57話 勇者ちゃんVS僧侶ちゃん《Main VS Main》
もしこのまま彼女の手が触れて本当に記憶を読めるのであれば、すべてが破綻する。
創造者である俺の記憶を知るということは、この世界の終末を覗きこむことと同義。その瞬間、ティラは仲間になるどころか発狂して壊れてしまうかもしれない。
「やめ、ろ……! 俺に、さわるな……!」
「だいじょうぶだいじょうぶ~♪ そんなに怯えることないってねぇ~♪」
軽やかな調子とは裏腹に留まる様子は微塵もなかった。
振り向き弾く。このていどの抵抗さえ難しい。魔法の影響で身体は重く、冷たく、鉛のように力が抜ける。指1本さえも、もはや自分のものではないかのようだった。
「(これはいままでで1番マズい! よかれと思ってとった行動が裏目にでちまうなんて!)」
繊細な手指がゆっくりと宙を滑る。
ティラの爪先が頬に触れんばかりに近づいて、とうとう触れようとしていた。
だが、絶望の刹那に空気が裂ける。
闇を縫うように、ひとつの影がすべりこんでくる。
夜そのものを凝縮したかのような疾さで、風を切る音と共にその身が割りこむ。
魔の手と俺のあいだに壁のように立ちはだかった。
「止めてください」
救いの使徒は、勇者ちゃんだった。
しかも指先に挟んだ手裏剣が月光に煌めく。正面からティラの喉元に突きつけられている。
「暴力沙汰は嫌いです。でも、それ以上つづけるというのであれば容赦はしませんから」
「うそっ! はやっ!?」
ティラは、刃先にぎょっと目を剥いた。
すかさず白い脚で石畳を蹴ると、後方に飛ぶ。
完全に勇者ちゃんのことをノーマークだったらしい。突如現れた疾走する風に虚を衝かれている。
「あ、アンタなにもの!? いくら油断してたとはいえ夜にアタシが隙を突かれるなんて!?」
「私の生まれは忍びの家系なので、夜襲や不意打ちは基本戦術の1つです」
ティラの唇が引きつる。
紅の瞳がわずかに泳ぎ、頬を伝う汗が月光を弾いた。
さきほどまでの余裕と色気を孕んだ笑みは、いまや見る影もない。
「な、なによなによ可愛いからお目こぼししてあげただけなんだから! 夜と闇こそがこのアタシの領域! 真っ当にやり合って勝てると思わないことね!」
焦りを帯びた強がりに、勇者ちゃんはひとつ瞬きをする。
眉ひとつ動かさず、ほんの少し息を吸う。
「晦冥と暗所こそ忍の生きる影の道です。アナタに負ける道理はありません」
声は凜として、波立たぬ水面の如く澄んでいた。
月影のなか、まだ幼さを残す顔立ちに大人びた気配が宿っている。
風がふっと吹き抜け、袖の端が舞う。月が雲に隠れ、町外れの通りがしんと静まり返った。
「(ま、まさか裏勇者ちゃんがまた表面にでてきたのか?)」
いつもヤバいときには表の感情を遮って裏勇者ちゃんが現れていた。
しかしいまの勇者ちゃんはどう見ても表のまま。胸元をひけらかすこともなければ冷笑を浮かべることもない。
「ナエ様、少しだけ我慢していてください」
「(違う、これは……)」
耳をかすめる声は、普段のあどけない勇者ちゃんものと遜色なかった。
だが、籠められている感情はまるで異なる。
「私、あの人と会うのは初めてですし、悪い人なのか良い人なのかさえあまりわかりません。それでも1つだけ言えることがあります」
これはあくまで俺の予想だった。
たぶんだが、いま彼女は、めちゃくちゃ怒っている。キレていると表現しても妥当に値するほどに。
俺は軋むブリキのように首をぎぎ、と曲げる。そうして寄り添うように佇む勇者ちゃんの横顔を見上げる。
「ナエ様のことを叩いたあの人のことは、とても嫌いです。私はあの人を、心の底から嫌悪しています」
「(間違いなく表の勇者ちゃん! レーシャちゃんのままだ!)」
そこには六弁の紋章も、殺意すらない。
凜とした表情の奥には、湧き上がる怒りが滲んでいた。
「へぇ……許せないっていったいどうするつもりなのよ? そんな小さい1枚の投擲武器でこのアタシとやり合うつもり?」
「逃げたいのであればお好きにしてください。でももしナエ様に危害を加えるというのであれば、ごめんなさいと言うまで立ち塞がります」
風も秒針も、森羅万象さえ止まったかのように切りとられる。
虫の声も、夜のざわめきも、どこか遠くへ吸いこまれていく。
1対1。2つの影を浄化するような月明かりの下で、向かい合う。
静寂が深まり、石畳を転がる枯れ葉の音さえが剣戟の予兆のように響く。
「泣いてべそ掻いても知らないわよ!!」
「つっ!!」
そして刻限。
止まっていた時が一斉に躍動を開始した。
「あはははは! アタシの攻撃を受ければそこの男のように1撃で麻痺する!」
まるで影を縫う影。目にも止まらぬ速さで夜と同化し、疾駆する。
ティラは、メイスを振りかぶると薙ぐように先端を振り抜く。
しかし勇者ちゃんは軽快かつ最小限のスウェーで攻撃をやり過ごす。
「ちっ、動きだけはすばしっこい! 暗視も使ってない素の状態でぜんぶ避けきれるもんですかっての!」
ティラが舌打ちをする。
悔しさが混じるその声音は、余裕を失った焦りを隠しきれていなかった。
金属のメイスが振るわれるたびに夜気が鳴り、石畳に火花が散る。
それでも勇者ちゃんの瞳は、まったく揺らがない。
「………………」
「な、なんなのよアンタ!? なんで夜の闇に呑まれながらそんなに冷静なのよ!?」
ひと振り。ひと薙ぎ。
すべての一撃を、彼女は寸前で見切っていた。
肩を傾け、腰をひねり、流れるような最小の動作で攻撃線を抜ける。
球状のメイスが向かってくるたび、毛先が、頬さえかすめるほどの距離で空を切った。
「こ、のおおおおおおおおおおおお!!!」
ティラの猛攻は、苛烈を極める。
だが勇者ちゃんは呼吸の乱れひとつ見せず、ただ静かに、淡々と回避を重ねた。
「――捉えたァ!!」
紅の瞳が縦に細まる。
一瞬の隙を見逃さない。ティラは勇者ちゃんの回避のリズムを崩す。
しかし捉えたかと思った直後に、鮮烈な火花が目を眩ました。
「まだです」
「わざと力が乗り切る直前を狙って抑えた!?」
手裏剣とメイスによる鍔迫り合いだった。
それはさながらメイスのバトンと手裏剣のダガー。
「なによなによ……! 箱入りの甘ちゃんかと思えばなかなかやるじゃない……!」
「っ、見くびらないでください! 私は私の信じる道を歩むだけです!」
額さえぶつかるような超近距離による白熱した激闘だった。
そしてまた互いに距離をとって殴打と打撃の乱戦が繰り広げられる。
「(スゴイ作画だァ! 一瞬も目を離せないぞォ!)」
俺の目は、とっくに惹きつけられていた。
それはもはや可憐な乙女たちの織りなす2重奏。裾が踊り袖が舞う演舞の如し。
しかも2人ともメインキャラだから豊乳である。これによりだいたいメロン4個分くらいの栄養素が得られる。
飛翔すれば布がめくれて底が晒される。着地すれば4つの球体が縦横無尽と跳ね回った。
「(暗いせいで大事な部分が微妙に見えない!! でも脳内補完できるからある意味こっちのほうがはかどる!!)」
というのは半分冗談で。
いまの勇者ちゃんになにが起こっているのか。こちらのほうが大事だった。
「(勇者ちゃんははじめから強い設定だったか? そもそもいまの勇者ちゃんは勇者に覚醒してないはずだし、勇者の力は使えていないはず……)」
決してティラが弱いわけではない。
俺の目でさえ彼女の攻撃を見切るのは困難を極める。
そもそも吸血鬼である彼女は夜の闇をものともしない。紅の瞳は昼よりも夜を克明に映す。
しかし勇者ちゃんは吸血鬼であるティラと同等。もしくはそれ以上の反応速度で圧倒していた。
「ふざけないで!? その成りで腕利きの冒険者だっての!? アタシは夜を渡る吸血鬼なのよ!?」
ティラの表情に余裕なんてものは1mmもない。
それどころか息を荒げているのは闘いを吹っかけた彼女のほう。
打ちつづけること100を越えて振り抜く構えも力みが生じる。残心をとる足もふらつきはじめていた。
「私はナエ様と、いっぱい冒険をしたんです!」
「はあ? この状況でいったいなにを――」
勇者ちゃんの声は、震えてすらいなかった。
乱れる夜のなかでも彼女の声は、誰より強い意志を通す。
「危険も、恐怖も、ぜんぶこの身で味わいました! だからこそもう、怖くなんてないんです!」
そうか。俺のなかでひとつの結論へ収束する。
勇者ちゃんは経験してきた。俺と出会うことにより通常ならば段階を踏むところと省略して。
レベルなんて概念はゲームくらいにしか存在しない。しかし勇者ちゃんは経験値を集積することで己を高みに押し上げたのだ。
よって、彼女は勇者ではない。だが、筋書きのある冒険では得られない膨大な経験をその身に宿す。
「もうゴブリンに怯えていたころの私じゃありません!」
「(レーシャちゃん!!)」
泣きそうだった。いやたぶん心はもう泣いてる。
ぶっちゃけもう身体は動くのだが、そんなことはどうでもいい。
彼女は成長したのだ。勇者ちゃんの実力は俺の想定を軽々と越えて天空へと飛翔した。
「(そうか、俺はレーシャちゃんに勇者を求めすぎていたんだ! でもこの子は自分の力で強くなろうとした! 勇者ちゃんでなく、レーシャ・ポリロとして!)」
忸怩たる思いがこみ上げてくる。
守らねばならないと、守護せねばならないと、見誤っていた。
そんな俺とは違い彼女は一緒に冒険するなか、前だけを見つづけている。
「絶対に負けませんっ!! だからアナタは早く諦めてナエ様にごめんなさいをしてくださいっ!!」
たんっ、と。地を蹴って跳躍した。
勇者ちゃんは頬横に手裏剣を構えてティラへと飛びかかる。
だが、次の瞬間。闇に溶ける紅の瞳が鋭利な輝きを見せた。
「――きゃっ!?」
振り抜く動作と同時に飛来する。
勇者ちゃんは慌てて進路を変えると大袈裟に距離を開けた。
「こ、これは――目潰し!?」
彼女の目元にはべったりと紅い液体がこびりついていた。
しかもただの目潰しではない。おそらく吸血鬼としての能力を重ねた、血の目潰し。
「くぅっ!? 目にこびりついてとれない!?」
「(いやんっ!? 血を飛ばすとか生理的にムリぃぃ!?)」
袖で拭ってもこびりついた血はペンキの如く張りついたまま。
予想通り普通の血ではない。
「無駄よ、それはアタシが魔力を籠めて生みだした特性の血液だもの。こすったり拭ったりするていどじゃ簡単にとれやしないんだから」
ティラはゆっくりと、しかし一歩ごとに確実に間合いを詰める。
靴音が静寂を裂くたび、空気がひやりと冷えていく。
「アナタさっき謝れとか言ってたよねぇ? でもアタシは謝るようなことはしていないのよぉ?」
その背に、漆黒の翼がゆらりと開いた。
羽ばたくこともなく、ただ闇そのもののように広がる。
腰元では、艶めく尾がするりと顕現し、獣のようにゆらりと揺れた。
「だってアタシが血を吸うとみんな恍惚になってしまうんですもの。好物の血が啜りたいアタシと快楽に浸りたい人間たちといううぃんうぃんな関係よ。このあとアナタもきっとはじめての強烈な快楽に腰を抜かしながらアタシに感謝するのでしょうね」
月光が差し込む中、ティラはまさに夜を渡る吸血鬼そのもの。
冷たく、妖しく、そして美しく、狩人の微笑みを浮かべていた。
「(マズいパート2! このままだと勇者ちゃんと僧侶ちゃんの濃密な百合展開に全米が総立ちになってしまう!)」
それはそれで見てみたい。
そんなことを考えている場合じゃない。
ネトラレ展開を回避できたかと思えば、もっとハードな展開に向かいつつあった。
そうこうしている間にも1歩、また1歩と。ティラは勇者ちゃんに向かって近づいていく。
「あ……」
そういや俺、もう動けるんだったわ。
なんか動いちゃいけない空気だったからなんとなくじっとしていた。だが、この展開になってしまったのならやるべきことは1つしかない。
ティラの背後へとそっと近づき、羽交い締めにする。
「ほえ?」
直後に美しいルビーの如き瞳と目が合う。
「ほえええええええええええええええええ!?!?」
うるせぇ。
あと少しの血といい匂いが鼻腔をくすぐった。
「なんでなんでなんでなんでなんでぇぇ!?! どうしてもう動けるのよぉ!!?」
「なんか、治っちゃったっ!」
てへぺっ。おどけてみるも、ティラの混乱は止まらない。
「だってそれ3時間は継続する強い拘束魔法よ!? こんなものの5分程度で切れるような半端な魔法じゃないんだからぁ!?」
じたばた、じたばた。
羽交い締めにされ持ち上げられてしまっているため足は空を蹴りつづける。
しかも吸血鬼だからといって力があるわけではないらしい。俺の力でも容易に拘束することが可能だった。
「や……――やめてよぉぉぉ!! ひどいことしないでよぉぉぉ!!」
「しねぇよ!? 後頭部にむかって鈍器打ちつける以上のヤバいことってそうそうないからな!?」
一転して号泣。
拘束されたティラは身をよじりながら子供のように泣きじゃくる。
「やああだあああ!! 離してってばあああああ!! びええええええええ!!」
「俺が悪漢みたいな反応するのやめてくれない!? どっちかというと完全にこっちサイドが被害者なんだが!?」
悪足掻きとはいえ制すのはなかなか面倒だった。
今宵の登場時とはまるで別人。というより別の吸血鬼と化している。
「コラ暴れんな!! 往生際が悪い!! なんで即効で負けを認めるくせにこんなことしやがったんだ!!」
「だって、怖かったんだもおおおん!!! 正体ばれていつ人間たちが襲ってくるか心配だったんだもおおおん!!!」
あ。これは、俺が、悪いのか?
確かに言われてみれば。あの出会いかたは少々粗末で暴力的すぎたかもしれない。
「もしかしたら殺されるかもしれないし、住み慣れたこの町からも追いだされちゃうかもしれないし、大好きな人間たちと一緒に暮らせなくなっちゃうのヤだあああああ!!!」
どうしたものか。
ここまでギャン泣きされてしまうと手のだしようがない。
俺は、勇者ちゃんをチラリと見て、指示を扇ぐ。
「えっと……ひとまずお話しだけでも聴いてあげましょ?」
「……そうしよっかぁ」
ひとまずティラを地面に下ろす。
勇者ちゃんの提案で、泣き止むのを待つこととなった。
「びええええええええええええええええええ!!!」
うるせぇ。
〇 〇 〇 〇 〇