寝室、交換、喧騒。
「きー。今日はどうだった?」
ホテルに戻って夕食の後、僕がベッドにうつ伏せで転がっていると長良は荷物の整理をしながら言った。
「食べる量が減った。予定より。」
僕は一応文句を言う。
「えっ、ああ、すまんすまん。お前本気だったんだ。」
僕はいつも本気だぞ。
長良はヘラヘラと笑いながらそう言う。まだ、頬が緩んでいる。
「いつも本気の本気だよ。」
「嘘つけ。」
失敬な。
まあ、僕は嘘吐きだけど。
「まあ、いいよ。食べきれなかった分は家に送ったから。」
「それで荷物少なかったんだ。」
「あっとな、チーズケーキとグラスと昆布と乾燥貝柱とじゃがいもと鮭とば、ああ、あとジンギスカンも。」
僕は尋ねられても無い今日の戦果を答える。
「おお、結構、買ったな。」
「いや、まだアスパラガスとカニと駄菓子類が買えて無い。」
夕食のアスパラガスが美味しかったから項目追加だ。
「なかなかの財力だな。」
「ああ、まあ、親の金だし気にせんでいいんだよ。」
最近、倹約してたし大丈夫。
「そんなものか。」
長良は不思議そうに言う。
「じゃあ、僕、売店行ってくるよ。」
僕はベッドから立ち上がる。
ようし、駄菓子を買い込もう。
「お前、その格好で行くのか。」
「ん?パジャマじゃねえし、大丈夫だろ。」
僕は浴衣の帯を締め直しながら応じる。
長良はまだだが僕はもうシャワーを浴びて、浴衣に着替えている。
「ああ、まあ。」
「お前も来る?」
一応誘う。
「いや、いいよ。カギはおいてってくれていいよ。」
長良は自分のスーツケースの鍵を掛けながら言った。
「了解。」
僕はスーツケースに入れてきた雪駄をつっかけて下の売店に向かう。
流石に寝間着にするのだから他所行きの浴衣はやめた。けれど、一番きれいなやつを糊付けしてきたし、帯はちゃんと正絹だからみっともなくは無いはずだ。
自分の身を確認しながらそんなことを思う。
やっぱりホテルとは合わないな。
歩いていると他の客から視線を向けられているのが気になる。
まあいいか。
僕は売店に着いて商品を見る。
ジャガイモやトウモロコシや昆布なんかのスナック菓子、有名なチョコレート、あとはおかきとかだな。
試食がいくつかあるので、順番に食べる。
うん。どれもおいしい。
取り敢えず、板チョコとおかきは外せないな。スーツケースの空きを考えたら後、箱もの二つくらいか。
もう一度試食をして考える。
よし、このジャガイモのやつと昆布の入ったポテトチップスにしよう。
それから僕は会計を済ませて、部屋に帰る。
途中、エレベーターホールで担任を見かけたので会釈をしたが、訝しげな目を向けられるだけだった。やっぱり、寝間着で出歩いたのは行けなかったようだ。
部屋のチャイムを鳴らすと、すぐ、無言でドアが開く。しかも、ドアを開けると、出向かえずにユニットバスに入ったようだ。
返事ぐらいしたらどうなんだろう。
いや、風呂中だったのか。仕方ない。
間が悪いことをしてしまった。
僕はそんなことを思いながら部屋に入る。
ドアを閉めるとユニットバスから余が顔を覗かせた。
「きー。今からシャワー浴びて点呼やり過ごすから、先生来たら誤魔化しといてね。荷物は開けなければ大丈夫だし、いざとなったら鍬柄くんの声の録音あるから中から鳴らす。シャワー越しだったら多分気付かれないはず。」
そう小さな声で矢継ぎ早に言って、小さな箱の中へ消えて行った。
僕はいつものように「ああ。」と答える。
ん?いつものように?
ちょっと待て。余?
えっ?
思わず反射で答えたけど。
おいおい。
さっきの余だったよな。
何が起こった。
ちょっ、流石にやばいだろ。
見つかったら洒落にならん。
修学旅行で女子と同室?
いやいやそんなことはないはずだ。
ん?いや、荷物。
長良の荷物が無い。
あるのは余の旅行鞄。
どうする?
ちょっと落ち着け自分。
水飲もう、水だ、水。
水ってどこだ。
ああ、冷蔵庫に仕舞ったんだった。
そうだそうだ。
ガパッ。
くるっ。
ごくん。
ふぅ。
えっと、ちょっと整理。
何をするべきだ。てか、今どういう状況?
長良が出て行って余がいる。
そして、僕が誤魔化す。
出来るかそんなこと。
いやいやいやいや。
駄目だ。やっぱり焦っている。
落ち着け、僕。
もう担任が見回りに来る。
しっかりしろ。
えっといつ来るんだ。
それまでに落ち着け。
コンコンコン。
「おーい、開けてくれ。」
って今!
落ち着け、きー、お前なら大丈夫だぞ。
深呼吸、深呼吸。
ふぅー。はあ。
よし。いくぞ!
「はーい。」
僕は意を決してドアを内に引き寄せる。
「おう。ああ、さっきのお前だったのか。」
ん?
なんだ?
焦っているのもあって想定外の台詞に付いていけない。
「はい?」
「いや、すまん。そんな格好だからお前だって気付かなかったわ。ほら、エレベータの前で。」
「ああ、そうでしたか。」
そう言えばそういうこともあった。ほんの五分程しか経っていないのに、担任の斜眼などすでに忘却の彼方だった。
自分、焦りすぎだ。
「お前凄いな、自分で帯締められんのか。」
「ええ、まあ、慣れれば、一瞬ですよ。」
「ほーん。そんなもんか。ということは普段から浴衣なのか?」
「ええ、部屋着兼寝間着です。一応外だから帯はちゃんと締めてますけどね。いつもは男締までですよ。」
よし、なんか知らんが助かった。
浴衣のおかげで長良の話にならない。
よくやった少し前の僕。褒めて遣わす。
「ほう、珍しいな。」
「そうですかね。浴衣、楽ですよ。」
「そんなもんかねえ。」
担任は一日経って髭が伸び始めた顎を擦りながらそう言った。
若いのにそんな仕草するか。
「ええ。」
「じゃ、長良はシャワー中みたいだし、先生、次行くわ。」
「はいはい。ではさようなら。」
僕は心の中で勝利の咆哮を上げながらドアを閉め、ついでにチェーンも掛けておく。
ふう。やり切った。
乗り切ったぞ、危機を。
まあ、先生が適当な人で良かった。
あとは寝るだけだ。
ん?
寝るだけ?
ちょっと待て。
ちょっと待て、ちょっと待て。
余と同室?
おい、おいおい、おいおいおい、おいおいおいおい。
流石にやばいだろそれは。
半分一緒に暮らしていると言っても、ちゃんと一線は引いている。否、「発作」の時以外は相手の肌すら見ることが少ないのだ。守るべき倫理観とか礼儀とかそういうのをわきまえた関係だ。
流石に同じ部屋で寝るってのはいかんだろう。
さっきの担任教師襲来より極めて重要な任務が残っていた。
余と、年頃の女の子と、同じ部屋で睡眠を取るという重要任務が。
こりゃあ、思っていたより厳しいぞ。
余とは言え、それでもだ。緊張する。
ああああ。
また焦ってきた。どうする。
水でも飲むか。
もう既にシャワーの音は止んでいる。つまりはもうすぐ出てくる。
落ち着かない。
問題ないぞ、自分。いつもよりちょっと近いだけだ。
問題ないぞ。
僕がそう自分を鼓舞しているとユニットバスのドアが開いて余が出てくる。それと同時に、シャンプーの柔らかい匂いが部屋に広がった。
「ふう。先生、上手くいったみたいだね。」
余は、ジャージの腕をまくっていて、左腕の自傷跡が露になっている。
「浴衣のおかげでなんとかなったよ。」
「そかそか。」
「まあ、明日は早く出ないと他の生徒にバレるだろうし、さっさと寝ようぜ。」
眠ってしまったら気になることなんてない。それが一番。
「まあそうだね。」
「てか、よく部屋変わるの許したな。気まずくない?」
恋人同士を同じ部屋に入れるって、まあ、そういうことになるだろうし。
「うーん。鍬柄君も夏穏ちゃんも冗談でぽろっと言っちゃっただけみたいだったんだけど、結構無理やり言って推した感じかな。」
「ああ、そういう事。」
「うん。傷の事ばれる方が嫌というか困るだから。」
やっぱりな。
「でも、男と一緒の部屋っていいの?教師にバレなかったとしても、生徒にバレそうじゃん。」
「ははは、まあ、大丈夫だよ。他にも浮かれて部屋交換した子達いるだろうし。」
余はタオルで頭をわしゃわしゃと拭きながら言う。
そういうものだろうか。
「そうかな?」
「うんうん。ここのホテル、従業員用の階段を伝ってくと案外バレないんだって。有名な話らしいよ。鍬柄君も先輩から聞いてきたみたいだし。」
そんな話初めて聞いた。
従業員用の階段って、浮かれた高校生ってアクティブだな。否、盛っているだけか。
「へー。まあいいや。んじゃ、お休み。」
僕は布団を被る。
「あっちょっと待って。ちょっと待って。」
余はそう言いながら立ち上がる。
「ん?どうした。」
「枕、貸してくんない?ここに打ち身あってさ、寝転ぶと痛いから、使って浮くようにしたいんだ。」
そう言って余は腰辺りを指す。
僕はすぐに言葉を紡ぐことが出来なかった
余の体に無数に傷があることは何度も確認している。それにそれが出来た背景だって知っている。けれど、けれど実際に痛みの話をさも普通にしてしまう余に僕は絶句したのだ。
余の口から「痛い」という言葉が悔しがるようにでも、苦しむようにでも、悲しむようにでもなく、只、お腹が空いたからご飯頂戴とでも言うかのように、出てきたことに改めて驚いたのだ。
僕は余の体に傷があると知っているだけなのだ。僕は強く実感した。
もう既に余にすれば傷があることなんて当たり前で、それに対処するのも日常の一部なのだ。
そこまでと僕が理解出来ていなかったことが何故悔しい。
何だか、修学旅行に来ていて忘れていたが余の状態はやっぱりそうなのだ。
僕の女子と二人部屋で焦ったり、興奮したりとは全くおかしな感情だ。先程までなぜ自分があんなに焦っていたのだろう。余の現状を考えるとそうとすら思えてくる。
僕は苦虫を嚙み潰したような感情で、只顔にだけは出さないよう気を付けて、無言のまま余のベッドに枕を移す。
するとその時、何かが落ちた。
余がそれを拾い上げて、じっと見る。それから一瞬戸惑った後、すぐに意地の悪い顔になって、手に持ったそれを突き出してくる。
僕はそれを見て顔を引き付ける。
「これなーんだ。」
コンドームです。
おい長良、なぜそんなものを置いていった。
「さ、っさあなんだろうね。」
それから誤解を解くのに朝までかかった。
余は、僕の何のためにしているのか分からない言い訳を楽しそうに笑顔で否定し続けていた。
まあ、アンニュイな気分が吹っ飛んで良かったと思うことにしておいた。




