プロローグ:39才 物流倉庫から異世界へ
プロローグ
「鈴木さん、また伝票の仕分け間違ってますよ。言われたことだけやっててもらえます? だからいつまで経っても……」
深夜の物流倉庫。蛍光灯の無機質な光の下で、一回りも年下の上司の小言が響く。
鈴木ケン、39歳。独身。
「……すみません」
頭を下げるケンの視界の端で、安全靴のつま先がやけに汚れて見えた。
毎晩、流れてくる荷物を仕分けし、理不尽な説理に耐え、家に帰って缶ビールを一本飲んで眠る。そんな日々。
俺の人生、どこで間違えたんだろうな。
特技と呼べるものなんて、親戚の集まりで子供相手にやる「ババ抜きで絶対に負けない」という、くだらない直感くらいしかない。
「あ、鈴木さん! 危ないっ!」
同僚の切羽詰まった声に顔を上げた瞬間だった。
操作ミスだろうか。フォークリフトから崩れ落ちてくる巨大なパレットの山が、スローモーションのように目に飛び込んできた。
(ああ、明日のシフト、穴空けちゃうな……)
そんなピントのずれた思考を最後に、ケンの意識は暗転した。
* * *
冷たい。
そして、かすかに土の匂いがする。
ケンはゆっくりと目を開けた。
さっきまでいた蛍光灯の倉庫ではない。見上げれば、吸い込まれそうな漆黒の夜空が広がっている。月は出ていない、新月の夜だった。
身を起こすと、周囲には崩れかけた石柱や、苔生した瓦礫が散乱していた。どうやら古い城の廃墟のようだ。瓦礫の隙間から、ぼんやりと淡い光が漏れ出ている。
「おい、死んでるのか?」
不意に、耳元で声がした。
見ると、ケンの肩に、手のひらサイズの赤みを帯びた小鳥が止まっていた。いや、普通の鳥ではない。その羽は、チロチロと燃える炎でできているように見える。
「……鳥がしゃべった?」
ケンは思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「また同じリアクション。田中も最初そう言った」
鳥――炎の小鳥は、やれやれというように翼をすくめた。
タナカ? 誰だそれは。
混乱するケンの前に、今度は暗闇の中からゆらゆらと松明の炎が近づいてきた。
現れたのは、深緑の長い髪を揺らす、息を呑むほど美しい少女だった。
透き通るような琥珀色の瞳。そして、尖った耳。
まるでファンタジー映画から抜け出してきたような彼女は、松明の光をケンに向け、ふっと静かに微笑んだ。
「ようこそ、ケン」
鈴を転がすような声だった。
「この世界は、あなたをずっと待っていたわ」
「は……? いや、ちょっと待ってくれ。俺はさっき、倉庫で……」
「500年ぶりだな」
炎の小鳥が、ケンの言葉を遮って肩で鳴いた。
39歳、冴えない物流倉庫勤務。
鈴木ケンの第二の人生は、新月の光に照らされたこの廃墟から、唐突に幕を開けた。




