二、葉山島(柊家)
「お疲れ様でーす!」
影が十八時を指す頃。葉山島に降り立った私達二人を最初に出迎えたのは、そんな弾けるような声だった。
「初めまして、榎さんと鬼ヶ島さんで合ってますよね? 早馬神社の巫女、柊春子です。これから数日間、お二人のお世話をさせて頂きます」
そう一息に告げると、深々と頭を下げたのは、船に駆け寄ってきた巫女装束に身を包んだ少女だった。いや、美少女だった。
年の頃は十七、八といった所だろうか。私達とそう変わる事は無いだろう。ハキハキとした喋り方と同じ様にはっきりとした顔立ち。誤解を承知で言うならば、少し日本人離れした顔の彫りに、薄暗闇にぽっかりと浮かび上がるような白い肌に赤い唇。それと対象的な、艶やかなセミロングの黒髪が夕焼けに怪しく輝いていた。
春子と名乗ったその少女を見る私の心臓が不規則に跳ねまわるのは、決してその美しさに度肝を抜かれての事だけでは無いだろう。私にそのような趣味は無い。この鼓動は、どちらかと言えば恐怖した時のもの。一見すると清楚(と言うには、少し元気が過ぎるか、清純と言った方が良いだろう)なこの少女に私は本能的に怯えていた。
これが、この葉山島を実質的に百年以上支配する、早馬神社の巫女、その次期巫女頭。
背の丈にして、私の頭一つは小さいその体には、赤目以上の威圧感を私に与えるには十分な神秘性が満たされていた。
やっとの事で私は口を開き、さも何も感じていない様な去勢を張って、
「はい、お世話になります。村上教授の代役として参りました、榎夏木と鬼ヶ島赤目です。夏木と赤目と呼んで頂いて結構です」
と、返すのだった。声は震えていなかっただろう。私は何かを隠すのが得意だ。それ以外に得意なものが思い浮かばないのが悲しいが。
「それにしても、よく自分達だって分かりましたねぇ。やっぱりそれが早馬神社の巫女の神通力ってやつですか?」
後ろから茶化す様な野太い声。赤目だ。声の感じから察すると、赤目は何も感じていないようだ。こんな時には、赤目のこの鈍さが心強い。
そして春子さんがその質問に、
「だって、あなた達二人以外には誰も降りて来ませんでしたから」
と微笑みながら返した事で、私の緊張も少し解れたのだった。
その通り、船に乗っている時から少し感じてはいたが、やはり今日この島に渡ってきたのは私達だけだったようだ。
「今日は、と言うのは余り正確じゃありませんね。もう一ヶ月は郵便以外には、この島に渡って来た人は居ませんよ」
来ても何もない所ですからね。と、春子さんはため息混じりに声を吐き出す。
「人口も三百人位しか居ませんし、同級生どころか同じ高校に通っている子は十人も居ません。本当に灰色な高校生活ですよ……」
どうやらやはり高校生だったようだ。そして、春子さんの言う通り、一見するだけでもこの島は、高校生が青春を謳歌するには、少々苦労を強いられるであろう事が容易に想像が付く。
私達が降り立ったこの場所は港という事もあり、漁師小屋が立ち並び、建物だけ見れば一応の賑やかさは感じられるが、日も暮れかけたこの時間には人っ子一人、人影さえも見られず(人が居ないのに人影だけ見えても余計怖いだけだが)、そのアンバランスさが余計に寂しさを引き立てているのだった。
すべて出発前に村上教授から聞き齧って来た知識ではあるが、まずこの島は、春子さんの言った通り人口が少ない。主な産業は漁業で、最低限のインフラは整っているものの、日用品以外の買い物は本土に渡らねばならない。また、病院は小さな診療所があるだけ、警察も駐在所に一人警察官が詰めているだけとの事だ。
どこにでもあるような、取り立てて特徴の無い離島。過疎化が進み、数十年後には住む人も居なくなるような、何の変哲も無い限界集落。それが葉山島である。…ただ、一つ、早馬神社とその巫女を除いては。
「そう言えば、やっぱり春子さんも巫女だから、あれ、出来るんですか? 『見落とし』?」
「『見通し』な、見落としているのはお前だ。それにいくらなんでも不躾すぎるだろ」
赤目は先程から、春子さんに興味津々のようだ。しかし、村上教授から依頼された内容の肝となるワードを間違えるとは、こいつは何を聞いていたのだろう。
「いえいえ、いいんですよ。やっぱり気になりますよね。けれど残念ながら私は出来ません、それに母……今の巫女頭にも出来ません。祖母までは出来たと聞いていますけど、私が物心つく頃にはもう居ませんでしたので、私は直接見た事はありません。本当は私の立場では、こんな事を言ってはいけないのかもしれませんけど、今となっては只のよくある民間伝承ですよ」
ただ、島の皆は、同級生も含めてまだ信じてるみたいですけど……と、小さく続けた。その声からは、彼女の生まれの苦労が感じられた。
そう、『見通し』。それがこの島の巫女に代々備わるという神通力。一般的な言い方をすれば、千里眼。今回の私達の第一調査対象だ。
この島の歴史は常に巫女と共にあった。
ある時、もう何代前かすら定かで無い程の昔になるが、一人の巫女が見通しの力を得た。その巫女は、この島で起こる事ならば全てを言い当てた。それは漁の成功や農作物の出来といった生活に根ざすものから、地震や嵐等の天災、果ては、犬が一日に歩く歩数に至るまで、その全てをピタリと言い当てた。
そんな早馬神社の巫女が、望む、望まざるに関わらず、島の中で権力を持つのは、自然な流れだっただろう。そして、その力は代々受け継がれ、代を重ねる毎に、その権力の基盤はより強固なものとなり、最終的には、個人の職業や結婚相手までもを巫女が決めるようになった。
そのような経緯で営まれてきた島なので、当然独特の文化が育まれてきた。そして、その文化は平成の今、この時まで色濃く残っている。その特殊な文化が、文化人類学の権威、村上教授の興味を引いた事も、これまた自然な事だったと言えるだろう。
しかし、春子さんの言では、その超能力が今では失われているという。私だってもういい大人なので、最初から疑いすら無く、その存在を信じていた訳では無いが(この感じでは、赤目はあると断定していたかもしれない)、村上氏の口ぶりでは、まるで有ってはならないもののようだったので、捻くれ者の私としては、逆に期待していなかったと言えば嘘になってしまう。肩透かしというやつだ。
これでは、今回の調査も特にエキセントリックなものとはならず、普通のフィールドワークで終わりそうだ。別にこの調査の出来不出来で今後の進路が決まるわけでも、ペナルティーがある訳でも無い。言われた事を粛々とこなし帰路に付くとしよう。その先に待っているのは、きっと赤目との灰色の青春だ。灰色と青色が混ざって、それなりに綺麗な事だろう。
「さて、暗くなってきました。夏でもこの辺りは、夜は結構冷えるんです。続きは家でお話しますよ」
どうぞ、と春子さんが指差す先には一台の車。
赤目と思わず顔を見合わせるが、まさかこれが春子さんの自宅、もとい早馬神社という事は無いだろう。早馬神社が山の上に有るという事は船の上から確認している。と言う事は、私か赤目に運転しろというので無ければ、
「あの、これは?」
「ご存知ありませんか? 結構有名な車かと思いますけど、スズキ社製のジムニーです。エンジンは660CC直列3気筒DOHC、64馬力、もちろん5速のMTですよ」
そんなジムニーのカタログスペックはどうでもいい。いや、これから命を預ける事になる車だと思えば、頭に入れておいて損は無いかもしれない。死ぬ前に自分の棺桶を見る事が出来る人間も中々居ないだろう。
「いやいや、そうじゃなくて! 俺も夏木も運転はできないっスよ!?」
達観しかけていた私の横で、しびれを切らした赤目が慌てふためく。その姿を無様と笑うことは出来ない。なぜなら私も同じようなものだから。
しかし、春子さんはその剣幕にも、少しも動じること無く、
「大丈夫ですよ、私が運転しますから」
と、さも当然のように返すのだった。
やはりそうなのか……。それはもちろん、春子さんが十八歳だというのなら、免許を取ることに何の問題もない。私だって国の定めた制度に反対するつもりは毛頭ない。しかし、高校生が運転する車に乗るという事に、不安が無いハズもまた無かった。
「さぁ、行きますよ」
そう告げると、さっそうと車に乗り込む春子さん。巫女装束に似合わないローファーを履いていたのは運転をするためだったのか。
いつまでも二人阿呆か案山子の様に突っ立っている訳にもいかないので、仕方なく、二人車に乗り込む。(その際、一番生存率が高いと言われる、運転席の後ろ。所謂社長席の取り合いが行われた。勝ち取ったのは私だった)緊張でカチコチに固まった体が、思いの外柔らかい座席に沈み込んだ。きっと綺麗に私のお尻の型が取れることだろう。
「けれど凄いね、その年で免許を取るなんて。やっぱり、自動車学校は本土に通うの?」
私の問いかけに答えること無く、春子さんは慣れた手つきでエンジンをかけ、ギアを入れ、車は早馬神社に向かって走りだす。
春子さんが小さな声で、「免許ってなんですか?」と呟いたのは、すでに山道に入った後のこと。赤目が耐えられず、ぎゃあぎゃあと叫びだした。
どうやら私達は、この島を甘く見ていたのかもしれない。




