第155話 怪しい男の身元
「まともな神経の持ち主なら逃げ出したくなるのも当然だな。娯楽施設も何もない。私ならこんなパチンコ屋の無い場所になど住む気にはなれないぞ」
そう言うとカウラはコートから携帯端末を取り出した。
「水島徹……32歳。大手印刷会社の営業部に所属していたが四ヶ月前に退職。自主退職となっているが……これは事実上の法術師外しだな。一部の同期の面々が個人加盟組合をバックにつけて退職の取り消しを求めて裁判で係争中だ。全員が法術適正者。そう遠くないころにマスコミが騒ぎ出しそうな話だ」
誠も何度か同じような話を聞いたことがあった。東和政府は公式には法術師の差別行為には労働局の強制査察などの強硬姿勢で臨むと宣言していた。だが実際は査察が行われたケースではすべて裁判所の命令によるものだった。先の大戦の敗戦国のゲルパルトや甲武、遼帝国などの著しい経済復興で経済の成長が鈍化していることに危機感を募らせている財界が競争力確保の為に法術師を狙い撃ちしてリストラを行っていると言う話は嫌と言うほど聞かされていた。
誠達はコンビニの駐車場で車を降りた。荒涼とした造成地を眺めながらアメリアは眉をひそめていた。
「こんなところで無職……一日じっとしてるわけ?おかしくなっちゃうわよ」
アメリアはいつも昔みたいにニートになってアニメとエロゲの日々を過ごしたいと言ってる割にそんなことを口にしていた。
「なんだよアメリア。テメエなら一日中アニメが見れてゲームが出来るって喜ぶんじゃねえのか?」
かなめの突っ込みにアメリアは手を叩いて笑みを浮かべた。
ただでさえ女性が珍しい埋め立て地のコンビニにエメラルドグリーンや濃紺の色の髪の長身の女性が周りを見渡していると言う状況には昼時の近くの工事現場に出入りしているらしい作業員達の注目を集めるには時間がかからなかった。
「おい、見物に来たわけじゃねえんだぞ。とっとと奴さんのお部屋とやらを拝みに行こうぜ」
かなめは手に管理事務所から借りた鍵を持って颯爽と歩き始めた。店の前でタバコを吸っていた客の視線はかなめについて動いているのが誠にも分かり次第に自分の頬が朱に染まっていくのを感じていた。
「誠ちゃん……どうしたの?」
明らかに自分が注目を集めていることを知りながらアメリアが振り返った。ただ何もできずに誠はそのままアパートの階段を登るかなめ達の後に続くだけだった。
そこには生活感が感じられない。階段を登りながら誠が感じたのはその事実だった。
「やっぱり誰もいないアパートはさびしいもんだな」
あちこち眺めながらかなめがつぶやいた。かなめが寮に来る以前に住んでいたマンションには他の同居人はいなかったが警備員が駐在していたので何とか人の住むところらしさを感じたが、このアパートにはそんな雰囲気すらなかった。二階に上がった四人の目の前には五つのドアの郵便受けから飛び出す雨に濡れてぐったりしたようなチラシがあるだけで他の気配は何一つ感じなかった。
「203号室ね」
アメリアはそう言うと鍵を奪って真ん中のドアにたどり着いて電子キーをセットする。鈍いモーター音とともに扉の鍵が解除された。
「何が出てくるんだ?」
かなめは楽しそうにニヤニヤ笑った。誠にはただ異様な雰囲気ばかりが感じられて、思わず逃げ出したくなる自分を押さえ込んでいた。
「行くぞ」
開いたドアに入っていくアメリアに刺激されたようにカウラが誠の肩を叩いて部屋に入るように促した。仕方なく誠も冬だと言うのに妙に暖かい空気が流れてくる部屋に入っていった。
「普通だな……」
靴を脱いですでに部屋の真ん中に立っているかなめの言葉に誠もうなずくしかなかった。染み一つ無い壁。天井も高く白い壁紙に覆われていた。
「ちょっとこれを」
カウラはそう言うと携帯端末並みの小さな機械を取り出した。残留アステロイドデータ測定器。ラーナに与えられた機械を部屋の中心に設置するとその小さな画面に起動状態を示すマークが映りだした。
「これも証拠能力は無いんだろ?」
かなめはまるで関心が無いというようにそう言った。
「しょうがないじゃない。今のところは水島とか言う人がこれまでの違法法術発動事件に関与している可能性があるくらいのことしか分からないんだもの。これで反応が一致すれば東都警察も彼の犯行当時の動向を捜査してくれるでしょうし、上手くいけば任意で引っ張れるかもしれないわよ」
アメリアはそれでもなんとか食い下がろうとする。
「なんだよ、アメリア。オマエもアイツを引っ張りたいんじゃねえか」
アメリアの言葉にかなめはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。カウラは一人機械が求めるコマンドを入力していた。
「それにしても……もしかしてこの一室だけですか?入居していた人がいるのは」
誠の言葉にかなめは呆れたようにうなずいた。
「条件としては結構いい物件じゃないの。駅は見えるほど近いし……確かに殺風景で今の季節は冷えそうだけど」
アメリアは外の工事現場を思い出してそう言った。
「さっき住むのはごめんだと言っていたのは誰だかね」
アメリアは思わず窓ガラスに手を伸ばした。彼女の言葉にかなめが皮肉を込めてつぶやく。アメリアが開いた窓。そこからみえるのは基礎工事の為に杭を打つ機械の群れだった。




