第104話 来てほしくない人物
「もしかしたら神にでもなったつもりなのかな?その程度の力なんて合衆国は党に理解してるよ。その対策も十分練ってある。僕もその対策の一つでね」
突然の背中での声に水島は驚いて振り返った。
そこには当然のように以前東都で出会った例の少年が立っていた。野球の帽子。噛み続けるガム。それらの遼州の民衆が考える典型的なアメリカの少年に似た姿はあまりに滑稽に見えて、突然の闖入による恐怖よりも笑いが出てきそうになるのを感じていた。
何しろこちらには力がある。その自信が水島にこの驚いても仕方の無い少年の登場と言う出来事を平然と受け入れる度量を生み出していた。
「ずいぶん変わったね。それだけしっかり練習をしていた成果があったってことだね。でも遼州人の魔法が万能だと考えるのはやめておいた方が良い。おじさんには出来ることと出来ない事が有る。そのくらいの分別は持ってもらいたいものだね。もう大人なんだから」
少年は自分の登場をあまり驚かない水島に気を悪くしたように口を尖らせて呟いた。今の水島にはそんなことすら些細なことに思えていた。ここにいるのもアメリカ陸軍の情報網とやらのおかげだろう。少年が現れたのもきっと自分が回想によっていたからだろう。そう言い聞かせると少年に対していくらでも強気に出れる気がしてきた。
「さっきは自分は最強だというような顔をしていた割に僕が何ができるかわからないみたいだね?そこら辺で不安を感じないのかな?鈍感なのかな?おじさんは」
再び心を読まれたと言う事実が水島を驚愕させた。そして少年の言葉は水島の痛いところをついていた。確かに水島は少年が何ができるか分からない。思考を探ろうとしても他の法術師のようにあっさりと侵入できる隙すらない。
「そう、オジサンはそこまでなんだよ。僕はオジサンより強い。ただそれだけ。それ以上の事は知ることは出来ないし知る必要もない」
少年はそのままガムを噛みながら水島を見つめていた。ここの来てようやく水島は本気で少年の意識を探ろうとした。
「無駄無駄。やめたほうがいいよ。それより知りたいんだろ?」
少年は水島を憐れむような瞳で見つめた。
「何が……」
いくら意識を集中しても一切思考が読めない少年に次第に恐怖を感じながら水島はつぶやいた。
「あの切れ味とあの力で何ができるか……僕も試したけどあれはいいものだよ」
この少年はあの板のようなものを自由に操ることが出来る。水島はその事実を知って愕然とした。
「つまり……君も使えるのかな?あれを」
冷静を装いつつ水島は声を絞り出した。一瞬少年の心の中に触れた気がした。そしてそこにあると感じたのはあの掃除の女性のものと同じ感覚。ただその力は水島がいくら意識を集中しても微動だにせず何も起こりはしない。
水島に意識の進入を許してもなお笑顔で少年はガムを噛み続けた。彼はただニコニコと笑いながら水島を見つめている。すでに先ほどまでの優越感は水島には無かった。ただ恐怖。具体的に目の前に見える少年に対する恐怖だけが感情のすべてだった。
「ど……どうするつもりだ……」
動揺する水島の様子に少年はようやく自分の勝ちを認めて満足そうにうなずいた。しかし明らかに少年にしか見えい目の前の化け物に負け続けるには水島のプライドは高すぎた。すぐに小さな反撃を思いついた。
「靴で人のうちに上がるのは感心しないな」
水島は少年が土足で自分のアパートの部屋に上がり込んできていることだけが指摘できる精いっぱいだった。
「おっと……連絡事務所の私室からなので……失敬!」
そう言うとすばやく靴を脱いだ少年はそのまま腰を下ろした。
「アメリカ連絡事務所で暮らしている……信じろと言われても……」
水島には確かに東和の暮らしにはなれていないらしい少年の行動からしてみてそれは事実なのかもしれないと思うようになっていた。
「よく覚えていたね。それにしてもなんだか難しい本が一杯あるね。勉強家なんだ、オジサンは」
少年はそのまま身を乗り出してコタツの上をのぞき込んだ。
「一応法律家を目指しているからな」
吐き捨てるように水島はそう言った。
「オジサンが?立派ともいえない軽犯罪者のオジサンが?」
そう言って笑う少年の頬には悪意が見て取れて水島はそのまま黙り込んだ。少年の悪意の正体は『侮蔑』だった。届出が無く、緊急性の認められない法術の発動に懲役を含む刑罰が科せられる法律が施行されてもう三ヶ月以上が経った。それに水島がやってきたのは放火、器物破損、そして今回は傷害である。
「それより僕についてくれば厚遇してもらえると思うのにな。弁護士なんかよりもっといい仕事を紹介してあげるよ。オジサンの真の力をそこで発揮することが出来る。良い仕事だと思うんだけどな」
少年は笑みを崩すことなくそう言った。だが水島も恐らく少年の意図する自分のが予想できないほど愚かでは無かった。
「それはモルモットのことだろ?実験材料の地位が弁護士より上だなんて聞いたことが無い」
水島のつぶやきににんまりと笑う少年。そして彼はそのまま腕の通信端末を開いた。