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私は僕に恋をする  作者: 黒瀬玄絵
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四、出会い(目眩)

物心が付いた時には既に、私に好意を寄せてくれた人間は全員不幸になっていた。

 理由は分からない。

 理由なんて無いのだろう。

 私は、今までどれだけの人間を不幸にしてきたのだろうか。

 それを数える事は出来ない。それを直視するだけの強さが私にはない。

 そして、それは決して数えていいものではないのだろう。

 数えた瞬間に、その不幸は只の数字へと、只の統計へと成り果てる。

 私が貶めてきた人々に対して、それ以上の冒涜は無い。

 だから、私にできることは、決してそれらに対峙すること無く、清算すること無く、まるで真綿で首を締められるかのような、漠然とした罪悪感に対して、懺悔し続けることだけなのだろう。

 だから、私は死ぬべきなのだ、

 それこそが、私にとっての唯一の救いだ。

 

 赤目が中々目を覚まさなかったのもあるが、身体に力が戻った後も私がよっぽど酷い顔色をしていたのだろう、春子さんから簡単な食事を出して頂き、それぞれ別々に風呂を頂いた後、春子さんは私達と遊びたがる小夏ちゃんを制して、部屋へと案内してくれた。

 家族は他に、春子さんから見ると、祖父と母が居るとのことだが、祖父はすでに就寝しており、母、もとい巫女頭は、まだこの時間まで御勤めの最中との事で、お目通りは願えなかった。むしろ良かったかもしれない。今の私では失礼を働いてしまったかもしれないから。

 私と赤目の通された部屋は、客間とのことだったが、一体何人のお客を同時に泊めることを想定していたのだろうか、ぱっと見ただけでは何畳あるのかすら分からないほどに広く(そもそも私は六畳半以上の間取りを見たことが無い)、私と赤目が二人で使用するには、余りにも寂しいものだった。

 仕方ないので二人で隅っこの方に布団を寄せる。この部屋は庭に面しているようで、気持ちの良い風が、月の明かりとともに部屋に運ばれて来た。

 私は窓際の壁に寄りかかり、村上教授から渡された資料に再度目を通し、復習する。明日から本格的なフィールドワークが始まる。気分的にはすでに島を離れたい気持ちでいっぱいだったが、そういう訳にもいかない。使命くらいは果たさねば。

 対する赤目は旅の疲れもあってか、私の布団にまではみ出すように、体を大の字に広げて、すでに寝息を立てている。

 こうして月明かりを頼りに資料に目を通していると、まるで自分が二宮尊徳にでもなったように錯覚するが、それは誤認も甚だしく、かの偉人に対する冒涜の罪で誤認逮捕されたところで、誰も私を弁護してくれる人は居ないだろう。……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。

 さっきから、全く資料の内容が頭に入って来ない。秋名ちゃんの言葉が頭の中でぐるぐる廻り続けて、私の思考を阻害する。これでは本当に目を落としているだけだ。

「ふぅ」

 ため息を付いたのはいつぶりだろうか、と少し考えたら、案外最近の事だった。ならばこんな事は日常茶飯事で、別に重く受け止める様な事ではないのかもしれない。だが……。

「たとえ、本当の事でも、言っていい事と悪い事が有るよね」


 ―――それは、私の言葉―――


 間違いなく、私が言おうとした言葉。そして私の声。

 だが、私はまだ一言も発してはいない。私がいくら上の空だからといって、それだけは間違いようがない。その声は、夏の風に乗って、外から私の耳へと運ばれてきた。

「言葉っていうものは、時に暴力よりも人を傷つける。言葉の暴力って言うのかな? 彼女の言葉の切れ味は中々に大したものだった。まさにナイフだね。本当、思想は人を傷つけるよ。ペンは剣よりも強し。実際、胸を抉られる時は、剣よりもペンで抉られた方が痛そうだ」

 私はこんなに流暢に話すことはない。ほかならぬ私が言うのだから間違いない。ならば、この声の主は一体?

 恐る恐る、声のする方向に顔を向ける。真上から聞こえたので、首の運動のように、顔を真上に曲げた。

 

 声を失うとはこの事だった。

 私の視線の先には、窓枠に腰掛けて、私を見下ろす『私』が居た。

 いや、観測している私が私なのだから、観測されている私が私である訳は無かった。しかし、顔、体つき、雰囲気、そのどれをとっても、毎朝洗面台で顔を合わせる相手。『自分』だった。

 正確には、全てが同じという訳ではない。今の私は、柊家に貸して頂いた浴衣に身を包んでいるが、対峙する『私』は古いデザインのセーラー服を着ていた。それだけで『私』が私でないと分かる。流石に大学生になった私はそんな服とは縁が無い。

 そして、そのセーラー服が私の脳回路をつなげた。そうだ、『これ』は『こいつ』は船の上で見た人影だ。やはり見間違いでは無かった。

 しかし、今の私にはそんな事はどうでもよかった。声を失ったのも、私と姿形がそっくりだからでは無い。

 誤解を承知で言おう。

 

 この時私は、『私』に見蕩れていた。

 

 月明かりを浴びて青白く照らされた肌。風に靡く黒髪。相対的な顕と絶対的な幽、その境に存在する者。生と死を超克し、有と無を彫刻した存在。

 これが『神聖』というもの。

 生まれて初めて感じるそれを、私はあろうことか、私と同じ姿形に感じていた。

「やっぱり君は綺麗だ」

 その『私』は私の頬にゆっくりと手を伸ばす。

 私はその手を振り払う事も出来た。

 だが、私はその手が私の頬に触れるまで、指一本動かすことはなかった。。

 理由は無い。従うべきだと、本能が告げていた。

 だから私は得体のしれないその手を容易に受け入れる。

 その頬には触れられた感覚が無かった。まるで接したところから一体化していくような不思議な感覚。

「君は……、いや、あなたは一体?」

 搾りかすのような私の声。それに対して『私』はいつもの私の声色で、

「僕? 僕は僕だよ。君が君であるようにね」

 と、こともなげに答える。

「本当の事を言えば、こんな姿で現れるつもりはなかったんだが……。本当に秋名はしょうがないやつだ。まぁあれでも僕のかわいい眷属だからね、大目に見ることにしよう」

 その『私』は秋名ちゃんの名前を口にした。柊家の関係者なのだろうか。

「僕は君の事はよく知らない。知っていくのはこれからだ。だけど、君が可哀想な奴だってことは良く分かる。これでもこの世に長いものでね、経験豊富なのだよ。僕が君の救いになってあげよう」

 もう一方の手も私の頬に伸びる。それは抱擁のように暖かく、まるで私の心にまで触れるかのよう。

「なるほどね、秋名のお節介も満更無意味だった訳ではないようだ。これならば、思ったよりも早く仲良くなれそうだ」

 きっとそれは独り言だったのだろう。

 だが、私にもその言葉の真意が分かった

 『私』に両手で触れられた瞬間に分かってしまった。

 『私』は紛れもなく私の一部であり、私そのものだ。

 触れ合った肌の感覚が、何よりも雄弁にそのことを私の心に語りかけてきた。

 出会ったばかりだというのに、

 こんな得体の知れない存在だというのに、

 すでに私の心は開かれてしまっている。

 当然だ、あらゆるものから距離をおいて生きてきた私だが、私自身からすら距離をとって生きるのは不可能だ。

 このままいつまでも触れていたい、

 いっそ一つに溶けてしまいたい。

 そんなことすらを考えてしまう。

 しかし、

 そんな私の思いとは裏腹に、『私』は至極あっさりと、私から手を離した。

 それと同時に感じる、私の一部がなくなったかのような喪失感。欠落感。

「とは言え、今はまだ早い。今日は只の顔合わせだ。今度会う時には、君にも僕のことを好きになってもらえるように努力しよう。覚悟してくれ。ゆっくりと分かり合おう。すぐにまた会いに来る。それまで、僕のためにも息災で」

 そして『私』はそれだけを言うと、そのまま流れるような動きで私に背を向け、窓から外へと飛び去っていく。

 一歩外に出た瞬間に、その体は闇に溶けていった。慌てて窓から身を乗り出して辺りを見渡すが、そこには当たり前のように、もう『私』は居なかった。

 あとに残されたのは一切の闇。耳が痛くなるほどの静寂。

 今までの出来事が幻だったとしか思えない程の非現実感。

 まさしく、真夏の夜の夢だった。

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