無表情の少女と初めての街 【10】
鏡の中のシュティさんを見て、私は思わず息を飲んだ。
漆黒の髪が上半分にまとまり、簪の月と星の意匠が白い肌の上で静かに輝いている。
流れた下半分の黒い髪が首元を縁取っていて、白と黒の対比が際立っていた。
髪を整える前は可愛らしさだけを感じていたが、髪を整えた後は美しさが際立って感じる。
無表情のまま鏡を見つめるシュティさんはまるで絵画のようですわ。
「えっと……シュティさん、いかがです? 私としてはかなり良いと思いますけど」
「問題ありません。前より重心が後ろに寄ってはいますが、許容出来る範囲です。簪の位置もこの場所なら素早く取り出せます」
聞きたい感想ではなかったけれども、文句は無いようなのでいいでしょう。
「では、これで一通り揃いましたわね。服屋に戻りましょうか。レジェス、時間はどうかしら?」
「指定された二時間までは少々時間がありますが、誤差の範囲だと思います」
懐から出した懐中時計でレジェスが時間を確認して答える。
「ゆっくりと歩けば、ちょうどいいかもしれませんわね。では、行きましょうか」
髪結いの店を後にして服屋へ向けて街中を歩く。
通り過ぎていく人々が足を止めて振り向いてくる。
人々の視線を向けているのはシュティさんだ。
髪を整える前はこれほど視線を集めることはなかったというのに、髪の印象一つでここまで変わるとは……すごいですわね。
エリーヌの腕が良いのは当然ですが、シュティさんの素材が良いせいですわ。
横を歩く私が悔しく思うくらいには地味な印象がすっかり美しさに変わってしまいましたもの。
――私も今度、思い切って髪型を変えてみようかしら。
っと、いけませんわ。
今日はシュティさんをたてる日です。
ついつい浮かんできた嫉妬などは後日に回しましょう。
グリオット様から依頼されたことですもの。
婚約者として、メディシス家の者として完璧にこなさないといけませんわ。
服屋に到着すると、待ちわびていたかのように顔見知りを含めた複数の店員が出迎えてきた。
「ラクレームお嬢様、お待ちしておりました。仕立ての方は今しがた完了しております」
「ちょうど良かったですわ。シュティさん、さっそく着てみましょう」
店員に案内されて試着室へと向かう。
試着室の前では仕立て直した服を持った店員が待っていた。
「レジェス、先程と同じくシュティさんの着替えを手伝ってあげて」
「承知いたしました。それではシュティさん、私と一緒にこちらへ」
試着室へと入っていくシュティさんとレジェスを見送って待っている間、手持ち無沙汰になる。
特に欲しい服があるわけではないけれども、店内をぐるりと見渡す。
ビーネン一族のことが頭から離れないせいか、自然と店内に目が行く。
店員が五名。
私達の側に二名、他三人は店内のバラバラな位置にいますわね。
先ほど居た支配人の姿は見えませんが、いつも店頭に立っているわけではないでしょうから、店の奥にいるのでしょうね。
この店にビーネン一族はいるのでしょうか。
小物屋の店員の一件があった直後ですから、どのお店にも一人くらいはいるのではと思ってしまいます。
シュティさんが試着室に入る前に聞いておくべきでしたわ。
「お嬢様、お待たせしました」
レジェスの声と共に試着室のカーテンが開かれた。
覚悟はしていたが、それでも息を呑む。
今日で何度目だろうか、負けているという感覚だ。
嫉妬は後回しと先ほど決めているが、それでも浮かんできてしまうほどの美しさが目の前にあった。
純白のフレアショートコートに黒い脚衣。
フレアショートコートの裾にはきらめく月と星の意匠が散りばめられている。
脚衣が黒いので、そこだけ切り取れば夜空のようだ。
仕立て直した際に夜空に見えるようにと裾の長さを調整しているのでしょう。
さすがですわ。
服装だけで見ると貴族の嫡男が着ていてもおかしくはない。
黒い脚衣が男子感を出していますが、それを補って余りあるのが顔の造形の可愛さと美しさの両立ですわ。
全体的に似合うようにとコーディネートしたわけですけど、漆黒の髪型と合わさった完成度には驚きしかありません。
「いかがでしょうか、お嬢様」
「想像以上……ですわ」
レジェスからの問いにはそう答えるのがやっとでした。
◇
ラクレーム様が想像以上と口にした。
今日、ラクレーム様は何度か私の姿を見て感想を口にしているが、私自身はよく分からない。
グリオット様のお屋敷を出発してから、ずっと困惑している。
何故、私はこんなことをしているのだろうかと。
試着室の鏡に映るのは見慣れない姿をした私だ。
高くて良い生地の服であること、思っていたよりも動きやすいことくらいしか私には分からない。
ただ不思議と心音と体温が高まっている。
興奮している? なぜ? と自分自身の状態を不思議に思って、つい首を傾げると髪に刺さった簪に付いている月と星の装飾が揺れた。
口元が上へと上がった気がした。
何故かは分からない。
月と星についても何気なく口にしただけだ。
つまり――私はこの服と簪を気に入っているらしい。
あえて、不満点を上げるなら、武器をあまり隠し持てないという点だ。
先程まで着ていたメイド服から着替える際に半分しか武器を仕込めなかった。
特に投げナイフの本数が不安になっている。
街中では近接戦闘よりも投げナイフでの遠距離戦闘が発生する可能性が高い。
ビーネン一族の者は街中の至る所にいる。
店内にも客として一人、来ているが私の監視だろうか。
監視としては足りないと思うが、考えてみれば一人監視に来ているだけ私が警戒されていることになる。
本来なら複数人の監視を付けるべきではあるが、帝国での戦いでアマンディーヌに多数の一族の者が倒されている。
アマンディーヌを倒すために送った精鋭がほぼ全滅したとあっては、王都内のビーネン一族の動きが緩慢になるのは仕方ない。
それぞれが自分達の仕事をするので精一杯。
先程の店の店主もラクレーム様へ脅しのような忠告をしていましたが、脅しをすることしか出来なかったのが真実なのでしょう。
私が監視に気付いていますよと知らせるために店内の監視役に目線と殺気を飛ばす。
警告を感じ取った監視役は足早に店の外へと出ていった。
「シュティさん、今、何をなさったのですか?」
すぐ横に立っていたレジェス様が警戒した様子で声をかけてきた。
この人は戦える人です。
私のような暗殺者から主を守るための戦い方を会得しているのでしょう。
今日、街中を歩く中で私の仕草をよく観察していた。
万が一にもラクレーム様へ何かしようとした場合、対処出来るようにと常に警戒されていた。
そのような人なので、監視役を追い払うために向けた殺気にも気付いたようだ。
「驚かせて申し訳ありません。虫がいたもので」
「虫ですか。シュティさんでも虫は嫌なのですね。あ、これは失礼なことを聞いてしまいました」
「いえ、そんなことは……」
レジェスさんに言われて、今しがたの自分の行動に疑問を覚えた。
監視などさせておけばよかった。
気付いているのに気付いていないふりをすることの方が今後の動きとして先手が取れる。
なのに、わざわざ気付いていると知らせて追い払った自分の行動が不思議だった。




