白い
同時にイノシシが叫び声をあげ、突っ込んできた。
以前見かけたイノシシと、同程度の動きだ。森で急に出くわした人間に驚いて襲ってきた、と考えることもできる。
マリグネじゃないんだろうか?
「僕に任せてくれたまえ!」
ローデリヒが淡い金色の光を帯びた剣を構え、イノシシに向かいあう。
カービング・ソードを使っていることからして、一気に一刀両断にする気だろう。
彼の流派は正眼の構えからの中心線を取ることを重視する流派だ。猪突猛進とも揶揄されるイノシシの突進は真っ直ぐだから、空から襲うラ―べと違って相性がいいと感じたのだろう。
しかし僕は、直観的に危うさを感じた。
「待って!」
イノシシは、ローデリヒが剣を振り下ろした瞬間に前脚の蹄を地面に喰い込ませて急停止する。目標を失った淡い金色の剣は空を切ったのみで、必殺を確信していたのか鍛えぬいたローデリヒの体幹がわずかに前へ崩れた。
「あぶ、ない」
斜め後ろに控えていたツィトローネの呟きが聞こえた時には、既に斜め前からイノシシはローデリヒに迫っていた。
その際、左わき腹に金色の毛並みが混じっているのが見える。
アプフェルが急いで魔法を完成させようとするが、イノシシの突進の方が早い。
成人男性の三倍はある体重から繰り出される衝撃が、ローデリヒを襲おうとしていた。
「舐めるな!」
だがローデリヒは振り下ろした剣を素早く振り上げ、下からイノシシの喉元を捉えようとする。
ローデリヒの剣先はイノシシの鼻先をかすめたが、イノシシはさらに深く身を沈めて切り上げを避けた。突進しながら身を沈めたので、勢いが弱まることはない。
そのまま、イノシシの白い牙がローデリヒの左太股を捉えた。
何かがひしゃげるような音と共にローデリヒの体が吹き飛ばされ、下草の生えた地面をバウンドしながら転がって言った。
「ローデリヒ!」
僕はストーン・ゴーレムを創りだしてイノシシの前に立たせてから、彼に駆け寄る。
「大丈夫、だ」
ローデリヒは仰向けの姿勢から、素早く起き上がった。見たところ出血もなく、目立った外傷もない。イノシシの牙で突かれたはずの足からも血が出ておらず魔法服さえ破れてはいない。
「これが守ってくれたんだ」
ローデリヒはヒビが入って割れかけた木製の鞘を指して言った。
僕はほっと胸をなでおろす。もし生身でイノシシの突進を受ければ太股の内側の急所を抉られて大怪我をしていただろう。
「さっき突進した時に見えた。金色の毛並みが混じっている。あのイノシシは、マリグネで確定だ」
「イノシシは猪突猛進なのは迷信だと聞いていたが、まさかあれほどに素早く方向を変えるとは予想外だった」
「わたくしもですわ。あんなに俊敏なイノシシは、見たことがありませんわよ」
ローデリヒは軽傷を負ったというのに、闘志にいささかの衰えも見せず剣を構え直した。
だが、アプフェルの冷静な声がそれを遮る。
「とりあえず、動かれると厄介ですわね。アイシクル・エンピレイング」
アプフェルがイノシシの足を凍てつかせる。四肢全てが地面に連結したため、イノシシが体をねじろうと頭部を波浪のごとく振ろうと氷の彫刻で地面に縫いつけられた四肢は微動だにしなかった。
「ツィト、取り敢えず燃やしてしまいましょう」
「わかった、今度は、早めに、ケリをつける」
ツィトローネがペンほどの大きさの魔法杖を振り、魔法を詠唱しようとする。
アプフェルの氷で足止めしているので、ツィトローネの魔法は十分に効果を発揮できるだろう。
「イノシシ肉のステーキがお土産になりますわね」
肉とそれにかけるソースの味を思い出しているのか、戦闘中だというのにアプフェルの頬が緩む。かく言う僕もお腹がすいてきた。
「しかし…… 僕が活躍する機会がないな」
「先ほどは体を張ってイノシシとぶつかり合ったでありませんの。手傷を負いましたし、アウトレンジから仕留められるならそうするべきでしょう。それにイノシシのマリグネということは、万が一の可能性がありますわ」
ツィトローネの周囲の大気が熱を帯び、魔法の完成が近付く。
だがイノシシは目を鋭くし、身をかがめてからさっきとは違いくぐもったような声で唸り始めた。
同時に周囲の空気がパチパチと音を立て始める。触れられてもいないのに、アプフェルのブロンドの毛がいくつか逆立った。
「な、なに」
ツィトローネが焦ったように呟く。
「急ぎなさい! ツィト!」
アプフェルの叫びと共にツィトローネは魔法を完成させる。
「ファイア・イン……」
だがその詠唱をイノシシの吠え声が打ち消す。
イノシシの周囲からさっきまでとは比較にならないバチバチ、という大気を振るわせるほどの音が響き、アプフェルの氷が弾け飛ぶ。同時に足元の土が地面に舞った。
「ファイア・イン・ウオラ!」
ツィトローネが魔法杖を振りおろし、魔法を完成させる。
だが炎が焼き尽くすべき対象は既にその座標には存在せず、炎は大気中の埃や塵を多少焼いた程度ですぐに消えた。
燃やすべき対象を捉えられず、虚しく燃える炎の側では勝ち誇ったように四肢で地面を踏みしめるイノシシが僕らを昏い両眼で見て、いや見下していた。
その体には白い電撃を火花のように纏っていた。
バチバチという火花が散る音が、嫌なほどはっきり僕らの耳に届いた。




