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Dear you  作者: くらうでぃーれん
6.日本人の肝臓は諸国に比べあんまり強くないんです。普通は。
13/26

6-2


「いやいやっ、あたしまだぜんっぜんよゆーだから! ほら、次行こうつぎ! らーめんダメでもおさけならだいじょうぶだから!」


 ゼミメンバーでの飲み会の日。二軒目の居酒屋の外での一幕である。

 ニ次会が終わった時点で、もはやこれ以上上を目指してほしくないハイテンションの千尋はさっきから「最後にラーメン、ラーメン食べないと!」と騒いでいるが、千尋に代わって結輝がラーメン屋(千尋の勤めている店)に電話すると、騒ぐ千尋の声を聞いた店長に「その千尋は絶対連れてこないでくれ」と即座に切り捨てられた。店長、よく分かってらっしゃる。


 というわけで、ごねる千尋を無理やり引きずって今日はここで解散という運びとなった。


「じゃあコーイチ、アイちゃんを頼むな」


 そして、酔い潰れているのは千尋だけではなかった。幸一の足元にはうずくまってじっとしている愛衣の姿が。


「こーいちー、イエに連れてかえって、ちゃーんと手ぇ出さないとダメだよー。いやらしいことするなら、今がちゃんす!」

「何で勧めてんだよ」

「あいはねー、背はちっちゃいけど、あとおっぱいもちっちゃいけど、揉んだらちょー気持ちいいんだよー。やわらかーい、マシュマロおっぱい」

「背ちっちゃいとか、ちーさんが言ったら愛衣ちゃん幼児になるだろ」

「へえ? あたしのおっぱいがちっちゃいだとコラァ! ほら、そんなに言うなら触ってみろや!」

「お、コーイチ、これは酒の勢いで触っていいチャンスじゃね?」


 非常に面倒な絡みをし始めた千尋を、結輝はそんな軽口を叩きながら首根っこを掴んで幸一から引き剥がした。

 愛衣を潰したのは当然というべきか、千尋である。可哀そうなほどに千尋に絡まれ飲まされ、突き離すことのできない性格が災いして最終的にこうなってしまった。次の店に行けないのは、千尋以上に愛衣の状態が心配だからだった。


 千尋は飲みに行くといつもこんな大暴走状態になるくせに、滅多にリバースしないし二日酔いにはなったことがないのだそうだ。多分千尋の肝臓は国産ではない。


「よーし、じゃあ次は2人でいこうゆーき。おみせじゃなくても、あたしのいえで宅飲みでもいいよー。それでー、のんだあとはー、うっひょー! あたしめちゃくちゃにされちゃうー! あはははっ、今日だけだかんなー!」

「あんまり騒いだらマジでめちゃくちゃ(物理)にするからな」

「任せてしまって悪いわね、八咲くん」


 大騒ぎする千尋を取り押さえる結輝を横目に、申し訳なさそうに幸一の横に立っているのは香織。

 この中で愛衣の家を知っている者はおらず、今の愛衣にはとても道案内などできそうにはなく誰かの家に泊めることになった。

 しかし先日の理由から香織の家は遠く交通に不便な場所にある。裕也に女性を介抱できる甲斐性があるとは思えないので、暗黙の了解で結輝と幸一が候補に挙がった。そして気づくと、千尋と愛衣の世話係が現在のように分担されてしまったというわけだ。その際の結輝と千尋のにやにや笑いを幸一は黙殺した。


「愛衣ちゃん、大丈夫? チャリ乗れそう?」


 幸一がしゃがんで尋ねると、たっぷり間を置いてから愛衣は小さく首を横に振った。ここまで愛衣が酔いつぶれるのを見るのは初めてだ。

 幸一がどうしようかと悩んでいると、香織が愛衣の上着のポケットを漁り、自転車の鍵を取り出した。


「愛衣の自転車で、乗せていってあげて。八咲くんの自転車には私が乗ってついていくわ。私は歩いて来ているから」

「いや、一晩だけこの辺に置かせてもらよ。香織さんだってそこそこ飲んでるだろ」


 千尋や愛衣ほどでなくとも、何時間も騒ぐのに付き合っていればそれなりの量にはなる。香織の立ち姿はいつもと変わらないように見えるが、それでも慣れないクロスバイクに乗せるのは少し危険な気がした。


「‥‥そう、申し訳ないわね」


 幸一が愛衣の自転車にまたがり愛衣を後ろに乗せると、幸一の腹に回した愛衣の腕を香織がハンカチでぎゅっと縛った。どの程度効果があるかは分からないが、なにもないよりはマシだろう。あとは警察に見つからないことを祈るだけだ。


「じゃあ結輝、ちーさん頼むわ」

「あいよー。間違って川に捨てちゃったら、拾ってあげてな」

「あははっ、ゆーき、えっちしてもいいけど、ゴムは必須! あたしまだこども産むのはさすがにはやいと思うんだー」

「安心しろ。家に蹴り込んだらソッコーで帰るから」


 ちなみに千尋の家には何度か飲みに集まったことがあるので、場所はみんな知っている。


「じゃあ愛衣ちゃん、ちゃんとつかまっててな。ちょっと揺れるけどそれだけは我慢して」


 背中の愛衣が頷く気配。


「それじゃーお疲れ。また休み明けなー」

「あいにゃーん、こーいちが何もしなかったら、あいにゃーがおしたおすんだよー」


 背中の愛衣が頷く気配。もう誰が何を言っているのかも分かっていないようだ。

 幸一がそのまま自転車を発進させると、後ろからはまだ千尋がけらけらと騒いでいるのが聞こえるが気にしないことにする。頑張れ、結輝。


 千尋はマトモな人間ではないので心配する必要はないだろうが、愛衣は正常な人間だ。家までの道のりは、平坦な道を選んで出来るだけ静かに帰った。愛衣は黙ったままだったがどうにか意識はあるようで、幸一に回された手にはずっと力が込められていた。


 それにしても、特別やり手でもなかった幸一は今までに女の子と2人乗りをしたことなんて数えるほどもない。状況が状況ではあるが、どうしてもドキドキしてしまうものだ。中学生かよ、と自分に突っ込みたくもなるが、緊張してしまうものは仕方がない。

 家に到着するのにさほど時間がかからなかったのが少しもったいないなどと思ってしまうが、しかしそれこそ状況が状況である。そんなことも言っていられず、どうにか愛衣を荷台から降ろして肩を貸す。


「どう、歩けそう?」

「‥‥うん、少しはマシになったかも」


 それでもまだ平気とは言い難く、俯いたままで足元は覚束ない。

 部屋の前まで着くが、鍵が入っているのは背中のカバンの中だ。愛衣を支えたままでは取り出すのに非常に手間がかかってしまう。

 仕方なく幸一は、呼び鈴を押して中に声をかけた。


「優、まだ起きてるか? 悪いけど、鍵開けてくれないか」


 しばらくすると、ドアからにゅっと腕が生えて幸一の体に触れた。すると内側からがちゃりと鍵の開く音がして腕がドアの中に消える。

 幸一が考え出した、鍵がなくてもドアを開けられる優ならではの隠し技である。鍵を無くした時にでも使えればと思っていたが、思わぬところで役に立ったようだ。


「んー、おかえり‥‥」


 部屋に入ると、半眼の優が出迎えてくれた。起こしてしまったかと思ったが、服装がパジャマになっていないところを見ると、起きて待っていてくれたようだ。寝なくてもいいが眠くはなるというのはなんとも不思議な話だ。


「ただいま。ごめんな、友達が1人潰れちゃってさ」


 簡単に状況を話すも、優はよく分かっていないようだった。まあ潰れた、なんて言っても確かに意味が分からないだろう。


「おさけ、いっぱい飲んだの?」

「飲んだよ。大人だからな」

「お兄ちゃんは平気なの?」

「平気だよ。大人だからな」


 自分で言っていて意味が分からない。それなりに酔っているのかもしれない。


 ――そう、酔っていたのだと思う。そして家だから、気も緩んでいたのだろう。だから自分が大きなミスを犯したことに気がついたのは、大きく目を見開いてこちらを見つめる愛衣と目が合った時だった。


「‥‥幸一くん、誰と話してるの? 部屋、誰かいるの? 誰も、いないよ‥‥?」


 幸一ははっとして「あ、いや」と言葉にならない呻きを漏らす。いくらなんでも、今のはあからさますぎた。一言だけならまだしも、ドアの前からずっとだ。独り言だとごまかすにはあまりにしっかりと受け答えをしすぎてしまった。

 しばらく幸一は頭を抱えてどう答えるべきか考えたが、結局妙案は浮かんでこなかった。


「‥‥とりあえず、あがってもらっていいかな」


 2人が今いるのは玄関。この場で立ち話というのもいささか都合が悪いだろう。

 幸一は愛衣を支えたまま部屋まで通し、台所からコップを2つ出して冷蔵庫の中の水を注いだ。机にコップを置いて愛衣に向かい合って座ると、「お、おじゃまします」と愛衣は今更思い出したように小さな声でそう言った。優は幸一の隣にちょこんと座っている。

 幸一は一口水を飲んでから、ゆっくりと口を開いた。


「‥‥あの、俺今からかなり突拍子もない話するけど、落ち着いて聞いて」

「うん」


 頷く愛衣の目は真剣だ。酔っているせいかどこか虚ろな視線ではあるが、それでもちゃんと話を聞こうとしてくれている。

 何と説明すればいいのかしばらく悩んだが、どうにも言いようがないと思い結局簡潔にありのままの事実を話すことに。


「俺今、幽霊と一緒に暮らしてるんだ」


 愛衣は真っすぐに幸一を見つめたまま、ぱちぱちと瞬きをした。何か言おうとして口を開き、すぐにまた閉じる。

 そしてたっぷりと間を置いてから、ちょこっと首を傾げた。


「‥‥ゆうれい?」

「うん、反応が自然すぎて安心するよ‥‥」


 織人に結輝に香織。むしろ今まで話してきた人の反応が普通ではなかったのだ。普通の反応を見るのがなんだか新鮮な気がする。きっと優に初めて会った時の自分もこんな感じだったんだろうと、幸一は思わず苦笑を漏らした。


「まあ普通は信じられないと思うけど、でもホントなんだ。最近知ったことだけど、結輝と香織さんも見えるらしくてさ、だからゼミでは俺以外に、その2人も知ってる」

「香織ちゃんと結輝くんも‥‥」


 愛衣はいまだ動揺が抑えられないらしく、どうにも落ち着かない様子だ。


「‥‥幸一くんを疑うつもりはないけど、やっぱりよく分かんないよ‥‥」


 それはそうだろう。何もない空間を指して「ここに幽霊がいます」といって信じる人がいたら、むしろその人を疑う。


「じゃあ愛衣ちゃん、手の平をゆっくり前に押し出してみて。優も、愛衣ちゃんと手の平を合わせてみて」


 愛衣はわずかに戸惑いながらも、言われたとおり肩の位置で手をゆっくりと前に押し出し始めた。優が愛衣に触れれば、見えずとも押し返す力を感じることができるだろうという発想だ。若干分かりづらいかもしれないが、それ以外に優の存在を示す方法は思いつかなかった。

 しかし、愛衣の見せた反応は幸一が想像していたものとは大きく異なるものだった。


「‥‥‥‥きゃっ!」


 優と手が触れた瞬間、愛衣は熱いものにでも触れたかのようにびくりと体を震わせて手を引っ込め、どこか青ざめた表情で何もない空間を――優がいる場所を見つめていた。


「愛衣ちゃん‥‥?」


 見ているが、優に焦点が合っているようには見えない。

視点を幸一に戻すと、愛衣は震える声で尋ねた。


「今の女の子‥‥誰‥‥?」


 見えていない。が、見えていた。

 幸一がいれば優が物を動かせるように、見えない人にも優が見えるようになる条件があるのかもしれない。

 とはいっても、今の状況を考えればその条件も考えるほどのことでもないだろう。


「優、ちょっと離れて、愛衣ちゃんに触ってみて」


 優は言われるまま寄り添っていた幸一から離れて愛衣の腕に触れた。しかし愛衣はそれに気づいている様子はなく、震える瞳で幸一だけを見つめている。

 優が触れるだけでは意味がないのなら、可能性はあと1つしか考えられない。

幸一はそっと、愛衣に触れる優の背に手を置いた。


「‥‥‥‥っ!」


 突如現れた(ように愛衣には見えているのだろう)優を見て、愛衣は再び声もなくびくりと身を震わせた。今度はしっかりと、その目は優を捉えている。しばらくそのまま固まっていた愛衣だったが、やがて救いを求めるような視線を幸一に向ける。


 優を見せるつもりはなかったが、というかそんなことが可能だとは思っていなかったが、結果的にこのほうが話は分かりやすくなるだろう。


「‥‥この子がさっき言った幽霊だよ。優って名前で、ひと月前くらいに家に来たんだ」


 愛衣はなんと言えばいいのか分からない様子で幸一と優の顔を交互に見ていた。信じられない、が、目の前で消えたり現れたりされたのでは信じるしかない、といったところか。


「‥‥大丈夫なの?」


 しばらく視線をさまよわせていたが、やがて愛衣はそれだけを尋ねた。見えた人みんなにされる質問だ。よっぽど無茶苦茶なことしてるんだろうなあ、と他人事のように思う。


「うん、優は悪い子じゃないし。呪われたり、とり憑かれたりしてるわけじゃないから」


 そんな幸一の言葉に優はやや不機嫌顔で振り向いた。


「私そんなことしないもん」

「分かってるって。ごめんごめん」


 優は誠意のない幸一にしばらく不機嫌顔を向けていたが、やがてぽこっ、と幸一の腹に軽くパンチを入れてから幸一の横に戻った。

 そんな幸一を愛衣が再び目を大きくして見つめていた。優はすでに愛衣から離れているため、今のは幸一が1人でしゃべっているように見えたのだろう。


「今もここにいるの? 触れる?」


 愛衣が少し興味深げに身を乗り出し、隣にいるよ、と言おうとした目の前で愛衣のヒジが突如――何の抵抗もなくかくーんと折れた。そしてその勢いで、愛衣は頭から幸一に突っ込む形となった。


「ぐふっ‥‥」


 意外と強力なヘッドバットを腹に受け、鈍く呻く。愛衣は幸一の体に身をうずめたまま、ああ、うう、ともがいている。


「ご、ごめんねっ。動いたら、急に目の前がぐるぐるしてきてっ‥‥!」


 がばりと顔をあげ、あわあわと音が聞こえそうなほどに慌て始める愛衣。


「‥‥‥‥!」


 ――その愛衣の顔が、目の前にあった。

幸一は思わず顔を赤くし、愛衣もその近さに気づいたのかはっとして言葉を止めた。


「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」


 そのまま、無言の時間が流れる。視線を逸らすこともできず、至近距離でじっと見つめ合う。酒の臭いに混じって、ほんのりと甘い匂いが鼻孔をくすぐった。優の子供の匂いとはまた違う、女性の香り。それを意識しただけで、酔いとは違う理由で目の前がくらりと揺れた。


 愛衣の頬が赤く、瞳が潤んで見えるのは酔っているせいだけなのだろうか。少し乱れた呼吸が唇に触れ、幸一の思考をかき乱した。


「あ、あの‥‥」


 引き離そうとしたのか、それ以外に目的があったのか。幸一が思わず愛衣の肩に手を触れ何かを言おうとした瞬間、


「うっ‥‥」


 ――瞬間、愛衣の顔が赤から青へと色を変えた。


 そして口元を抑えて下を向く。再び何かを訴えようと顔をあげかけ、しかしそれも叶わず、目を白黒させながら愛衣はくるぅりとどこまでも緩慢な速度で回れ右をすると、ずるずると這いずりながらほうほうの体でトイレへと向かって行った。


「‥‥‥‥はは」


 笑うしかない、というのは、こういう状況にこそ当てはまるのだろう。

 幸一はトイレから聞こえる、あまり聞きたくない音を聞きながら思わず笑みをこぼしていた。

 もちろん、苦笑いを。

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