鍛える陰キャモブ
「えっ、私の格闘技の師匠を紹介してほしいって?」
三ツ矢サイダーを口元に運びかけて、三津島クロエが驚いたように俺を見た。
うん、と俺もポカリスウェットを一口飲んで頷いた。
「バレたからもう隠さないけどさ、俺、重病人だった前世の記憶を思い出したんだよ。前世の俺は重い心臓病だったから、走り回るどころか歩くことすら医者に禁じられてたんだ」
そう、俺はそもそも、己の二本足でこの大地を歩くということすら、おいそれとさせてもらえなかった身だった。
心臓が新品になった今ではいくら走り回っても大丈夫そうだし、ならばそこで、の決断だった。
「だから俺、まともに運動とかしたことないんだよな。もちろん零宮零士に生まれ変わってからも、だ。前世の記憶を取り戻す前の俺は、運動なんて頭の軽い脳筋たちがやることって見下げてたみたいだし」
「うわぁ……な、なんか変な感じ……。前世の記憶を思い出すってそういう感じなの? そんな気持ち悪いぐらい自分を客観視できるようになるんだ……」
「そうらしいなぁ。俺の前世の記憶が零宮零士の記憶に上書きされたような状態だからな。でも、今の俺はそうじゃない。せっかく健康な身体を手に入れたんだから、思いっきり身体を動かしてみたいんだよ」
俺はそこでポカリスゥェットを一口飲んで口を湿らせた。
「お前はホラ、格闘技とか凄いやるだろ? ならお前に頼むのが早いと思ってさ」
俺がそういうと、うーん、と三津島クロエが唸り声を上げた。
「そういうことか、なるほど、零宮がそう思った理由はよくわかった。……けど、それなら今からどっか運動部にでも所属して野球とかサッカーとかじゃダメなん?」
「それも考えたんだけど、いかんせん今までの零宮零士が素人すぎるからなぁ。仲間がいる競技だと迷惑かけちゃうかもしれないし」
「ウチの師匠は厳しいよ? ただでさえ筋肉ダルマみたいな人だし。ついてこれる?」
「ついてこれるかどうかも含めて、俺自身を試してみたいんだ。それにホラ、この間みたいなことがあったろ? あの時は大勢に一方的にボコボコにされてさ、心の底から自分が情けないと思えたんだよ」
俺は遠くの光景を眺めた。
スポーツでも全国有数の名門校であるという設定である青藍学園の広い広いグラウンドの上を、サッカー部や陸上部の生徒が走り回って汗を流している。
まるで一切の無駄が削ぎ落とされたかのように完成された彼らの肉体は、とても同年代の学生のものとは思えない。
格闘技術はともかく、あの時、零宮零士にもせめて彼らと同じぐらいの肉体があったならば、あるいはもっとスマートに三津島クロエを救出出来たのかもしれなかった。
「それなりに強くなんなきゃ、ってさ、心の底から思ったんだよ。少なくとも、いざってときに足手まといにならないぐらいにならないと、この先お前みたいにピカピカ眩しい人の戦友なんて続けられないって思ってさ……」
そう、強くなる。それは前世、明日をもしれぬ重病人だった時には考えたことすらなかった望み。
前世の俺はいささかひ弱にすぎて、冷たい風に当たっただけで高熱を出し、集中治療室の世話になるぐらいだった。
いっぺん死んで、また新たに零宮零士という役目を天から与えられたのに、せっかく健康な肉体を手に入れたのに、それを漫然と腐らせるようなことはしたくない。
それは俺が生まれて初めて持った願いであり、そして三津島クロエという人と知り合ったことで生まれた望みだったのである。
まぁ、陰キャが突然何を言い出すんだ、と笑われたらそこまでだけど――。
俺がまた一口、ポカリスゥェットを口に運ぶと、隣の三津島クロエが、フフ、と意味深に笑った。
「……なるほど、つまり零宮は私が好きだから私のことを守れるようになりたい、ってことね?」
俺は盛大にポカリスゥェットを吐き散らし、盛大に噎せた。
ゲホゲホ……! と、しばらく躍起になって気道に侵入したジュースを追い出していると、三津島クロエがニヤニヤといやらしく笑った。
「おっ、お前な……! 今のは別にそういう意味じゃ……!」
「なぁによ、テレんなテレんな。私、シンプルにそんなこと考えて実行に移そうとしてくれるアンタのそぉいうところが好きなんよ?」
ストレートに好意を示された羞恥心のあまり、ぷい、とばかりに知らんぷりをすると、三津島クロエが俺に尻をにじり寄せてきた。
「零宮、アンタは本当に単純で一途だねぇ。いくら前世が重病人でも、普通の男はあんなことがあったからって馬鹿正直に思い詰めないんだよ? それに私のこと好きだから守れるようになりたいなんて、それほとんど遠回しなプロポーズやんけ。アンタって本当に私のこと好きすぎでしょ」
「う、うるせぇ。そう思っちゃ悪いかよ。お前は――嫌なのか?」
「んーん、むしろむっちゃ嬉しいよ。零宮がそんなこと考えてくれてたなんて知れて嬉しい。そうかぁ、零宮にそこまで想われちゃったら断れないねぇ」
よし、と、三津島クロエが頷いた。
「よし、零宮の考えてることはわかった。それじゃあ師匠に零宮を鍛えてくれるように頼んでみるよ」
「おっ、本当か!?」
「ただし、ウチの師匠は本当に厳しい人だから、ちゃんとついてきてね? ただでさえ零宮は基礎体力作りからだから本当に大変だと思う。それでも私への愛の力で乗り越えられる?」
「約束は出来ないけど、とりあえずは頑張ってみるよ。今まで腐らせてた身体の細胞をフルに使ってみるさ」
「よーし、じゃあ決まりだね。零宮、頑張ってね」
俺たちは校内のベンチの上で顔を見合わせながら笑いあった。
◆
「……なるほど、この間の事件もあって自分を鍛えたい、ということですか。お兄様は単純ですね」
「う、うるさいよ。単純で悪いか。多勢に無勢とは言え、あんまり一方的にボコボコにされたのが情けなくて仕方がなかったんだよ」
「情けないのは一方的に暴行されたことではなくて、あんなゴロツキどもの根城に何の作戦も武器も持たずに単騎で突っ込んでいったお兄様の頭の悪さじゃないですか」
えるは腰に手を当てて俺に説教を垂れた。
「戦とは腕っぷしでやらずに頭でやるものです。そこを反省せず、ただ身体を鍛えてればなんとかなったんだと勘違いできるお兄様の頭脳はよくよく都合がよく出来てるんですねぇ」
「やかましい! あの時は状況が状況だっただろ! それに一応、お前に先生を呼んできてくれるように頼んでから行ったし! 結果的にそれで未遂に終わったんだろうが!!」
「ハァ、もういいです。一応、お兄様のようなド陰キャがそこまで思い詰めるんでしたら、それなりに覚悟はあるんでしょうし」
えるは呆れたなら呆れたなりに俺の覚悟を汲み取ったような表情で話を打ち切り、「それに」と続けた。
「それに、今まで友達が一人もいなかったぼっちのお兄様が、唯一の友達であるクロエさんに影響されてそんなことを言い出したのは、私は悪いことだとは思いません。あんなお兄様と正反対の人とちゃんと友達が出来ている証拠です。そこはよくできました」
「おっ、おう……そうかよ。ありがとうな、褒めてくれて」
「褒められるにしてもあんまり情けない褒められ方かもしれませんけれどね。……じゃあお兄様、始めて数日でケツを割って、今の私の褒め言葉に泥を塗るような真似だけはしないでくださいね?」
「わかってるよ。こんな可愛い妹にそこまで言われたら兄貴は頑張っちゃうもんなんだ。シルベスタ・スタローンみたいな体型になれるまで自分を追い込んでみるさ」
そう言いながら頭を撫でてやると、えるはうむぅとむずがる声を上げながらも、黙って撫でられるがままになっていた。
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