第2章 異能【3】
庭園へ出ると、いつも通り花壇のあいだに座って花を眺めた。水を撒いたばかりなのか、花や葉にはまだ水の粒が残っている。それが陽の光を受け、キラキラと輝いていた。
様々な色彩を見つめながら、イテルはそばにいるミィに呼び掛けた。
(異能って何?)
『特異体質のようなものだ。遺伝子の違いが生む力だよ』
(なんのために異能を持って生まれるの?)
『人間には、神の思し召しとしか言えないだろうなあ。理由は誰にもわからないのだよ』
国史の歴史書で読んだことがある。まだフラール公国として独立するよりずっと前、コートラス王国に特別な力を持つ者が生まれた。初めは魔法の一種だと思われていたが、その効果が魔法には出し得ないものだったらしい。イテルの「鬼の手」は人の生命力を奪う。魔法にはそのような効果を持つものはない。そういった違いから、魔法とは違う「異能」として確立していったのだ。
『人間の進化に必要な過程だとされているよ』
(でも、僕の右手は人の生命力を奪うんだよ)
『それも、人間の進化に必要なものなのだろう』
(人間は進化したらどうなるの?)
『どうなるだろうなあ。私は猫だからな』
ゆったりとした動作でミィは顔を洗う。他国では、猫が顔を洗うと雨が降る、という逸話があるらしい。だがイテルは、世界中の猫が一匹も顔を洗わないことはないのではないかと思っている。
そのとき、何やら物音が聞こえ、あなたたち、とデラの鋭い声がした。
「ここは神官以外、立ち入り禁止ですよ!」
花壇から立ち上がると、怒った表情のデラと、困ったように笑う三人の騎士の姿があった。最初に口を開くのは、背の高い茶髪の騎士だった。
「申し訳ない。急いでいて、通り抜けさせていただきたかったんです」
その言葉に合わせ、後ろにいる金髪の小柄な騎士と黒髪の騎士が頭を下げる。イテルの護衛として仕えているエイカーとは違う、重厚な鎧を身に着けた騎士たちだった。
「公国の騎士が規約を守らなくてどうするんスか」
エイカーも呆れたように言う。イテルは、神官以外の立ち入りを禁止していても、自分のお付きであるデラとエイカーは特例として許されているのだろう、と考える。本来なら、デラとエイカーも立ち入り禁止のはずなのだ。
騎士たちがもう一度、頭を下げたとき、イテルは何か違和感を覚えた。それは一番、後ろにいる黒髪の騎士だった。
(ミィ、後ろにいる人、体調が悪そう)
『どの者だ?』
(あの人)
イテルは不躾だとわかっていつつ、後ろにいる黒髪の騎士を指差す。その場にいた全員がイテルを見たあと、黒髪の騎士を見遣る。指差された黒髪の騎士は、え、と顔を強張らせた。
「おや、通り抜けが見つかってしまったか」
穏やかな声に振り向くと、レイシーが庭園に出て来るところだった。三人の騎士は安堵したような表情になる。
「ご存知だったのですか?」
デラの声には少しだけ咎める色が浮かんでいる。険しい表情のデラにも怯むことなく、レイシーはのほほんと笑っていた。
「ここは訓練場への近道だからね。私しかいなかったから、見逃していたんだよ」
「だからって……」
デラの言葉は続かなかった。レイシーが目を瞑っているなら、デラに言えることはないのだろう。
「それで、イテルはどうしたんだい?」
レイシーに尋ねられ、イテルは後ろにいる騎士を指差したままだったことに気が付いた。
『フレデリクの体調が悪そうに見えるそうだ』
ミィがそう伝えると、ふむ、とレイシーは黒髪の騎士に言う。
「フレデリク、体調不良を隠しているね」
目を剥く黒髪の騎士――フレデリクに、前にいたふたりの騎士も驚いて振り向いた。
「フレデリク、本当か」
茶髪の騎士が厳しい声で言うので、いやいや、とフレデリクは両手を振る。
「ちょっとです。ちょっとですから」
「体調不良は業務に支障を来す可能性がある。報告を怠ったな」
「いや、本当にちょっとですから」
イテルはなんとなく、悪いことをしてしまったような気がした。報告するほどでもない体調不良をわざわざ指摘してフレデリクが叱られることになってしまった。そんな気がした。
「イテルは癒しの手に付随して、他人の不調を見抜く力が備わっているみたいだね」
優しく言うレイシーに、イテルは手袋に包まれた左手を見た。確かに、他人の不調を見抜けばこの左手で癒してやることができる。ミィの言っていたことに当て嵌めるなら、確かに人間には必要な能力に感じられた。
「せっかくだし紹介しておくよ。彼は小隊長のスタイナー」
レイシーは戦闘にいる茶髪の騎士を手のひらで差した。スタイナーと呼ばれた騎士は胸に手を当て、辞儀をする。
「彼は副隊長のセオ」
続けて金髪の騎士――セオが辞儀をする。まだ十代のように思えるほど若く見えるが、きっとその腕は確かなものなのだろう。
「それと、体調が悪そうなのがフレデリク」
悪戯っぽく言うレイシーに、たはは、フレデリクは困ったように頭をかく。それから、スタイナーとセオに倣って辞儀をした。
「今日は早めに詰め所に帰るといい。それと、イテルの対人耐性を上げるために、これからも通り抜けをすること」
デラが何か言いたげな表情をしていたが、三人の騎士はそれぞれ頷く。イテルは、確かに自分が神官になるのだとしたらいろいろな人に接することが多くなる、と考える。この優しそうな騎士たちは、イテルを異質だと思っていないようだ。レイシーが認めているのだから、心配するようなことはないのだろう。
三人の騎士が去って行くと、さて、とレイシーがイテルを振り向いた。
「マダム・グランドが来た。採寸に行こう」
レイシーはイテルの背中に手を添えて促す。また知らない人と会うのかと思うと、イテルは少しだけ気が重くなった。だが、レイシーがイテルに会わせても問題ないと判断したのだ。イテルはレイシーを信用するしかないのだ。




