伏せて!
さらに五分ほど歩くと、森がさらに深くなっていく。
木々の間隔が狭まり、頭上を覆う木の葉のカーテンも濃くなって周囲が薄暗くなっていく感じだ。
「ラッテ君、は、落ちついて見えるけれど、マリグネ、狩ったことが、あるの?」
僕の隣を歩いていたツィトローネが不安を瞳ににじませて見上げてくる。
僕の服の裾を指先で強くつまんでいるのが、手のかかる妹を相手にしているみたいでいじらしく思えた。
「一度だけね」
マリグネと戦ったのは以前ヴァイス山でヒグマのマリグネ、ズィーベンに出会ったときだけだ。その時も狩ったというより狩られたという感じで自慢できるようなものじゃないけど。
それ以外に対応したことはあるけれど、狩ってはいない。ゴーレムを盾にして、じりじりと後ずさった。そうすると小型のマリグネは警戒して、逃げて行ってくれた。山で熊と出くわした時は目を決して反らさず、背中を見せないようにしてゆっくりと後ずさるのが
いいと聞いていたのでその通りに実行しただけだ。
狩る勇気なんて、なかったし。
それに他の貴族の領地でマリグネを狩ったりしたら、どんな難癖をつけられるかわからない。
でもそのせいか、ズィーベンと対峙した時もパニックになることなく行動できたと思う。
「……すごい、ね」
それでも、経験者がそばにいるというのは違うものらしい。ツィトローネの指先から力みが抜けたのを感じた。
「私も狩ったことがありましてよ!」
アプフェルは少しだけ声を大きくして唇を尖らせる。
「そう、なんだ…… さすがは、イェーガ―家」
ツィトローネは体の前で両手を合わせ、尊敬、いや崇拝するようにアプフェルを見つめた。当然僕の裾をつまんでいた指は離してしまっている。
「ま、まあ当然ですわね!」
背を反らして胸を張り、高らかに宣言している。
まああの時は漏らしてたし、それくらいの虚勢には目をつぶろう。貴族の情けだ。
「僕も初めてだな」
ローデリヒは腰の剣にしきりに手をやりながら、強く短く答えた。
「意外だね? 騎士の家系だから、てっきりマリグネ狩りには狩りだされてるのかと」
「人間相手とマリグネ相手ではまた勝手が違うからね。騎士としての振る舞いや礼儀作法などが優先されて、後回しになっていたんだ。お陰で剣の扱いや手入れについては詳しくなったが」
魔法杖を兼ねた剣は、騎士の家系らしく武骨な造りの鞘に納められ、滑り止めのなめした皮が柄に巻かれている。
僕たち人間が緊張していることをのぞけば、全くの平和な森だ。
風に木の葉がざわめくことをのぞけば、音がほとんどしない。
イノシシを警戒して地面を注視しているが、特に襲撃はない。藪に隠れていることが多いため風とは違う揺れ方にも警戒しているが、それもない。
「緊張感がいる場面ですのに、気が抜けてきますわね」
アプフェルは小さな口を隠しながら、軽く欠伸を漏らした。
「弛んでいる、と非難することもできないね。行軍中に気が緩むのはよくあることだし、何より人間はそう長時間緊張し続けていられないらしい」
「そう、思う」
三人ともさっきまでの緊張の反動か、リラックスして森の中を歩いている。
過度な緊張はかえって体力の消耗を招くからいいことなんだけど、なぜか嫌な予感がぬぐえない。
なんだか、森に違和感がある。
どことは言えないけれど、全体的に妙な感じがした。
ふと首筋に流れる風の方向が、変わった。
「みんな、伏せて!」
僕は咄嗟に、スクールカースト最下層であることも忘れて指示を出した。




