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西行は目を閉じて数珠を持った手を合わせた。
堀河はそんな西行の顔を見ていたが、ふと以前聞いた噂を思い出して尋ねた。
「そなた、讃岐でお隠れになった崇徳院の陵にも詣でたそうじゃの」
西行は目を開くと頷いた。
「はい。もう四年ほど前でしょうか。私は出家する前から、崇徳院には随分と近しくしていただいておりました。さすがに品格のある良い歌をお詠みになる方でしたな。院と夜を徹して歌道を語り合ったことなどを、今でもよく思い出します。あの保元の乱の折りも、何とかお力になれぬものかと、崇徳院が逃げ込まれた仁和寺へ馳せ参じたものの、結局は大したお助けもできなくて。それがずっと心残りで、崇徳院が讃岐へ去られた後も、伝手を頼って文など差し上げていたのです。いつか讃岐の配所をお訪ねしようと思っていたのですが、そうできぬ前にお隠れになられるとは」
西行は無念げに俯いた。
堀河は荒れ果てた寂しい配所で、遥か京の方角を見上げる崇徳院の姿を思い浮かべる。
「讃岐はどんな所であった?」
「崇徳院がおられた配所は、今は跡形もなくなっておりました。白峰というところにある御墓は、治天の君であられたお方の陵としてはあまりにも粗末なもので。私は少しでも院の御霊をお慰めできればと、長い間経を読んで参りました」
「男は良いな。どこにでも自由に旅ができる。そなたは讃岐ばかりか、陸奥にまで足を伸ばしたことがあるそうではないか。わたくしなど、待賢門院様のお供をして行った熊野が関の山。わたくしもできることなら、讃岐まで行って崇徳院の御霊をお慰めしたいものじゃ。あのような悲惨な御最期を遂げられるとは。母君思いの、優しくて美しいお方であったに」
崇徳院は、讃岐に配流されてから八年後の長寛二年に、讃岐の配所で亡くなった。
その死に様は、あの母君譲りの美貌と優れた歌の才には相応しからぬ、恐ろしくもあさましいものであった。
崇徳院は京への帰還を許されず、それならせめて後世の菩提を祈ろうと、三年もかけて自らの血で大乗経を書写したという。
だが、その経を都の然るべき寺で供養するよう願ったところ、そんな切なる小さな要望ですら無情に拒否された。
院はあまりの仕打ちに憤激し、生きながら天狗の姿になると、自分の舌先を噛み切って、その大乗経に国家滅亡の誓いを血書したと伝えられている。




