プロローグ
気付けば、草原に俺は立っていた。俺の視界には大きな青空と、原っぱのみしか見えない。
「今日まで良くもったと言える。」
知り合いでもない子供が俺の目の前に立っていた。男か女か分からない服装に、全てを悟ったような、その体と顔が明らかに不釣合いな不思議な子供。
「お前、誰だ?」
「もう無視できないほどの『ひび』が入ってしまっている。」
子供は俺を無視して話を続ける。
「お前に生贄といえるこんな役を押し付けてすまない。」
「なんの話をしている?」
「だが、お前しかこの事態を救えるものがいない。」
子供は意味深に頷き、悲しそうな目をした。
「頼んだぞ―――勇者の末裔。」
その言葉を最後に、そいつが原っぱから消えた。
※
目を開けると、自分の部屋が暗くなっていた。窓から外を見ると、太陽は既にオレンジ色となっていた。方角的に夕暮れだった。決して早朝ではない。頭をかき、何も考えず、ただボーっとする。少しすると、控えめにドアを二回ノックする音が聞こえた。
「どーぞ」
少し不機嫌気味に言ってみる。
「失礼します。」
ドアを開け、小柄な少女が頭を下げた。家の使用人だ。
「失礼だから、くるな。」
嫌味をいっても何も反応しない。彼女は同い年、幼馴染、俺専属の使用人。と、俺を助けてくれる条件は全てそろっている立場にいる人なのに何もしない。何も言わない。何も反応しない。仮面のような顔をいつもしている。
「旦那様がお呼びです。」
その一言だけをいい、ドアを閉める。いつから彼女は仕事だけでしか俺と接しなくなったのか。俺はもう、彼女の笑顔を覚えていない。
まあ、それも仕方ないのかもしれない。いつも星が見え始めてから起床し、朝日が顔をだしてから床に就く。毎晩この世のクズといわれたゴミどもと法令に背く。いわば、俺もゴミだ。
わざとゆっくりと準備し、親父がいる執務室に向かう。といっても、執務室は俺の部屋の隣にある。ノックもせず、部屋のドアを開ける。
「なんだ、クソ親父。」
開けると、眉毛のみをピクリと器用に動かす。
「黙れ、タワケ。」
こんなやり取りにも馴れたものだ。俺は黙って、親父の目の前にたつ。
「貴様、私が今年で何歳か覚えて居るか?」
「・・・五十。」
このスファレス王国では、五十歳で還暦を迎える。
「そうだ。私も今年で五十だ。」
目の前に居る彼も例外ではない。この国の最南にあたる小さな領地、フィス領。その領主であるゼス=フィスは、魔人降下危機の英雄の一人。
「この国の制度では、社会的地位はその者子孫へ世襲しなければならない。つまり、今年のうちに領主をお前へと譲らなければならない。」
俺は愉快だった。これで親父が築き上げてきた『全てのモノ』が壊せる日がくる。
「だが、このままではこの領土に住むものが居なくなってしまう。」
いくらでもほざけ。俺は、親父を壊すために今までを生きてきた。
「だから、お前をこの領土から放りだそうと思う。」
「・・・・・・・は?」
「そのために法律を創ったんだ。感謝しろよ、キルハ。」
親父は机に一冊の本のような書類を置いた。
「国一のタワケと呼ばれたお前のことだ。ここ数年で領民に散々問題行動したんだろ?臣下のものも誰も反対しなかったし、むしろ喜んでいたな。」
「な・・・なんだと!そんなこと言ったって、フィスには俺しか後継者はいないだろ!領主はどうするんだ!?」
俺の狼狽ぶりをみて親父は見下したような笑みを見せる。
「五十とはいえ私はまだまだ現役だ。剣も振れる。しかし残念なことに、お前の言う通り憲法的には貴族の地位はその血族しか継承できないと書いてある。」
その通りだ。重罪さえ犯さなければ、そのものの継承権は失わない。
「まあ、それは王に駄目だ、とはっきりいわれてしまったからな。」
王とタメ張れる親父って何者だ?
「そこで、だ。今までの行いを考え重勲章を貰える功績を挙げるまで領主になれない、という法律を作った。」
「まて、なんで領主になれない=領地を出ることにつながる?」
親父は余裕の笑みを崩さない。それに俺は危機感に近い焦りが出てき始めていた。
「還暦を迎える私は、息子にこの仕事を継承しなくてはならない。しかし、息子はその権利を満たしていない。なら、権利を満たさなくてはならないよなあ?だが、『私の領地』でそんな問題ある民が入れるわけないよなあ?流石に知らないわけではあるまい。私の政策の結果を。」
親父は、この『最果ての地』と呼ばれたフィス領を何もないところから開発した。それだけでもすごいが領地の治安に大きく力をいれていた。領地の予算の半分を使うという暴挙とも言える政策を。そのお陰で、私兵は一人で国の一部隊を潰し、一部隊いれば竜を倒す。『最果ての地』が最も安全な土地になった。私兵だけではなく傭兵ギルドの斡旋も行い、最も犯罪が起こし難い領地となった。
安全になった瞬間、避暑地として貴族が別荘を構え、それに伴い急激に商人が入り始めた。暴挙が善政にかわった瞬間だった。
「だが、俺がこの土地を出て行く理由にはできない。」
そこまでいって、俺ははっとした。
「領民には、その『応援する』義務があるのだよ。なにせ、次期領主様が重勲章という名誉なことをしようとしているんだ。それに、私も今年で引退というのに、急がないとなあ。だから、領民は応援する義務がある。店になんか入れる暇もないし、なあ。」
俺の負けのようだった。結局、親父の顔を崩すことはできなかった。
「明日一日くれてやる。そのうちに領地を出て行け。それとフィスを名乗るのを禁ずる。これはシキタリなのだからな。」
そういって親父は俺の幼馴染を呼んだ。
「はい。」
「サラ、明日までにこのバカの旅仕度をしてくれ。」
「わかりました。」
少し頭を下げてサラが無表情で出て行く。
「ふう、まだわからないことは?」
「いや、ない。」
俺が全てを理解したと解ったのか、親の顔に戻す。
「まあ、解っていると思うが、お前の更生だ。懇意にしている領主仲間にはお前のことは伝えてあるから、歓迎してくれることだろう。」
「・・・。」
そういうこと本人の眼の前でいうな。
「それと、サラを連れて行ってもいい。彼女はお前専属の従者だからな。」
そういうと、悪戯をしそうな子供の顔を見せた。思わず殴りたくなった。
「っち、そんな事する訳ねえだろ。」
「そういうと思ったぞ。」
俺は次の日の朝、親父に叩き起こされ領地の境に放りだされた。もちろん、サラは着いてこないし、朝起こしにもこなかった。
※
「我が息子ながら愚行だな。本当にこの領地を壊したいなら、領主をついでからでいい。なら、何のためにあんな問題行動を起こしていたのか。」
国一のタワケが起こした苦情の書類がなくなった執務室。装飾も殆どなくシックな雰囲気をゼスは気に入って
いた。それは、ゼスの執事であるトウゴも同じだった。最低限の、主人と似た貴族とは思えないその雰囲気が好きのようだ。
「夜に街に繰り出さないといけない理由か。」
今までの書類を見つつ、やっと最近なれた高級感あふれる椅子に頭を預ける。
「キルハ様なりに考えた結果なのでしょ。」
「ふん、いっちょまえに自己主張するなら、もっと誠実すればよかったのだ。そうすれば、こんなことしなくて済んだ。」
「心配なのですか?」
ゼスはそう聞くと、彼に似合わない大きな声で笑った。
「今までの苦情を聞いてきたお前ならわかるだろう?あいつならそこら辺にはびこるチンピラや盗賊なら負けんだろう。夜街に繰り出しては、一人で叩いていたのだからな。」
「そこまで解っているならば、その拍子に領民の家をめちゃくちゃにするのをやめろ、と注意すれば良かったのでは?」
ゼスはふう、とため息をついた。今日、彼がため息をついた数はとても数えられない。
「ワザとやっているのだ。最初は、偶然だったがな。どうも回数を重ねるごとにひどさが増している。」
「しかし、その分難易度も敵の人数も上げているようではないですか。この前も我がフィス領で横行していた連続強姦事件を解決しているようですし。」
「その事件の後に助けた少女に破廉恥な行為に及んだのなら大して変わらんだろう。」
「その少女を犯したわけではないのでしょう?」
ふう、と彼のため息が増えた。
「スカートめくりなど貴族がしていいわけないだろう。」
その理由は二人には解っていた。無論、その少女は本当に純潔を汚されるような恐怖を感じた、と父親とともに訴えてきたのだから許されることではない。
「キルハ様は照れ屋なのですよ。こうなる事も解っていてこのような事をしているのでしょう。父親である貴方なら何か対策をうってくるはずだ、と。」
「まあ、な。それが無意識的に考えていたとしても、息子が鳴らしているサイレンに気づけないようでは親失格だ。」
ゼスは年相応な、疲れた中年の顔をしていた。何時もの領主の顔とはとてもかけ離れていた。
「それに、領主になるにしろならないにしろ、どちらにしても旅しておくことはあやつの人生に大きなプラスとなる経験だ。したいと言っているなら、別に許可したさ。」
「だから、あんなことをしたんではないですか。ただの旅では、旅行しているのと大して変わらないのでしょう。」
「フィスの名、か。随分大層なものとなってしまった。」
眼をつぶり思考につかる。
「どんなに偽名を使おうが、フィスの後継者となればたくさんの領主から間者が送られ、監視もつく。しかし、もしその有名な血の息子がとんでもないドラ息子で、継承権がなくなりそうな喧嘩屋だったらどうだろうか。
実際は、我がフィスが誇る領兵さえ見付けられない裏ではびこる犯罪者を潰していようが、国全体にしてみれば些細な問題にしか考えない。
実際は、曲がろうにも曲がれない性格だろうが、貴族にしてみれば些細な問題にしか考えない。」
「だから、重勲章ですか。」
「そうだ。あいつが知るべきことはそのやり方を正す事だ。あんな影ながらなんぞバカげた事をしているから、悲観的になるのだ。やるな堂々と。小さい時に教えてはず、だったんだがな。」
そういってその土地の領主は、執務室から見える窓を見た。見送った息子の後ろ姿を思い出しながら。