侍女ジェシカの葛藤
ここのところお嬢様の様子が変です。
私しか居ない馬車の中でふっと窓の外を眺められた時や、就寝前にお部屋で髪を梳っている時など、本人は気が付いていないでしょう小さな溜息を洩らされて何か遠くを見ていらっしゃいます。
原因には心当たりはあります。
そう、あのガタイの良ろしい金髪の冒険者の戦士です。
あの翌朝、帰還した子爵様は助け出した隊商の女性と合流した二名の男性を連れられて戻られましたが、冒険者の一行は一緒ではありませんでした。
なんでも急ぎの用事があるという事で子爵様がお誘いした晩餐も報酬も固辞し、そのまま旅立たれたという事です。しかも、名乗りもしなかったと。
怪しいです。
通常冒険者は報酬の為に魔物の討伐や薬草の採集、隊商の護衛などのお仕事をしていると聞いています。それが報酬も貰わずに名乗りもしないなど、きっと後ろ暗いことがあるに違いありません。
しかも騎士隊長に聞いた話ではお嬢様が倒れられたときに胸に抱かれたなどと、許せません。
それに子爵家に返って早々、お疲れの体でお湯を使われ、納品されていた新品のドレスを嬉しそうに選んでいたお嬢様のお姿と、翌日朝戻られた子爵様から冒険者の方たちが旅立たれたと聞いた時のお嬢様の落胆のご様子。
駄目です。お嬢様。聞いた話ではゴブリンを嬉々として切り殺し、その返り血を浴びながら大声で笑っていたそうじゃありませんか。碌なものではありません。
お嬢様のお相手には確かに強さも必要ですが、慈愛に満ち、静謐でありながらも揺るぎない芯を持ち、お嬢様を優しく包み込むような包容力を備えた高貴な方こそが相応しいのです。
きっと旦那様が何とかしてくれますから、あんな猛獣みたいな方は止めましょう。
猛獣といえば昔、伯爵家で飼っていたゴールデン・シールド・レトリバーのジャックを思い出します。狩猟犬で頭の良い犬種のはずなのに誰のいう事も聞かず、どの調教師も匙を投げたものをお嬢様がペットとして飼われたものでした。散歩をさせれば急に走り出しリードを持つものを引きずりまわし、庭に放てば庭師が丹精を込めて綺麗にした芝生に大きな穴を掘りまくりまったくいうことを聞かないのに、お嬢様のいう事だけは聞く犬でした。
「駄目じゃないジャック」とお嬢様が言えば、足元に近寄って耳を垂れて反省したふりをするある意味頭のいい犬でした。
お嬢様も冬場に暖炉の前でジャックをクッションにして転寝しているお姿はお可愛らしかったです。
まぁ、という訳でお嬢様はお馬鹿で手間のかかる駄犬がお好きなのです。
こればっかりはお嬢様の駄目なところですね。
そのジャックもお嬢様の婚約者様が行方不明となって二年経った頃に天に召し上げられました。
馬車に揺られながらお嬢様は車窓を眺めていらっしゃいますが、その手がお膝に乗ったジャックが居るかのように頭を撫でるように動いている事から、お嬢様もジャックの思い出に浸っているらしいことが解ります。
しかも、ジャックは光の当たりようによって長い毛が黄金色に見える犬でした。そうあの冒険者の戦士とイメージが一致してしまっています。
止めましょう! お嬢様! あれは碌でもない男です。
駄男ダメ。 ゼッタイ。
そんなお嬢様の心配をしつつ、どうやってお嬢様の気持ちを変えようか、これまでの行程を反芻しつつ考えます。
旅が始まってすぐには男爵家に寄り、それからいくつかの町を過ぎてゆきます。
町々では神官としてのお嬢様のお仕事という事で大地に祝福を与えてゆきますが、徐々に町が大きく、また噂話が先行しているのでしょう待ち受ける住民の方たちの数が大変なことになってきています。
騎士たちはお嬢様の四方でピリピリしながら護衛していますし、私も変な輩がお嬢様に近づかないように目を光らせます。
途中からは先触れを出した段階でその街の衛士や騎士などの協力も依頼しておいたようで混乱は少なくなっていきましたが、『大地と農耕の神』の神官のお力、いえこれはもうお嬢様のお力が素晴らしいという事なのでしょう。
途中の町にあった『大地と農耕の神』の教会の神官様の聞いてみたのですが、ここまでお力のある神官様は稀だという事です。お力を使われるときに空から白い光が降り注ぐなど聞いたこともないという事でした。
道々、馬車の中では7年間の伯爵家での出来事や社交界で起ったことなどをお嬢様にお話いたします。特に小伯爵のお子様たちのお話はとてもご興味がおありで細かいところまでせがまれてしまいます。もちろんそのお話を聞いて破顔されていらっしゃるお嬢様を見るのもとても楽しい時間ではあるのですが、それだけではいけません。お嬢様が王都を離れていた7年間の社交界の人間関係や派閥、ドレス、演劇などの変化も細かくお伝えします。そのお話も興味を持って聞いてくれていますが、どこか他人事のような雰囲気があります。
とりあえず聞いてはくれていますのでしっかりお話しておきます。婚約相手だったランドン侯爵家周りのお話は敢えて避けますが。
お嬢様のドレス問題も子爵領のドレス工房の協力で一旦、解決いたしました。急な依頼でしたが私の送った手紙に記載したドレスのデザインや色、布の指定に従ってシンプルなドレスを五着ほど用意して貰ってそれに王都から持って来ていたドレスのレースやパフスリーブを付け替えるという反則技でしたが、王都に戻るまでの分の最低限のドレスは用意することが出来ました。
ドレス工房には無理をさせましたが責任者からは普段目にすることが出来ない王都の最新ドレスを目にできて、お針子たちも含めてとてもやりがいのある仕事でしたとお礼を言われ十分な報酬も渡してあります。しかもお嬢様に『治癒:ヒーリング』まで与えていただき感謝のしようもないという事でした。
侍女長には王都で準備いただく為のお嬢様の各部位のサイズは既に男爵家から出した手紙に書いてあるので、私たちが付く頃にはたいそうな数のドレスが出来上がっている事でしょう。
子爵領でのあの騒ぎの始まりはまだ陽も明けやらぬ早朝の事でした。屋敷の外の物音に身を起こせば子爵家のつけてくれたメイドがガウンを渡してくれます。お嬢様にもですが私にもメイドが付けられ夜中に喉が渇いたり、用を足す場合などの為、同じ部屋の簡易ベッドで仮眠しています。
「なんの物音ですか?」
「はい、どうも表門で何かあったようです」
私は朝に身支度の準備を命じ、隣のお嬢様がいらっしゃる寝室のドアをノックします。
お嬢様の応えを受け寝室に入ればお嬢様はベッドから身を起こそうとしていらっしゃいますのでガウンをお掛けします。
お嬢様の部屋付きのメイドが表門の様子を見に行っており、お嬢様はもう起きられて「神への祈り」を捧げられると云う事でしたのでその間に私はメイドに手伝って貰い身支度を済ませます。
途中、駆け付けて来た騎士たちの物音がお嬢様の祈りの邪魔にならないよう小声で注意しておきます。
戻ってきたメイドの言う事には「近くの町で魔物が出た」という事でした。
「そう、こちらの領地ではよく魔物は出るの?」
お嬢様がメイドに問いかけます。嫌な予感がしますがメイドが私の顔を見て答えて良いものか確認してきましたので頷きます。
お嬢様とメイドのやり取りを聞きながらもお嬢様の身支度を整えてゆきます。
一通り身支度が済み、最後に靴を用意しようと控えの間に向かう私にお嬢様の声が掛けます。
「ジェシカ、靴は修道院で使っていた皮のブーツにして頂戴」
「‥‥はい、解りました」
嫌な予感は的中です。
男爵領での祝福を目にした後に帰路の間のお嬢様の立場について、お嬢様から私と騎士たちにお話がありました。『還俗した元修道女の伯爵令嬢』と『大地と農耕の神の神官』という二つの立場で、私と騎士たちはもちろん『伯爵令嬢』としてお嬢様に接しますし、途中で逗留する貴族の屋敷や街の宿などでもその様に行きの道中で手配してあります。
ですが『大地と農耕の神』の神官としてのお力に目覚められたことは聞いておりましたが、これほどのお力とは私も騎士たちも聞いておりませんでした。お嬢様には申し訳ないのですが、少し『治癒:ヒーリング』が使えて、少し収穫量が上がったりする程度なのかと‥‥。
男爵領の畑でお嬢様のお力を目の当たりにしてしまえば『大地と農耕の神の神官』としてのお嬢様がお力と誇りと信仰を持って神の使徒としてお仕えだという事は良く理解できました。
ですので王都までの道中、『大地と農耕の神』の神官として治癒や祝福を与えながら進むという事に誰もが納得しましたが、その神官としてのお仕事の中に魔物が出た時に助力するというものが入っておりました。
これについては私も騎士隊長も反対を唱えましたが、お嬢様のお気持ちを変えることは出来ませんでした。
騎士隊長は後続で送られてくる護衛の騎士たちが早く合流できるように変更の手配をしたり、その旨旦那様に報告を上げたりと忙しそうにしています。私の方も侍女長に報告は上げますが、私の方は実質打つ手はありません。
魔物が出るような事態に遭遇しないことを神に祈るばかりです。
そして祈りは通じませんでした。
目の前ではお嬢様と子爵様が討伐について語っておられます。
「たかだか数体のゴブリンなど、我が領の守備隊にとっては造作もないこと。これまでに何度も退けてきましたので問題は無いかと思われます」
そうです。子爵様。その調子です。
「薄暗い森の中に聞こえる無数の小さな足音、アザミの紋章の盾に降り注ぐ矢雨、これが私が今朝感じた予兆です」
予兆! お嬢様! そのようなものを見られていたのですね。
子爵様の顔も厳しさが増します。
「この街の神官が不在の折、私がこちらに居たのも神のお導きでしょう。『大地と農耕の神』に仕える者として、看過するわけには参りません。私も同行させていただきます」
「‥‥しかし、ミーガン様。御身を危険にさらすことは‥‥伯爵様に何と言われるか」
そうです! 旦那様は怖いですよ。子爵様、頑張って!
「お聞きください、子爵様。あの矢雨の幻視は、神が私に示された明確な『警告』です。神官である私が立ち向かうべき試練となります。その試練から私を遠ざけるということは、神がこの地へ差し伸べた救いの手を、この地の領主である貴方自身が振り払うということです。それに貴方が案じるべきは父への釈明ではなく、この地の民の平和と安全ですわ」
「‥‥ミーガン様」
子爵様! もっと頑張って!
「さぁ、ゆっくりしている時間は無いのではないですか?」
「解りました。よろしくお願いいたします。ミーガン神官殿」
‥‥‥‥。
討伐に向かう子爵家の馬車の中で私は守り刀を握りしめます。まさか使う日が来るとは思っていませんでしたが、日々の手入れはしてありますので万が一の時にはこれで‥‥。
お嬢様にも旦那様からお預かりした守り刀はお渡ししてありますのでちゃんと腰に指してくれています。
揺れる馬車の中でお嬢様を引き留める言葉を探しますが、見つけることが出来ません。どちらかというと引っ込み思案な性格で争いごともお嫌いな方でした。そのお嬢様が子爵家の騎士たちの前で立派にお話をして、あまつさえ祝福を与え騎士たちを鼓舞なさるなんて、ここ数日のお嬢様が神官として人々の前で行った祝福の数々を見ていてさえ信じられません。
『伯爵令嬢』の侍女としてはお嬢様が魔物の討伐に行くなどと何があってもお止めしなければいけないことです。ですが、『神官』としてお力に目覚めたお嬢様は私たち伯爵家の人間が知らない時間を過ごされ変わられたようです。
今も緊張した顔はなさっていても怯えた様子は感じられません。
私は震えが止まらないというのに‥‥。
馬車がふいに止まり子爵様がお嬢様に話しかけてきます。
「この先10分のところが襲撃場所になります。我々はこのまま進みますが現場にその‥‥」
「冥福を祈る必要もあります。私も現場に向かいます」
「‥‥解りました」
襲撃現場は一体、どんな惨状となっているのでしょうか‥‥。
襲撃現場は荷物を持ち去られた馬車と踏み荒らされた地面、消えた焚き木、血を流して横たわる男性の死体があります。
お嬢様が毛布に包まれた男性の死体に近寄り冥福を祈るのを私は息を呑んで、馬車の陰から眺める事しかできません。お嬢様の傍らに行こうと思いますが足が竦んで動くことが出来ません。
「こちらです。急ぎましょう‥‥」
子爵様とのお話が終わりお嬢様が歩を進めようとして私も続きます。何とか重い足を動かし暗く佇む森の木々を見上げると眩暈がします。その私の白くなった手にお嬢様が触れ目が合います。
「ジェシカ、無理をしないで。ここからは本当に危険よ。それに森の中を進むのはジェシカには厳しいわ。多分、一人いた女性は攫われているわ。彼女を速やかに救出しなければいけないのだけれどジェシカの歩みに合わせていたら手遅れになる可能性があるの」
確かに王都住まいで森を歩くことに慣れていない私は足手まといでしょう。しかも魔物や森に恐れをなしている今、まともに付いて行くことなど無理なことは自分でも解ります。
「自分は何があってもお嬢様とご一緒します」と言っていた気持ちは何だったのでしょう? お嬢様が理由を付けて待っていてという言葉がどんなにありがたい事か。
「お願い。私とその女性が返ってきたときに温かいお茶を用意して待っていて」
「‥‥お嬢様」
私は一度顔を伏せた後、再び顔を上げてお嬢様と目を合わせます。
「必ず、お戻りください。今晩にはドレスが納品されますので」
なけなしの気持ちで強がります。
「そうね。折角作って貰ったのだもの。袖を通さないままという訳にはいかないわね。子爵様、護衛の騎士をよろしくお願いします」
「さぁ、陽のあるうちに戻りましょう」
お嬢様は修道院で履き慣れた鹿皮のブーツの足で森に入られて行かれました。
子爵家の残りの騎士たちが馬の番をし、私は馬車の中で待機していたところに冒険者の一団がやってきました。
子爵家の騎士と話しているのが漏れ聞こえて来ますがどうやら街道の逆の町の方からの増援の様です。短い打合せの後、子爵家の騎士一人と冒険者たちは森に入って行きますが、その中の一人、大柄な金髪の戦士を見た時私は何か嫌な予感がしました。
最近、私の嫌な予感は良く当たるのです。
そこからまた待つ時間になります。普段は神に祈ることは余り無いのですが、今は主神と『大地と農耕の神』に祈りを捧げます。
そして、陽が中天を過ぎてだいぶ経った頃、伯爵家の騎士隊長に背負われたお嬢様がお戻りになりました。顔色は悪く見えますが怪我をされていないかすぐさま確認します。騎士隊長は怪我は無いと言っていますが、自分で確認しないことには安心できません。
馬車の席に横に寝かせていただきお顔や服の汚れを取り払い、呼吸が正常であることを確認し、お嬢様の頭を私の太ももに横たえている間に馬車は動き出しています。
とにかく無事なようでなりよりです。
馬車が動き出して一時間ほどでお嬢様が目覚められましたので、騎士隊長から聞いていたお話をお伝えし騎士隊長からも子爵家の皆さんが感謝していたとお伝えしたところ、お嬢様は大きく息を吐いて「そう、皆が無事で何よりね」とおっしゃっています。
お嬢様の様子はお疲れの様ですが、窓の外の夕日を眺めるお顔はどこか満足気に見えました。
そして、馬車はいつの間にか王都に近い大きな街まで来ておりました。
この頃には途中の街で合流して増えた伯爵家の騎士が全部で20名、前の街の領主が付けてくれた騎士が20名、馬車の前後を取り囲むという大所帯です。
街に入って行けば沿道に人々が並び手を振り、建物から花などを投げたり、街の中央広場で領主や街の主要人物が出迎えたりなど、大変なことになっておりました。




