から足の指先まで、全てが好きだ。鈍感で、鈍感で、鈍感な彼だけれど、そんなところも、どうしようもなく好きだ。

 この感情こそが“恋”なのだと私は知ったが、絶交だと言ってしまった手前、そして、彼が私に何の興味も持っていないと知ってしまった手前、その気持ちを彼に伝えようという勇気は、私にはなかった。


 十四歳のある日から、彼は王都の騎士団に所属することになった。

 彼に毎日会えなくなるのは、凄く辛かった。でも、騎士になるのが小さい頃からの彼の夢だと知っていたから、行かないで欲しいとすがり付くのはやめておいた。そう言って、また変なものを見る顔をされたら立ち直れないし。


 彼は今日、王都で何をしたのだろう。それを考えるのが、私の日課になった。訓練は辛いのだろうか。食事は口に合っているのだろうか。体調を崩していないだろうか。会いに行こうと思えば行ける距離に王都はあったけれど、彼の邪魔になるのは嫌だった。

 でもさすがに、王城で舞踏会があるからお前も行きなさいと、そう父から言われた時には断る訳にはいかなかった。何しろ、国内の貴族の娘は全てが参加するというのだ。出たくなくても出なければならない。行きたくなくても、王都に行かなければならない。


 ……嘘である。


彼に会えるかもしれない。私が考えたのは、それだけだ。


 その舞踏会のことは、よく覚えていない。何年ぶりかにエリフォード王子の顔を見た気がするし、他の令嬢と同じように一回だけ王子と踊った気がする。

 私が覚えているのは、舞踏会をこっそりと抜け出して彼を探したことだ。騎士団が警備にかり出されていると聞いたから、未だ正騎士ではないはずの彼も、城のどこかにいるかもしれないと考えていた。

 そして――


 ――ウィリアム、お前は西門のデビッドと交代しろ。


 心臓が止まるかと思った。


 ――はい! 了解しました隊長!


 七百と二十一日ぶりに、彼の声を聞いた。

 少し声が低くなり、背が伸びて、筋肉で腕や胸が分厚くなっているけれど、彼は彼だ。


 ――ここには、俺の代わりに誰が入りますか?



 一人称が、僕から俺に変わっている。背伸びをしているみたいで、ちょっと可笑しい。


 ――そういえばウィリアム、夏に休暇があるだろう。今年はちゃんと帰って、親御さんに顔を見せてやれよ?


 ――はい隊長。ちゃんと帰ります。


 出て行って声をかけたら、迷惑だろうか。約束も無いのに会いに来た、変な女だと思われるだろうか。でも、せっかくここまで来たのだから、彼だってきっと――


 ――故郷にお前を待ってる女の子くらいいないのか?


 ――なっ――、からかわないで下さい! 俺は剣一筋です!


 やっぱり、今はやめておこう。

 その時はすごすごと引き返した私だったけれど、夏に彼が帰ってくるのなら、その時にこそ勇気を振り絞って、今まで言いたかった言葉を言おう。そう決めた。


 ――陛下からの申し出があった。ティナ、お前とエリフォード王子殿下を、婚約させたいそうだ。


 しかし、人生は思い通りに行かないものだ。


 ――どうしてもと、殿下が望んでいらっしゃる。


 舞踏会から帰ってくると、父がそう言った。

 王の申し出、それを断ることは、とても難しい。伯爵といえど、私の家は所詮王国に仕える臣下の一つに過ぎないのだから。


 ――お前は、どうしたい?


 父が私に聞くのも形式だけだ。貴族の娘にとって、婚姻相手は親が決めるもの。私に拒否権などありはしない。そもそも今日まで何不自由なく育ててもらった恩を、仇で返すような真似ができるだろうか。

 だから、私はこう答えた。背筋を伸ばし、真っ直ぐと父の目を見て。


「不孝な娘で申し訳ありません、お父様。――ですが、お断りします。私には、心に決めた人がいますから」


 お前はやはり、間違い無く私の娘だな。

 そう言うと、父は笑った。



「あらティナちゃん、ウィリアムなら王都に帰っちゃったわよ」


 おばさん――彼のお母さんは、私が彼に会いに行くとそう言った。

 彼は夏の休暇で帰って来たかと思ったら、翌日すぐに騎士団にとんぼ返りしてしまったそうだ。会ったら告白してやろうと手ぐすね引いて待ち構えていた私の想いは、完全に空振りに終わってしまった。

そんなに訓練が恋しいのだろうか。故郷にいる幼馴染みのことなど、思い出すこともないのだろうか。私は憤慨した。


 そう言えば、私は断ったし、父も正式に伝えてくれたはずなのに、王子はどうして私と婚約したと触れ回るのだろうか。彼のお母さんだって、私が王子の婚約者になったと思い込んでいた。

 いや、鈍感なふりをするのはよそう。

 王子はまだ、私との婚約を諦めていないのだ。あの手この手で外堀を埋め、私をその気にさせようとしてくる。父にも相当な圧力がかかっているようだ。


「いざとなったら、爵位を捨てて逃げればいいさ。なあお前」


 父はそう言って、母ものほほんと笑ってくれたが、さすがに申し訳無さが過ぎる。最終的には、私が家を捨てるしかないだろう。まだ告白すらしていないではないかという指摘は無しだ。

 ともかくそう思った私は、剣の稽古を始めた。家を出るなら何かの役に立つだろうと思ったからだ。彼の帰りを待ちながら、一年、二年と素振りをしていると、結構サマになってきた。


「殿下、お気持ちは本当にありがたいのですが、私には心に決めた人がいるんです」


 あまりに王子が引き下がってくれないので、一度王城に赴いて、面と向かって言ってみた。


「……そうか、じゃあ仕方ないね」


 すると、意外にあっさり王子は折れた。次に王子は微笑むと、こう言った。


「ちなみに、それは誰の事か聞いてもいいかな?」


 同年代の女の子たちは、王子の笑顔を見るときゃあきゃあと騒いで喜ぶけれど、私はどうも、彼の笑みが薄気味悪く感じてしまう。しかし、求婚を断ろうとしている私がそのようなことを思うのは失礼だろう。不安を頭から振り払って、私は彼の名前を挙げた。


「ウィリアム……。ああ、王国騎士の。そうかぁ……」


 再びぞっとするような微笑みを見せて、王子は去った。

 そしてまたしばらく時が経って、私は彼に関するとんでもない噂を耳にしたのだ。


「勇者? ……勇者って何?」


 魔王とか呼ばれている魔物が、辺境に住み着いて魔物を扇動しているのは知っていたけれど、それを討伐するために、彼が「勇者」に選ばれたというのだ。しかし、その勇者とはなんだろう。まさか、おとぎ話で出てくるような、あの「勇者」のことだろうか。

 そのことを教えてくれた友だちに、彼が魔王の討伐隊を指揮するということかと訪ねたら、答えを聞いてもう一度仰天した。


「た、たった三人で? 何で? どうして?」


 なんと、国王によって勇者に任命された三人が、その三人だけで魔王を倒しに向かうのだそうだ。しかしそれだと、何のために何千何万の兵や騎士団がいるのだろう。私にだって、この話の無茶ぶりがよく分かった。


「大丈夫さ。これで、邪魔者は居なくなるよ」


 詳しい話を教えてもらおうとエリフォード王子の所に行ったら、王子はそれだけつぶやいた。また、ねっとりとした笑みを浮かべて。

 とりあえず、逃げよう。そして彼を追おう。決断するのは難しくなかった。



「……ウィリアムさん、大体私はあなたのことを信用していません。逃れようとすれば逃れることもできたはずなのに、『勇者』などを引き受けて。あなたの力なら、王国騎士筆頭の座も遠くなかったというのに。あなたは一体、何を望んでいるのですか?」

「……俺は――」

「まあまあ、ハロルド殿。勇者殿を困らせてはなりません」

「ボルクスさんは気楽ですね。……何が『勇者』だ、馬鹿馬鹿しい。こんな腑抜けた男の指示に従って死ねというのか」

「ハロルド殿、言い過ぎですよ」


 婚姻の用意まで始めてしまった王子から逃げて、変装した私は王都の下町までやって来た。すると彼を始めとする「勇者」の一行は、その下町にある食堂でテーブルを囲み、険悪な雰囲気で話し合っていた。


「……引き受けてしまったのは確かだ。今から任務を放棄しても、反逆者として追われるだけだ」


 前に彼の姿を見てから、また随分時間が経っていた。もう、完全に大人の男性になっている。それでも彼は、私のよく知る幼馴染みの彼だった。

 しかし今の彼には、以前には無かった陰がある。きっと私のせいで、こんな無謀な任務を命じられてしまったせいだろう。


「……反逆者か。今の王なら、そうわめきかねませんね」

「ハロルド殿」

「ボルクスさんだって分かっているでしょうに。あの王のどこに、そこまで忠義立てる理由があるのですか」


 今このタイミングで、彼の前に飛び出してもいいものだろうか。肝心なところで尻込みする私が様子を見ていると、彼らの話は次へと移った。

 せめて誰かを雇って、戦力として一行に加えるべきではないかという話だ。


「な、なあ、あんたら、人を雇いたいのか」

「……ん? 何だ貴様。平民か?」


 魔術師風の男性が、男装をしている私を怪訝な目で見た。


「あ、ああ、そうだよ」


 つい飛び出してしまった。でも、勢いで出てしまったものはしょうがない。


「あんたら、人を雇いたいんだろ?」


 とりあえず一行に加われば、彼と一緒にいられるだろうか。浅はかな考えだが、私はそう口にした。


「俺たちの旅は、きっと過酷だ。死ぬ危険もある。……それでも良ければ、付いてこい」


 彼の目は、暗に止めておけと語っていたけれど、死ぬ危険のある旅だからこそ、私は彼に付いていく意味がある。


「俺、ルークって言うんだ! よろしく!」


 ちなみにルークは、家で飼っている犬の名だ。


 無事一行に迎えられたときは喜んだが、よくよく考えてみて、後で私は憤った。

 確かに男装しているけれど、普通、すぐに私だと気付かないものだろうか。



 それでも、彼と一緒に旅ができるというだけでも嬉しかった。

 彼と共に様々な土地を見て回り、様々な人々に会う。それは、彼と共に生きているということだから。


「……これは、ひどいな」


 しかし、辺境に近づけば近づくほど、この世界の暗い部分も見えてきた。

 ボルクスさんが愕然とした様子でつぶやいたのは、目の前にある荒れ果てた村を見たからだ。

何があったかは知らないが、家屋の半数は焼け落ち、生き残った人々は地面の上に力なく座っている。吐き気を催す臭気が鼻をついた。


「野盗が、野盗が村を襲ったんです。……私の、娘が」


 彼が、焼け焦げた骸を抱いて泣いている村人に声をかけると、そんな答えが返ってくる。そしてその答えを聞いた瞬間、彼が唇を噛みしめて、もの凄い形相をしたのを見た。


「野盗か。それこそ軍に任せておけばいい。我々の仕事ではない」


 ハロルドさんがそう言う。彼も冷たい人ではないだろうに、どうしてこんなに斜に構えたことばかり言うのだろう。


「確かに、そうかもしれないが……」


 彼が言いよどんでいるのは、迷っているからだと感じた。魔王を倒す旅をしている自分たちが、ここで戦力を消耗して良いのだろうかと。


「――なんとか、してあげられないかな」


 私がつぶやくと、彼とハロルドさんが同時に私を振り返った。後から加わってきたくせに、無責任な事を言うと思われたのかもしれない。

 びくりとした私の肩を、後ろからぽんと叩いた人がいる。


「ルーク君の言う通りです」


 ボルクスさんだ。


「大丈夫ですよ、勇者殿。王の命は『世界に平和を取り戻せ』です。これは寄り道なんかじゃありません」

「……そうだな。その通りだ、ボルクス。ハロルド、お前も力を貸してくれないか」

「……どうして私がそんな事を?」


 でもまあ、浅学なあなたがたは私がいないと何もできないでしょうから、仕方がありませんね。

 そう言ったハロルドさんの顔に、微笑みが浮かんだ。



 一つの村を救って以来、彼らは本当に「勇者」になった。

 魔物に怯え、野盗に苦しめられる人々はあらゆる所にいる。辺境の村々を駆けずり回り、彼らは精一杯、彼らにできることをした。


「勇者様、お助け下さい!」


 行く先々で、そう懇願されるようになった。そう言われると大抵、ハロルドさんは、なぜ我々がと愚痴をこぼす。そして彼が引き受けるかどうか悩んで、私とボルクスさんが、引き受けましょうと彼の背中を押す。

 そしていざ戦いの時に一番積極的に前に出ようとするのは、ハロルドさんと彼だった。


 生傷を増やす彼が、痛々しくて見ていられなかった事もある。懸命に戦っても足を引っ張る事しかできない自分に、腹が立ったことも多い。

 でも、村人にお礼を言われたときの彼の心底嬉しそうな顔を見ると、村人たちの懇願を無視して進もうなどとは、とても言えない。

 私のせいで勇者に任命された彼だったが、彼は今、自ら望んで、人々のために勇者をしているから。


「ルーク君は、女の子なんですよね」


 あるとき立ち寄った町で、ボルクスさんに指摘された。いつから気付いていたんですかと私が問うと、もちろん最初からですと笑われた。


「まあ、勇者殿とハロルドは気付いていないようですが。……どうして性別を偽って、私たちの旅に?」


 勇者一行で一番聡いのは、この人なのかもしれない。彼に対する私の感情だって、ボルクスさんにはとうに見抜かれていた。


「名乗り出ればいいでしょう」


 彼の邪魔をしたくない。彼に受け入れられる自信が無い。


「……そうでしょうか? 私は勇者殿に、幼馴染みの女の子の話を聞いたことがありますよ」


 ……でも、今は。


「……そうですか、分かりました。……しかしルーク君、覚えておいてください」


 あなたたちは、きっと幸せになれますよ。別れ際、ボルクスさんはそう言った。



「どうして、どうしてお前が……。すまないハロルド……!」


 ひざまずき、地面に拳を打ち付けたまま、彼はずっと固まっている。

 旅の途中で、ハロルドさんが死んだ。


 ――……本当、面倒見切れませんよ。私がいなければ、何もできない人たちなんですから。


 ――いやだ! ハロルド、死ぬな! 死なないでくれ!


 魔王に次ぐと言われる強力な魔物と戦ったとき、ハロルドさんは、私たち他の三人をかばって息絶えた。


 ――……ウィリアムさん。でもね、今なら、信じられる。


 ――喋るな! なんで俺なんかを助けるんだよ……!


 ――あなたは、勇者だ。


 ――……!!


 ――……必ず、魔王を…………。


 ありあわせの石と、ハロルドさんが残した杖でお墓を作り、出来る限り丁寧に埋葬した。それからずっと、彼は泣きじゃくりながら、お墓の前で自らを責めている。


「……行きましょう、勇者殿。ハロルドのためにも」


 彼の嗚咽だけが響く中で、ボルクスさんが言った。

魔王の城は近い。


 勇者一行が、どれだけ努力して魔物や野盗を倒したところで、世界に平和は訪れない。たとえ魔王を倒したとしても、それは同じだろう。

 それでも彼らは戦って、ついにハロルドさんは死んだ。


 彼を止める言葉を、私は持たない。


 ハロルドさんの言う通り、今の彼は勇者だ。


 私にできることは、ハロルドさんと同じように、彼のために死ぬことくらいだろう。



 森の中を、ティナは走っていた。


 枝に顔や腕をこすられて、血が流れるのも構わずに。

 彼女は今、自分を置いて行った勇者たちに追いつこうと懸命だった。


 数日前、魔王城に一番近い人間の村で休んだ時、ティナが寝ていると突然何者かが部屋に押し込んできた。

 二人の人影は、布団ごと鮮やかにティナを簀巻きにすると、宿の物置に放り込んだ。


 朝方、彼女がようやく物置から這い出すと、宿に勇者ウィリアムと戦士ボルクスの姿はなく、ただ一片の紙切れだけが残されていた。


 ――お前は生きろ。


 ふざけるなとティナは思った。

 私だって勇者一行の一員なのに。


 迷うこともなく、彼女は勇者を追いかけた。寝る前に解いていた男装を、元に戻すのも忘れて。


「はっ! はっ! はっ――!」


 息を切らして走る彼女の目に、黒くそびえる魔王城が映った。

 その途上には点々と、ウィリアムとボルクスが倒したらしい魔物の死体が転がっている。


「馬鹿!」


 ティナは叫んだ。


「馬鹿! 馬鹿! ウィルの馬鹿――!」


 涙をぬぐうこともせず、彼女は城に続く坂を駆け上がった。

 開きっぱなしの大扉が見える。ティナが入り口をくぐると、そこに一つの人影があった。


「ウィル――!!」


 自分を見て、驚いた顔をしている幼馴染の胸に向かって、彼女は思い切り飛び込んだ。







 勇者ウィリアムについて、年代記は以下のように伝える。

 魔王の討伐を成し遂げた後、勇者は王の元を辞した。

 彼はどこの国に属することもなく、虐げられた人々を救うため、あらゆる場所に現れた。

 彼は旅の途中で息果てるまで悪と戦い、血溜まりと苦難の道を歩み続けた。

 しかしその傍らには、常に美しい彼の妻が寄り添い、勇者の歩みを支え続けたという。

 勇者と幼馴染の物語のような恋は、今日も吟遊詩人たちの歌の中に聞くことができる。



 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 この話を以前に投稿した際、「ヒロインの行動は悪女っぽくないか」「王子が哀れだ」というご指摘をいくつかいただきました。筆者自身もそうかもしれないと思ったため、それを解消したいと考え、このような形式で再投稿させていただきました。

 しかし、加筆したことによる矛盾の追加や、そもそも登場人物の心理描写(特に女子)がなっていないというご指摘もあるかと思います。その場合はできる限り修正したいと思いますので、遠慮なくご意見いただければ幸いです。


【設定】

ウィリアム:

主人公。致命的鈍感。彼視点の独白における彼の人物像と、他人が見た時の彼はかなり異なっている。


ティナ:

ヒロイン。彼女は彼女で鈍感なところがある。思い込んだら譲らない。


ハロルド:

宮廷魔導師。若手のホープだが思ったことをすぐ口に出す嫌みな男。耳障りの良いことばかり言う上司が不正をしていることについても、素直に面前で罵った。その結果が勇者一行入り。旅の中で、表向きは渋々ながらも人々を絶対見捨てないウィリアムを見て、彼が勇者だと確信するに至る。


ボルクス:

ウィリアムとハロルドの鈍感コンビがルークの正体に気付かない中、彼だけは早々と気がついていた。妻子と死に別れているため、若い二人のために道を開くことが自分の役目だと考えていた。


王子:

ウィリアムの勇者任命式では、恋敵が死地に赴かされるということで笑みが抑えられなかった。あらゆる手を使ってティナとの結婚にこぎつけようとしたが、当人が失踪したことで仰天した。


国王:

隣国との領土争いに夢中になっているので、自国が辺境を中心に徐々に荒廃していることに気付いていない。それでも一応、魔王討伐の格好だけでもつけておこうと「勇者」派遣を思いついた。旅立つウィリアムたちに彼が渡したのは、50ゴールドとひのきのぼう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 某ゲームでももう少しもらってた気が…(だいぶ前なんで勘違いかもしれませんけど)
[一言] 駄王子さんの塵みたいな嫉妬のせいで有能な戦士と魔術師を失った。種を残す位しか価値の無い種馬王子と等価とは思えませんな。王子を救う必要性は、感じない。
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