56話 Nなん、Tてこった、Rリターン《AS GOD Says》
「晩ご飯美味しかったですねぇっ!」
るんるんという軽快さが声の端々に満ちていた。
勇者ちゃんは大きく腕を振りスカートを蹴るみたいに足を高く上げる。
優雅な和装の振り袖がさらさらと流れるたび、歩みに合わせて胸元がふわふわ弾む。
さながら晩の食後の幸福を全身で表現しているかのよう。普段は足も止めぬ小洒落たリストランテのディナーに、ご満悦。
「こーんな大きな鳥の丸焼きお肉に、新鮮なお野菜っ! それから蜂蜜漬けされた果物のデザート! もう頬張った途端に口のなかが夢見心地でしたっ!」
両手をわあ、と広げて頬を紅潮させていた。
その姿は、胃も心も満たされた幸せそのものを現している。
日も落ちて、黄昏どきはとうに過ぎていた。暮れゆく町並みは、昼の活気をそのまま残しつつも、別の装いをまとっている。
冒険者風の男たちは戦利品を抱えて酒場へと足を運ぶ。商人は商人で売れ残りを安く叩き売って声を張りあげていた。
どこか昼の喧噪とは違う。いまの町を包むのは、しっとりとした夜の賑わい。
笑い声と弦楽器の音色が、暮れの風に混ざってそぞろに流れていく。
「……ナエ様?」
「(勇者ちゃんが寝とられた……勇者ちゃんが寝とられた……勇者ちゃんが……)」
いっぽうで俺の舌は砂をかむが如し。
食べた料理の味は、精神状態のせいで味さえしなかった。
せっかく勇者ちゃんと一緒に夜デートと洒落こんだはず。なのに気分は底よりも下のどん底を這う。
「ナエ様!」
羽織の袖をぐい、と引かれて、ようやく我に返る。
俺は45度曲がった腰のまま勇者ちゃんのほうを向く。
「……なに?」
「なに、じゃありませんよっ! お食事のときもずーっと上の空で食材さんに失礼ですっ!」
「……ああ、うん、ごめん」
身も心もぼどぼどだァ、だった。
いまの俺はカスだ。否、カス以下のゴミカス以下のカスゴミカスだ。
もうなにもやる気が起きない。なんならいまここで世界が滅んでもいいくらいに世を呪っている。
「(そうだよなそもそも俺の所有物ってわけじゃないし、勇者ちゃんにだって選択する権利があるわけだし。勇者ちゃんくらいの年ごろの子なら俺のような3つ4つ離れてる年上より同世代のイケメンを選ぶのだって当然なわけだし)」
復讐? そんなことをするHPが残っているか。
隣にいるように見えて彼女はもう遠く巣立ったのだ。昨日までの純粋無垢な彼女は俺の手の届かないところに行ってしまった。
「……最初はノリと勢いだけだったかもしれないけど、いまの様子を見るに無理矢理されてショックを受けている感じでもない……。つまりカイハとのはじめては俺との思い出を180度回転させるくらいよかったってことだよな……」
「なんなんですかぁ! さっきから思いだしたようにブツブツと! 昼間のナエ様は身を挺して戦うほど格好良かったのに途中からどこかオカシイですよぉ!」
「俺が逆立ちしたって勝てないくらい強いし、カイハは完全に俺の上位互換なわけで……しかも年下なのに武功も凄いし大ギルドから信頼されまくってて……最終的には雷の担い手って呼ばれるくらい覚醒する……」
「ナーエーさーまーぁぁ!! 絶対になにかよからぬ勘違いをなさってますよねぇ!!」
あまりの大声に夜を堪能していた人々が振り返った。
だがいまの膿みきった俺の心は、それでも彼女を拒絶する。
「勘違い? ああ……そういう都合のいい考えかたもあるのか。それでオモテではいままで通りに慕ってくれて、裏ではあのベッドでの思い出に浸りながら罪の意識を決して絶やさない……」
「な、なんのお話をしているんですかさっきからぁ!! 私とカイハさんの間にはなにもありませんっ!!」
気づけば口にでてしまっていたらしい。
正気に戻ると、隣の勇者ちゃんが顔を真っ赤に膨らませて抗議していた。涙目で。
「ドウシタンデスカレーシャサン。オヒルハオタノシミノヨウデシタネ?」
「なにも楽しんでなんていませんっ! あれは……その、なんというか……ひ、非常に複雑だったんですっ!」
怪しい。
その口ごもりかたがなによりの証拠ではないか。
つまりアレだ、あそこでなにかがあった。しかも語れないほどのスゴイなにかが。
「ナニガフクザツダッタンダイ? ハナセナイヨウナコトジャナカッタラハナセルヨネ?」
「ひゃあああ!! お顔と喋りかたが怖いですうう!!」
俺が首を傾けると勇者ちゃんは半泣きになって震え上がった。
それでも言い訳をつづけようとするあたり、ある意味で甲斐甲斐しい。
「そ、それにこれはカイハさんから口止めされているんです! で、でも、変なことは絶対に、してない……とはいいきれないですけど、してませんっ!」
ほらみたことか。要領を得ないじゃないか。
しかも勇者ちゃんまで焦って必死に否定しているあたり、どうにも信憑性に欠けていた。
このまま話していても平行線しか辿らない。
「(嗚呼……俺の心はボドボドダァ……)」
「あっ! 待ってくださいよぉっ! なんで先に行っちゃうんですかぁ!」
俺は、反抗する勇者ちゃんを避けるように目を背けた。
ゾンビのように足を引きずりながら宿への帰路を辿る。
美味しい料理に彩られた勇者ちゃんの笑顔をあれだけ楽しみにしていたのに。
「ほっっっんとうに、なにもなかったの?」
「なかったですよ?」
即答だった。
動揺する素振りもなく、隠し事をしているようには見えない。
「ほんとうにほんと?」
「ほんとにほんとです」
気のせいか? しかしここで信じてあげないというのも可哀想だった。
今回の旅だって、そう。勇者ちゃんはいつも子犬のように俺を慕っては追いかけてきてくれる。
理由はおそらく好奇心とかそのへん。でも信頼がなければついてきてくれることはないはず。
ここはひとつ、思い違いということで手を打つか。ただ俺が過敏になって病んでいただけかもしれないし。
「じゃあなぜか話せないカイハとの隠し事で俺がショックを受けるようなことがあったらなにをしてくれる?」
俺が尋ねると、勇者ちゃんはぱちくり目を瞬かせる。
しばし目を逸らす。夜空を見上げて首を傾げる。大鞠の下で腕を組んで眉をしかめる。
「ちゅ……」
「ちゅ?」
「チュウをして差し上げるというのは……どうでしょうっ!?」
言ったあと、自分でも驚いたかのよう。
顔が真っ赤に染まっていて、視線は定まっていない。
「それはつまり、レーシャちゃんが俺にチューをしてくれるということでよろしいか?」
「私とカイハさんがオカシな仲じゃないという証明のためです! でももしオカシな仲じゃないとわかったら、そのっ、私にも……」
言いかけながら勇者ちゃんは、1礼をするようにうつむいた。
耳先はキレイに紅葉しているし、顔色なんて言うまでもない。
両手の人差し指をつんつんしながら湯気を立てるやかんのようになっている。
「(ああ、そうか)」
彼女は、なにも変わっていない。
むしろ勘違いしていたのは、俺のほうだと気づかされてしまう。
「(こんな可愛くていい子が人を騙すための嘘なんてつけるはずが――)」
棘だった心が軽くなるような気分だった。
しかし次の瞬間。俺は後頭部に激しい衝撃を覚える。
「ナエ様!?」
鈍痛につづいて聞こえたのは、勇者ちゃんの悲鳴だった。
唐突な衝撃に世界がぐらりと歪む。身体の中央がわからなくなって、膝から崩れ落ちてしまう。
「ふふ、ふふふふ……うふふふふふふ……」
耳のすぐ後ろ。
俺の影の如く、ソイツは、立っていた。
手には、鉄製のメイス。鉄の芯に先端は鉛を詰めた球型が添えられている。
それを軽々と片手でぶら下げて、紅の瞳が闇に浮かんでいた。
「あらあらぁ~? けっこう強めに殴ったのに、まだ意識があるなんてぇ~?」
「お、まえは!」
挑発するような旋律を含んだ声だった。
唇の端をつり上げて笑うその顔には、あざとくも冷たい悪意が滲んでいる。
黒い修道服の裾からは、スリット越しに白磁のような太ももが覗く。白い肌を月光を撫でるたび、妖しく艶めいた。
動けない、身体の自由が効かない。普段ならこのていどの打撃くらいものともしないはず。
「なんっ、だよこれ!? 俺の身体が俺の言う通りに動かねぇ!?」
なのに地に着いた手が、さながら粘着物のように剥がせずにいる。
「ナエ様大丈夫ですか!? ナエさまぁ!?」
「それ以上は近づかないでね。もし言う通りにできないのならこのメイスで彼の頭をザクロみたいにしちゃうかも」
走りかけていた勇者ちゃんの足が止まった。
俺に向けられたメイスの先端を見つめ、「ひっ!?」という短い悲鳴をあげて青ざめる。
「安心してぇ~。殴るついでに魔力で身体の自由を拘束しただけだけだからぁ~」
「なんですかアナタは!? どうしてこんなひどいことするんですか!?」
「連れの子がいたのはちょっと予定外だったわね。1人だけ連れ帰ろうと思ったんだけど、とっても可愛いから2人とも運んじゃおうかなぁ」
優雅に孤を描く笑みの端から白い牙が漏れた。
それこそが人でない者の証明。そして彼女は獣人の類いではない。
「吸血鬼……!」
現れたのは、昼間見逃してやった修道女だった。
ここ3番目の町で本来勇者ちゃんに討伐されるべき、吸血鬼の少女。
名は、ティラ・マムマム。勇者ちゃんパーティー第1の仲間であり、メインキャラの1人。
「だいせいかぁぁぁい! とはいえなんでかバレちゃってたみたいだけどっ!」
今回の件に関しては軽率だったわけではない。
色々と熟考した上で選択した最良の策だったはず。イベントを進ませないためにあの時点で打てる最善手だった。
だが、これは蝶の羽ばたきを意味している。俺という存在が彼女を刺激したことで、また新たな未来へと収束を開始している。
「アンタのもつアタシの記憶部分をいただいちゃうんだから♪ その代わりに極上の快楽を教えてア・ゲ・ルっ♪」
俺に向かって魔の手が伸びる。
選んだ選択肢は、最悪だった。
※つづく
(次話への区切りなし)
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