落ち込むお色気枠
「クロエ、ちょっと待てって――!」
案の定、というかなんというか、三津島クロエは真っ直ぐに俺たちの教室を目指すことなく、どんどん方向を逸れて、いつもの校舎裏の階段のところに向かっていた。
校舎の裏庭に入るかどうかの辺りで俺が追いつき、「おい!」の一言と共にその左手首を取ると、そこでようやく、三津島クロエが振り返った。
三津島クロエは――目の焦点が合っていない、虚ろな表情で俺を見つめた。
「あぁ――ごめんね零宮。私、アンタにまで迷惑がかかるようなこと、大声で言っちゃって――」
「全然、全然そんなことは気にしてない! 俺みたいな陰キャがどう噂されたって構わないだろ! むしろ俺が心配なのはお前のことだよ! とっ、とりあえず、落ち着こう! そこ座れ!」
俺がいつもの校舎裏の短い階段を指さして促すと、三津島クロエは素直に歩いてゆき、よろよろと腰を落ち着けた。
俺も数段下に座って、乱れつつあった息を整えてから、背後を振り返った。
「それで――クロエ、なんでさっきあんなことを言った?」
「――ごめん」
「謝るのはいい。それよりも、なんであの時、八百原那由太のあの言葉に怒らなかった? なんで俺が抗議しようとするのも止めた? アレじゃお前があんまりにも気の毒じゃないかよ。他ならぬアイツに公衆の面前で尻軽女みたいに言われて――」
俺は奮然と言った。
「自分をフッた本人にあんなこと言われたら誰だって怒るだろ。事実、一葉深雪も二階堂奏も物凄く怒ってた。それにお前もお前だ。今までのお前ならあんなこと言われた瞬間に八百原那由太を引っぱたくぐらいのことはしてたはずじゃないのか」
俺の言葉にも、三津島クロエは虚ろな表情のまま俯いているだけだった。
数秒待っても返答がなかったので、俺が多少急き込んで問い詰めようとした、その一瞬前に、三津島クロエが口を開いた。
「あのね、零宮」
「おっ、おう」
「女の子ってさ、好きな人にはね、自分のことで思い悩んでほしくないものなんだよ」
――その一言に、俺は真剣に、絶句する気分を味わった。
「八百原にフラれる前の私だったらね、確かに言われた瞬間に思いっきり引っぱたいてたよ。でも今は違う、私と八百原はもうそういうことが簡単に出来る間柄じゃない。私は、私は選ばれなかったんだから――」
ぐすっ、と、三津島クロエがそこで洟を鳴らし、抱えた膝頭に顎先を埋めた。
「でもね零宮。私、それでも八百原が好き、大好き。フラれたって全然諦めきれない。あんな最低なこと言う鈍感優柔不断男でも好きなものは好きなんだよ。今のアンタがアイツに真剣に憤ってくれてるのはわかる、アンタの言ってる理屈も正論だってわかってる。でも、でもね――」
そこで三津島クロエは目だけを上げ、真っ赤に充血した碧眼で、俺を見つめた。
「お願いだから私の前で私の好きな人のことを悪く言わないで」
そう言うなり、三津島クロエはまた膝頭に顔を埋めてしまった。
――《《それ》》がさっき、俺の発言を制止した理由かよ。
そんな、そんなことって、アリなのかよ。
あんなこと面と向かって言ってくるような最低な鈍感男を、なんでお前の方が庇わなきゃならないんだ。
それが人を好きになるってことなら――恋愛って、あまりにも辛くて、残酷すぎるじゃないか。
頭をレンガで一撃されたような衝撃を感じて、俺は人生で一度も感じたことのない、絶望と呼ばれる感情におそらく近いのだろう気持ちを味わった。
不意に――十秒にも満たない数秒の時間で、俺は理解した気がした。
そうか、このラブコメ世界とは、そういう世界なのだ。
八百原那由太とは、ハーレムラブコメの主人公というものは、《《そういうもの》》なのだ。
鈍感で、難聴で、優柔不断で、時たま信じられないぐらい無神経で。
その一挙手一投足で複数いるヒロインを翻弄し、ヒロインの感情を揺さぶり、彼女らの行動を、魅力を、剥き出しの感情を引き出してゆく。
それがハーレムラブコメの主人公という存在であり、それが天に与えられた絶対の役目なのだ。
だから三津島クロエも、主人公である八百原那由太の言動に憤ることはあっても、嫌いになることはない。
何故なら、彼女は俺のようなモブとは違い、この物語の重要なキャラクター、三番目のお色気枠ヒロインなのであるから。
天から役目なしに降ろされた者など一人もいない――。
それは「俺」が生前読んでいた漫画のカバーに書かれていた一文だ。
天から与えられた役目を全うすべく、人は生きるべきというなら。
「負ける」というその役目を既に終えてしまった「俺」や三津島クロエのような人は――そこからどう生きればいいというのか。
色々と慰める言葉や反論する言葉を探しても、前世では普通に学校に通うことすら出来なかった俺である。
そもそも恋愛というのも漫画で読んだフィクションしか知らないし、自分自身、誰かに恋をしたり、フラれたりした経験もない。
俺がここでどんな慰め方をしたとしても――今の三津島クロエには届かないのだという確信が、悔しいが湧いてきてしまった。
そんな自分があまりにも情けなくて、俺はとうとう白旗を上げて項垂れてしまった。
「ご、ごめんクロエ。あの、俺、人を好きになったことがないからさ。今のクロエにどんな言葉かけて慰めたらいいか、正直わからない。ごめんな、慰め役失格で……」
俺がそう言っても、クロエは膝頭に顔を埋めたまま、顔を上げようともしないし、返事もしない。
いかなる慰めの言葉も全力で拒絶する体勢になってしまった三津島クロエを見て、俺はますます無力感に苛まれた。
もう間もなく、朝のHR開始のチャイムが鳴ってしまう。
この後、三津島クロエが赤く充血した目と青い顔でフラフラと教室に向かうところを想像すると、辛かった。
あのあけすけで、豪快で、パワフルでタフでエロくて、三番目のお色気枠ヒロインとしてこのラブコメ物語のエンジンであり続けたこの人が、見る影もなくしょぼくれ返った姿を晒すのだけは――それだけは絶対に、嫌だった。
そう思うと、なんだか妙な反発心が湧いてきた。
そうだ、いくら自分がモブキャラだからって、それが一体何なんだ?
転生という格別の再チャレンジのチャンスを与えられても、俺はそうやって「自分はストーリーに関係ないモブだから」と言い訳して、この状況を曖昧にしたまま逃げるのか?
そんな情けないことをするために「俺」は転生なんかしたのか?
俺があの病室のベッドの上で来る日も来る日も願ったこととは――絶対に、そんな無意味な日常を送ることではなかったはずだ。
それにこの場には俺と三津島クロエしかいない。一体全体、俺以外の誰がこの人を慰め、立ち直らせる事ができるというのだ。
三番目のお色気枠ヒロインであったこの人は、立派に自分の役目を務めた結果、こんなに落ち込んでいるんじゃないか。
だったら俺だって、俺如きにだって、何者かから命じられた役目があるはずだ。
俺が転生した意味。それは、それはきっと――。
「なぁ、クロエ。こんな時になんなんだけどさ、一個だけ、聞いてもらってもいいかな?」
そう問うてみても、やはり三津島クロエは顔を上げなかった。
仕方なく、俺も同じように膝を抱え、三津島クロエが聞いていることを期待して、ぼそぼそと質問した。
「俺さ、オムライス食ったことないから――明日や明後日じゃなくてもいい、いつか作って食べさせてくれるか?」
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