第132話 聖務と政務と、待受画面
リゼットとデートした翌日。
アレクシスは朝の仕事を軽くこなしてから、私用で一人、外出した。
誰にも明かさず出向いた先は、十八才の未婚の伯爵令嬢に「(胸糞展開の)官能小説」の翻訳を依頼した、小さな出版社だ。
──リゼットがこの本の翻訳に関わったという全ての証拠を、消し去ってやる!
アレクシスは、リゼットに対応した担当や、その上司の編集長を暗示支配の上、本を突き返し、リゼットと交わした契約書類の他にも「リゼット・グレーンフィーン」と言う文字が書いてあるものをすべて出させ、押収し、燃やした。
アレクシスは、そこにいた数名の社員全員に、最後に自分がやって来たことも忘れさせて、煙草臭い事務所を出た。
続いてマシューに遠距離思念通話で連絡を取り、手配したリゼットの護衛と家政婦との面接の日程を調整した。
マシューは、かつてのアレクシス同様、思念通話に祝福が全振りなタイプで、アレクシスと仕事のやり取りをするうちに、王都内であれば遠距離での思念通話が出来ることが分かった。
今まで、双方向でその能力を試す相手がおらず、マシュー自身も、アレクシスのお陰で、最近気付いた能力だった。
優秀で、アレクシスにとっては都合の良い祝福を持つようになったマシューは、いつの間にかアレクシスの秘書官のようなポジションになっており、先日正式に任命した。
アレクシスは昨日リゼットに、マシューの妹、ローズマリーとの関係も確認していた。
ローズマリーはリゼットが社交界で見つけた唯一の友人で、クラヴィア仲間らしい。以前、バロンの「星屑」に登場した人物像と一致させ、納得した。
アレクシスは、マシューがリゼットを案ずる思いが、少し気になった。
「星の嵐」がグレーンフィーン領を襲った時、彼はリゼットが帰省中であることを知っていた。
何故彼が、「妹の友人の帰省スケジュール」まで知っていたのか、よく考えてみれば不思議だった。そんなことまで、兄妹で共有するものだろうか?
だが、他人の家の兄妹の仲のよさなど、所詮、兄弟のいないアレクシスには分からないことだと、疑うのをやめた。
アレクシスは、マシューからの純粋な敬意を感じているし、奔放なジェニファーより、共通の趣味を持つローズマリーの方が、リゼットの友人としては相応しく、二人の兄妹は信頼出来ると思っている。
その秘書官マシューからは、
〈マグノリア様が午前中から神殿にお越しになり、今は『星の塔』でお待ちです〉
と言われ、アレクシスは、〈それは予定通り午後から〉と伝えた。
マシューとの思念通話を切ると、アレクシスは目線を現実に戻して、眉根を寄せた。
──何故もっと早くリゼットに会いに行かなかったのだろう……。
アレクシスはリゼットの困窮ぶりを知らなかったことを後悔していた。
昨日は、プロポーズの返事をすることなく、泣きじゃくる彼女をどうにか落ち着かせて、家に連れ帰った。
来週には護衛と家政婦を連れてくるから、またデートしようと強引に約束を取り付けて、日が暮れる前には別れた。
アレクシスが、リゼットの困窮ぶりに驚いたように、リゼットはアレクシスが王族だと意識し始め、戸惑っているのかもしれない。
とりあえず今は、彼女の王都での生活環境を整えてやる方が先だった。
***
マグノリアは、先週末の夜会を欠席した。
用事があると言われて、アレクシスに夜会のパートナーになるのを断られたからだった。
……今のマグノリアには、アレクシスのいない夜会に出ても、意味を感じなかった。
そんな訳で、昨晩ぐっすり眠ったマグノリアは、珍しく朝早く目が覚め、ティタレーン神殿の「星の塔」に行く前に、アレクシスの執務室を電撃訪問することを思い付いた。
アレクシスが普段、どんな仕事をしているか興味があるし、ついでに昼食を一緒にしようと、誘うつもりだった。
ティタレーン神殿の聖務棟五階にある、アレクシスの執務室を訪ねると、今はアレクシスの秘書官となったマシューがいて、聖王摂政殿下の不在を告げた。
「中で待たせてもらうわ」と勝手に押し入ったマグノリアは、部屋の奥に設置されている、アレクシスが普段執務する机の椅子に腰かけてみた。
──普段アレクシス様が、座っていらっしゃる椅子……。
マグノリアは嬉しくなり、「ふふっ」と笑って、その机に抱きつくように伏せてみた。
ふと、執務机のデスクトレーの横にある、白みがかった半透明の石が、彼女の目に留まった。
石は台に差し込まれた状態で自立しており、一部が小さく赤く光っている。
「何これ?」
〈マグノリア様、アレクシス様の物を勝手に触られては……〉
内気なマシューが、おろおろと注意するのにも関わらず、マグノリアはその石を台から抜いて、手に取った。
同時に赤い光は消え、画面全体が光った。
「まるで『神の石』みたいね!」
「マグノリア様! いけません!」
マシューは、苦手な声に出して注意したが遅かった。
マグノリアが触れたその「神の石」は、茶色い犬を抱いた少女の画像を写していた。
──これは誰?──
マグノリアがじっと見ていると、また画面から光が消え、画像が見えなくなった。
そして、どういじっても、再び光ることはなかった。
〈アレクシス様に言い付けますよ!〉
マシューにしては、きつい口調でマグノリアに迫ってきた。
「わ、わかったわ! もう出ていくから、ここに来たことはアレクシス様には言わないで? ね、お願い!」
マグノリアはマシューに首をかしげて、可愛らしくおねだりをしながら、小さな「神の石」を元あった台に差し込んだ。
石の一部が、再び小さく赤く光った。
マグノリアは、先に「星の塔」で待ってるから、アレクシスが帰って来たら伝えてほしいと、マシューに頼んで出ていった。
──あの娘は誰? ひょっとしてあれが元婚約者?──
マグノリアは、お供についていた侍女たちに「アレクシス様の元婚約者ってどんな方?」と尋ねた。
侍女たちは、セイレーン・アレクシスの元婚約者の名前だけは即答したが、それ以上のことは承知していなかった。
マグノリアは、「アレクシス様の元婚約者」について、もう少し調べておくように侍女たちに命じた。
***
アレクシスは、午後からの「星の塔」でのマグノリアの授業を、早々に切り上げた。
……今日の彼女は心ここにあらず、何か物問いたげで、いつも以上に集中力がなかった。
執務室に戻ると、マシューからトビーの学費が判明したと報告があり、その小切手を振り出し、彼の寄宿学校へ送らせた。
二週間後には、長らく中断していた王室行事「降臨祭」を執り行うため、アレクシスは先週から神々の遺物の整備で、多忙を極めていた。
だが、グレーンフィーン伯爵家の財政状況と、「星の嵐」の補償の進捗状況を確認すべく、王城へ出かけることにした。
それは「国王」の仕事の範疇であるから、聖王の摂政であるアレクシスの所轄外で、神殿にいても情報が入ってこないからだ。
数名の護衛を連れて、エリサで王城へ出向くと、国王オリヴァールは今日も不在と告げられた。
なのでアレクシスは、特に惑うこともなく、国王摂政のクローディスの執務室に向かった。
そこでは、王国宰相ヨハン・レーン・シャルーゼンほか、数名の役人が、山積みとなった書類に埋もれるクローディスに決裁を求めていた。
クローディスは、アレクシスに気付くと情けない声を上げた。
「ああっ、アレクシス! ちょうど良かった! 今、君に助けてもらいたくて、呼びに行かせようとしてたところだったんだ! ここへ座って手伝ってくれないか。父上が回復されたら決裁を仰ごうと思って、保留にしていた政務を、これ以上溜めておけなくなってきて、困っているんだ……」
アレクシスは眉を顰めた。
全ての予算執行の最終手続きがここで止まっているなら、当然、グレーンフィーン領への補償など、出来ているはずがなかった。
ため息をついたアレクシスは、勧められた椅子に座ると、
「……見せてください」
と言って、アレクシスは拡張脳機能を使い、画像処理をかけて、全ての書類に目を通していった。
アレクシスは、国王摂政のクローディスに国王代理としてサインさせるだけのもの、議会に審議をかけるものなど書類を次々と分類していった。
役人が作成した資料においても、問題点を次々と指摘して差し戻し、役人は慌ててアレクシスの指摘事項を書き留めていった。
決裁に迷うものは、過去の事例など、こっそり机の下で「神の指先」を動かして、「神の石」から情報を収集し、その判断基準とともにクローディスや宰相に説明した。
それでも彼らの理解が追い付かず、判断がつきにくい事柄の場合は、アレクシスが端的に自分の意見を添えてやると、二人は了解し、素直にアレクシスの判断に従った。
こうしてクローディスの執務室の書類は、だいぶ処理され、片付いていったが、まだグレーンフィーン領の補償に関する書類は埋もれたままらしく、ひょっとしたらその草案すら、役人から上がってきていないのかもしれなかった。
どうなっているのか調べるよう指示はしたが、役人に任せておける状況ではないことは、彼らの返事の仕方で分かった。
そもそもエアデーン王国は、国王が「星の支配者:ハイラーレーン」であることを前提とした行政体制となっていた。
「星の制御者:セイレーン」であるオリヴァールなら、それでもなんとかなっていたのであろうが、際立った特徴のない、一般貴族程度の「星の祝福者:レーン」であるクローディスには、処理しきれない状況になるのは、ある意味仕方のないことではあった。
クローディスが自分の能力の限界を自覚し、認めているのはいいが、足りない部分を努力で補おうとする姿勢は、残念ながらあまりなかった。
子煩悩で家族思いの父親であるクローディスには、残業するという発想は、少なくともなかった。
彼は夜会のない夜の時間は、家族と共に過ごすという生活スタイルを変える気はなく、本日の政務も、夕方六時を以て終了となった。
今日の数時間でアレクシスの優秀さを知った面々は、また明日以降も政務を手伝って欲しいと、アレクシスに懇願した。
アレクシスも、少なくともグレーンフィーン領の補償政策が実行されるまでは、忙しい聖務の合間を縫いながらでも、手伝うことを了承した。
……タルール時代から今日まで、アレクシスを大きく動かすものは、リゼットが絡んだことであった。




