第46話 教官との一騎打ち
東京湾海底、巨大人工島の最深部。
プロジェクト・オーバーライトの中枢サーバー室を目前にした巨大なコンクリートの広間で、俺たちミッドナイト・エグジットは、ついに全員の再集結を果たした。
だが、立ち塞がる壁は、文字通りこれまでで最強にして最悪の存在だった。
「……No.02の生体反応消失を確認。非戦闘員グループの合流により、脅威度を再計算。殲滅ロジックをフェーズ4へ移行する」
俺の「家事トラップ」とボスの青木裕里子の一撃によってNo.02が沈黙しても、残る二体の殺人兵器――No.01とNo.03の冷徹な瞳には、微塵の揺らぎも生じなかった。彼らはただ無機質な音声で状況を処理し、特殊合金の軍刀を構え直した。
「みんな、聞いて」
裕里子が、ダマスカス鋼の退職届についた血糊を振り払いながら、鋭い声でチームに告げた。
「あの真ん中にいる一番背の高い奴……No.01は、私が引き受けるわ。10年前、私に殺人術を叩き込んだ張本人よ。私が抑えなきゃ、あんたたち全員、三秒で首と胴体が離れ離れになる」
「ボス……」
「だから、あんたたちは全員で協力して、残るNo.03を確実に仕留めなさい。足手まといのサトルを守りながらね」
裕里子は肩の傷から血を流しながらも、不敵な笑みを浮かべた。
「……了解ですわ、裕里子さん。最高の教育係には、相応の退職金を支払って差し上げませんとね」
金庫番の藤井くるみさんが、眼鏡の奥で冷たい光を放つ。
「私たちは私たちで、確実に仕事をこなすわ。……行くわよ、みんな!」
顧問弁護士の福田由希さんの号令と共に、チームは二手に分かれた。
裕里子と最強の教官No.01の一騎打ち。そして、ミッドナイト・エグジットの総力を挙げた、No.03の無力化作戦の火蓋が切って落とされた。
★★★★★★★★★★★
「チィッ! 少しは手加減しなさいよ、このクソ教官!」
広間の中央で、裕里子が弾丸のように飛び出し、漆黒の刃で幾重もの斬撃を放つ。
だが、彼女の渾身の一撃は、まるで最初から軌道が決まっていたかのように、No.01の軍刀によって最小限の動きで弾き返されていた。
ガギィッ! キィィィンッ!
火花が散るたびに、裕里子の身体が僅かに後方へと押し込まれていく。
「打撃の初速、0.15秒の遅延。踏み込みの角度、かつての最適解から3度ずれている。……感情という不要なバグを得たことで、お前の戦闘効率は著しく劣化しているぞ、No.07」
No.01の機械的な声が響く。彼は裕里子のすべての攻撃パターン、筋肉の動かし方、さらには思考の癖までを完全に掌握していた。
「うるさいわね……! 昔のデータにいつまでもすがってんじゃないわよ!」
「データではない。論理的帰結だ」
No.01が反撃に転じた。一切の無駄を省いた、冷酷無比な刺突。裕里子は間一髪でダマスカス鋼を盾にするが、その凄まじい衝撃に手首が悲鳴を上げ、彼女は大きく体勢を崩した。
防戦一方。かつての教官の前に、裕里子はこれまでにないほどの苦しい戦いを強いられていた。
一方、俺たちもまた、絶望的な戦力差に直面していた。
「ヤバっ、こいつ隙がなかばい!」
潜入担当の藤原冬美ちゃんが、No.03の死角から警棒を振り下ろすが、No.03は背中に目でもついているかのように身を躱し、逆に鋭い蹴りを放ってくる。
「こっちよ、鉄人形!」
すかさず三浦陽子さんが変装用のトランクから取り出したフラッシュバンを放り投げた。
パーンッ! と強烈な光が炸裂するが、No.03は瞬時にバイザーの遮光機能を起動させ、全く怯むことなく由希さんへ向かって突進してくる。
「由希さん、右へ!」
くるみさんが叫び、由希さんが床を転がって回避する。
「甘く見ないことね」
元医師のグレタが、白衣から試験管を取り出し、No.03の足元へと激しく叩きつけた。
パリンッと割れたガラスと共に、強酸性の薬液がコンクリートを白煙と共に溶かし始める。
「……強酸性溶液の散布を確認。回避軌道へ移行」
しかし、No.03は機械的な音声でそう呟くと、驚異的な跳躍力で薬液のプールを軽々と飛び越え、無傷のまま再び着地した。
遊撃、目眩まし、誘導、劇薬。
俺たち非戦闘員グループのあらゆる連携が、No.03の冷徹な戦闘アルゴリズムの前に、次々と最適解で潰されていく。
「……マズいですね。相手は私たちの動きを全てデータとして処理し、一番合理的な回避行動を取っていますわ」
くるみさんが焦燥を滲ませた声を上げた。
俺は息を呑んだ。
機械は常に『最適解』を予測する。過去のデータと物理法則に基づき、人間がどう動くかを計算して動いているのだ。
だとしたら、奴のアルゴリズムを破壊するにはどうすればいい?
論理的で、合理的で、最適な動き。それを超えるものは何だ?
その時、俺の脳裏に、以前陽子さんの護衛で訪れた愛知県の『一宮競輪場』の記憶がフラッシュバックした。
怒号と歓声が渦巻くコンクリートスタンドで、俺たちがかき込んだのは、濃い八丁味噌ダレが染みたチープな串カツ弁当だった。サクサク感などない茶色一色の泥臭い弁当。だが、そこには周囲のギャンブラーたちの「勝ちたい」「生きたい」という、むき出しの執念の匂いが染み付いていたのだ。
そうだ。人間は機械じゃない。
極限状態に追い込まれた時、人間は計算なんてかなぐり捨てて、泥臭い欲望と執念だけで動く生き物なんだ。
「……最適解なんて、知るかよ」
俺は立ち上がった。
No.03が、再び冬美ちゃんに向かって刃を振り上げようとしている。
俺は重要データの入ったメインストレージを守るため、背負っていたリュックサックを物陰へそっと、しかし素早く下ろした。そして、足元に落ちていた空の特大ペットボトルを力任せに掴み取ると、自らの身体を投げ出すようにして前線へと全速力で突っ込んだ。
「サトル先輩!?」
冬美ちゃんが驚愕の声を上げる。
「うおおおおぉぉぉッ!」
俺は、刃を構えるNo.03の顔面に向かって、空のペットボトルを視界を塞ぐように力いっぱい投げつけた。
当然、No.03のセンサーは俺の動きを捕捉していた。
「……非合理的な投擲行動。無意味だ」
No.03は飛んできたペットボトルを片手で容易く弾き飛ばす。
だが、俺の狙いはそれを当てることではなかった。投げた勢いそのままに床へスライディングし、俺は自らの身の危険など一切顧みず、No.03の両足の膝裏へと文字通り「泥臭いタックル」を敢行したのだ。
武器も持たない非戦闘員が、己の身体ごと敵の足元に突っ込んでくる。
それは、No.03の戦闘アルゴリズムに登録されているいかなる「合理的・最適な戦術データ」からも完全に逸脱した、ただ「こいつを止める」という執念だけの、愚かで無謀な行動だった。
「……! 予測不能な軌道――」
膝裏に俺の全体重が乗ったタックルを受け、最強の兵器No.03の体勢が、ほんのわずかに、コンマ数秒だけグラリと崩れた。
機械が「予測不能」に陥った、その一瞬。
俺の生み出した無謀な隙を、地獄を潜り抜けてきたミッドナイト・エグジットのメンバーたちが見逃すはずがなかった。
「今やォッ!!」
冬美ちゃんが弾かれたように飛び込み、警棒の先端でNo.03の腕の関節を正確に打ち据え、刃を弾き飛ばす。
「よくやったわ、サトル!」
陽子さんがスタンガンを最大出力で押し当て、No.03の首筋に強烈な電撃を叩き込む。
「これで最後だわ!」
身を屈めたグレタが白衣から注射器を取り出し、電撃で硬直したNo.03の装甲の隙間――首の頸動脈めがけて、超速効性の筋弛緩薬と強力な全身麻酔薬のカクテルを直接打ち込んだ。
「ガ、ァ……ッ」
計算外の連携と致死量スレスレの中枢神経抑制剤の注入により、No.03の身体が激しく痙攣し、ついにその場へ重い音を立てて崩れ落ちた。
「……やりましたわ。No.03、完全に行動不能です」
くるみさんが眼鏡を押し上げ、荒い息を吐きながら宣言した。
泥臭く、非合理的な、人間たちの執念の総力戦。それが、クロノスの最強兵器の一角をついに打ち破った瞬間だった。
「……No.03の生体反応消失。非戦闘員の脅威度を再設定する」
その光景を横目で見ていたNo.01が、微塵の感情も交えずに音声を切り替えた。
だが、その一瞬の視線のブレを、最強のボスは逃さなかった。
「よそ見してる余裕なんて、あるの?」
裕里子が血に染まった唇を吊り上げ、再びダマスカス鋼を構えて床を蹴る。
仲間たちが生み出した活路。俺たちが背中を守り抜いたことで、ついに彼女は、かつての教官との一騎打ちに、文字通り「背水の陣」の覚悟で挑むのだった。




