故郷へ *アデリー
帰ることを決めた翌日には食堂に辞める旨を伝え、帰る準備をする。事情を説明すると、惜しまれながらも了承された。
なんだかんだ王都に半年と少し滞在した。
一週間後、食堂で盛大に送別会を開いてもらい、その翌日には部屋を後にした。家具付きの部屋だったし家財道具は近所の人に譲ったので、荷物は持ってきた鞄一つ。
すると、建物の前に大きな馬車が停まっている。
「おはよう、アデリー。マートンまで送っていくよ」
「キリアン!? ちょっと、どうして?」
朝からにこやかなキリアンの横ではジョイが項垂れている。
「うちの馬車で行けば快適だからさ」
「でも、馬車で三日かかるのよ?」
「うちの馬ならもう少し早く着けるかなあ。この馬車の中で寝ることもできるからね。さあさあ乗って」
キリアンは私の荷物を奪い取り、馬車に乗せた。
王都に着いた時も荷物をひったくられたなあ、なんて呆然としているとジョイに声をかけられた。
「乗ってください、アデリーさん。キリアンさまは頑固な上に諦めが悪いんですよ。……ああ、旦那さまと奥さまになんと言い訳をすれば……」
「ジョイさんは行かないの?」
「色々と……色々とね」
ジョイの遠い目を見て苦労が偲ばれる。
「わ、広い」
馬車に乗り込むと座面は広くてふかふかで、クッションがたくさん置かれていて手触りのいい膝掛けも準備されている。対面に座る笑顔のキリアンはなぜだか嬉しそうだ。
この人の考えていることはよくわからない。一緒に行くとは言ったけど、まさか公爵家の馬車で同行するとは思わなかった。
「アデリー、着いたらまず領主のアディントン侯爵に挨拶に行かなければならない。書状は出してあるが領内に足を踏み入れる訳だからね」
私は頷き、先を聞く。
「アデリーはどうする? 帰着の挨拶をするのならば一緒に行こうと思うんだけど」
「あー、でも着替えに家に帰らなくちゃ」
旅装のまま行けば、侯爵夫人に何を言われるかわからない。
「服なら準備してある」
「は?」
「着く前にこの馬車の中で着替えればいい」
にこにこと嬉しそうに話すキリアンを見て、なるほどジョイが疲れていたのはこういうことかと納得する。キリアンは本当に自由に振り回してくれる。
「私が一緒に行くことで、あなたに不都合はないの?」
キリアンが肩をすくめる。
「俺の不都合って何? 逆に君の後ろ盾として俺がいることにメリットがあるだろう?」
確かに、あの侯爵夫人と相見えるのかと思うと気が重いけれど。まあ、なるようになるか。なんだか面倒くさくなって私は考えることを放棄した。
その後、アディントン領までは乗合馬車に比べてはるかに快適に、そして早く着くことができた。
*
アディントン侯爵家の第一応接室、らしい。ここに通されるのは初めてだ。いつもは玄関ホールか、建物の中にも入れてもらえなかったから。
「これはこれはジラール公爵令息殿、いや今は次期公爵殿。手紙は受け取りましたが……」
アディントン侯爵がちらりと私を見る。
「……あのことでオブリル家に?」
どきっとした。もしかすると侯爵はアルフレッドさまとお姉さまのことを知っているのかもしれない。
「そのことはまた。今回は私がアデリー嬢の後見となったことの挨拶にね」
「後見!?」
「黙りなさい、マリエッタ。キリアン殿に失礼だ」
アディントン侯爵がぴしゃりと侯爵夫人を黙らせる。
「後見とは、どういうことです? マートン家とオブリル家の主家は我がアディントン家ですが」
「ええ、もちろん理解していますよ。そのことに関してはまた時間を取って貰いたいと思っています。本日は書状で申し入れたようにアディントン侯爵領へ立ち入ることの挨拶をと。……申し訳ないが、私もこういう立場ですので護衛として私兵十人ほど連れています。ああ、北の森の近くに野営を張るつもりですので気になさらず」
有無を言わさぬ態度のキリアンにアディントン侯爵は眉を寄せた。自領に他家の私兵を迎え入れるのは気に入らないのだろう。だが、王族に連なるジラール公爵家からの申し込みを断るのは難しい。
「よろしいでしょう。では明日にでも歓迎の晩餐の席を設けましょう。いかがですか?」
「ありがたく思います」
「では明日」
「ええ」
*
「なんだかヒリヒリしたわ」
「俺も〜。晩餐とか味わかるのかなあ。さて、と。アデリーの家があるマートン子爵の町に行かなきゃな」
*
「意外と大きな町なんだな。もう少し『辺境』感があると思っていた。いや失礼」
「いいわよ。国境に接していて街道として割と発展しているのよ。その昔は隣国との諍いの度に軍隊が来るでしょ。兵隊さん対象に商売する人が増えて発展したそうよ。……でも今の主な産業は農業と牧畜よ」
「あー、なるほど」
昔は兵隊さん相手に女性たちが春を売る店が並んでいたこともあったらしいこの町は、今では治安の良い穏やかな場所だ。でも、その牧歌的な風景の中にはまだ盗賊から受けた襲撃の傷跡が残っている。車窓から見える風景は半年前とそう変わらない。
馬車はマートン子爵邸に入っていく。
焼け落ちた跡はそのままに、瓦礫は端の方に集められている。玄関の前には父が立っていた。
「遠路はるばるお越しいただき、ありがとう存じます」
「いや、勝手に押しかけただけだから」
「とんでもございません。……アデリーも息災だったか?」
「はい……」
久しぶりに見る父は、もと軍人らしい体格をしているが、少し痩せたような気がする。
屋敷の中に入り応接室で待っていると、マートン子爵が杖をついて現れた。
「ジラール次期公爵殿、このような姿で申し訳ございません」
「いや、どうぞお座りください」
伯父は伯母と息子のマルスを守るため左半身から背中に火傷を負った。伯父と伯母の間には、姉と同じ年の息子がいたのだが、幼い頃に病で失っている。だから今年十一才になるマルスを命がけで守ったのだ。
「まずはアデリーから話をした方がいいだろう」
キリアンの言葉に私は頷き、鞄の中からハンカチで包んだペンダントを取り出した。
「これは……っ」
鈍色の銀細工に小さなエメラルド。父には誰の持ち物だったかすぐにわかったようだ。
私は王都で知り得たことを包み隠さず伝えた。
「……兄が申し訳ございませんでした」
キリアンが頭を下げるとペンダントを握りしめていた父が慌ててそれを制した。
「いいえ! いいえ……。覚悟していたことですから」
父は姉から便りがないこと、私が探しても見つからなかったことなどから万が一を覚悟していたらしい。
「それで、罪滅ぼしと言ってはなんですが、盗賊の討伐を任せていただきたい。根城を潰し、頭目を排除すれば安心できるかと」
「しかし……」
「アディントン侯爵には了承を得ています。それに、私がここまで赴いた意味をくださいませんか?」
二日後、キリアンは連れてきた私兵と共に馬に乗り、森に入って行った。「行ってくるよ」と笑顔で。
あの時のことが頭をよぎるけれど、キリアンも私兵たちも軍人だ。私は祈り、準備できるだけの保存食を渡して見送った。
そしてわずか二日後、晴れやかな顔のキリアンと私兵たちは一人も欠けることなく戻ってきた。
街道と町を脅かしていた盗賊たちは、呆気なく根絶やしにされたようだ。




