7-2
「‥‥じゃあ、俺はバイト行くから」
「うん! 行ってらっしゃい!」
優はうずうずしているのを抑えられないまま玄関で幸一を見送っていた。英里との約束の時間と幸一がバイトに行く時間はほぼ同時で、幸一が出かけたらすぐにでも出るつもりなのだろう。元気なのはいいことだが、なんだか早く行けとでも言われているようで少し複雑な気分だ。
優の今の服装は七分丈のジーンズに、無地のTシャツの上に黒の薄手のジャケットを羽織っていた。下はともかく、上の組み合わせになんか見覚えあると思ったら、幸一の普段の服装によく似ている。似ていると言ったら喜ぶか拗ねるかの2択だろうと思ったので、無難に口を噤んでおくことにした。
この服装の変化はずいぶんと自由が効くらしく、最近はこうして様々な服装を調べては色々と試してみているようだった。なんというか、これ以上ないくらいに幽霊ライフを満喫している気がする。幽霊ってもう少し悲壮感漂うものではなかったのか。
しかし出かける前にどうしても注意しておかなければならないことが1つある。
「優、英里ちゃんと遊ぶのはいいけど、あんまり人が多いところでは遊ばないようにな」
優は不思議そうに首を傾げる。
「昨日もよく分かったと思うけど、優はほとんどの人に見えてないんだから、周りから見ると英里ちゃんは1人で遊んでんの。だから英里ちゃんと遊ぶ時も、俺と出かけてる時と同じくらい注意しろよ」
幸一としてはかなり真剣に注意したつもりだったが、優はどの程度それを理解しているのか「大丈夫!」と勇ましい笑顔で親指を立てた。
呆れ半分、そして優に友達ができたという嬉しさ半分で優の頭をくしゃりと撫でると、幸一はバイトへと向かった。
幸一が自転車にまたがるとほぼ同時、後ろから抑えきれない優の笑いと走り去る音が聞こえ、幸一も苦笑いを抑えることができなくなるのだった。
「お兄ちゃん! もう朝だよー!」
翌日、幸一は朝から優に叩き起こされた。
「んー‥‥朝、今何時?‥‥ってまだ6時じゃん‥‥」
ここのところ生活習慣はすっかり夜型から朝型に戻っていたが、さすがにこんな早起きはしていない。重いまぶたをこじ開けて優を見ると、すでに出かける準備万端といった様子で幸一の上に乗っかっている。今日の服装は先日とは違って、女の子らしい桜色のセーターに、膝下のスカートを履いていた。
「今日はお仕事じゃないの?」
「違う‥‥。ていうか、こんな朝早く出ないし‥‥ていうか、こんな早く準備しても、英里ちゃんまだ来てないだろ。もう少し、ゆっくり‥‥してから‥‥」
むにゃむにゃと、半覚醒状態の不明瞭な声で正当な理由を述べ、そのまま言葉は尻すぼみに意識とともに眠りの底に沈んでゆき、
「もう! お兄ちゃん、お兄ちゃん、お・に・い・ちゃーん!」
穏やかな二度寝に突入しようとした幸一の耳元で優がわんわんと叫び、安眠を全力で妨害してくる。
「あんま騒ぐと、近所迷惑だろ‥‥。だから少し静かに‥‥」
「他の人には聞こえてないもーん。だから起きろー!」
幸一は頭を抱え、ああもう、とため息交じりに呟いて、腹上の優を押しのけながらのっそりと起き上がる。この前はそれが理由で泣きそうになっていたくせに、元気になった途端武器にし始めやがった。子供というのは恐ろしい。
今日は休日ということで英里とは朝から遊ぶ約束をしているらしい。朝食を終えると優はすぐにでも遊びに行こうとしていたが、それでもまだ時間は7時にもなっていない。9時頃に約束、と言っていたくせにどうしてこんな早く出たがるのか。というか朝から元気に外に遊びに行こうとする幽霊ってどうなんだろう。
8時半になると、優は待たせないように早めに行ってくると言って幸一の制止の声も聞かずとっとと出かけてしまった。
部屋には幸一1人が取り残され、途端にしんとした空気に包まれる。今日ばかりは寂しいというより、ようやくゆっくりできるといった思いのほうがよほど強い。
「ていうか俺、なんで俺起こされたんだ‥‥」
別に優は必ずしも食事をとる必要はない。今朝だって幸一の朝の習慣であるヨーグルトを食べられただけだったし(食べられることがすでに習慣になっている気もするが)。
幸一はため息をついて再び布団を広げると、今度こそゆっくりと二度寝を開始したのだった。
――という日が土日連続で繰り返されたため、幸一は若干寝不足だった。
「どしたんこーいっちゃん。えらい眠そうじゃな」
「‥‥はい、まともに寝かせてもらえてなくて」
バイト中にあくびをかみ殺す幸一を見ながら、織人は今日も楽しそうだった。
優がいない間に眠っておこうと思ったら昼前に騒がしく帰ってきて再び叩き起こされる。そして自分は少ししか食べない昼食をなぜか幸一に強要し、その後のバイトまでのほんのわずかな時間で昼寝をする。
やることがあって自分で起きようと思うのと、意味もなく無理やり叩き起こされるのでは、起き抜けの疲労感には天と地ほどの差がある。睡眠時間以前に、起きることそのものが疲労になっていた。
「はは、あの幽霊幼女か。優ちゃんだったっけ」
「‥‥幼女って言わないでください。なんか犯罪っぽいじゃないですか」
「あっはっは、似たようなもんじゃろ」
「全然違います」
「うおっ、そんな怖い目で見るなや。ま、楽しそうでなにより」
「‥‥そうですね」
それに関しては否定できない。優が来てから幸一は確かに、毎日を楽しいと感じるようになっていた。思い返せば、ゼミや飲み会でその一時の時間を楽しむことはあっても、生活そのものが楽しいなんて感じる余裕はなかったかもしれない。
そう思うと、ここのところ英里ばかりと遊んで幸一そっちのけになってしまっていることが、少しばかり寂しいなんて思ってしまった。
「‥‥これが娘を嫁にやる父親の気分なのかな‥‥」
相手は男じゃないけど。などというどうでもいいことについ思考を割かれてしまう幸一であった。
やっぱり寝不足はしんどい。




