第139話 三谷ブルース
「桐野さんは三谷をご存じで?」
北川は話題を変えて桐野にそう尋ねた。
「いいや、俺は甲武の出だ。この国の事情は知ろうとも思わん。貴様は先生に向いているな。今からでも遅くない革命家なんてやめて警察に自首して教員の免許でも取って人生をやり直すのも悪くないぞ」
鳥の刺身をつつきつつ桐野は酒を飲んだ。
「教員ねえ……面倒な仕事は御免ですよ。じゃあ、三谷に付いて話しましょう。あそこに行けば桐野さんも本当の意味で陛下の理想の実現の必要性を痛烈に感じることになる。俺も飯場を流れて行き着いた先が東都の三谷だった。あそこには簡易宿泊所が沢山あるから寝るのに困ることは無い。人集めに現場監督が必ず朝にはやってくるから仕事にあぶれることも無い。不死人の立ちんぼ達が山と居るから女に不自由することも無い。まさに不死人の理想郷だ。そこでは俺よりまだ若く見える不死人の建設作業員たちが永遠の搾取に耐えて永遠に続く単純労働に耐えている。何の希望も持たず……ただ今日を生きることで精いっぱい。それなのに命は永遠なんだ……こんなひどい話があるか?こんな不平等があっていいものか?」
北川の口調が熱を帯びてきて声が大きくなってきた。
「北川、飲み過ぎだな。俺達はどこまで行っても追われる身なんだ。わきまえろ」
冷たく桐野はそう言い放って冷酒を飲んだ。
「あの三谷の永遠に繰り返される地獄の光景。退屈と絶望感だけが支配する世界。アレを見たら俺だって……そうですよね。俺達はこの国をひっくり返そうと……いや、この宇宙の秩序をひっくり返そうとしているんだ。そうなりゃ永遠の被搾取者である不死人の建設作業員や立ちんぼがこの宇宙の王になる……その頂点に『廃帝ハド』が立つ……見てみたいもんだな。そんな世界。俺がフランスで作る子供達にもそんな世界で生きてもらいたい……」
北川はそう言って笑った。そこには酔いがもたらした心の底からの笑みが有った。
「北川。貴様は酒は弱いんだな。良く分かった。今日はこれくらいにしよう。貴様は酔ってる。声が大きくなってきているぞ。俺達の話は今は人様に公にして良い種類の話じゃ無いんだ。その点をわきまえる分別も無くなってきている。これから俺が案内する俺の知り合いもそれなりに丁重に扱わなくてはならない御仁だ。これ以上の酒は無用だな」
桐野はそう言うと立ち上がった、
「確かに俺は酔ってますよ。酒は強い方じゃなくてね。勘定くらい俺に払わせてくださいよ。俺が騒いだんだ。迷惑料替わりと言うことで」
そう言うと北川はジャンバーのポケットから財布を取り出した。
「ああ、勘定を頼む。しかし、珍しいな、焼鳥屋のカウンターの向こうにラム酒の瓶が並んでいる。この店……茶坊主の匂いがする……この街は茶坊主の街だ……仕方のない話か……」
桐野はそう言って店を出て行った、
「女将!勘定!」
北川はレジによたよたとした足取りでたどり着くとそう言って財布の中から一万円札を取り出した。
「ありがとうございます」
妖艶な女将の笑顔に見送られて北川と桐野は豊川の街へと消えていった。