SIDE-L(5)
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
身体が宙に浮き、体勢を立て直そうと伸ばした足先は何も捉えることが出来なかった。
背中が硬いモノに叩き付けられ、気が遠くなる。誰かが私の名を叫んだ。
「リリ子さん! リリ子さんっ!」
暗闇から、ふっと光が差す。その瞬間、凄まじい音が頭上に轟いた。音は、次第に遠ざかり意識を取り戻した私は線路の脇にうずくまっていた。
「大丈夫ですよ、リリ子さん。助かって良かった……!」
あぁ、思い出した。私はセナに突き飛ばされて、線路に落ちたんだ。
近付いてくる黒い塊に恐怖で動けずにいたら、ルイくんが線路に飛び降りて私の身体をホーム下避難帯に押し込んでくれた……。
私、もしかして死んでた?
急に全身が、冷や水を浴びたようにガタガタと震える。ルイくんがしっかりと私を抱きしめて、何度も「心配ないですよ、大丈夫。もう大丈夫です」と声を掛けてくれた。
でも私は頭がぐちゃぐちゃに混乱していて、自分でもワケがわからない言葉が口から飛び出した。
「どうして? どうして私を助けたりしたの? 死ねば良かった! 死んだ方が、良かったのに!」
「どうしてって言われても……好きな人は助けたいに決まって……」
「嘘つきっ!」
叫んだ途端、ルイくんは、すごく恐い顔で私を睨んだ。その表情にビクッと心臓が跳ね上がり、私は我に返る。すると次の瞬間には、ルイくんの表情が優しく穏やかなものに変わっていた。
「怪我、ないですか? 痛い所は? 歩けますか?」
私は首を横に振り、よろよろ立ち上がった。駆け寄ってきた駅員さんにルイくんが何か話している。知らない大人の人が何人も手を差し伸べてくれたので、助けてもらいながらホームに上がった。あとから上がってきたルイくんは、埃だらけの制服を手で払う。私もならって制服の土埃をはらった。
「この時間帯はダイヤが立て込んでないから遅延の心配は無いけど、取り敢えず駅事務所に来て欲しいって言われました。でも、そこで時間取られたら警察が先にセナさんを見つけてしまうかも知れません。バックレましょう!」
「……って?」
ルイくんが私の腕を掴んで改札に走った。
何だろう、変な気分だ。
セナを探さなきゃと思う焦り、死に直面した恐怖。線路の上でつい本音を叫んでしまったこと、大人の駅員を無視して逃げ出したこと。ルイくんに腕を掴まれ、一緒に走りながら息が苦しい。
苦しいのに、楽しい。
駅前の商店街を走り抜け、大型のショッピングモールに辿り着いた。駅で騒ぎになったからセナは、もっと遠くに行ってしまったかもしれない。わずかな可能性にすがるように私は、セナの行きつけの画材屋と書店を探し回った。
「いました、セナさんです」
書店の児童書コーナーに佇むセナを先に見つけたルイくんが、書架を挟むように私にゼスチャーで伝える。駅で会ったとき、いきなり声を掛けて警戒されたから、こんどは用心してゆっくりセナに近づいた。
「セナ?」
小さく声を掛けるとセナは驚いて私を見つめ、そのまま床に座り込んでしまった。
「リ……リリ子っ……良かった……私、リリ子まで死なせちゃったと思って……うっく、えぐっ……」
セナの言葉を聞いた私は、一緒に座り込む。セナは「リリ子まで死なせた」と言った。つまり、セナのお母さんの件は事故じゃ無く故意……。そう思った途端、セナと一緒に私も泣き出してしまった。
「あの……ここで話す内容じゃないし、目立つと色々あるから場所、変えましょう」
ルイくんの言う通りだ。まだ何も出来ていないのにセナに会えた安心感で、もう動くのが億劫になっていた。このまま泣いているだけじゃセナが警察に見つかってしまう。せめてセナに、何があろうと味方だよって伝えたい。
ショッピングモールのフードコートやファミレスは警察に見つかりやすいからと、ルイくんは書店を出たあと大型立体駐車場に繋がる連絡通路を通り屋上駐車場に私たちを連れてきた。
平日の昼なので、店舗から一番遠い屋上駐車場には数台の車しか駐まっていない。澄みきった青い冬空には、細い筋状の雲がゆっくりと流れていた。駐車場を囲むコンクリート塀の向こうに、遠く白い山影が見える。
強く吹き付ける冷たい風に身震いすると、連絡通路の自販機で買ったのだろうルイくんが温かいお茶をセナと私に渡してくれた。
震えるセナの手を、私はギュッと握りしめる。
「なにが、あったの?」
セナは一呼吸すると、落ち着いた目で私を見つめる。話す気になったらしい。震えは止まっていた。
「家の庭によく遊びに来る猫がいて、ときどきオヤツやごはんをあげてたの。最初のうちは、お母さんも可愛がってた。でも最近は窓を開けてると家の中まで入ってくるようになって……床やカーペットが汚れるとお母さんが嫌がるから気をつけてたのに、あの日の朝は猫がリビングに入り込んでソファーを引っ掻いちゃったんだよ……。そしたらお母さん、すごく怒って猫の首を掴んでお風呂場に行くとバスタブの残り湯の中に猫を突っ込んで殺そうとした。慌てて止めようとしたら掴み合いになって、お母さんが足を滑らせて転んじゃって、動かなくなって……まさか死んじゃうなんて、思ってなかった。このまま具合悪くなって病院に入れば、お父さんが帰ってくる。お父さんなら私の味方になってくれるって、その時はそれしか考えられなかった……」
「塩素ガスが発生したのは、偶然? お母さんは、お湯を抜かないでお風呂掃除してたの?」
「それは……」
「聞いて、セナ。私のお母さんね、殺人罪でいま刑務所にいるの」
私の言葉を聞いたセナは、大きく目を見開き口元を両手で覆った。驚きと言うより、意想外の告白に混乱している。ルイくんが渡したお茶が、足下に落ちて跳ねた。
聞こえているであろうルイくんの方を見ると、なぜか彼は笑っていた。




