32話 清き乙女に咲く花の色《SAKURA Colors》
夕闇に溶ける
余韻
思い出を描く
夢の跡
新しい物語
綴れたならば
俺たちは、遊んだ。
それはもう時間を忘れるくらい全力で。
水かけをはじめとし、釣り、水切り、姫騎士を目隠ししてスイカじゃない割り。浅瀬に潜って貝を集め、珊瑚と小魚を眺める。
こうして終わったあとは、もう1歩も動きたくないと思えてしまう。心地の良い疲労がじんわり身体の内側に蓄積するくらい遊び尽くした。
「はぁぁ~♪ 遊んだ遊んだぁ~♪」
砂浜にぺたりと丸く白い尻が食いこむ。
シセルは両足を投げだして背筋ごと弛緩させる。しっとりと潮風に晒された白い肌には、太陽の名残を残す。
胸いっぱいに吸いこんで吐く幸福感は、まるで今日を全力で満喫した子供のようだった。
夕暮れ。さざ波の音が、焚き火のはぜる音に溶ける。
海辺の即席キャンプは、正直にいって貧相そのものだった。
釣果の魚が6匹。それに加え、あらかじめもちこんでいたパンが数個ほど。
姫騎士をもてなすには、あまりにも粗末な晩餐だ。
しかし姫騎士は気にした様子もなければ、疲労すら見せずにいる。
「このパン非常に美味ですね! なかに入っている黒くて滑らかなモノはいったいなんなのでしょう!」
勇者ちゃん宅のお手製あんパンに舌鼓を打つ。
文句ひとつでも吐けばいいモノを。控え目な口であんパンに再び食らいつく。
「甘いですね! これは非常に甘いです! 頬裏を刺激しながら疲れた身体に染みこみ疲労を癒やしていく! これまるで治癒魔法のようではありませんか!」
好評どころか大絶賛だった。
騎士とて甘いものには目がないらしい。目に輝かしい星を瞬かせながらあんパンを楽しんでいる。
美味い美味い、と。これには勇者ちゃんもくすぐったそうに砂に埋めた腰を揺らす。
「それはあんこという豆と砂糖を煮たソースなんですよっ! 美味しいのに保存も利くので村の冒険者さんたちにも大人気なんですっ!」
「なんという……なんという繊細な甘み! なのにずっしりとして食べ応えがあって腹持ちも期待できましょう! これは我が隊の糧食に是非に採用したいくらいですね!」
姫騎士の手は止まらない。
もう3つ目のあんパンにもぐりと齧りつく。
「姫騎士のくせに野宿とか粗食とかそういうの気にしないんだな。高級美食と天蓋付きベッドが標準装備かと思ってたよ」
「あの子にそんな過ぎたるものは必要ないわ。姫のぶぶんに囚われがちだけど、根っからの騎士よ。今回みたいな遠征とかにももう慣れっこなんだから」
ふぅん。意外な一面に感嘆の吐息が漏れる。
野宿と粗食でもとくに抵抗はない、どころか反論の1つも言わず、適応している。
シセルの言うように俺は姫のぶぶんに囚われていた。が、やはり騎士。野宿や粗食には男と同等、あるいはそれ以上に慣れているようだ。
ばちん、と。焚き火の薪が火の粉を吹いて爆ぜる。
「それにしてもアフロディーテ様の巧みな棒捌きにはびっくりでしたっ! 地面に置いた果物がパカーンって1発でしたもんねっ!」
「はじめは視覚を塞がれて動揺いたしました。ですが、やはり剣の道は明鏡止水にあり。眼で見えなければ心で読めばいいのだと気づかされました」
勇者ちゃんと姫騎士はすっかり友だちのような距離感だった。
待ちに待った漫画の新刊でも読み返すかのよう。よほど楽しかったのか、もう今日の思い出を読み直しては孤を描く。
「ところでさ、ナエナエっちって海の遊びかたプロ級じゃない?」
「それ私も思いました! 遊びの提案が次から次へと、まるで湧き水のように止まらないんですもん!」
「しかもどれも目新しく新鮮なモノばかりでした。とくにあのびーちふらっぐ、という遊びの駆け引きと瞬発性は遊びの域におさまりません」
やいの、やいの、と。まるで永年、遊び人のような評価だな。
とはいえ彼女たちに悪意のようなモノは見えない。真っ当に評価してくれている。
陽光を失った空は茜から藍色めいて。地球から見えるモノとは異なった星々が淡い7色に瞬く。
海で遊んで締めにキャンプときたものだ。レジャーとするならこれ以上ないシチュエーションとレクリエーションだった。
姫騎士もさぞ楽しんだに違いない。そう、思って俺は視線をそちらへ滑らせる。
「2日後、定刻通りにワタクシの隊が到着します」
またぱちん、と。爆ぜた。
飛び散った火の粉は、小さな妖精の舞のように宙を漂う。
その光を受けながら、水着姿のアフロディーテは、どこまでも優美だった。
白木の丸太に腰掛け、足をそっと横に流して組む姿は、場違いなほどに優雅で。背筋は凛と伸び、焚き火の照り返しに若草色の髪がやわらかく輝く。
姫騎士というより、ひとときの楽園に舞い降りた女神そのものだった。
「大規模ダンジョンでの攻略が完了し次第、ワタクシは都へと戻ります」
すぐに場の空気がピンと張り詰めるのがわかった。
去り際を告げるその言葉は、予想以上にあっさりとしていて、どこか寂しげでもあった。
「ええっ!? もっとゆっくりなさっていかないんですか!?」
真っ先に声を上げたのは、勇者ちゃんだった。
湯気の立ちのぼる湯のみを手にしたまま。前のめりがちに丸い膝を叩く。
「村にあるのは、あんパンだけじゃないです! 温泉とか、天然の熱気風呂とか、あとあと……」
「レーシャ様のお心遣い、大変痛み入ります。けれど……都に戻って、やらねばならぬことがたくさんございます。近ごろは、魔界との境界付近に不穏な動きがあるとの報告もありまして。都を離れたままのんびりしているわけにも参りませんの」
ただ事実だけを告げる穏やかな声音だった。
そのうえで母が子の奮闘をやさしく見守るような、慈しみに満ちた笑みを崩さない。
「魔界って侵食領域のことか?」
口が自然と言葉を紡いでいた。
流れ、というものを組んだまでだ。
あるいは俺も空気に呑まれてしまったのかもしれない。
彼女たちのようなNPCの1人になりたかった。
「ええ。近ごろ魔王の動きが活発化しているという噂もあります。これ以上人の領土を減らされては大事になりかねません」
「でも止めようとして止められるモノか? 食い止めることはできても押し返せるものじゃないだろう?」
侵食領域、魔界。
それすなわち魔物の支配する領域を指す。
根源を中央とし広がる魔界に侵食された領域は、命を育まない死の土地と成り果てる。
ヴェル・エグゾディア開始時点では、おそらく4割ほど。人の住まう領域は、展開でさらに、狭まっていく。
「最新の研究によって魔界を中和する種を生みだすことに成功したようなのです」
「へぇー、ソイツはスゴイなぁ」
ん、知ってるぅ。
聖なる種。魔界を浄化する唯一の手段。
しかもそれは勇者ちゃんのもつ贖罪の能力あってはじめて発芽するというネタバレ。
「未だ魔界は人跡未踏の地、足を踏み入れれば2度と生きては還らぬ究極の終演領域」
地図すら歪むとされる瘴気の奔流、時折その境界で観測される名も知れぬ存在の影。
剣も魔法も通じず、語り継がれるのは戻らぬ者たちの無念ばかり。
姫騎士によって物語が訥々と紡がれていく。
「もし試験運用している種が実証可能ならば犯された土地を人の領域に戻すことも夢ではありません。なればこそいずれくる未来のためにいまを留めねばならぬのです」
そう言い切る女性の瞳には、焚き火とは別の情熱が秘められていた。
騎士の誓いとでも言おうか。ただ真っ直ぐで愚直でひたむき。
夜の帳が降りるなかに、まるで威光のよう。《花の君》を冠する騎士が確かにそこにいた。
「(ん~……)」
俺は、少しだけ悩んでいる。
シセルからの依頼とは言え、この子は曲がらない。
たとえ身を滅ぼすような苦難が待ち構えていようとも騎士でありつづける。
「(俺がわざわざ手を焼いてやらなくても物語に支障はないような気がする)」
少しだけ、面倒くさい。
だがその感情を許諾できない自分がいる。
彼女と出会って、触れて、語らって、新たな心が芽生えはじめている。
「(手を差し伸べるべきか。だがこれ以上世界に干渉しつづけたら……)」
この世界はバッドエンドが約束された物語だ。
全人類を幸せになど、できやしない。
だがそれでも俺は、かつてこういう世界を創りたいと願ったはずだった。
ふと、横から小さな声が上がる。
「そんなぁ~……せっかくアフロディーテ様とお友だちになれたと思ったのにぃぃ~」
焚き火の明かりに照らされた勇者ちゃんが、くしゃっと情けない顔をしていた。
唇をぷくりと尖らせ、白い脚をぱたぱたと砂の上で遊ばせる。
「王都は遠いしそんな簡単に遊びに行けないですもん……」
それはまるで、わがままを言う幼い姫のよう。
なのにどこか心の奥がきゅっとなる。
どうやらアフロディーテも同じ感情らしい。ぱちくりと瞬きをし、驚いたように瞳を開き、首を傾げる。
けれど次の瞬間にはもう微笑が彼女の顔に戻っていた。頬をゆるやかに緩み、花開くような朗らかさがそこに咲く。
「まあ! うふふ、私を友と呼んでくださったかたは貴方で2人目です!」
声には弾むような喜びが混じっていた。
両手を胸の前で合わせ、頬を染めて、きゅぅっと唇を結ぶ。
「こんなに嬉しいこともまた、2回目ですね……。ふふ、なんだか胸がぽかぽかします」
そう口にする彼女の目元は、どこか潤んでいて。
「もしよろしければ、遠く離れて会えずとも……お友だちでいてくれますか?」
問いかける声はあくまで穏やかで、けれど真摯だった。
勇者ちゃんは、姫を誘うように差し伸べられた手をぎゅ、と握り返す。
「はいっ! もちろんですっ!」
子供のような明るさと無垢な信頼に満ちていた。
勇者ちゃんは満面の笑みで首がとれそうなくらい幾度も頷く。アフロディーテの手を両手で包みこむように握りしめ、喜びを全身で表していた。
「それと……もうお一方のお友だちにも、感謝を伝えなければなりませんねっ」
姫騎士は、ふわりと優雅に微笑む。
視線の先には、焚き火のそばで魚を頬張るシセルがいた。
「あ”? らんのはなひ?」
水着姿で胡座を掻き、口いっぱいに詰まっている。
冒険者とはいえワイルド過ぎるだろ。さながら原始人の再来か。
「途中から、ワタクシのことを“アフロディーテ”と、お名前で呼んでくださっておりましたもの」
俺はシセルに呆れながらも「……あ」と呟く。
言われてみれば、最初は隊長と呼んでいたはずだ。
それが、気づけば自然にアフロディーテ、名前へと変わっていた。
「騎士であることを思い起こさせない優しさ。ワタクシを《花の君》ではない1人の友として扱ってくださったのですね」
「あらら。バレちゃってたのなら作戦失敗なんだけどねぇ」
バツが悪そうに、シセルは口をもぐもぐと動かしたまま目を逸らす。
頬がほんのり赤い。イタズラがバレた子供のような心境だろうか。
おそらくそれは作戦ってやつの一貫。彼女なりの優しさだったんだろうから。
「そしてナエ様とレーシャ様も、本当にありがとうございました」
姫騎士は腰掛けた丸太から立ち上がると、深くお辞儀をした。
長いツートンカラーの若草色が柳のようにしな垂れる。両手を揃え腰から90度、誠意という他ない。
「男性って人間だったのですねっ。ナエ様とお会いするまで男とは畜生以下の俗物だと思っておりましたっ」
「爽やかな笑顔でこの人すげーこと言ってるぅ!? ってことは俺との初対面のときもそういう目で見てたってことだよねぇ!?」
冗談だったのかは正直わからない。
しかし村にきたばかりの彼女は、こんな風に笑えていなかった。
どこか刺々しい、口調は穏やかでも決して心許さず、まるで孤独を1人で抱えたような。騎士としては正しいのかもしれない。が、やはり女性としてはいまのほうが健全と言える。
「(シセルは、この子に心の支えを建ててやりたかったのかもしれない))」
アフロディーテをとり巻くのは呪いの世界だ。
しかしもし呪われていなかったら。彼女にもこんな普通の世界が広がっている、と。教えてあげたかったのかもしれない。
ひとえに友を救いたい、支えたいという思いやりがシセルを動かしたのだ。
姫騎士に寄り添った、1人目の友だちとして。
あとは簡単だった。
「ナエ様?」
「思い出につづきを綴ってやるか」
俺は、勇者ちゃんをひと撫でしてから歩みだす。
なにも難しくはない。ただ勇者ちゃんとシセルのため、友だちのために動けば良い。
そうすれば誰も悲しまない。1人ために事象を捻じ曲げるのは強欲だが、3人のためなら欲張りで済む。
「《花の君》、アフロディーテ・エロイーズ・サクラミア」
俺は俺の造ったキャラの名を呼ぶ。
我ながら花の君に似合う美しい良き名だと思う。
アフロディーテ、愛と美を司る女神。
エロイーズ、太陽のように輝しい戦士。
サクラミア、桜色の愛おしき君。
「大規模ダンジョン討伐に連れていけ。そして俺にも大量の魔物を狩らせろ」
俺は、確信をもってそう言い切った。
シセルと勇者ちゃんは冷え固まったかの如く俺の暴挙を見守る。
そしてアフロディーテは、息を呑むように絶句した。
「なに、を……っ」
声が震える。
信じられないといった表情が焚き火の橙に照らされている。
まるで普段の毅然とした騎士ではない、ひとりの戸惑う女性のよう。
「《花の君》から、1人の女に戻りたいんだろ」
俺は軽く肩をすくめて、シセルのほうへと顎をしゃくる。
「だったらワンチャンス、今回の大規模ダンジョン攻略後に救ってやれるかもしれない。だから連れていけよ。俺に働かせろ」
ふっと、我ながら馬鹿馬鹿しくて笑みがこぼれた。
ここまでくれば、もう迷う理由なんてどこにもない。
それは義務でも運命でもない。俺がそうしたいと思ったから、やる。
それだけの話。
「………………」
アフロディーテは言葉をなくしたまま、俺の顔をじっと見つめていた。
けれど、その瞳の奥にあったのは迷いではない。確かに救われたかのような光が灯りつつある。
やがて彼女は、慎ましやかな所作で毅然と立ち上がった。
風に髪がこぼれる。焚き火の火の粉が夜の帳に舞う。まるで祝福の花びらのように降り注ぐ。
「……ご同行、心より歓迎いたします。ワタクシを……救っていただけませんか……?」
《花の君》は、誇り高く、だがどこか柔らかく、そう告げた。
俺は、見せつけるように堂々と、勝ち目のある笑みを描いた。
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最後までご覧いただきありがとうございました!!!!
ランクインありがとうございます!!!!
光栄です!!!!!