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「お疲れ様でした! お先に失礼します!」

 これからもう一仕事と言わんばかりの空気を振り切って、さくらはオフィスを飛び出そうとした。

「堂島さん、もう終わり?」

 エントランスに出る直前で、二つ上の先輩である三上早百合みかみ さゆりに遭遇してしまった。目が合ってしまったので、気づかなかったふりもできない。

「はい、あの、お疲れ様です!」

「うん、お疲れ様。なに、急いでるね。もしかしてデート? そういえば最近毎週忙しそうよねえ」

 にやりと詰め寄られて、さくらは慌てて首を振る。

「そんなんじゃないですよ。その……最近、実家が慌ただしくて、ええ実家が!」

「あら、そうだったの。慌ただしいって、引っ越しとか?」

「いえ、引っ越しではなくて……リフォーム? みたいな?」

「……よくわからないけど、がんばってね」

 言いたくない事情があると思ってくれたのか、身体には気をつけてと言い添えて三上はオフィスの方に戻っていった。さくらは頭を下げる。

(すみません……慌ただしいのは実家じゃなくて)

 言えない。

 実家に帰っているのではなく、異世界に通っていますなんて、とても言えない。

 世界を守るためなんですなんて、もっと言えない。


 *


「つまり……」

 ハーティーアに軽く締められた後、砦の食堂に移動して、さくらは、ようやく一息吐いた。今日はいつものメンバーの他に、ディアンが加わっているので、少しだけ部屋が狭い。

「キメラ神がサクラに取り憑いてるってこと……?」

「そうじゃないから」

 カップを持たない方の手で、びしっとハーティーアに突っ込みを入れてから、さくらはラティスに言った。

「説明よろしく」

「俺かよ」

 他に詳しく説明できる人間がいないのだから仕方ない。聴衆の視線はすでにラティスに向けられている。さくらは安心してお茶をもう一口飲んだ。一通り話しただけでも、けっこうな長話になった。甘い香りと、さわやかな酸味が絶妙のバランスのセザ特製のお茶は、渇いた喉を潤すのにちょうど良い。

「確かに神懸かったような様子も見受けられない……しかし、『中』にいるというのはどうも腑に落ちないのだが」

 さくらを上から下まで眺めて、ナルバクは嘆息する。神とは、人とは別の次元の存在であるという認識を持つナルバクには、人が神を内包している、という現象がなかなか認められないようだ。神が人の前に存在を表すのは、神官や巫女の口を借りて神託を告げる時だけで、それも一時のことだ。

「似たようなもんだよ。だたし、キメラ神……っても、もうバラバラなんだけどな。まあ、面倒だからキメラ神で続けとくか。キメラ神が神託を授けるときと同じようにこいつの中に降りてきているけど、話もしないし、長居してるってだけだ」

「それがなあ……うーむ」

 ラティスの説明に、ナルバクはまた頭を抱え込んでしまう。教義と色々折り合いを付けなければならないようなので、そっとしておくことにする。

「なんにも悪さしないんなら、そんなに悩むことも無いと思うけどねぇ」

 苦笑するセザに、ハーティーアが声を上げる。

「でも、なんていうか……それって怖くない?」

 言ってしまってから悪いと思ったのか、首をすくめてさくらを窺い見る。正直な言葉には、正直に返そうと、さくらはカップを置いた。

「怖くないって言ったら嘘になるんだけど、『どうしよう、怖いよ』って思う度に、励ましてくれたら慰めてくれたりするから、頑張っていられる」

「神様が? 励ましてくれるの?」

 精霊信仰の恩恵を現在進行形で受けているハーティーアは、ナルバクよりは柔軟性があった。

「うん。今も、こう、モフモフと……」

「モフモフ!? モフモフなの!? どのくらいモフモフなの!?」

 とたんに目を輝かせたハーティーアが、詳細を要求してくる。形や肌触りやどんな生き物に似ているのかと矢継ぎ早に聞かれて、さくらは降参した。

「ごめん、待って、あたしここの生き物ってそんなに詳しくないし」

「ガセン、絵に描いてあげて!」

「何で俺なんだよ!」

「ルコーだと何を描いても全部同じになっちゃうからよ!」

 そう言って、ハーティーアは描くものを探してくると、席を立った。

「……全部同じなんだ……?」

「訊くな」

 ルコーは不機嫌にそっぽを向いた。

「ところでサクラ」

 話が途切れたところで、ディアン。微妙な空気の流れを読んだわけではない。

「持ち帰るものは決めましたか?」

「あー、うん、とりあえずこの棒にしようかなと。あと、他にも選んでもいい?」

「構いませんが……」

 ディアンはラティスを見た。ラティスは肩をすくめた。

「今すぐ帰れとは言わねえよ。こっちも色々準備があるんだしな。とにかく今日はゆっくり休め。〈柱〉二本分の力を出し入れしてるってのに、普通に動いてるのが不思議だぞ、お前」

「うん、そうする」

 言われてみれば、だんだんと疲れが出てきたような気がする。お土産を決める時間はまだありそうなので、安心して休めそうだ。

「そっか、帰るのかい……それじゃ盛大に送ってあげないといけないね」

 期待してておくれとセザがウィンクを寄越すのに、さくらは頷いた。好きなものを山ほど作ってくれると聞いては、しょぼくれていられない。

「それじゃぜひ、チーズ三昧で」

 ここぞとばかりにリクエストすると、セザは声を上げて笑った。

「だと思ったわ。最高の材料で作るからね」

 材料からして違うらしいと期待に胸を膨らませた翌日、ラティスが全員を食堂に集めた。全員が揃ったのを見てから、さくらに向かって言う。

「結論から言うとだ。あんた、抱えてる神々を元の世界に戻すまで、完全に家には帰れないと思ってくれ」

「は?」

 さくらが目を丸くしている間に、ルコーが言った。

「それは、こいつがここに残るってことなのか?」

「そうじゃない。完全には、って言っただろ」

 ラティスの言葉を咀嚼するように、ルコーは顎に手を当てた。

「つまり……またここに来る?」

「まあ、行ったり来たりしてもらうことになるだろうな」

「そうなの、サクラ?」

 目を輝かせたハーティーアを、セザが軽く叩いて諫める。

「そりゃあ、あたしだってサクラがいてくれるのは嬉しいけど、サクラにとっちゃ負担じゃないのかい」

「えーと……」

 さくらだって初耳だ。どうなんだと訊かれても、どうなのかとラティスに投げ返すしか無い。

 ラティスは、さくらの中の神々を見透かすようにして、言った。

「探ってみたんだが、あんたがいた世界は神々が多すぎる。なんであんなにいるんだ。木を隠すなら、って意味じゃ隠れ蓑には事欠かないんだが、遭遇率が高すぎるのも問題だ」

 日本だけでも八百万の神がいるといわれているほどだ。土着信仰から新興宗教まで数え上げれば、恐ろしい数になるのは想像に難くない。

「神様同士が遭遇すると、どうなるわけ?」

「自然災害の一つや二つは確実に起きるだろうな」

 それも数百年に一度と言われるような大規模な災害だと、ラティスは付け加える。

「それってあたしの中にいてもダメなの?」

「人の世界の距離で考えるものじゃないからな」

 物理法則は完全無視らしい。さくらが出歩かなければ良いというものでもないようだ。

「そんじゃ、ずっとこっちにいればいいじゃないか」

 簡単な話だとガセンが言えば、ラティスは渋面になる。

「それはそれで問題があってだな」

 果ての島以外にも、帝国の魔術を知るものはいる。さくらがそんな帝国の遺産を抱えているとなると、余計な争いの種になりかねない。

「お前らが護衛すると言っても限界があるだろ」

「軍隊規模で来られたら、あたしらだけじゃどうにもならないね」

 セザが肩をすくめれば、ディアンも頷く。

「いざとなったら〈柱〉に逃げるという手も使えなくなりましたからね」

 朝から晩までナルバクに教わっているディアンは、急速に俗世間の仕組みというものを身につけていた。いずれは、村の外も見てみたいと話していたとも聞く。

「えっと……あたしも要らない戦争の原因にはなりたくないし、災害も困るから」

 鼓動が早くなる心臓を宥めながら、さくらは、ことさらゆっくりと尋ねた。

「どのくらいの頻度でこっちに来たら良いのかな?」


 *


 自宅のアパートに帰ったさくらは、すぐさまスーツを脱いでシャワーを浴び、用意しておいたボストンバッグを持って玄関に立った。中に入っているのは着替えと、手土産――こちらではありふれた日用品の数々――だ。

「忘れ物は、無し、と。それじゃみなさん、行きますよ」


 ――……!


 今日も内なる神々は元気そうでなによりだ。

 その声が聞こえたように、玄関扉の色が変わった。〈柱〉に出入りしたときのあの平べったい岩と同じ色だ。

 さくらは靴を履いて手を伸ばした。ぐんと、強く引かれる衝撃に耐えると、空気が変わった。

 澄んだ空気と、青い空と、見慣れた石造りの建物と――ラティスが目の前に立っている。最近少し、顔つきが穏やかになったようだ。

「無事だったか」

「うん、今週も無事にただいま!」


 ここは週末ごとに訪れる異世界の砦。

 全ての神々を送り返すまでの滞在先。

 勇者の剣の回収係は、新しい役目を請け負って、もうしばらく異世界に通います――


                             〈終〉

ということで、最終回を迎えることになりました。

最後までおつきあいくださり、本当にありがとうございます。

また別の作品でお目にかかれる機会がありますように!

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