師匠を紹介するお色気枠
「『総合格闘技研究道場 無敵塾』――?」
明くる日の放課後、三津島クロエによって連れてこられた隣町の駅前の建物の前で、俺はあんぐりと口を開けながら、その物凄い字面の看板を復唱した。
なんじゃこりゃ。無敵ってなんだ。これはなんというか、すげぇのが来たな――。
俺が目をまんまるにしてその看板を凝視していると、あはは、と三津島クロエが苦笑した。
「凄い見た目でしょ? 師匠はウチのママとパパの共通の知り合いなんだよね。まぁ、外見は怪しげだけど生徒数は多いし、師匠の腕も確かだから心配はないよ」
「そ、そうなのか……。あ、あの、クロエさ」
「うん、何?」
「お前の師匠ってアレか? グラップラー刃牙の渋川剛気みたいな人じゃなくて、男塾の江田島平八みたいな人だったりする? 師匠があと十人いたら太平洋戦争は日本が勝ってたとか、そういう伝説があったり……」
「そういう伝説はないけど、どんな血で血を洗うような戦場からも必ず生きて帰って来てたから、現役の時は『黒い死神』って呼ばれてたとかなんとかって話は聞いた」
「どういうこと!? 戦場ってなんだ!? 師匠って日本人じゃないの!?」
「まぁ、それも会ってのお楽しみってことで。今日の訓練は特別にウチら二人だけだから、気張らずにやってこうよ」
そう言って、三津島クロエは勝手知ったる様子で道場のドアを開けて中に入った。
俺も若干気後れしながら後に続くと、廊下の先に幾分か広いロビーが現れ、むん、と、人の汗が染み付いた、剣道着のような臭いがした。
「あれ、師匠は休憩中かな? おーい、師匠、師匠~!! 電話で話した戦友を連れてきたよ~!!」
薄暗い道場のロビーで、三津島クロエは大声を発した。
「師匠、師匠! どこに行った~!? まーたアナボリックステロイドのやりすぎてラリってんの~!? ステロイドもあんまりやりすぎると男でもおっぱい出てきちゃうんだぞ~! おーい!!」
……なんか今、物凄い台詞を口にしなかったか? 俺が閉口していた、その時。
ガチャリ、と音がして、俺の背後のドアが開いた。
俺が振り返るか振り返らないかの辺りで、「あ、いたいた! 師匠!」と三津島クロエがパッと顔を輝かせた。
途端、ドアから出てきた大入道を見て、俺は生まれて初めて「戦慄」という衝撃に全身を貫かれた。
「Hey, Miss Chloe. Long time no see――」
と同時に、物凄く野太く低い声で、強く訛りの入った英語が聞こえ、俺はあらん限りに目を見開いて、その「師匠」を凝視した。
なんだ、この化け物は。
身長は二メートルをゆうに超え、着ているTシャツとデニムは内側から存在を主張する、その鎧のような筋肉によってミチミチと軋んでいる。
毛が一本も生えていないツルツルのスキンヘッドに、その過剰なまでのテストステロンの分泌量を誇示するかのような雄々しいヒゲと、ギトギトの顔の脂。
耳などはもはや餃子を通り越し、金属バットで三十発ぐらいぶっ叩いた鍋の蓋のように変形しており、俺の倍はありそうなデカくてゴツい手には、凄まじいまでの拳ダコが。
そしてひと目見て明らかに東洋人ではないとわかる、これぞ白人のそれといえる灰色の瞳――。
なんだ、これは。
俺はもう一度だけ驚愕した。
今しがたまで渋川剛気のような枯れた雰囲気の武道の達人を期待していた俺には、突如として目の前に現れたビスケット・オリバを見て、完全に理解が追いつかなかった。
っていうか三津島クロエの格闘技の師匠って、外国人だったのかい――。
「じゃ零宮、紹介するね! この人が私の師匠、ヴィクトル・イマントヴィッチ・マレンコフ師匠! ロシア系だけどアメリカ国籍だから!! 師匠って呼ぶと喜ぶよ!!」
ヴィクトル・イマントヴィッチ・マレンコフ――一度聞いたら絶対に忘れないような物々しい響きの名前に、俺は二の句が告げずに目の前の巨漢、否、魁偉を見上げた。
コイツが例の入塾志願者か、というように、その灰色の瞳で俺を値踏みするように見下ろしたビスケット・オリバことマレンコフ師匠は、次に三津島クロエを見下ろし、再び強く訛りの入った英語で何事か呟いた。
「え、なになに師匠? ――うん、うん、わかった。零宮、君が例の男の子だね、会えて嬉しいよ、だって」
そういや三津島クロエは大手貿易商社に勤務する父親の仕事の関係上、海外生活が長かったせいか、英語のヒアリングが出来るという設定は、確かに原作にもあった。
あったけど、あったけどさ。
師匠、日本人じゃないだけじゃなく、日本語話せないのか……。
「――うん、うん、わかった。零宮、師匠が君には才能がある、ひと目見てわかる、ここで修行すればきっと素晴らしい戦士になれるよ、だって」
「あ、ああ、そうっすか……褒めてくれてありがとうございます、その……マレンコフ師匠」
こういうとき、アメリカ国籍の人物ならば挨拶は握手であろう。
俺がおっかなびっくり右手を差し出すと、うむ、と唸って、マレンコフ師匠が俺の手を握った。
途端、ペキャッ、と音がして、俺の右手は二度とルービックキューブが出来ない手にされてしまった……などということは流石になかったけれど、ミシ……と手の骨が軋む音を立て、俺は内心で冷や汗をかいた。
最低限の自己紹介と挨拶が終わると、マレンコフ師匠が三津島クロエに何事かを英語で呟き、ふむふむ、と三津島クロエが頷いた。
「わかった。……零宮、師匠が零宮の基礎的な身体能力や特性が見たいから、早速訓練に入っていこう、だってさ」
「あ、ああ……」
「じゃ、零宮の分の道着はこれね。ロッカールームはあっち。零宮が着替えてる間に私も着替えてくるから」
「おっ、おう」
チャキチャキと説明され、真新しい純白の道着を手渡され、俺は若干気後れしながらも受け取った。
道着なんて学園の体育でしか着たことがないけれど、いきなり実戦かぁ……俺はその道着を受け取り、薄暗い道場の奥、男子用ロッカールームへと歩いていった。
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