修道院生活の終り
私の名前はミーガン、家名はありません。
元は貴族で伯爵家の中でも家格が高い家の長女でしたが、10年前に婚約者が行方不明になって何やかや有って7年前に修道院に入るときに、世俗とともに家名も捨てました。
洗濯や掃除、炊事、畑仕事、ワイン造りなどはそれまでしたことがなかったので慣れるまではとても苦労しましたが刺繍や写本、会計などはそれまでの貴族の教養がそのまま役に立ったのでそれ程でもありませんでした。
太陽の動きに合わせた規律正しい祈りと労働の生活は私に合っていたようで、今では日々心安らかに生活していました。
そんな、平和な生活を破ったのは実家からの一通の手紙の事でした。
我が王国の修道院は外部との接触が厳しく禁じられた修道院ではなく、手紙のやり取りや偶の面談などが許されている修道院です。
というか、最初に入るときに多額の持参金も納めていますし、面会時に寄進をしたりしますので修道院もそれを妨げようとはしません。
ですので本来なら私からも両親からも手紙を送りあって近況などをやり取りすることは出来たのですが、私が修道院に入るときに両親と揉めたことから、7年間互いに手紙を送ることはありませんでした。
それが7年間連絡を絶っていた父親から突如、手紙が来たのです。
両親と喧嘩別れで修道院に来たことは確かですが、両親を憎んでいるわけでもなく、両親も修道院で私の立場が良くなるように多額の持参金や定期的な寄進をしてくれています。両親や兄弟に何かあったのかと急ぎ手紙の封を切れば、内容は意外なものでした。
10年前に行方不明になった婚約者が見つかったので実家に帰って来いというものでした。詳細は帰ってから説明するのでとりあえず迎えの馬車を出したと。
そしてその馬車は二日後には到着するようです。
私は混乱しつつも修道院長に手紙を見せて相談しました。
修道院長は50歳を越えたところ、元子爵家の出でもう30年以上この修道院にいらっしゃるそうです。
修道院長も同じ便で神殿からの手紙を受け取っていたようで、話はすぐ通りましたが神殿からの通達も私の還俗を認めたという以外、細かい事は書いてありませんでした。
実家と神殿からの連絡により私も修道院長も逆らうことは出来ません。
二日後の迎えの為に準備をしなければなりませんが、今の私の私物は上等な筆記用具とインク、私個人の印章のシーリングスタンプ、精巧な彫刻が施された白檀のロザリオ、肌着が何着か位ですので荷造りはすぐに終わります。
それよりも修道院の仕事の引継ぎの方が大変です。
私は掃除や洗濯などもやりましたが、元伯爵令嬢という事もあり、刺繍や写本の方が主に行っていた仕事でした。これは私が居なくなっても特に問題はありません。
しかし私は実家からの寄進などの影響と元々の教養を有効に使うため最初から修道院長の助手的な立場だったのです。
最近では修道院長がお年で季節の変わり目に体調を崩されることも多く、修道院の会計や管理は実質、私がしていたのです。
他にも一人貴族家出身の修道女はおりますがまだ年若く男爵家の娘という事で、即戦力とは言えませんがその娘にとりあえず、当面やらなければいけないことを詰め込みます。
根がまじめな娘ですので責任感を持ってやってくれるとは思いますが、何かあったら私に手紙を送るように言いつけて何とか引継ぎをします。
さてもう一つ厄介な懸念事項があります。
それはこの修道院に来て『大地と農耕の神』に祈りを捧げているうちに私が神官としての力に目覚めてしまったことです。神官とは神のお力をお借りして人々を助ける者の事です。具体的には『治癒:ヒーリング』や『解毒:キュアポイゾン』、『結界:サンクチュアリ』、『開墾:カルティベイション』、『水源探査:ウォーターダウジング』、『大地祝福:テラ・グレイス』等の魔法が使えます。
修道院に入った修道女が日々の祈りの結果、神官となることは珍しい事ですがない事はありません。
修道院は町から離れた所にありますが、町の教会の神官と協力しこの地域の住民の怪我や病気の治療を行っています。
私たち修道女は基本的に修道院を出ることはありません。町の神官との打ち合わせも修道院に来てもらう必要があるので、下男に頼んで手紙を届けて貰います。
修道院というと女性だけがいるというイメージですが、薪割りや石壁の補修などの土木作業、農地の耕作や家畜の世話、町への買い出しや言付け、手紙の配達などで何人かの下男たちがいます。彼らは修道女たちの居住区外の敷地内の外郭にある小屋や別棟に住み込み働いています。
それにこちらの修道院は私のような伯爵家や子爵家の出の「身代金が取れる女性」がいますので賊に狙われる危険もあります。そのため、何人かの衛兵も同じように居住区外におります。
飛ぶようにやってきた町の神官は30歳ほどの男性で普段は落ち着いた雰囲気の神官なのですが、今は肩で息をしています。
面会室の格子の仕切りの向こうで何とか息を整えている神官に声を掛けます。
「手紙でお知らせしたように明後日には私は還俗してここを出ることになりました」
「ほ、本当なのですか? 還俗には厳しい条件があるはずですが」
「ええ、そうなのですが両親からも神殿からも連絡が来ておりますので間違ございません」
「そ、そんな‥‥」
私が信仰に目覚めたのは5年前、それからはこの神官と協力し合いこの周りの地域の住民の治療を行ってきたのです。私がいなくなればそれは全てこの神官一人で行わなければいけなくなります。私が信仰に目覚める前に戻ると言えばそれまでですが、神官にしわ寄せが行くのは間違いありません。
「こんな急にいなくなるようなことになり、本当に申し訳なく思っております」
「いえ、シスターミーガンが気にすることではございません。ただ、急だったもので慌ててしまいまして‥‥」
「明日は修道院長の許可も頂きましたので近隣の畑に最後の『大地祝福:テラ・グレイス』を掛けて回りたいと思っております。」
「それには私も同行させていただきます」
神官は何か他にも言いたそうな顔をしているが、それからは顔を背けます。
「では、他にも引継ぎなどがありますので失礼いたします」
翌日には神官と二人ほどの衛士と近隣の畑を回って、『大地祝福:テラ・グレイス』を掛けて大地の力を活性化させ、住民の方たちにお別れの挨拶をします。
ここ7年間の付き合いで顔見知りになり、簡単な世間話くらいは出来るようになった住民の方たちが沈んだ残念そうな顔をしています。
怪我や病気は神官が今後も対応してくれるはずですが、大地の力を活性化させ病害虫の影響を減らしたり、収穫量を増やすのはここでは『大地と農耕の神』の神官である私しかできません。次の収穫は今まで通りでしょうが、次の植え付けからの分は神の恩恵が与えられません。
それは住民の方々の生活に密着する問題です。暗い顔にもなるというものです。
住民の方々には急な話で本当に申し訳ない旨、頭を下げますが皆、「気にしないでください」と逆にこちらが頭を下げられてしまいます。
そのうちの8歳くらいの女の子が「これ!あげる!」と言って小さな可愛い人形をくれました。なんでも5年前に私が覚えたての『大地祝福::テラ・グレイス』を唱えた畑で収穫量が上がった時に親が初めて買ってくれた人形だという事で大事にしていたものだそうです。
そんな大事なものは貰えないと断れば母親が「この子の気持ちですから。どうか貰ってやってください」と言われ受け取ることになりました。
そして今、私の前に懐かしいブーマー伯爵家の馬車と四名の騎士が馬上におり、見知った顔の御者は帽子を取って頭を下げてくれます。
馬車の扉を開けて出てきたのはこれまた、懐かしい顔のジェシカでした。
私が子供のころからの侍女が革製の鞄を持ち馬車を降りてきます。
7年ぶりの彼女は年を重ねていましたが、まだまだ若々しい姿です。私の二つ上だったはずだから今は27歳、まだ伯爵家に仕えてくれていたようです。
「お嬢様、お久しぶりです」
「久しぶりね。ジェシカ。元気そうで何よりだわ」
「お嬢様こそ、その何というか‥‥成長されましたね」
私が18歳の時に分かれて7年、25歳になった私は彼女の記憶にある姿と随分変わってしまったようです。
彼女は私の胸部をじっと見て言いました。
「困りましたね。聞いてはいましたが、想定を上回る成長です。持ってきたドレスでは対応できませんね」
そう、昔はどちらかと言えば痩せて貧弱な身体をしていました。お母さまやおばあさまも皆、もうちょっと食べて肉を付けなさいと良く言っていました。私としては十分に食べていたつもりなのだが、元々少食で食に興味もなく食べても肉が付かない体質でした。
7年前に修道院に入るときも、こんな細い子が修道院の生活に耐えられるわけがないとお母さまには随分と反対されました。
しかし、修道院に入って労働で体を動かすようになるとお腹も空き前より食べるようになりました。それまで食に興味が無かった私が自分の育てた野菜や果実で作った食事を美味しいと感じるようになり体に肉も付いてきました。それも胸周りや腰回りに特に。
そして自分で言うのも憚れますが7年間で絵画で見られる「豊穣の女神」のような体形になってしまっていました。
最初は肉が付いて健康的になったと喜んでいたのですが、今では肩こりと事務作業時に手元が見えにくいのが悩みとなっている。
「お着替えをしていただこうと思ってドレスを用意してきましたが、これは近くの街で一旦ドレスをお作りしないといけませんね」
なるほど、両親には手紙を送っていないが侍女長からは定期的に必要なものは無いかと連絡が来ていたので、便箋や封筒、肌着などは頼んでいました。
だから私の肌着のサイズが次第に大きくなっていたことは把握していたのでしょう。
確かに修道院を出るので、今着ている黒の修道服を着ていくことは出来ません。
気を利かせてドレスを持ってきてくれたようですが、サイズが合わないものを着ることも出来ません。
「そうね。大きい街まではこのままの格好で行くしかないわね」
「少々、お待ちくださいませ」
ジェシカは馬車の中に戻り、車内で使うつもりで用意していたのであろう雲綿羊のショールを持ち出して来て、私の肩に掛けてくれました。
久しぶりに修道服以外を身に付けると、この修道院を出て還俗することが俄かに実感として沸いてきます。
振り返れば修道院長や修道女たち、下男と衛士たち、それに神官が並び見送りをしてくれています。
住み慣れてこれから一生住むと思っていた、今では我が家とも思える修道院を見上げ目頭が熱くなるが何とかこらえます。
「今までありがとうございました」
「元気でね」
最後に一言、修道院長と言葉を交わし私は7年間過ごした修道院を後にしました。
「私も詳しい事は伺っておりませんが、お嬢様の婚約者様でしたダレン・ランドン様が生きてらっしゃったという事しか‥‥、本当は執事のギャリバンさんも来られればよかったのですが、何せ急だったもので取り急ぎ私が参った次第です。」
馬車の中ではジェシカが事情を話してくれるが彼女も特に詳しいことは聞かされていないらしい。
「構わないわ。とりあえず帰ってからお父様から詳しい事は聞くから。それよりみんなは元気?」
「はい、伯爵様も奥様も小伯爵様もお変わりないです」
「使用人の皆も変わりない?」
「はい。7年前から何人かは顔ぶれは変わりましたが、主だったものは昔のままです。皆、お嬢様のお帰りを心待ちにしております」
「そう、良かったわ。その、ジェシカはその、お嫁には行っていないの?」
「はい。今では侍女長の片腕として日々、励んでおります。あ、でもこれからはお嬢様の専属に戻していただくように来る前に伝えてあります」
「そう、うれしいわ」
馬車は田舎の整備されていない道をガタゴトと進んでいく。
それにしても修道院に入って7年今更実家に戻れと言われてもねぇ。




