第26話 一の太刀と宣戦布告
ジャララララララララッ!!
青の国(アルカナム王国)の地下大闘技場。
緋緋色金の特製ドンジャラ牌がぶつかり合う轟音は、もはや一つの局所的な嵐と化していた。
卓を囲む四人の闘気と魔力が複雑に絡み合い、大理石の床のみならず、闘技場を覆う不可視の魔法障壁にまでビリビリと亀裂を走らせている。
「ドンジャラ。……幻惑の宴(桃純正)、十点」
無機質で、絶対零度の声が響いた。
赤の国使節団の戦術参謀、コアラである。彼女の銀縁メガネの奥の瞳は、もはや人間の感情を一切排除した「演算装置」そのものへと変貌していた。
「な……ッ! てめえメガネ、また私の当たり牌を止めやがったな!?」
怒髪天を突く勢いで吼えたのは、タナカ・マチだ。
彼女の肉体は絶頂の余韻と闘争心で赤銅色に染まり、背後には炎の獅子の幻影が咆哮を上げている。彼女の打牌はまさに暴力の極致であり、卓を叩き割らんばかりの勢いで『烈火陣(赤純正)』へと一直線に向かっていた。
だが、コアラはそれを完全に封殺した。
「……言ったはずです、ドMの雌豚(マチ副団長)。貴女の欲望は単一ベクトルであり、私からすれば最も御しやすい。貴女が赤を集める確率が99%を超えた時点で、私は山に残る赤をすべて自分の手牌に抱え込み、残りの色で最速の陣形を組むだけです」
「ぐ、ぬゥゥ……ッ! 理屈こねやがって、この変態計算機がァ!!」
マチがギリッと牙を剥く。
覚醒したコアラの「データ統括」は、まさに盤上の絶対支配だった。
マチの暴力的な本能。そして、ケンの「全牌記憶」による棚卸しの防壁。その両方のアルゴリズムを完全にハッキングしたコアラは、二人の隙間を縫うように、冷徹に、そして確実に勝利数を積み重ねていく。
「……リーチ」
コアラが、一切の無駄がない動作で牌を横に曲げる。
(ケンの待ち牌は『緑の商人』。マチ副団長の待ちは『黄の爆破』。……私の待ちは、二人が絶対に安全だと錯覚する『灰の番犬』。勝率は100%です)
コアラの脳内スーパーコンピュータが、勝利の確定を弾き出した。
マチが苛立たしげに『灰の番犬』を引き当て、それを河に叩きつけようとした、その瞬間。
「――ドンジャラだ」
コアラの「ロン」の声よりも、ほんのコンマ一秒速く。
鈴木ケンが、静かに手牌を倒した。
「……は?」
コアラのメガネの奥の瞳が、限界まで見開かれた。
「英雄の翼(不死鳥・勇者・任意一セット)。三十点」
ケンの手牌には、マチが切ろうとしていた『灰の番犬』ではなく、彼がたった今自らの手で引き当てた『白牌(勇者)』と、右肩に止まるフェニクスと共鳴する『橙の不死鳥牌』が燦然と輝いていた。
「……ありえない。私の計算では、貴方の棚卸しルートにその牌は存在しなかったはず……!!」
コアラが、初めて取り乱した声を上げた。
「ああ、お前の計算通り、俺の『棚』にはそのルートはなかったさ」
ケンは、右肩のフェニクスを指で撫でながら、ニヤリと嗤った。
「だがな、計算機。俺はただの倉庫番じゃない。倉庫の奥には、たまに『帳簿に載ってない規格外の荷物』が紛れ込んでるもんなんだよ」
「 タナカの遺した盤面で、俺様と白牌の動きを完全に読み切ろうなんて百年早いぜ、小娘!」
フェニクスが、自慢げに嘴を鳴らす。
コアラのデータは完璧だった。過去のケンの打牌から、彼の思考パターンを完全にトレースしていた。
だが、彼女は「勇者牌」というシステムのバグと、「不死鳥」という盤外のイレギュラー、そして何より、ケンが泥水の中で培ってきた『土壇場での直感』を計算に入れ損ねていたのだ。
「アハッ……! アハハハハハ!! ざまあみやがれメガネ!! お前の小賢しい計算も、私のダーリンの前じゃあ形無しだぜ!!」
マチが、自らの負けも忘れて、腹を抱えて大爆笑する。
「ああッ……ケン! そのまま私ごと、この盤面をメチャクチャにぶっ壊してくれェ!!」
マチはさらに欲望を暴走させ、牌の理を無視した超攻撃に転じる。
コアラは自らのデータバンクの崩壊に激しく混乱しながらも、プライドを懸けて演算を再構築し、猛烈なスピードで喰らいつく。
赤き闘将の「本能」。
冷徹なる参謀の「演算」。
そして、光と闇を統べる裁定者の「記憶と直感」。
卓上は、まさに次元を超えたカオスと化していた。
常人であれば、盤面を見るだけで情報量に脳が焼き切れ、発狂するほどの超高度な攻防戦。
勝って、負けて、奪って、奪い返す。
マチが咆え、コアラがメガネを光らせ、ケンが冷徹にその首を刈り取る。
そして――対局開始から丸一日が経過しようとした頃。
「……ドンジャラ。四国統一(赤・青・緑・勇者)、三十五点」
ケンが、静かに手牌を倒した。
その瞬間、大闘技場に設置された巨大な魔力掲示板の数字が、重々しい音と共に切り替わった。
鈴木ケン――『85勝』。
「……トップ、だ」
遥か上層の貴賓席で、ティア・エバーグリーンが息を呑んで呟いた。
「信じられない……。あれだけ防戦一方で圧倒されていたケンが、赤の国の連携を完全に破壊して、ついにトップに……!」
タナカ・マチ、68勝。
コアラ、52勝。
彼女たちの顔には、極度の疲労と、それを上回る異常な興奮の入り混じった、すさまじい表情が浮かんでいた。
「ハァ……ハァ……ッ! やるじゃねえか、ケン……!! 私をここまでコケにしてくれた男は、アンタが初めてだ……ッ!!」
マチは、全身から湯気を立ち昇らせながら、恍惚とした目でケンを見つめる。
「さあ、あと15勝だ! 私のすべてを奪い尽くして、私をアンタのモノに……!!」
誰もが、このままケンが100勝まで駆け抜けると思った。
圧倒的なオーラを纏い、盤面を完全に支配したケンの姿は、まさに『裁定者』としての完成形に見えた。
――だが。
この卓には、まだ「もう一人」のプレイヤーが存在していることを、彼らは錯覚の中で忘却させられていた。
チャキッ。
それは、微かな音だった。
まるで、極限まで研ぎ澄まされた名刀が、静かに鞘から抜かれたような、冷たく美しい音。
その音が鳴った瞬間。
マチの放っていた灼熱の闘気も、コアラの展開していた魔力演算陣も、そしてケンの背後に揺らめいていた白と黒の後光すらも――真っ二つに、綺麗に『両断』された。
「……え?」
ケンが、思わず間の抜けた声を漏らす。
「ドンジャラ」
声がした方角。
ケンの右手に座る、赤の国第一王女、タナカ・サクラ。
32勝でピタリと足踏みをしたまま、マチとコアラとケンの激闘の蚊帳の外に置かれていたはずの彼女が。
いつの間にか、静かに手牌を倒していた。
「烈火陣(赤純正)。十点」
それは、あまりにも速く、あまりにも美しい和了りだった。
ケンの全牌記憶の棚卸しにも、コアラのデータバンクにも、一切引っかからなかった。マチの暴風のような闘気の隙間を、まるで一陣の涼風が吹き抜けるように、なんの抵抗もなくすり抜けてきた一撃。
「サ、サクラ……? お前、いつの間に……」
マチが、汗だくの顔で呆然と姪を見つめた。
サクラは、真紅の長髪を静かにかき上げ、極寒の瞳で卓上の三人を見据えた。
「……醜いですね。マチ叔母様も、コアラも」
サクラの周囲の空気が、シン、と凍りつく。
「私は、父上から受け継いだ『赤の国の武の誇り』を、最も美しい形で体現することこそが自分の使命だと信じていました。泥臭い乱戦は、王族の私が踏み入る領域ではないと」
サクラは、自らの手元にある緋緋色金の牌を、愛おしそうに撫でた。
「ですが……貴方たち三人の、己の欲望と生存本能をすべて曝け出した、泥みどろの闘争。それを見ていたら……自分がどれほど『綺麗な枠』に囚われていたか、思い知らされました」
サクラの瞳の奥に、マチと同じ、いや、それ以上に純粋で恐ろしい「赤の王家」の血が、静かに、しかし爆発的に燃え上がり始めた。
「美しさなど、ただの枷。私が求めるべきは、圧倒的な『勝利』のみ。……教えていただき感謝します、鈴木ケン殿。貴方という至高の研ぎ石のおかげで……私の『剣』は、ついに錆を落としきりました」
サクラが、スッと姿勢を正した。
その瞬間、ケンは全身の産毛が総毛立つほどの悪寒を感じた。
アロンでも、神童でも、覚醒したマチでもない。全く別のベクトルの、極限まで無駄を削ぎ落とした『斬撃』のオーラ。
「……来い」
ケンが、低い声で構える。
次の局。
サクラのプレイングは、一変していた。
これまでの彼女は、手牌の形を美しく整えることに固執していた。だが今の彼女は、泥水を啜るような鳴き、危険牌のギリギリの勝負、すべてにおいて一切の躊躇いがなかった。
それでいて、その軌道は日本刀の太刀筋のように、一切のブレがない。
「ドンジャラ。……三国志、十八点」
「ドンジャラ。……烈火陣、十点」
「ドンジャラ。……幻惑の宴、十点」
シュパッ! シュパパッ!!
目に見えない斬撃が、卓上を飛び交う。
ケンが「待った」をかける隙もない。コアラが計算を終える前に、マチが腕を振り上げる前に。
サクラの一刀が、三人の急所を正確に、音もなく刎ね飛ばしていく。
「バ、バカな……! 私の演算速度を、直感だけで上回っているというのですか……!?」
コアラが、ガシャン! と音を立ててメガネを落とした。
「あ、アハハッ! サクラの奴、ついに化けの皮を剥がしやがったな!!」
マチが、恐れと歓喜で身震いする。
サクラの勝利数が、異常なスピードで跳ね上がっていく。
33、40、55、70……。
(……速すぎる。完全に『ゾーン』に入りやがった)
ケンは、額から脂汗を流しながら、必死にサクラの斬撃を躱し、自らの勝利数を積んでいく。
だが、サクラの勢いは止まらない。彼女はまさに、百勝戦という長い鞘の中で、ずっと力を溜め続けていた「抜刀術」そのものだった。
激闘、さらに数時間。
大闘技場の観客たち(青の国の魔術師や、貴賓席のサミー、ティア)は、もはや瞬きすら忘れて、その神話のような攻防に見入っていた。
掲示板の数字が、ついに限界に達しようとしていた。
鈴木ケン――『99勝』。
タナカ・サクラ――『98勝』。
タナカ・マチ――『75勝』。
コアラ――『58勝』。
マチとコアラは、完全に息絶え絶えとなり、椅子に深く沈み込んでいた。彼女たちの力は、完全にケンとサクラの次元の違う争いに巻き込まれ、削り尽くされたのだ。
「……次が、最後ですね。鈴木ケン殿」
サクラが、乱れた真紅の髪を耳に掛け、透き通るような声で言った。
その顔には疲労の色が濃いが、瞳の輝きは星のように鋭い。
「ああ。お前、本当に恐ろしい女だな。もう少し覚醒が早かったら、俺の首はとうに飛んでたぜ」
ケンは、荒い息を吐きながら、卓上の緋緋色金の牌を見つめた。
「ええ。あと一歩、私の剣の錆を落とすのが遅かった。……ですが、この一局で、貴方の99勝すべてを無に帰す。私の誇り(剣)に懸けて」
「やってみろよ。俺の四十年の底意地(盾)が、そう簡単に斬れると思うなよ」
最終局。
静寂。誰もが息を止める中、四人の手が動く。
サクラの太刀筋は、これ以上ないほど完璧だった。
彼女が狙うのは、最短最速の『烈火陣(赤純正)』。彼女は一切の迷いなく、ケンの安全牌を切り捨て、自らの勝利への最短ルートを突き進む。
(……見えた。私の勝ちです)
サクラの指が、山の牌に触れる。
引き当てたのは、最後のピース――『赤の剣聖』。
サクラが、勝利を確信し、薄い唇を開きかけた。
その、刹那。
「――そこだ」
ケンの声が、サクラの喉元を物理的に押さえつけるように響いた。
「な……!?」
サクラが目を見開く。
サクラが『赤の剣聖』を引き当て、手牌の中で陣形が完成したその瞬間。
彼女は、まだ「ドンジャラ」と発声していなかった。
いや、正確には、彼女が当たり牌を引く直前の巡目で――ケンは、すでに静かに、自らの手牌を倒していたのだ。
「……ドンジャラ」
ケンが倒した手牌。
それは、マチが捨て、コアラが見逃し、サクラが全く警戒していなかった『緑の商人』を絡めた、極めて泥臭く、しかし盤石な陣形だった。
「森の誓い(緑純正)。……そして、魔王の影(黒牌含む)、二十二点」
サクラの「完璧な一の太刀」が振り下ろされる、そのほんのコンマ一秒前。
ケンは、サクラの斬撃の軌道を完全に読み切り、彼女が刀を振りかぶったその隙間に、泥だらけの短刀を深々と突き立てていたのだ。
カラン、と。
サクラの手から、『赤の剣聖』の牌が力なく滑り落ちた。
「……私の、太刀筋が……完全に、読まれて……」
サクラは、呆然と呟き、そして――ふっと、憑き物が落ちたような、美しい微笑みを浮かべた。
「……見事です。私の負けだ、鈴木ケン」
決戦終了の鐘が鳴り響く。
大闘技場の掲示板に、黄金の文字で大きく表示された数字。
鈴木ケン――『100勝』。
終戦。
数十時間に及ぶ、赤の国と裁定者の、異常なまでのハーレム死闘は、ここに幕を下ろした。
* * *
「……終わっ、た……」
マチが、天井を仰ぎ見て、深い深い溜息を吐いた。
「ああ……全部、出し切った。……最高の気分だぜ」
彼女の顔は、負けたとは思えないほど、清々しい満足感に満ちていた。
「……データ保存完了。私の完敗です。……ですが、次に卓を囲む時までには、必ず貴方のアルゴリズムを凌駕するパッチを当ててみせます」
コアラが、割れたメガネを拾い上げながら、静かな闘志を燃やす。
サクラは、スッと立ち上がり、ケンに向けて深く、美しいお辞儀をした。
「私たちの剣を、正面から受け止めてくださり、感謝します。鈴木ケン殿……貴方こそは、真の裁定者にふさわしい器だ」
ケンは、全身の骨が軋むような疲労感に襲われながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「……お前らもな。最高のバカどもだったよ」
その光景を、貴賓席から見下ろす二人の統治者。
ティアは安堵の涙を流し、サミーは扇をへし折らんばかりに握りしめ、恍惚と嫉妬の混じった狂気的な笑みを浮かべていた。
「素晴らしい……! ああ、なんて素晴らしいのケン殿!!」
サミーが、手すりから身を乗り出して叫んだ。
「これで、赤の国の威信は完全に砕け散りました! 取引戦の勝者は我が青の国が保護する鈴木ケン殿! さあ、勝者の権利として、赤の国にどのような代償を求めますか!? 領土の割譲ですか!? それとも、彼女たちの命ですか!?」
サミーの言葉に、赤の国の三人に緊張が走る。
取引戦で敗北した以上、勝者の要求には絶対に従わなければならない。それが、この世界の絶対法則(天律)なのだ。
ケンは、黄金の瞳でサミーを真っ直ぐに見据えた。
そして、静かに、だが闘技場の全員の耳に届く声で、こう宣言した。
「俺が要求する勝利の報酬は……『模擬戦』だ」
「模擬戦……? それは、どういう……」
サミーが訝しげに眉をひそめる。
「半年後。このアルカナム王国か、あるいはエバーグリーン王国か、どこでもいい。四国の代表者全員と、この俺を含めた……『模擬・天律戦』を開催しろ」
「な……ッ!?」
サミーの顔色が変わった。ティアも驚きに目を見張る。
「本来の天律戦まで、まだ3年ある。だが、俺はそんなに待つつもりはねえ。四国のトップ全員を引きずり出して、俺が直接、お前らの腹の底を叩き斬ってやる」
ケンは、冷酷な笑みを浮かべた。
「な、何を馬鹿なことを! そんな前例はありません! 第一、それまでの間、貴方の身柄は我が国が――」
「それと、もう一つの条件だ」
ケンは、サミーの言葉を強引に遮り、赤の国の三人を振り返った。
「模擬・天律戦までの半年間。俺の身柄は……赤の国(カルディア王国)に預ける。俺は、赤の国で修行する」
「……え?」
サミーの扇が、ポトリと床に落ちた。
彼女の描いていた「ケンを青の国の手駒として洗脳し、操る」という完璧なシナリオが、根底から完全に崩れ去った瞬間だった。
「……本当かよ!?」
一瞬の静寂の後、マチが弾かれたように立ち上がり、満面の笑みで叫んだ。
「やったァァァァァァッ!! ケンが赤の国に来る!! 私の婿入り確定だァァァッ!! おいメガネ! サクラ! さっさと国に帰って結婚式の準備だ!!」
「し、しませんよ!! というか貴女の婿とは一言も言ってません!!」
阿鼻叫喚と歓喜に包まれる赤の国使節団。
呆然と立ち尽くすサミー。
そして、その結末に、思わずクスリと笑みをこぼすティア。
「……いい目になったわね、ケン。あなたが自分で選んだ道なら、私はもう何も心配しないわ」
ティアは、誇らしげにエルフの外套を翻した。
鈴木ケン、四十歳。
社会の底辺で泥水を啜ってきた男は、蠱毒の底で覚醒し、ついに四国の謀略を実力でねじ伏せた。
彼が自らの意志で選び取った「赤の国」への道。
それは、世界を巻き込む本当の『天律戦』への、熱く、そして波乱に満ちた新たな章の幕開けであった。




