52話 叫びと縄の交差点《Shackles of Despair》
襲撃の予兆
精霊の成れ果て
捕縛された
同僚たち
盤石を揺るがす
難敵
叫ぶやいなや、彼は馬車の扉を蹴り飛ばした。
板の軋む破砕音とともに外光が差しこむ。境界を軽々と越えて影のように飛びだしていく。
「あーもうこれだからガキはいやなのよ。もっと優雅に慎ましくできないのかしら」
シセルはため息をひとつ。
だが手にはナイフを逆手に握っている。呆れつつも迷いなくカイハの後につづいた。
熟練の冒険者、戦い慣れた無法者たち。どちらも選択にためらいなどない。
「(このままここにいるって手はないよな)」
俺も腹を決め、重い腰を上げる。
すると不安めいた視線が俺の横腹辺りをかすめた。
「あの、ナエ様まで……いっちゃうんですか?」
勇者ちゃんが儚げに目を伏せる。
膝の上で握られた手はふるふると震えており、声さえ灯火の薄さ。
俺は、不安に駆られる彼女の頭に触れた。
「いちおう、やれることはやってみるつもりだ。もし不安ならここにいてくれていい」
俺がそう言うと、勇者ちゃんは迷うように目を泳がせる。
けれどすぐに前髪を横に振った。
「私もいきますっ! ですがナエ様もせめてこれをおもちくださいっ!」
そう言って道具入れを漁り、苦無をひと振りとりだして俺の手に押しあてる。
小ぶりだが刃は鋭く光り、ずしりと重い。持ち手部分には紐が巻かれていて握りも悪くない。
俺は勇者ちゃんの決意が滲んだ黒鋼を受けとってから外に飛びだす。
「(おいおいおい……予想より数が多いじゃねーか)」
日光に焼かれて視覚が白ばむ。
反射的に細められた眼の向こう側には、大小の魔物が展開していた。
「あれって小鬼ですかね? なんだか前に見た小鬼と違う見た目をしていますよ?」
頭に浮かんだ疑問を勇者ちゃんが代わりに読み上げてくれた。
そこに発生しているのは俺がこの世界に半強制降臨したさいクッションになった魔物と異なっている。
そしてここははじまりの村から少しだけでも離れた場所だ。もう小鬼以外の敵がでてもオカシクはない。
「(あいつらほど臭くないな。痩せぎすな身体にくたびれた老骨……ということは)」
ここら辺りでようやくピンときた。
そういえば小鬼以外にも雑魚はいたな。
「ノームか」
「ノーム!? ノームって精霊さんですよね!?」
勇者ちゃんの問いに、俺は肩をすくめて答える。
「そのなかでも、堕落した精霊の末路がアレだ。小鬼よりたちが悪いのは、手先が器用ってところ。あと人や動物の子供――それも新生児を好んで喰う習性がある」
俺の言葉に勇者ちゃんはこくりと唾を呑む。
ノーム。地下を根城とする穢れの群れ。五つの大罪に愉悦を覚え、光を裏切った精霊ども。
己の手で作った器に血肉を流しこみ、骨の髄まで啜ることをなによりの快楽とする。なれの果て。
それが、目の前の痩せこけた亡者の正体だった。
「あ、えが、あうげへ……」
聞き逃しそうなほどかすかな呻き声がした。
ノームの群れのなかに海老反りに縛られた女性冒険者がいる。
「げぁ……あ、えが、あえが、あうげへ……」
ノームどもの剥かれた眼光が一斉にぎょろりと彼女へ注がれた。
よく見ると、捕獲された冒険者たちはまとめられている。しかも上顎と股のあたりを木製のフックのような器具で強引に繋ぎ止められていた。
ノームが荒縄がぎちぎちと音を立て無造作に引く。冒険者たちの喉から裂けるようで声ならざる悲鳴が重なる。
「ッ! あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!!」
「ぎ”い”い”い”い”い”い”い”い”ぃ”ぃ”!!!」
まるで生きたまま引き裂かれているかのような苦痛の声だった。
勇者ちゃんは顔を真っ青にし、口元を抑える。
「ひ、ひどい……いったいなんなんですか、あの道具は……」
ノームは木製の器具で捕らえた冒険者の上顎と――おそらく肛門で固定している。
その器具に縄を結んで全員を肉でも出荷するようかの如くまとめて引きずっていた。
「拘束具ってより取っ手だな。捕獲した獲物を逃がさずもち運ぶために自分たちで道具を作ってるんだろうな」
吐き捨てたいような気分の悪さだった。
冒険者たちは全員前歯を失っている。それがはじめに折られたのか途中で折れたのかは判断がつかない。
ただ憎悪だった。虫唾が走ると言い換えてもいい。生きた人を家畜の如く扱う様に俺は怒張しつつある。
「息のありそうな生存者の数はわかりそう?」
だが冷静な者たちもいる。
なぜなら彼彼女らは、冒険者だから。
「んー? アイツら新鮮な獲物を生きたまま巣にもち帰ってディナーすっから6人中3人は生きてんじゃない?」
「6人……それだけのパーティでやられたってことは不意打ちかしら」
「じゃなかったらあのなかに熟練個体が混ざってるかのどっちかしかないっしょ」
目配せもしない。
シセルとカイハは淡々とやりとりを交わしていく。
しかし一瞬たりとも敵を視界から外さない。
「なれば殲滅の後に巣のほうも調べさせるべきですな。あれらは同種で孕ませ十月十日を経てから女と腹の子を喰らう。男はともかく女は生き残っている可能性が多いと知られている」
一拍ほど遅れて燕尾の裾が風にたなびいた。
御者の男は白いグローブを外す。代わりに腰の細剣を音もなく引き抜く。
「では。ワタクシめは馬車とお客様のご安全に注力致しますゆえ、迅速な始末を願います」
素人目で見てもただ者じゃない佇まいだった。
モノクルの下で光る瞳はさながら鷲の如き高尚さを携える。
「いっちゃん熟練なのにもろ楽な仕事のほうを選ぶじゃ~ん。アンタがでればあのていど3分で片付くっしょ~」
「経験の浅い若い者の後釜を支えようという配慮です。もし無様に失敗し泥水を啜るハメになってもワタクシめがお助けしてしんぜましょう」
「よけーなお世話なんですけどぉ。配慮とか口の上手いこと言っちゃっておきながら面倒くさいって顔に書いてあるしぃ」
双方からクレームが飛ぶも、御者は意にすら介さなかった。
まるで背に鉄柱でも入れているのかと思うほど。整った姿勢のまま鼻先に細剣を立てて静観を崩さない。
やりとりをしている間にもノームの群れがこちらを包囲しつつある。
「Kirurururururu……」
「Kurururururu……」
敵の奏でる音は、鳴き声というより反響音のよう。
精霊の名残か。テレパシーのようなもので意思疎通を交わしているのかもしれない。
とりあえずこちらを逃がすつもりはないらしい。確実に仕留めんと、包囲を狭めていく。
「んじゃまっ、時間の無駄だしいっちょやりますか! デカ尻は役にたってもたたなくてもじっさいのとこどっちでもいいからさっ!」
「そんなこと言ってのちのち泣き言吐いても知らないんだから! もし泣きべそかいたらあとでおねーさんがヨシヨシして慰めてあげるわ!」
音もなく、風も止まった。
次の瞬間ほぼ同時にカイハとシセルは地を穿つ。
「かんざしっ!」
ひょう、と。鋭い音を奏でながら腕を払う。指根に挟んだ鉄の針が扇状に飛翔する。
4つの鉄針が1匹のノームの鼻、こめかみ、喉、鳩尾を正確に貫く。
虎の如き進撃が、ぐらりと倒れる直前の骸を踏んで上空に飛翔した。
「女は飛び道具とかの小細工が似合うねぇ! でもやっぱ男なら――」
ひと息で繰りだされる斬撃が放たれた。
閃光の煌めきが縦横無尽に空を描く。
そして首を刈られた3匹のノームが血だるまとなって転げる。
「鉄と棒っしょ!」
それからもシセルとカイハの進撃は止まらなかった。
あらゆる状況でさえ盤面の如し。襲いくる小さき悪意をさながら草を毟るように薙いでいく。
ツワモノだけが立ち入れる領域。熟練者たちの手腕に俺を勇者ちゃんは傍観するしかない。
「すごい……! いまの一瞬で3回も斬ったんですか!? 私の目にはせいぜい2回までしか見えませんでしたよ!」
「……大丈夫」
驚く勇者ちゃんの華奢な肩に俺は手を添える。
「俺の目には1回すら見えなかったから」
「あ……」
「大丈夫」
「ご、ごめんなさい……」
つけいる隙がないとは、まさにこのこと。
2人の熟練した冒険者たちならば窮地でさえ、その限りではないということか。
みるみるうちに骸が完成していく。平野は魔物の地によって血染めの花を咲かせる。
「――あ? つッ!?!」
明滅する火花が散った瞬間だった。
カイハが短く呻いた。
まだ未熟な身体が吹っ飛ばされ、3mほど靴底で地べたを撫でる。
いつの間にか死角に潜んでいた1匹が、獣じみた跳躍で彼の死角を狙っていた。
辛うじて剣を逆手に返し、振り向きざまに受け止めている。
「無事!? まったくすぐ調子に乗るんだから!?」
「……調子になんか乗ってねぇよ」
短く吐き捨てながら、肩を上下させて呼吸を整える。
額に張りついた前髪を伝って、一滴の汗が顎先へ落ちた。
「こと冒険に関してなら……俺は常にガチだ」
剣先を向け直しながら、低くつぶやく。
そして彼の視線の先に、異様な影を見据えた。
「なんだありゃあ……? 素のノームじゃねえのが1匹混じってやがんぞ?」
そこに立っていたのは、確かにノームに似ていた。
だが1匹だけ明らかに動きがおかしい。
関節が油切れを起こした玩具のように、ぎこちなくカクカクと折れ曲がる。肩が、肘が、膝が不自然に逆へ折れては、ガクンと戻る。
その様子はまるで、壊れかけのくるみ割り人形。ぎぃ、と木をこするような耳障りな音を立てる。首がぐるりと半周回って常人ではあり得ない角度に傾く。
「ナエ様、アナタ様はアレをどのように解釈なさいますかな?」
見入っているなかで、唐突なフリだった。
振り返ると御者の男がこちらを注視している。
しばしほど俺は天を仰ぎ、男を見つめ直す。
「あれはたぶん魔素を大量に摂取した個体だ。まだ異常個体にはなってないにしろこれからなり得る可能性が大きい」
「ほっほ。聞きしに勝る知見をおもちのようですね。ワタクシめもアナタ様とまったく同様の見解です」
これが戦場、これが冒険。
あれほど好調だったにもかかわらず1手のミスが命とりとなり得る。
だが、冒険者たちはこのていどで命を諦めるほどヤワではない。
「きっとアレが6人パーティを崩したのね。とりあえず私が周囲の雑魚を散らすから時間稼ぎよろしくね」
「んじゃ俺がアイツの気を引いて食い止めりゃいいんだな」
「整地が済んだら2人で速攻し仕留めるわよ。だから絶対に焦って飛びこまないで」
「頼まれても単身特攻なんかするかよ……アイツはちっとばかしヤベぇのが肌でわかるっつの」
ここにきてなお2人のやりとりは冷静である。
だが熟練たちの表情は、初めて焦りを帯びていた。
「Rirururururu?」
「ん”ん”っ!? ぐう”う”う”う”う”う”ぅ”ぅ”!?!」
異変態は、ぎぃ、と首を傾げながら荒縄を握った。
拘束された女性が悲鳴をあげる。
上顎と股を繋ぐ木のフックが引き絞られ、体が折り畳まれるように苦痛でのけぞった。
異変態は明確にこちらの動きを牽制していた。
朽ちしノームのように突撃するのではない。女を引きずりだし、盾に掲げるように前へと突きだす。
「Rirururururu……」
「クッソ陰気な野郎だ……それで人質のつもりかよ」
※つづく
(区切りなし)
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