SIDE-R(6)
このタイミングで、いきなり何を言い出すんだ?
おかしな人だな、リリ子さんは。
セナさんは間違いなく、殺意があって塩素ガスを発生させた。理由は母親との確執か、余程根深い恨みがあるのか知らないけど、リリ子さんは自らの身上を語って自首を勧めるつもりだろう。
苦しんでいるのは、アナタだけじゃ無い。母親のことでは私も苦しんでいるのよ。だからって殺したらダメ……って、傷を舐め合うような綺麗事を並べたらいい。
リリ子さんが俺をチラリと見た。駅の出来事を思い出し、リリ子さんは俺が素性を知っていることに感付いている気がした。それならそれで、かまわない。
「開放されたいと思い詰めるくらい辛かったんだよね、セナ。高校に入ってからずっとセナのことを見てきた。話を聞いてきた。厳しくて威圧的なお母さんに支配されて苦しんでいるセナを私は、自分の事みたいに身近に感じてた。私のお母さんは、自分の思い通りにならないことがあると頭がおかしくなっちゃう人だったの。私はお母さんに嫌われないように頑張ってた。でも、いくら頑張ってもお母さんを満足させることが出来なかった。お母さんが本当に望んでいたのは娘じゃ無くて息子だったから」
えっ? なんだ? 話が妙な方向に向かっている。息子って、どういうことだ?
真意が掴めないまま俺は、リリ子さんの話に耳を傾けた。
「私の幼稚園時代、仲の良い友達がいたの。友達には弟くんがいて、私のお母さんは弟くんをすごく羨ましがってた。でもそれが、いつの間にか友達のお母さんに対する憎しみに変わってしまった。心が壊れたお母さんは友達のお母さんが苦しむ妄想に取り憑かれて、幼稚園の『お遊戯会』の日に、舞台に上がってお友達を……」
「えっ……まさか、あの事件……いまでもワイドショーや特番で取り上げられるから、誰でも知ってる……リリ子が、あの……」
セナさんが、殺人犯と口にするのを躊躇った。言ってやればいいのにと思う。だけど、いまの話が本当だとしたら、姉ちゃんが殺された原因は俺って事になるんだろうか?
そんな……嘘だ。それじゃあ、俺がいままで抱えてきた傷や恨みが行き場所を失う。信じるな、これはリリ子さんが俺から逃れるための嘘に違いない。
「私が知っているのはお爺ちゃんやお婆ちゃん、警察で働いているおじさんから聞いた話だから、自分でお母さんの本当の気持ちを知りたくて毎月、医療刑務所に面会に行ってる。でもね、お母さんの中ではもう、私はいない子になっているの。壊れた心が作り出した妄想世界に生きるお母さんは、産まれてすぐ誰かに奪われた息子を探す憐れな母親だった。娘なんかいないの。私が面会に行っても、知らない女でしかないの……」
「私……私だけが学校のみんなに比べて不幸で辛いんだって思ってた。リリ子が、もっと辛いのに知らなくて……私、お母さんに絵本作家の夢を馬鹿にされて、お父さんがプレゼントしてくれたイギリスの絵本を破かれて、大事にしていたコレクションも全部捨てられて……憎くて、死んでしまえばいいと思った。だから死ぬかもしれないと解っていたのに洗剤を撒いたの。でも怖くなって、あの日は一人で家に帰れなかった!」
セナさんがまた、声を上げて泣き出した。リリ子さんの説得は成功したようだから、あとは風間刑事に連絡して自首して貰えば解決か? こんな時は110番より個人の刑事に連絡した方がセナさんやリリ子さんのためにもいいだろう。
早速スマホを取りだし風間刑事から貰っておいた連絡先に電話しようとすると、リリ子さんが俺の手を押さえ首を横に振った。まだ話したいことがあるのだろうか?
俺としては、いまの話の真偽を早く確かめたかったけれど、リリ子さんの真剣な表情に気圧され大人しくスマホをポケットに戻した。
「セナ……セナのしたことと結果はもう変えることは出来ないけど、私もセナも自分を変えることは出来るよ? 私はずっと、お母さんに自分を見て欲しかった。息子じゃなく、娘がいて良かったと言って欲しかった。でもね、結局お母さんは立場であって、一人の人間の個性じゃないんだって思うようになったの。一人一人、みんな考え方も価値観も生き方も違うんだから自分も自分の生き方を探して、親やまわりに振り回されないように、たくさん学んで選択していかなきゃならないって思ったの。もう、お母さんにお母さんを求めないって」
リリ子さんはセナさんを抱きしめた。
「セナはさ、この先ずっとお母さんのことを恨みながら自分のしたこと後悔すると思う。でもそれじゃ、お母さんがいなくなっても永遠に解放されない。セナには辛くても生きて、いつか幸せになって欲しい。だからお母さんを一人の人として許して、死なせてしまったことだけを後悔して悲しんで欲しいの。憎しみと許せない気持ちと後悔を一緒に抱えていたら、何倍も何倍も苦しくなるから……。私、セナが戻ってくるのをずっと待ってる。戻ってきたら、一緒にお母さんに謝ろう」
「……うん」
リリ子さんの話を聞きながら俺は、複雑な思いに囚われる。
憎しみと許せない気持ちと後悔を、切り離せることなんて出来るのだろうか?
再びスマホを取りだし電話を掛けた俺を、リリ子さんはもう止めなかった。




