可哀想なお色気枠
「うーん、遅いなぁ。話し合いがこじれてるのかなぁ……」
俺は学校の門の前でスマホで時刻を確認しながら三津島クロエを待っていた。
本人は秒でフると言っていたが、三津島クロエが旧部室棟の方に向かってから既に二十分が経っている。
告白などしたこともないしされたこともないのでよくわからないが、こういうものはやはりそれなりに時間がかかるものなのだろう。
仕方なく俺はスマホをポケットに仕舞い込み、今日はなんだか泣き出しそうな鉛色の空を見上げた。
「俺」が転生前の記憶を思い出してから、もう三週間ほどになろうか。
生前は車椅子に乗って病院の外に出て、申し訳程度に風に当たるのが「俺」の世界のすべてだったのに、今はこうして二本の足で立ち、歩き、どこにでも行ける。
勉強は病室のベッドの上で、入学式も卒業式も学園祭も体育祭も、俺には行ったことのない遠い外国で行われているお祭りに等しかった。
口に入るものといえば、生まれてこの方それ以外の食べ物をあまりよく知らない俺でも不味い、味気ないとしか思えない粥や惣菜だけ。
「俺」にとっての「生きる」とは、「生命活動が維持されている」ことを指しているのであり、こうして人と待ち合わせたり、一緒に笑ったり泣いたりすることではなかった。
思えば生前の「俺」、可哀想すぎたよなぁ――。
こうして健康体、五体満足な身体になってから、その時初めて、生前の「俺」の境遇に対する憐憫の情が湧いてきた。
満足に学校に通えないどころか、二本の足で歩かせてもらったことすら多くはなかった「俺」って、他の人からどう見えていたんだろうか。
そしてそんな「俺」につきっきりでついていてくれた、生前の「俺」の両親は、どんな目で俺を見つめていたんだろう。
どうやら「俺」は死んだらしいので、願わくばもう「俺」の両親には、「俺」のことなどすっかり忘れ、自由に生きていてほしいものだけれど。
きっと、生前の「俺」を見たら、誰もがこう思ったはずだ――可哀想、と。
思えば最初、俺が三津島クロエを慰めてあげようとしたときもそう思ったな。
一年かけて、必死にアプローチして、身体張って、色仕掛けで迫って、その挙げ句にフラれて。
あの時のあの人、もう立ち上がれないんじゃないかってぐらい、悲しそうに泣いてたもんな。
そしてそれを見てた俺、人生で初めて思ったんだもんな、自分以外の人に「可哀想」って。
思えば、あの人は原作でも、どっか常に可哀想な人だった。
奔放で、パワフルで、エロくて、タフなはずの人なのに。
何回も何回も決死の覚悟で八百原那由太に色仕掛けするのに、毎度毎度、塩な対応されて。
物語の中盤、下着姿で八百原那由太を押し倒した時なんか、エロいって思うよりも、何だか惨めで惨めで見ていられなかったっけ。
一番素直に好意を伝えて、一番身体を張って、他のヒロインの倍ぐらい努力していたはずなのに。
それなのに、単に三番目のお色気枠ヒロインであったから選ばれなくて当然なんだ、って――思えば、可哀想すぎる。
そう、「俺」が三津島クロエが推していたのは、その人並み外れたタフネスと元気に生きる気力をもらっていたからという以上に、あの人が可哀想な人だったから、なのかもしれない。
生きたい、生きたい、いつか健康になって自由に世界を歩いてみたい――気が狂いそうになるほどにそう願ったのに、遂に死んでしまった「俺」。
好き、好き、いつか恋人として手を繋いで歩いてみたい――そう願ってヒロインレースを戦い抜いたのに、それでも選ばれなかった三津島クロエ。
可哀想、可哀想……あの人と曲がりなりにも仲良くなってからも、何度も何度も、俺はあの人のことを可哀想だと思った。
まぁ、世の中に氾濫するラブコメのお色気枠のヒロインなんて、あの人じゃなくてもそう見えるものなんだろうけれど。
思えばあの人は、おそらくこのラブコメ世界の中では、一番恵まれない結末を迎えた人なんだ。
ぽつり、と、俺の鼻頭に冷たい雫が落ちてきて、俺は物思いを打ち切った。
おや、とうとう泣き出したか――俺は鉛色の空を見上げてそう思った。
今頃、三津島クロエにフラれ、一世一代の恋に敗れた男の子は、倉庫の影に背中を預けて、この空のように泣いているのだろうか。あの日の三津島クロエのように。
願わくばフラれた誰かが一刻も早く立ち直り、別の誰かと幸せになることを祈っていた、その時だった。
「あれ、お兄様?」
不意に、妹のえるに背後から声をかけられ、俺は振り返った。
見ると、中等部の生徒会であるらしい腕に腕章をつけた数人の学友に囲まれ、えるが目を丸くして俺を見ていた。
見ると、えるは火箸にゴミ袋という出で立ちで、どうやら美化活動の途中であるらしかった。
「おっ、おう、えるか。一緒にいるのは中等部の生徒会か?」
「えぇ、私は美化委員になってまして。定期的に生徒会と一緒に学園内のゴミ拾いをするんです。シケた帰宅部のお兄様は侘しく背中を丸めてもう帰るところですか?」
「……悪かったな、侘しい帰宅部でよ。ちなみに俺は女の子と待ち合わせ中だぜ? 明日作ってもらう予定のオムライスの食材の買い出しに行くんだ」
顎先をくいっと上げての俺の返答に、ケッ! とえるが吐き捨てた。
「ふん、お兄様ったらすっかりとあの乳魔人に籠絡されてしまって。いいですかお兄様、私がお兄様とクロエさんの仲をドラスティックに破壊しようとしないのは、あくまでぼっちで陰キャで、このまま行ったら孤独死確定なお兄様に少しでも親しい人がいた方がいいと思うからです。これ以上ない愛情故なんですよ?」
「おーおー、美しい兄妹愛を発揮してくれるじゃないか、妹よ。確かに俺が三津島クロエの友達ということは、俺には潜在的に百人ぐらい友達の友達がいることになるからな」
俺は自分でも意味不明なドヤ顔で宣言した。
「もし俺が死んだら、三津島クロエの友達たちが友達の友達ってことで義理で香典ぐらいは包んできてくれるぞ。喜べ妹、たとえ俺が死んでも葬式代は三津島クロエのおかげで足が出る。それだからお前もあの人には足を向けて寝るなよ?」
「け、決して自慢にならないことをそんなに自慢げに――! お兄様、自分で言っていて寂しくならないんですか……!?」
「こんなんで寂しくなってたら陰キャぼっちが務まるか」
「うぬぅ、わ、我が兄ながらなんて情けなさ……! 本当に情けない上にだらしがないですね! そんなんだから落とし物をしても気がつけないんですよ、お兄様はっ!」
「え? 落とし物?」
落とし物。その一言に俺がはっとすると、えるが制服のポケットから見覚えのある柄のハンカチを取り出し、俺に差し出した。
「これ、旧部室棟の方に落ちてましたよ。お兄様のハンカチじゃないですか。全くもう、妹の私が見つけて有り難く拾って届けてあげましたよ」
旧部室棟。その一言に、俺の心臓が不穏にざわついた。
このハンカチ――俺が前世の記憶を思い出した時、フラれて泣きじゃくる三津島クロエに、咄嗟に差し出したあのハンカチだ。
新品を買って返してもらったから、俺の手元には返却されていないものだった。
「え、お兄様、どうしました? お兄様のものじゃなかったですか?」
えるが不思議そうに俺を見返した。
俺はそのハンカチを受け取らないまま、えるに尋ねた。
「える、旧部室棟の方に行ったのは何分ぐらい前だ?」
「え――? えっと、十分ぐらい前、でしょうか」
「周囲に誰かいたか?」
「私たち以外いるわけありませんよ。あそこは学内でも滅多に人が来ない場所ですから。そういえば、お兄様は何の用事があって旧部室棟の方に?」
どくん、と、心臓が嫌な感じに収縮した。
まさか、まさか。
ただでさえ各種変態に付け狙われやすい三津島クロエの派手な見た目と身体のよさ。
あのラブレターが、わざわざ人気のない場所に三津島クロエを呼び出した不可解さ。
三津島クロエが持っていたのであろう俺のハンカチがそこに落ちていた事実。
帰って来る予定時刻をもう二十分近くも経過している今の状況。
そして、旧部室棟周辺には誰もいなかったというえるの証言――。
「え、お兄様どうしました? 顔が怖いですよ?」
なんだか、嫌な予感、としかいえない想像が頭の中を埋め尽くす。
ここは学園ラブコメの世界観であるから、そんな不穏な事件など起こり得ないないのだと思っていたけれど。
本当に、そうなのだろうか。
本当に、この世界では、思わず目を背けたくなるような悲しいことや苦しいことが、何ひとつ起こり得ないのだろうか?
もしそうならば――何故にこのハンカチが旧部室棟に落ちているのだ?
最悪の想像が形になりかける前に、俺はえるの両肩を掴んだ。
「え? お、お兄様――?」
「――える、茶化さないで真剣に聞いてくれ。俺は今から旧部室棟に行く。お前は中等部の生徒会の人と連携して、旧部室棟に教師たちを連れてきてくれ。なるべく女の先生じゃない、運動部の顧問をやってるような、屈強で腕力の強い先生を複数人だ、いいな?」
俺が言い聞かせると、えるが目を白黒させた。
「説明は省くけど、俺の予想が正しいなら、旧部室棟の周辺でクロエが何か危険な目に遭ってる可能性がある。だから大至急行動してくれ、いいな?」
「おっ、お兄様、どういうことですか? クロエさんが危険な目に遭ってるってどういうことですか?」
「俺にも全部はわからない、けれど、凄く嫌な予感がするんだ。いいか、絶対、お兄ちゃんとの約束だ。じゃ、頼んだぞ――!」
「え!? あ、お、お兄様――!?」
えるが悲鳴のように叫んだのにも構わず、俺は一心不乱に旧部室棟の方へと駆け出した。
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