48話 からかい上手な口紅色《Nasuga MAMA》
色艶の塊
勇者ちゃんママ
新たな旅
行方不明の物語
不明瞭な
唇
娘
はね除ける
色仕掛け
店の仕込みが済んで、一段落。
石窯の余熱は残っているが、汗をぬぐえば朝の涼風が心地よい。
外では鳥たちが今日を賛美するように歌う。近所で目覚めたアークフェンの村民の気配も動きはじめていた。
「お母さんが寝坊しても、ナエ様がいてくれるからあまり苦労しないですねっ!」
勇者ちゃんは満面の笑みで、お茶を差しだしてくれる。
目尻にかかる栗色の髪がぴょこんと跳ねるたび、元気そのものが零れていた。
「本当に助かってる、おはようからおやすみまで。自他共に」
横に視線を巡らせれば、そこにいるのは勇者ちゃんママ。
なるほど血筋というものは実に恐ろしい。2人揃うと似ているのは面影どころではない。
勇者ちゃんのそのまま十数年寝かせた感じ。髪を伸ばし、あり余るほどのグラマラスを備えさせたのが彼女だった。
母娘と並んでいると、片方は小さくて元気、もう片方は大きくて色気の塊。両極端にして同じ血の匂いがする。
とりあえず俺は椅子を引いて、勇者ちゃんが煎れてくれた香り高い茶を愉しむ。
「役に立てているのはなによりだけど……それほど大変って感じもしないんだけどな」
湯気が鼻先を撫でて、眠気まじりの脳みそにすっと染みていく。
実際、パン屋も花屋も思ったよりは忙しくない。
薪を足して、仕込みを手伝って、店先を整えるくらいだ。俺の世界のバイト経験と比べれば、ブラックのぶの字もない。
自己肯定感が保たれるし、こうして感謝されるのも嬉しい。だが、ちょっと過剰に評価されている気もしてならない。
「毎日やっている作業がちょっと楽になるだけでも大助かりですっ!」
勇者ちゃんは机からぐい、と身を乗りだす。
「昼間だって店番しながら私のお話し相手になってくださいますしっ!」
力説するように手をぱたぱた振った。
勇者ちゃんは両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、まっすぐに俺を見つめてくる。
その楽しさと恥ずかしさを半々に混ぜた眼差しに、茶碗をもつ指がかすかに震えた。
「……いや、そんな大層なもんじゃ」
思わず目を逸らしたその瞬間。横の高い位置からひらりと気配が降ってくる。
「大層」
勇者ちゃんママだった。
いつのまにか隣の椅子に腰を下ろし、こちらを艶っぽく覗きこんでいる。
近くにいるとやはりというか、色々デカい。上背だけで俺を見下ろすほど。
瞳は奥まで透けるようで見られていると無意識に背筋が伸びてしまう。
「この子、物心ついてから1度もわがままを言ったことがないの。どれだけ大変でも気丈に笑って乗りこえられる強い子」
「でしょうね、なんとなくそんな気がします」
なんの反論もない純然たる同意だった。
すると勇者ちゃんママは、くす、と色っぽく口元を抑える。
「だからナエさんを家に連れてきたときビックリした。まるでわがままを言うように自分の判断を私に通そうとしてきたから」
「あ、あれはナエ様が恩人さんでお困りになってたから!」
「それもあるのよね、きっと」
勇者ちゃんママは、娘の言葉を切って長いまつげを伏せた。
両手で包んだ急須の水面を見下ろしたまま。それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
物憂げな横顔は清廉で、まるで女神でも降り立ったかの如く麗しい。
「(中身さえ知らなかったら普通に美人だし、料理も子育てもなにもかもできる人なんだよなぁ)」
昨日までなら見蕩れていたかもしれない。
今朝を体験していない、昨日までのなにも知らない愚かな俺だったら。
「ところであの件はそろそろなんですかねっ!」
唐突に、勇者ちゃんが胸を張って割りこんできた。
なんだか落ち着かない様子。振り袖を乱しながら慌てているかのような。
「あの件っていうと……大ギルドの迎えがくるってやつのこと?」
俺が茶を啜りながら目線を向けると、勇者ちゃんはこくこくと勢いよく頷く。
「そうそうそれですっ! その件を知った村の冒険者さんたちも、なんだか浮き足立ってるみたいなんですよっ!」
両手を胸の前でわたわた。
危うく茶碗を倒しそうで少し危なっかしい。
好意。もとい嫌がらせによっていまや俺は村中で噂されるほど。先日の大規模ダンジョン攻略による功績が知れ渡っていた。
そうでなくとも村社会は断絶された社会だから新鮮な刺激に飢えている。そこへ冒険者たちの総本山ともいえる大ギルドの歓待ときたら火のついた鼠が走り回るようなもの。瞬く間に噂という火災が村中に伝播して燃え上がってしまう。
「こんな辺境の村へナエ様を迎えにくるなんてっ! しかも大ギルドじきじきですっ!」
勇者ちゃんがはしゃいで跳ねるたびにスカートがふわりと揺れる。
もうワクワクが止まらず、胸も踊るように弾む勢い。
「きっと見たこともないほど絢爛豪華な馬車とか1級の冒険者さんたちが付き添いでくるんでしょうねっ!」
「そんな王様を迎えにくるわけじゃないんだから……」
正直、かなり厄介なことになった。
俺がしたのはトラップをひとつ看破しただけ。あれだって偶然に近い。
なのに村からは英雄扱いで、やたらともち上げられる。
「(大それたことをするべきじゃなかったかなぁ。でもあそこで口をださなかったら花の隊がヒドい目に合ってただろうしなぁ)」
学びとするにはあまりにも代償がデカい。
この世界は、俺の行動次第で物語の根幹が捻じ曲がってしまう。
通常なら勇者ちゃんが覚醒し、2つ目と3つ目の街を旅して、大ギルドなのだ。このままでは重要な踏むべきイベントが滅茶苦茶になってしまう。
不安に苛まれている矢先、ふと違和感が俺の脳裏をかすめた。
「……レーシャちゃんもついてくる気?」
「はえ? もちろんですけど?」
即答だった。
数秒ほど、互いに見つめ合いながら変な沈黙が落ちる。
「いやいやいや! さすがに今回は遠出だし連れて行けないよ!」
「な、なんでですかあ! 私だってナエ様がご活躍なさるところを近くで見たいですよお!」
さすがにマズい。
だって勇者ちゃんは未だ覚醒していない。
そんな状態で4つ目の街に入ってしまったらなにもできないどころか危険極まりない。
彼女を未覚醒のまま連れ回すのはあまりに博打だった。そもそも彼女が死ぬという事態そのものが世界を崩壊させかねない。
「意地悪しないで連れていってください! 私ははじめからずっとご一緒するつもりだったんですからね!」
「今回は往復だけで20日はかかるし危険だって相応にある! しかもその間、店のやりくりをレーシャちゃんママ1人に任せっきりってわけにはいかないでしょ!」
「あうぅ……それは、それですけど」
よほどいきたかったのか、勇者ちゃんはじわりと瞳を滲ませてしまう。
ここで彼女を置いていけば、やり直しが効く。というのが俺の算段だった。
俺1人が大キルドに目こぼしをもらう。それからおいおい資格を得た勇者ちゃんを紹介すれば良いだけのこと。
ひとまずとり返しのつかない状態から首の皮一枚繋げるには、これしか方法はない。
「なえさまぁ……」
「可哀想な声だしてもダメなものはダメ! 道中は危険かもしれないし、市政の兵ならともかく大ギルド自体がそもそも冒険者集団なんだからなにされるかわかったもんじゃないぞ!」
嘘。この世界は冒険者のほうが統率がとれている。
王都には国家転覆を狙う輩や私腹を肥やす連中の掃きだめ同然だ。
しかいいまはそのへんを同行するという段階ではない。
「でも遠いってことは、それだけナエ様と会えないってことですよね……?」
「まあ? ひと月くらいは村に戻れないかも?」
じわり。勇者ちゃんの目元に涙がせり上がった。
次の瞬間、堪えきれず鼻にかかった声が漏れる。
「いやですよぉ~……」
小さな子供みたいな瞳が潤んでいた。
声は細く震えて、でも必死にこらえているのがわかる。
涙の粒がぽとりと落ちそうで落ちない。その危うさが逆に胸を締めつけてくる。
まるで捨てられてしまう直前の子猫のよう。しかしここは心を鬼にしなければ。
「………………」
「……なんすか?」
いつの間にか頬横に勇者ちゃんママが接近していた。
近い。とても近い位置から俺のことをじっ、と見ている。
「………………」
「なんで無言で圧かけてきてんだよ! ナエさんが困ってるでしょ無理を言わないのとか言う母親のターンでしょうが!」
「………………」
「(なんとか言えやぁ!!)」
勇者ちゃんママは沈黙を貫いたまま。
まるで俺の胸を透視でもしているかのような視線をぶつけてくる。
よりによって勇者ちゃんをだけ置いてくなんて。天地がひっくり返ってもできるわけがない。
「ねえ、ダメ?」
勇者ちゃんママが俺の肩にしなだれかかってくる。
さらりと流れた髪が頬をかすめ、女の匂いが直撃した。
「あっ、お母さんずるい!」
勇者ちゃんまで反対側から俺の腕をぎゅっと引っ張る。
必死さと悔しさが混じった声色に、涙の名残がまだ残っている。
「同じ旅路を踏めばもっと深い関係になれると思うの。旅が終わるころにはもっと心を満たし合う密な関係になっているはず」
「お母さんにはお店があるでしょ! ナエ様と一緒に旅になんてでたらナエ様だけじゃなくって村の人にも迷惑かかかるんだから!」
どうしてこうなった。
気がつけば俺は、母子に左右から挟まれていた。
色合いの異なる甘い香りが交互に押し寄せてくる。しかも右にも左にも大きくて柔らかいモノが。右肘と左肘が順番に埋もれて幸せを覚える。
俺の理性と心音が限界を迎えつつあった。生きるか死ぬかの冒険よりも、この状況のほうがよほど心臓に悪い。
「というのは冗談で」
ぱっ、と肩の重みが抜けた。
支えを失った俺の身体は、勇者ちゃんのほうに傾いてしまう。
「きゃっ!?」
「うわぁっ!?」
2人の声がほぼ同時に重なった。
俺と勇者ちゃんの身体は床の上に倒れこむ。
そして唇と唇が触れる、ほんの寸前。
だが俺は寸前で、必死に踏ん張って腕を突っ張ることに成功する。
結果、勇者ちゃんを押し倒す格好のまま、ぎりぎりで停止した。
「………………」
「………………」
鼻先が触れそうな距離に彼女がいた。
彼女の瞳が見開かれて、俺だけを映しだしている。
待機という壁を通じて吐息すら混じり合いそうな。鼓動する熱さえも感じられるほどの距離。
「ご――ごめんなさいっ! わ、私っ、品だししてきますっ!」
直後、俺の顎に彼女の額がクリティカルヒットした。
顔を真っ赤にした勇者ちゃんは、まさに脱兎の如く。飛び跳ねるようにそそくさと店のほうに消えていってしまう。
「(……危ねぇぇぇぇぇぇぇ!! 危うく事故キス成立するところだったぁぁぁぁ!!)」
打ち据えた顎を押さえながら冷や汗が止まらない。
防御力がバグってるから痛くはなかった。だがそれ以上に心身的な致命を受けている。
俺は怒りを滾らせて元凶のほうを睨みつけた。
「ナエさんは娘のことをどう思ってる?」
「超可愛いです」
秒速だった。
考えるまでもないことを言わせるんじゃない。
すると勇者ちゃんママは――まるでなにごともなかったかのように――湯飲みの茶をずず、と啜った。
「そろそろ娘を旅立たせようと考えている。小さな村で生涯を終えるのも一興。でもレーシャには選ぶ権利がある」
さっきまでのは演技か。
色気を振りまいていたとは思えない落ち着きぶりだった。
俺はバツが悪いまま身を起こして椅子に座り直す。
「つまりアークフェンでパンを焼いてるだけじゃできない冒険をさせたいわけか」
「それもある。けど、猛虎は谷底に、娘……埋める」
「埋めるなよ落とせよ。それだと谷底である必要がないだろ」
ほんとこの人は最後まで締まらない。
だが、言いたいことは伝わった。
「レーシャを、私の大切な娘をよろしくお願いします」
勇者ちゃんママの真剣な眼差しは、母としての思いだった。
それはお願いなんて柔らかな言葉よりも、ずっと重く響いてくる。
「(ここまで家主に頼まれたのなら折れるしかないな。イージーなだけで別の方法も考えてあるし気持ちを切り替えるか)」
断れない。
いや、断ったらあとでどんな手を使って迫ってくるのか想像もつかない。
俺は深く息をつき、悟ったように頷いた。
「……わかったよ。大ギルドの迎えがきたらレーシャちゃんも一緒に連れていく」
「むしろ断ってくれてもいい。でもそのときはアナタの考えが変わるまで丹精こめて奉仕するだけ」
「ほんと怖ぇって」
こうして俺は、折れるしかなくなっている。
近く訪れる大ギルドからの迎えに勇者ちゃんの同行を許可するのだった。
〇 〇 〇 〇 ? ?
最後までご覧いただきありがとうございました!!!




