第149話 豊川に現れた辻斬り
かなめの瞳。それはすでに軽口を叩いていた誠の見慣れたかなめのものでは無かった。誠が知らない陸軍非正規部隊で戦争法規無視の捨て駒の戦いを演じていた時のかなめの表情。誠はこんな目をしたかなめを見る度に彼女がいたという東都戦争の泥沼を想像して背筋に寒いものが走った。
「例の辻斬りだ。東寺町で近くのOLが背中からばっさりだそうだ」
その言葉に入り口近くのランの隣に座っていた茜が立ち上がる。
「おい、所轄の連中が捜査をはじめたばかりだぜ」
かなめは芋焼酎を一杯半飲んだ茜に声をかけた。
「そう言うわけには行きませんわ。一応わたくしが担当している事件ですから……クバルカ中佐、カルビナ。帰りはタクシーを拾ってもらえませんかしら」
茜はそう言うと運転代行を呼ぼうと携帯端末に入力を始めた。
「しゃーねーだろ。仕事優先だ」
ランの言葉に笑みを浮かべた茜は着物の襟元を調えるとそのまま店を出て行った。
「辻斬り……アイツも今回の犯人を追って出てきたか……」
ようやく温まった鉄板に誠の三倍豚玉を広げながら苦々しげにかなめはつぶやいた。
「でも法術師を狙ってわざわざやって来たんですかね。ただ都心じゃ捕まるかも知れないから郊外に現われただけなんじゃないですか?」
誠の言葉にかなめは思い切り酒を噴出した。
「何するのよ!」
顔面に直撃を受けたアメリアは叫ぶと同時にハンカチを探してコートに手を伸ばす。驚いた春子も厨房に飛び込んだ。
「クラウゼさん、これ」
春子から手ぬぐいを受け取ると顔を拭くアメリア。その様子をまるで無視しているかのようにカウラは一人烏賊玉を焼く。誠はいつものことながら食事中に異常な集中力をみせるカウラに呆れながら隣のかなめに目をやった。
「都心より郊外の方が良いだって?そんな訳ねえよ。薄暗がりの街の中。特に抜刀なんて言う近接戦闘メインの作戦行動を取るには都市部の方がやりやすいんだ。戦闘発生時の距離が常に近いからな」
もう日本酒を一升は飲んでいるはずなのにランは冷静にそう分析して見せた。
「さすがに非正規戦闘のベテランは言うことが違うな」
シシトウを一皿平らげ一息ついたカウラの一言。かなめは得意げに再びグラスを手に取った。
「じゃあ、やっぱり狙いは今回の法術師ですか?」
誠の言葉にそれまで騒いでいたサラや島田まで黙り込んで静寂が支配した。
「普通に考えりゃーそうなるな。飼い主は分からねーがこの辻斬りは間違いなく法術師だ。そいつの飼い主が相当な馬鹿野郎ならいざ知らず、いままで狂犬を官憲から匿い続けているところから見ても、かなりの情報通だ。今回の法術師に関心を持ってねー方がおかしいくらいだ」
ランの言葉にラーナはうなずいた。ただ不安そうに周りを見るパーラに少しばかり同情しながら誠はそれまでかなめがボンジリに手を伸ばした。
「最悪のパターンも想定しておくべきね。人斬りと今回の一風変わった法術師の両方に同時に出会うケース。想定していないと最悪の事態になるわね」
運転代行を待つ間、茜は深呼吸をしながら酔いを醒まそうとしていた。
「嵯峨警部。最悪の事態って……」
誠は焼き鳥の串を置くとアメリアに語りかけた。
「馬鹿だな。オメエの能力が奪われた状態で人斬りにマンツーマンで対応しなきゃならなくなることもあるってことだ」
ラムを飲むかなめの満足げな顔。思わずカウラは目をそむける。
「本当にこういうときは悪い顔をするわね、かなめちゃんは。まるでそうなるのが楽しみだって言いたいみたい。そんなに銃が撃ちたいの?自腹で弾まで用意して年中射場で撃ちまくってるくせに」
アメリアは先ほどまでの能天気な行動を切り替えて仕事モードでかなめにツッコミを入れた。
「そうか?」
アメリアの言葉を受け流しながらかなめは誠の一皿を奪い取ると自分の小皿に乗っけて食べはじめた。
「それ僕の……」
誠は小声でかなめに声をかけた。
「小さいことは気にするなよ。それよりカウラよう。得物は特別なのが使えるのか?」
豚玉を頬張りながらかなめがたずねてくるのを見て少し馬鹿り気分を害したと言うようにカウラはたこ焼きに伸ばした箸を置いた。
「特別な許可は降りていない。使用可能なのは拳銃と貴様等が技術部に送った警察官給品の低殺傷火器だけだ」
カウラは冷静に現状を分析して見せた。
「マジかよ……県警はアタシ等を殺す気か?あんな使えない銃と拳銃で百戦錬磨の人斬り相手に殺し合いをしろだって?頭おかしいんじゃねえか?」
そう言うとかなめは静かにラム酒を喉の奥に流し込んだ。
「まあ相手は日本刀を振り回しているだけの暴漢と言うのが上の見方だから仕方がないか。辻斬りはおそらく法術師だ。そうなれば甲武浪人の地球人崩れが刀を振り回しているのとはわけが違う。その所を上は分かっていないんだろう」
アメリアとカウラの会話で誠は今回の事件がかなり危険なものだと言うことだけは理解できた。
「同盟外事局の連中から辻斬りさんの飼い主に何とか言ってくれねえかな。『うちはローリーサルウエポンしか使用しませんから手加減してください』ってさあ」
ラム酒の便を手に自分のグラスに酒を注ぐかなめ。沈鬱とした空気が場に流れる。
「おいおい、オメー等がそんな弱気でどうすんだよ」
ランはまた酒を飲みながらそう言って一同を励ました。
「姐御……弱気にもなりますよ。相手はこれまで少なく見積もって女ばかり17人は斬ってる狂犬ですよ。それと何だかよく分からない能力の持ち主が敵に回る……」
珍しく弱気なかなめはそう言いながらラム酒を口にした。
「同時に相手をしなきゃいいだろ?それにいざとなれば拳銃で仕留めるくらいのことはいつも言ってるじゃねーか」
ランの大口はとどまるところを知らなかった。
「姐御……」
いつの間にか誠達のテーブルの隣に立って弱音を吐くかなめからラム酒のビンを取り上げたランはそのまま半分以上酒が残っているかなめに瓶を差し出した。
「注ぐならこいつにしてくださいよ」
かなめは隣でビールをちびちび飲んでようやく空にした誠に目を向けた。
「え?あ?うーん」
誠は何も言うことが出来ず曖昧な返事をした。
「そうだな」
にんまりと笑ったランはどくどくと誠のグラスにラム酒を注いだ。
「クバルカ中佐!」
かなり出来上がっているランは誠に酒を強いた。
「良いんだよ。アタシの酒だ。飲めるだろ?」
凄みの聞いた少女の表情。誠はいつの間にか頭の中に異常な物質でも発生しているのではないかと言うような気分になってグラスを手にした。
「ぐっとやれ、ぐっと」
ランの言葉が耳元で響く。アメリアもカウラも決して助け舟を出す様子は無い。
諦めた誠は一気にグラスの中の液体を空にした。そしてそのまま目の前が暗転するのを静かに理解することしかできなかった。