↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
骨  作者: 篠田ひさし


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/6

六、

 気を失った咲子を背負った祐介がやっと咲子の家にたどり着いた時には腕時計の針は深夜三時を回っていた。インターホンの音に気付き、目をこすりながら出てきた母親は、祐介に背負われる咲子を見て一気に顔面蒼白になっていた。深夜の出来事で、咲子が家を抜け出したことにすら気づいていなかったらしい。咲子は神社で寝ていた、という事にしておいた。咲子の行動の不信感が少しでも和らげばと思い、顕一と喧嘩でもしたのだろう、とも言っておいた。迷惑をかけた、と一向に目を覚まさない娘を見ながら博美は何度も何度も頭を下げた。結局祐介が咲子を部屋まで背負いベッドに寝かせたが、それでも最後まで咲子は心地よさそうに寝息を立てながら決して目を覚まさなかった。

咲子を家に送り返したその足で、祐介は再び石上神社を訪れていた。神社の中腹まで上り、向かいの山からまだ陽が昇らないのを確認してから、咲子の家の庭からこっそり拝借したスコップを懐から取り出した。

ここに、滝子が眠っている。

ざっざっというスコップの音が辺りに響く。周りには民家もなく、人の気配一つ感じない。昼間からそうなのだ、早朝なら尚更である。しかし周りに人が居ようと居まいと、祐介には関係なかった。一心不乱に、ただ目の前の土を退けた。

ここに、滝子が眠っている。

 滝子を、出さなければならない。

 かつん、という土では無い音がして、祐介は手を止めた。感触に違和感がある。祐介はスコップを置いた。指で、それをなぞってみる。まだ陽が出ていないため、それを目視することはできない。しかし、きっとこれは、骨だ。

 祐介は爪を立てて土を掘り進めた。細かい石が指に食い込み、砂が滲みる。どうやら指の至る所を切ってしまったようだ。だが、そんなことに気を留める暇は無かった。祐介は指の感触だけを頼りに、それを掘り出した。

 頭蓋骨であった。

 不意に、背後から声がした。

「どうしてわかったんですか」

 振り向くと、其処には顕一が経っていた。痛々しく眉を歪め、瞳は憐れむように祐介を捉えていた。

「どうしてわかったんです、先生」

 祐介はそっと自分が掘った穴の中に目を落とした。

「滝子が、教えてくれたんだよ」

 顕一は表情を硬くしたまま、祐介から目をそらさない。祐介は再び顕一の方を見た。

「教えてくれないか、顕一君。あの日、五年前のあの日、此処で、何があったんだい」

 冷たい風が二人の間を通り過ぎ、顕一の前髪が揺れた。顕一は少し間を置いて、口を開いた。

「五年前のあの日、よく覚えています。僕は、いつものように庭の掃除をしていました。中学には行っていましたが、学校が休みの日は、家を手伝うって決めていたんです。その日もいつものように箒で境内を履いていました。その時、ものすごい音がしたんです。自転車か何かが勢いよく転んだりしたのかと思いました。以前、こんな処まで自転車で上がってきた小学生が居て、転んでけがをしたときもそんな音だったので。音は石段の方からしました。それで急いでそちらに走ったんです。そしたら其処に、そう丁度石段の一番上に、女の子が居ました。そして此処に、その女の子と同じ顔をした女の子が、血を流して仰向けに倒れていたんです」

 顕一は石段の上から自らと祐介が居る中腹までを目でなぞった。

「恐ろしい光景でした。僕は急いで此処で倒れている女の子の方に向かいました。すでに息はしていなくて、脈もなかった。救急車を呼ぼうかと思いましたが、目も見ひらいていて力なく、死んでいることは明らかでした。瞬時に僕は、石段の上に立っているあの子が、やったんだ、殺したんだ、と思いました。僕と同じ中学の女の子でした。彼女はただ惚けたように真直ぐ向こう側を見ていて、今にも死んだ女の子と同じように飛び降りて死んでしまうんじゃないかと、僕は怖くなりました。僕は自分の着物を死体に被せ、上の女の子の方に急いで行って、それからその子を石段から離れた御神木の下に連れて行きました。途端に彼女は目を閉じて、眠ってしまったのです。綺麗な寝顔でした。僕は生まれて初めて、恋に落ちた。この子を守らなければいけない。そのとき、そう確信したんです。僕は急いで此処に戻ってきました。それで、急いで穴を掘って、着物ごと死体を、埋めたんです」

 顕一の言葉が切れるごとに、辺りの静けさが重く二人に圧し掛かった。しかし、それは顕一の五年間胸に秘めてきた決意に比べると、薄い紙のようだ。顕一はいつの間にか握っていた拳を震わせていた。

「僕は、そして咲子も、犯罪を犯しました。この罪は永遠に消えない。地獄の業火に焼かれても、決して拭えない、重い罪です。でも、僕は絶対に自首しません。この真実も、もう二度と、一生口にしないでしょう。わかってください先生。僕が居なくなったら、誰が咲子を守るんでしょう。妹殺しを犯した咲子を、誰がその真実の姿まで知って、見て、愛してやれるんでしょう」

 二十歳の揺れる拳は、明け方の冷たい風に打たれ、更に震えた。

「これが、最善なんです」




 朝日に照らしだされる前に、顕一は去っていた。祐介はなんの答えも見いだせぬまま、ただ滝子の頭蓋骨を見つめていた。滝子は何も言わない。孤独な祐介を励ましたかの美少女は、最早ただの骨であった。

 五年間の春夏秋冬をたった一人で過ごし、冬は雪に埋もれ、夏は陽が落ちるまで照らされ、たった一人で、滝子は此処に埋まっていたのだ。

 あの時、滝子の手紙に返信をしていたら、何か変わっただろうか。滝子をもっと早く見つけ出すことが出来ただろうか。滝子は死なずに済んだだろうか。滝子は、幸せになれただろうか。

「一人で、辛かっただろう?」

 祐介の頬を涙が零れ落ちた。

 辛かっただろう。寒かっただろう。暑かっただろう。苦しかっただろう。それらを何一つ、誰にも伝えることが出来なかったのだ。助けてすら言えないまま、滝子は骨になったのだ。

 祐介は滝子を胸に抱いた。暫くの間、祐介の静かな嗚咽だけが誰も居ない山奥に響いていた。



*



 放課後を告げるチャイムが鳴り響く。すでにホームルームが終わった教室は騒がしく、お互いの夏の予定の話題などで生徒たちは盛り上がっていた。

明日から夏休みが始まる。

「先生」

図書館の窓から外を見下ろす祐介に野田咲子が呼びかけた。祐介はゆっくりと振り返る。

「あら、今日は一回で気付いてくれた」

 咲子とはあれ以来、暫く面と向かって話をするのを避けてきた。滝子の事は、まだ咲子には言っていない。いや、此れから永久に、彼女に妹の死を告げることは無いだろう。

滝子について咲子に何かを言われるのではないかという危惧よりも、祐介は咲子の中にうっすらとある滝子の影に脅えていた。やはり双子である、二人は似ていた。

「すまないね、妹さんの事……」

「いいのよ、先生」

 咲子は即答した。

「もういいの、滝子の事は」

「え?でもあれだけ探して欲しいと」

「ええ、あの時はね。不安だったの、滝子がこの世から消えてしまったんじゃないかって。けれど、今は違うわ」

 咲子は目を輝かせた。

「私、分かるのよ、やっぱり双子だもの、滝子は生きているわ。滝子はこの世界の空気を吸って、光を浴びているの。それが今、凄くわかるの。だから先生、もういいのよ。もうわかったから。先生が一生懸命になってくれたおかげだわ」

 祐介は肩をすくめた。

「先生は何もしてあげられなかったんだ。あの絵の事も、何も……わからなくて」

 祐介は嘘を吐いた。実際はあの絵の少年は、紛れもない祐介自身であったのだ。

「いいのよ、滝子の考えていたこと、少しわかる気がするもの。もしかしたら私の知らない誰かに、恋をしていたのかもしれないわね」

 咲子は目を細めた。

「自分の事は私にも言わないくせに、いつも私の傍にいてくれて、滝子はそういう子だったの」

「………妹さん、元気にしているといいね」

「元気にしてるわ、先生。だから、」

 咲子は言葉を切って祐介の顔を覗き込んだ。

「ありがとう、探してくれて」

 咲子の顔が滝子の残像と重なった。祐介は一瞬言葉を失った。そう、滝子は生きているのだ。咲子の中で、今でも。

「あ、先生、志望校決めたのよ。私、先生と同じ大学を目指すわ」

「そうか、それはよかった。教師になるのかい」

「ええ、先生みたいな」

「光栄だよ。夏が勝負だから、しっかり勉強するんだよ」

「勿論。だって約束でしょ、妹が見つかったら勉強するって。私、約束は守るわ」



 咲子の後姿を見送りながら、祐介は滝子を見つけた日に見た夢を思い出した。祐介は正直、咲子とは面識がなかった。きっとあの夢で咲子が好きだと言ったのは、“先生”つまり祐介では無く、滝子ではないだろうか。咲子は、自分では無く祐介ばかりを見る滝子が憎らしかったのだ。咲子は滝子の事を誰よりも思っていたに違いない。

 自分が滝子に出会わなければ、こうはなっていなかった。悔いても始まらない。滝子は、死んでしまったのだ。

 祐介は足元から黒い巾着袋を取り上げた。一片二十センチメートル程の巾着を開けると、その中には木箱が入っていた。祐介は周りに誰も居ないことを確認すると、静かに木箱の蓋をスライドさせた。露わになった汚れた白は、五年間土の中で眠り続けた哀れな妹滝子の頭蓋骨である。

「滝子、君はもう、一人じゃない」

 滝子をぐっと胸に抱く。無機質な彼女を胸に押し当て、無い筈の温もりを祐介は求めた。



――先生、馬鹿ね。私は最初からひとりじゃないわ。



*



 土臭い風が吹き抜ける。砂埃にむせて、咲子ははっと振り返る。図書館にはもう誰も居ない。でもそれでよかったのだ、そこに先生が居たら、私はまた滝子の残像を先生に押し付けてしまうもの、咲子は思った。祐介は滝子になんとなく似ていた。大人しそうに見えて本当は頭が切れるところ、誰にでも愛想がいい癖にひとりになると寂しそうに笑うところ、お人よしで優しいところ。性別も年齢も、何もかも違うのに、彼のしぐさ一つ一つが、滝子を思い出させた。

 祐介が滝子を見つけてくれるかもしれない。そんな妄想は日に日に膨れ上がった。それが受験のストレスと重複して化学反応を起こし、こんなことになってしまったのである。

 滝子が死んだあの日から、咲子の時間は止まったようなものだった。咲子が滝子の目の前で、自ら命を絶ったあの日、咲子の生命も凍り付いた。

――咲子、私はもうこれ以上、生きられない。このままではあなたを殺してしまうから。

 滝子は突然そう言って、咲子の目の前で宙を舞った。突然の衝撃に耐えきれなかった咲子の脳は、自らの防衛本能により一時的な記憶の錯乱を起して咲子の混乱を防いだ。しかしそれはたった一日で回復した。咲子は一日ですべてを思い出した。

 記憶の切れ間で、滝子は確かに宙を舞っていた。しかし、現実世界では、滝子は行方不明という事であった。

 滝子は死んだのか、それとも生きているのか。

 少しずつ記憶が薄れかけていた。しかし祐介の姿が、咲子に滝子を連想させ、記憶を掘り起こさせた。祐介なら、滝子を見つけ出せるかもしれない。咲子はそんな絵空事を、それでも考えずにいられなかった。

――結局、先生は妹を見つけられなかった。

 滝子が何故、「咲子を殺してしまう」と思ったのか、咲子は今になってやっと少しだけわかるような気がしていた。思春期に、自分と同じ顔の女が、違う表情(かお)をして笑っているのだ。頭のいい滝子の事だ、きっとそういう哲学的なことを考えに考えて、それでああなったのだろう。

 滝子はあの日、死んだ。しかし咲子の中で、自ら命を絶つ前の綺麗な滝子は生きている。死体が見つかっても見つからなくても、それは変わらない。

――だから、もういいの、先生。私の中できっと、滝子は生きているのだから。

 風の色はいつの間にか変わり、緑色の夏化粧を帯びていた。土色のグラウンドにぼやけた黒い影がひとつだけしっかりと伸びていた。



*



 祐介ははっと我に返った。どうやら図書館で居眠りをしていたらしい。いつの間にか太陽は西に傾き、オレンジ色が辺りを覆っていた。

「今日から夏休みか」

 ふっと呟く。長期休暇を前に、五年前の宿題をやっと終えた気分でいた。

 あの時の恋を取り戻したのだ。

 少女の幼い心を取り戻したのだ。



 静かになった図書館で、祐介は滝子の骨壺を胸に抱きしめながら、そっと目を閉じた。




了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。