第166話 巨大組織を敵に回すと言うこと
「どうやら水島さんは私達と来る気は無いみたいね。まあ、国際交渉で警察経由で水島さんの身柄を合衆国が手に入れることも可能ですが……その時は犯罪者としての待遇になりますがよろしいですか?」
ぽつりとキャシーがつぶやいた。水島は必死になって首を振ろうとするが金縛りにあったように体は言うことを聞かない。
「ああ、それならあと三時間くらいこの部屋で過ごすと良いよ。それだけ待てば千要警察も重い腰を上げるだろうからね。それとも動くのは司法局実働部隊かな?まあどちらでもいい話なんだけどね、僕にとっては」
何とか金縛りを解こうと力を入れた拍子に水島の脂肪の厚い腹がちゃぶ台にぶつかって揺れた。その弾みで少しこぼれたクリタ少年の目の前の茶色い湯飲みが揺れた。それをハンカチでぬぐいながら手に取るクリタ少年はどこまでのその見た目通りの10歳に届かない少年だった。
思えば彼が米軍と関係する組織の人間だと言うことは彼自身の言葉意外に証明するものは何もなかった。その言葉にはどことなく信用できない雰囲気がまとわり付いていると水島は思いたかった。隣の少女も多少クリタ少年よりは分別がありそうには見えるが彼女から有益な情報が聞き出せると言う気配はまるでない。事実今も再び目をつぶって俯いて水島が言葉をかけたとしても返事をしてもらえるかどうかすら定かではない。
「……違法法術行使は懲役2年だね……これまでの起訴事件は三件。その中ですでに判決が出た一件は法術に対する使用者の軽い思い違いがあったということで執行猶予の判決だったはず……」
とりあえず沈黙に耐えきれずに水島は聞きかじった知識を口に出してみた。だが少年の笑みは崩れることは無い。それどころかそう水島が言い出すに違いないと読んでいたと言うように満足げにうなずいてさえいる。
「それはまた……ずいぶん希望的な見方をなさっているようですわね。確かに私もその話は聞いています。駐車場に止めてあった車のタイヤをバーストさせたおじいさんが被告だった話ですわよね、その事件は」
珍しく少女が口を開く。水島は驚きとともに少女を見つめた。はっきりとその黒い瞳は水島を見据えていた。反論は何もない。事件の詳細については水島も少女の口から初めて聞いたくらいだった。
少女はそのまま湯飲みの中に視線を落とした。沈黙の後、静かに茶を口に含む。
「確かに僕の場合とは違うね……死者が出ているから」
水島は流れる冷や汗を拭いながらそう言った。
「ご存知ならいいんです。なら迷うことは無いと思うのですが……自由な協力者として合衆国にたどり着くか、犯罪人として自由も無く合衆国に連れてこられるか。あなたには選ぶ権利が有ります」
そう言うと少女は珍しくちゃぶ台の中央に置かれたみかんに手を伸ばした。水島はただひたすら反論の材料を頭の中から引き出そうとした。
「それなら……実験材料や戦争の小道具に使われるなら……牢屋の中のほうがずっとすごしやすいと思うんだけどな」
水島の苦し紛れの一言しか出なかった。少女は剥いたみかんの袋を一つ手に取ると口に放り込んだ。クリタ少年は動揺する水島の様子が本当に面白いと言うように相変わらず頬杖をついて笑っていた。
「それも甘いですね。あなたの犯罪については同盟司法局が動いています。同盟司法局は名前の通り遼州同盟の攻撃的な司法執行機関です。しかも『シュツルム・パンツァー』と言う破壊を前提とした兵器を所持する準軍事組織。当然その攻撃性も極めて高い」
キャシーは相変わらず表情も変えずにそう言った。
「だから何が言いたい……」
水島にはそう言い返すことが精いっぱいだった。
「言いたいことがあるのはおじさんじゃないの?」
クリタ少年はそう言うと顔を上げた。そのまま背筋を伸ばしてじっと水島を見つめてきた。
「自分の能力はどんなものなのか?警察はそれをどう見ているのか?同盟司法局は?そして僕らは?こんな話を聞く相手、そうはいないと思うんだけど」
確かにその通りだと水島は思っていた。自分の経験など法術と言う奇妙な存在がこの国で知られるようになってからはまるで役に立たない。
会社を解雇され、住む場所を失って居場所を探すのにも苦労して、そしてこうして目的を見つけたとしてもそこには悪意に満ちた会いたくも無い化け物達が待ち構えている。
「それなら僕は……どうしたら良いんだね?」
ようやく搾り出した言葉にクリタ少年はうれしそうな表情を作った。
「ようやく分かってくれたんだね。じゃあ……少し待っててくれるかな。早速迎えのものをよこす準備をするから」
そう言うとクリタ少年は湯飲みを置いて立ち上がった。黒髪の少女もまた仕方がないというような表情を浮かべて立ち上がった。そしてクリタ少年は背後の何もない空間に銀色の板を展開させた。『干渉空間』と呼ぶというその空間は空間制御系法術師が展開できる能力だという説明はクリタ少年から以前受けていた。その板は少年の意識によるコントロールでどんな場所ともつなげることができる。この家に突然現われる少年の行動で水島はその事実を思い知らされていた。