Episode.01 嵐
―陽射しが眩しい。暑い。
太陽の光を直接浴びている顔と、地面の砂を通じて間接的に熱を感じている背中がヒリヒリと痛む。熱い。
―目が覚めると、俺は砂浜にいた。
―――――――――――――――
数日前。
―洋上にて
今はまだ、穏やかな海。
「カールマン船長!針路上に積乱雲を発見しました!」
静寂を突き破るように、一人の船員の声が甲板上に響く。
平穏な海を眺めていた青髪の青年がそれに応じて、船橋に指示を出す。
「わかった。針路を変えよう。ここら辺は大時化も多いから、今日はこれ以上進むのをやめてさっきの港まで戻るか?荷物が濡れたら利益が下がるし―」
青髪の青年、船長のライン・カールマンは、魔鉱石という希少資源の輸送で、若くして財をなした世界でも有数の船長である。
そんなラインは続けて、
「―だが、これ以上到着が遅れるのは流石に不味いな。前に停泊した港で貨物の検査だとか言われて足止めを食らったせいで、既に到着予定日から1週間は過ぎている。またポルティアの商人共からどやされるのは勘弁だ。あいつらこっちがまだ若いからって舐め腐ってやがる。」
と愚痴を零して方針を転換、強行突破を決意する。
「おい、雲の少ない南から迂回しろ!さっさと嵐を抜けて急ぐぞ!これ以上遅れを増やしたくない!」
船上で作業に当たっていた船員たちの手が止まり、一斉にこちらに向く。
「そんなこと言ったって船長、嵐を容易く抜けたって、まだポルティアへは20日以上かかりますよ。」
「そうっすよ。急いだって商会の大目玉食らうのは必然っす。ここは安全第一で戻りましょうよ。」
「荷物が濡れたら利益は更に落ちますよ。ただでさえ不況気味なんですから赤字まっしぐらです。」
ラインの指示に一斉に反論する船員たちに対して、
「それもそうか」
「――だが駄目だ。今回の取引相手には国王も含まれる。多少の遅れは仕方ないにしても、これ以上遅れたら商会を追放されるかもしれない。」
取引相手が重鎮ということもあってか、船長は独断で嵐への突入を決定した。
―――――――――――――――
「そうは言っても、トラブル続きじゃなきゃ、こんなに急ぐ必要はなかったんだがな…」
ハッチを開いて貨物室に下ったラインは、「はあ」と一人嘆息を漏らしながら探し物をする。
出発地点のオクシデリアを出る直前に起きた盗賊団の襲撃。雇った護衛が撃退したから損害こそなかったものの、名のある盗賊団だったらしく軍の聴き取り調査で足止め。
最初の寄港地で高波に煽られ船底が岩礁に衝突し、修理に数週間。さらに嵐で足止め。
その後も相次ぐ海賊の襲撃と天候不良で遅れは一時3ヶ月にまで膨らんでいた。
死神の海域を抜けてからは天候にも恵まれ、遅れはほとんど回復していたのだが、前泊地で足止めを食らった結果、予定通りに到着することは不可能となってしまった。
「調子良く進んでも1ヶ月か…違約金は一体いくらになるんだ…」
遅延が確定して呆然とするラインがデッキに戻ると同時に、監視役の船員の声が飛び込んでくる。
「―船長!さっきまで薄かった雲が分厚くなってきましたが、どうしますか?!まだ戻るのは間に合います!」
雨が少しずつ強くなってくる中、ラインは貨物室で見つけた紙を船員に見せつけながら、
「構わない、倉庫から雨除けの簡易魔法陣を持ってきた。それを使う。―」
「俺だけの魔力じゃ船全体を護るには足りないから、何人か手伝ってくれ。」
「いやいや船長――それ売り物の簡易魔法陣じゃないですか。いいんですか勝手に使って」
売り捌く予定の品物を利用するという船長に苦言を呈した船員に対し船長は、
「大丈夫だ。これは商会に頼まれたやつじゃなくて俺が個人的に仕入れたやつだから。原価は高いけど東の王国だと貴重だからよく売れるんだこれが」
「―ということで、何人か魔力を込めるのを手伝ってくれ」
ラインの説明に納得した船員が紙の端を掴み、魔力を込め始める。
途端、魔法陣が描かれた手のひらサイズの小さな紙は淡い橙色の輝きを放ち、胞子の様に飛び散って船を覆う。
次第に、橙の輝きは空気に溶け込むように消えていった。
「これで良し―――どうだ、少しは雨も弱まっただろ?」
ラインは見張り台にいる黒髪の少年に声をかける。
「そうですね、雨は弱くなりましたが…」
ラインの問いかけに対し監視役の船員が口ごもる。
「―船長、風除けの魔法陣はありませんか?異常はないんですが、どうにも風が強くなりそうな気がして。」
「風除け?仕入れていないが―そもそも風はそこまで吹いていない。雨除けだけで十分だろ―」
見張り台に上がったラインは軽く辺りを見渡し、そして船の前方を注視する。
「――おいジャック、望遠鏡を貸してくれ。」
突如、ラインが目を見開き、監視役のジャックという少年は右手の望遠鏡を渡す。
「…」
「…」
「―引き返すぞ」
「どうしたんですか!?船長、そんな急に…説明してくださいよ」
「そんな暇はないから自分で見てくれ」
急いで甲板へ下る船長を見送り、ジャックは言われた通りに望遠鏡を覗く。
レンズの中には、海上から空へ向かって竜巻の様に伸びる黒い靄のような物が映っていた。
「まさか―あれは――"鬼の目"―――」
「そんな――逃げなきゃ…嵐に飲み込まれる―」
「さっきまでいなかったのに…それに、奴は死神の海域にしか生息しないはず…何故だ…」
嘆くジャックは甲板を見下ろす。
船長のラインが大声で指示を出し、針路を反転させようとしているのが見える。
気を取り直したジャックは、本来の仕事である監視を続けようと振り返り、先ほど通ってきた海を見渡す。そして再び絶望する。
「嘘だろ…」
ジャックの視線の先には―
「――船長!!!!!北西に…反転した先にも――"鬼の目"が!!」
ジャックはありのままの様子を甲板上の船長に報告する。
「そんな馬鹿な…"鬼の目"の同時発生なんて―」
報告を聞いたライン、そして甲板上の船員たち。
「おいおい、何かの冗談だろ?"鬼の目"が同時に、しかも、そんな、近距離に発生するなんて、聞いたこともないぜ?、況してやここは、死神の海域でもない。有り得ない、だろ?」
船員の一人が、誰もが絶望する事実から目を背けるように言葉を発する。
他の船員たちも慌てふためく中、船長だけがただ冷静に、しかし焦りを含めた声で問う。
「ジャック、"鬼の目"はどこに向かっている?一番安全な方角は?」
ジャックは無言で海を見遣る。
「…」
一通り辺りを見回したジャックが望遠鏡を落とす。
「船長…俺たち、奴らに最初から目を付けられていたみたいです―」
「……どういうことだ?」
次に告げられたジャックの一言に、全員が絶望する。
「―囲まれています、完全に。――合計で7体、ゆっくりとこっちに向かって来ています―」
ジャックは涙を零しながら報告する。
「わかった。ありがとう。まだ諦めるな。必ず助かる道があるはずだ。」
唖然とする船員たちを他所に、ラインは生き残る方法を思案する。
考えろ。奴らの目的はなんだ?なぜわざわざ俺たちの船を狙うんだ?何かあるはずだ。
そういえば、 "鬼の目" は魔力を餌に生きていて、魔力を感知し船を襲うと聞いたことがあるぞ。
奴らが死神の海域を抜け出してまで、複数体で連携してまで、俺たちを狙う理由は―
はっと何かに気づいたラインが口を開く。
「―お前ら、魔鉱石を海に投げ入れろ。奴らの目的は魔鉱石だ。膨大な魔力を含んでいる魔鉱石を欲している―」
「魔鉱石を捨てて南に逃げる。それが俺たちの生きる道だ。」
稼ぎ頭を捨てるという選択をするライン。
そんなラインに船員の疑問や焦り、怒りの声が一斉に飛び交う。
「船長…積荷を捨てるなんてそんな馬鹿な、それで生き延びたとしてこの先どうするんですか!?魔鉱石は俺たちの命なんですよ?!それに、貨物の話だけじゃない。南側なんて人類の開拓が進んでいない未知の海域…!生きてどこかの島に辿り着いたとしても魔獣の餌にされるのが関の山ですよ!」
「魔鉱石を捨てるなんて…今日で商人辞める気ですか?!」
「南に逃げる?生きて帰る気のある人間とは思えないですよ!人類の手が行き届いていない南に何があるか…」
「死ぬよりマシだろ?生きる気のないやつは海に飛び込んで貰っても構わない!船長命令!―ほら作戦開始だ!」
船の上の男たちは一斉に動き出した。
――――――――――――――
「これが最後の魔鉱石か…」
「ざぶん」と音を立てながら、荒れ狂う海に一つ数十キログラムはある鉱物が沈んでいく。
「おいジャック、"鬼の目"の様子はどうだ?なにか変化はあったか?」
見張り台を見上げるラインは、その上に立ち海を眺める少年に声を掛ける。
「いいえ、相変わらずです。気がかりなのは―」
ジャックは怪訝な表情でデッキに飛び降り言葉を続ける。
「―南東側の個体との距離が近すぎます。あれでは10分としないうちに彼らの間合いに入ってしまうでしょう。針路を少し西向きに取った方が良いかと。」
「そうだな、おいジェームズ!針路を少し西寄りにしてくれ!このままだと"鬼の目"とぶつかっちまう!」
大声で船橋に呼びかけるライン。それに応じて、
「あいよ船長!取舵〜!」
ジェームズと呼ばれた体躯の大きい男が舵を切る。
雨除けの魔法陣の効果が継続されているので船上からは感じないが、雨は先程よりも強まっている。
30分ほど経ち、次第に波も高まってきた。船は揺れに揺れ、どこかに掴まっていないと立てないほどだ。
だが、魔法陣の効果が思ったよりも強いのか、船を飲み込むような大波でさえ海水の侵入を許すことはない。
「船長!間もなく東側の"鬼の目"と最接近します!!」
ジャックの声が船中に響いたところで船の揺れが最高潮に達する。
「へりにしっかり掴まれ!振り落とされるんじゃねぇぞ!」
雨の当たる感触はない。だが波に揉まれ、ライン達の船は左右に揺れる。
揺れは収まることを知らず、それどころか更に強まっていく。
振り子時計の様に揺れる船はミシミシと今にも壊れそうな音を立てている。
時間を忘れて無我夢中で船にしがみつく。
「―もう少し耐えてくれ!もう少し、あと少しで波は収まるはずだ!」
船長の声を聞いたジャックが、ふと船の外に視線をやると、"鬼の目"は既に斜め後方にあった。峠は越えたなとジャックは安堵し、他の船員たちにそれを伝える。
「みんな、"鬼の目"は過ぎたぞ!って―――うわぁ!」
気を緩めすぎてしまった余り、見張り台のジャックの身体は揺れに耐え切れず、空中に投げ出される。
「ジャック!」
ラインの叫びも虚しく、ジャックは見張り台から甲板に落下、背中を激しく打ちつけ気を失う。
ラインがジャックの腕を掴み、必死に揺れに耐える。
意識のないジャックは船にしがみつくこともできず船外に投げ出されそうになるが、ラインが腕を強く引き阻止。
しかし今度は、二人の全体重を支えていたラインの右手が揺れに耐えきれず、二人とも船外に投げ出される。
ラインは最後の力を振り絞ってジャックを船内に投げ込んだ。
「「船長!」」
船員たちは、ラインが荒れた海に飲み込まれていくのを、ただ眺めることしかできなかった。




