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澤の蛍  作者: せりもも
12/32

虫愛ずる姫 ― その1




 蛍邸に仕えて、沙醐がまっさきにしたことは、カワ姫に謝ることだった。

 なんといっても、大事な虫たちを逃がしてしまったのだから。


「もう、よい」


カワ姫は、扇を顔の前で打ち振りながら、けしけしと笑った。


「確かに、皆の言うことには、正しい面もあるな。幼虫が、ちょっと、増えすぎた。それに、長くは生きられないものだもの、おとなになった虫は、外の世界へ出してやらなければかわいそうじゃ」

「しかし、お部屋を滅茶苦茶にしてしまって」

「それは気にせんでいい」


カワ姫は、大鷹に頷いた。


「それより、見よ」


別の扇の先を、沙醐の前に突き出す。

 何やら大切そうなので、沙醐は身を乗り出して覗き込んだ。


「前みたいな目に遭いたくなければ、触れない方が良いと思うぞ」

カワ姫が、何心なさそうに、つぶやいた。


 差し出された繭型のそれには、そよそよと白い毛がそよいでいる。今しも、その一部が裂けて、中から畳まれた羽のようなものが出ようとしている。

 悲鳴をあげそうになった。

 なんと、扇の先には、孵りかけた繭が取り付いていて、中から、今にも、羽の生えた虫が出てこようとしていたのだ。


「ひ、姫さま、こ、これは」

「茶毒蛾じゃな」

「ガ、で、ございますか」


せめて蝶であって欲しかった。


「人の肌をかぶれさせる。これは、沙醐の方が詳しいな。沙醐は幼虫にやられたが、繭であっても、成虫になっても、一生を通じて、アンタッチャブルな虫じゃな。しかし、なんともかわいらしい」


 かわいらしいとは、実際に、毛虫の被害に遭った身としては、認めかねる言い草ではないか。

 なんでそのようなものを、室内で飼っているのか。

細かい毛が飛んできたら、どうするつもりか。

 思いつく限りをまくしたてようと思ったその時、姫が、唇に指を当てた。


「しっ」


 繭から出た、湿ったように皺くちゃに丸まっていた羽が、ふるふると震えた。

 新しい体に慣れぬせいか、虫は、時折羽を動かす。正常に動くか、試しているようにも見えた。

 透明に近い白の体に、少しずつ、色味が表れてくる。

 思わず見惚れてしまうような、神秘があった。

 とうとう、畳まれていた羽が、大きく広げられた。何か、大仕事を見届けたような気がして、沙醐と姫は、顔を見合わせた。

 気がつくと、姫と沙醐は、随分長い間、顔を寄せ合って、一つの扇の上を眺めていた。


「こ、これは、失礼をば致しました」


あまりに、顔が接近しているのに気づいて、沙醐は飛びのいた。

 相手は、貴族の女性である。同じ(にょ)(しょう)であっても、こんなにも顔を近づけるのは、無礼と思われた。


「どうじゃ、かわいいじゃろう」

姫は、上機嫌で、沙醐を見た。


 ああ、この方は、なんて優しい目をしていらっしゃる。

ふさふさした、およそ考えられない眉の下の、黒目がちのぎょろりとした目は、情味を湛え、ほんわりした優しい光を宿していた。


「ええ、かわいらしく、ございます」

沙醐は言った。


 「人は、どうして、蝶はかわいがるのに、蛾はいやがるのかの。蚕などは、幼虫のうちは、桑の葉を食べさせるなどして、一生懸命世話をして、成虫になると、のけものにしてしまう」

「繭を煮て、絹糸を取るのでしたね」


いつぞや、父から聞いたことがある。


「そうじゃ、そなた、よく、知っておるな。煮殺してしまうのじゃ。そうして得た絹で、女は、身を飾り、親から授かった眉を抜いて、化粧をする」


沙醐は絶句した。美しい衣の大元が、蚕の大量殺戮とは、今まで、考えたことがなかった。


「人が、身をつくろおうとするのは、不自然じゃと、妾は考えておる」


 カワ姫が、ぽつりと付け加えた。

 沙醐は、改めて、カワ姫の顔を見た。なんだか、姫の言うことが、道理に叶っているように思われたのである。


 「しかし、周囲の評判というものもございましょう」

「人の噂が、ナンボのもんじゃ」


吐き捨てるように、姫が言い放った。


「妾は妾じゃ。それだけで、充分」


姫は、ぎろりと沙醐を見回した。


「どうじゃ、そなたも、化粧をやめてみては」

「いや、それは……」


 決して濃くはないが、沙醐は百合根に倣って、薄くおしろいを施し、眉毛も抜いている。唇にはほんのりと紅を差し、髪をきちんと梳いている。

 沙醐は、自分のことを、決して、美しい女だとは思っていない。むしろ、個性の強すぎる、あまり美しくない女だと認識している。

 その分、傍から見て、せめて見苦しくないようにと、心がけているのだ。


「よく、化粧をせぬと、女を捨てたも同然とか言う輩がおるが、感心せぬな。真の女らしさとは、内側から輝く性質のことだと思うておる。飾り立てても、夜には剥げるわ。ま、妾は、女らしくなくても、ちっとも困りはせぬが」


それは、困らないだろう。


「そなたも、身を飾らぬ方が、そなたらしくて、よいぞよ」

「私は、あまり、私のことが好きではございません」


カワ姫は、不思議そうな顔をした。


 「虫は、な。人の内臓に巣くって、人を操ることができるのじゃ。化粧などより、ずっと深い……」


カワ姫が続きを言いかけた時、


 「姫、姫!」


几帳(きちょう)の向こうで呼ぶ声がした。


「なんじゃ」


姫は立ち上がって、(きざはし)のてっぺんの、(ひさし)の間まで出て行った。


 「あ、こら!」

階段の一番下の段の所に、薄汚れた子どもたちの一群を見て、沙醐は叫んだ。

「ダメじゃないの、こんな所まで入り込んだら」


 子どもたちは、揃って不満そうな顔をした。

 この子たちは、近在の子どもらだが、いくら言っても、貴族の姫らの居所であるこの寝殿に、平気で出入りする。

 カワ姫が、虫取りをさせるからだ。


 「いいんじゃ、いいんじゃ。で、メメ、今日の収穫は?」

 カワ姫は、リーダー格の少年に尋ねた。


 メメという名は、ミミズから来ている。ミミズ、メメズ、メメ、という風に進化したらしい。カワ姫がつけたあだ名である。メメだけではなく、ここにいる少年たち全てが、虫にちなんだあだ名を持っていた。

 カワ姫は、階を、どすどす降りて行った。


「はよ見せてたも」

「これ」


差し出された扇の上に、メメが、籠の中身を空ける。


 「げっ」


沙醐は引いた。今度は、青虫である。ただし、大人の親指二本分ほどの太さがある。


 「ふうむ、大きいことは大きいがのう。普通の青虫ではないか」


あろうことか、人差し指の爪の先で、青虫をちょんちょんと突付きながら、カワ姫が断じた。


 「ちぇ、だから姫さまは、ダメなんだ。ひっくり返してごらんよ」


イナゴマロと名付けられた比較的年嵩の少年が口を尖らす。


「こら! 姫に向かって何ですか、その物言いは!」


 沙醐は気色ばんだが、カワ姫は、頓着しない。懐から、箸を取り出し、青虫をつまんで、ひょい、とひっくり返した。


「素手で摑んだら、虫が弱るからの」


言い訳のように、つぶやく。


 「腹のところ。足があるとして、その付け根辺りを、見てご覧よ」


子どもらを代表して、メメが言った。

 青虫に足はない。無いものの辺りを見よとは、変な指示である。

 しかし、子どもらと姫との間には相通ずるものがあるらしく、いささか近眼気味の姫は、巨大青虫の上に、覆いかぶさるように顔を近づけた。


 「姫さま、カブレる……」


いくら、なりを構わないと言ったって、妙齢の姫君である。顔がかぶれたら、目も当てられないではないか。

 沙醐は気が気ではない。


「大丈夫だよ、この虫は」


メメが、訳知り顔で言った。この少年は、沙醐が茶毒蛾でかぶれたことを知っている。沙醐は、メメを睨みつけた。


 「おお!」


カワ姫が、奇声を張り上げた。


「銀じゃ。銀色に輝いておる!」

「え?」


姫があまりに夢中になるので、思わず、沙醐も覗き込んだ。


「ほれ、ここじゃ、ここを見よ。一列に、ほら」

「あ、ほんとだ!」


青虫の、横腹辺り、確かに、ムカデごときでは足が生えていそうな所に、点々と、銀色の点が規則正しく飛んでいる。黄緑の腹に、いやにメタリックな色合いの点である。


「なんだか、天然の色ではございませぬようですね」

思わず、沙醐は感想を述べた。


「そち、良いことを言う」

虫の腹から目を離さず、カワ姫が言った。

「なんじゃ、この点々は。まるで自然界のものではないような……」

後は口の中で何やらつぶやいている。


 「ほら、凄いだろ!」

得意げにメメが割り込んだ。


「おらが見つけたんだ!」

「最初はおらだ!」

「山椒の葉の裏にいるって、おらが言った!」

子どもらが口々にどよめく。


「うるさい!」

メメが一括した。


 「ふうむ」

カワ姫がうなる。

「凄いぞ。収穫じゃ!」

「で、……」

子ども達全員に、期待の色が走った。


「うむ」

姫は頷くと、奥に消え、すぐに小さな包みを持って現れた。

「これでよかったのかな? 白檀じゃ」

無造作に、メメに与えようとする。


「姫さま、そのように高価なものを……」

思わず口を挟んだ沙醐を、カワ姫は制した。

「いいんじゃ、いいんじゃ。メメ、よくやった」

「うん!」

メメは素早く包みを、薄汚れた着物の懐に押し込んだ。


 子どもらは、騒がなかった。

分配については後で、ということで話がついていると思われる。

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