30話 君じゃない、君《Petaled Flower》
処女を賭けた
大依頼
うつろう心と
懐疑と羞恥
むくれる君は
月夜に
嬌笑する
「(これが本当に呪いなら解く方法もあるが。そもそも魅了はこのキャラクターの能力そのものだし……)」
ぐい、とパンを千切る手にも力が入る。
皿の上にパンくずが散らばった。
「(能力を抹消する? 昨今スキル乱れ取得の流れが多いなか、そんな不便なアイテムなんぞ作った覚えがないしなぁ……)」
ぐるぐる、思考だけが忙しく回転していた。
まるで咀嚼と脳内がシンクロしているかのように、何度も、何度も。
もしたとえば、ワンタップで魅了を打ち消すアイテムがあったとしたら。
「(アイテムひとつで、才気あふれる英雄だろうが、超異常的な力をもつ魔王だろうが、無能になってしまう)」
そんなあらゆる意味で都合の悪いアイテムなんてあるモノか。
もし本当に存在したとしたら、まずこの世界ヴェル・エグゾディアの設計そのものが崩壊する。
「「(となれば、魅了の逆の能力で相殺を図るとか、どうだ?)」」
フォークを口に運ぶも、間違って空気だけ刺している。
「(人を遠ざける能力、不細工になる能力、悪臭を発する能力……)」
そこまで考えて、スープをひとすすりした。
「(……そんなの、ただのデバフだ。能力ですらない……)」
依頼されたものの、収束地点は皆無。
そもそもアフロディーテ・エロイーズ・サクラミアという存在は、バッドエンドを軸に作られたキャラクターだ。
シセルや未覚醒勇者ちゃんのように未来を変えることは可能だろう。だが、姫騎士の場合、根底にある設定を捻じ曲げねばならない。
いわば無下限の魅了能力が彼女の存在理由と言える。これを解決するには彼女の存在そのものを否定することと同義。
「(そういえばシセルってあんななりでも処女だったのかぁ)」
思い返せば、あの真剣な目で軽やかに爆弾を投下してきたのだ。
平静を装っていたが、男としてまったく無風で済むわけがない。
「(胸はほどほどだけど、顔も性格も悪くない。プロポーションだけならかなり上物のような……)」
そんなことをぼんやり思っているうちに、現実の空気が突然強くなる。
「ナエ様っ!」
びしっ、と。鮮やかな卓上が震えるように揺れた。
ガタン、という小さな音と共に、スプーンが皿で跳ねる。
「さっきからフォークがふらふらしていてお行儀悪いですよ!」
勇者ちゃんが立ち上がって、怒りのこもった目でこちらをじっと睨んでいた。
怒っているのにその仕草が妙に可愛らしい。理不尽に正統派。
空想上の2房より豊かな曲線が、たわむ。立ち上がる動作にあわせてふわんと弾み、自己主張してくる。
「(やばい、また思考が脱線しかけた)」
俺は、はっ、として自分を正気に戻す。
手にしたフォークの先は皿の縁を突き続けており、目の前の夕食はとうに湯気をやめていた。
ぬるくなったなんとも表情の煮込み野菜がこちらを見返している。
怒られても無理はない。反省だ。
「ご、ごめん……ちょっと考えごとをしてたんだ。ちょっと脳の容量を使いすぎてた」
「ごはん中に考えごとなんてだめですよっ! ごはんとは真剣に向き合わないと食材に失礼ですっ!」
勇者ちゃんは不満げに口をとがらせる。
そして自分の皿からソーセージを1本、俺の皿にぽとんと落とす。
「これあげますから、ちゃんと食べてくださいねっ」
「は、はい……ありがたく、いただかせていただきます」
俺はすごすごと肩をすぼめながらお目こぼしを口に運ぶ。
「(……うん、悪いこと考えてたな俺。反省しよう)」
せっかく2人きりの団らんだというのに、俺はなにをやっているのだろうか。
口に運んだふわふわの白パンが程よい甘さと小麦の香りを口いっぱいに広げていく。
外はぱりっと香ばしく、うちは雲のような柔らかい。米派の俺でもこの家のパンは毎日でも食べられる。
今日の夕食は、野菜の煮込み、ソーセージのハーブ焼き、たまごとミルクのやさしいスープ、そして焼きたてパン。
どれも高級とはほど遠い。地味ながら、あたたかい家庭の味だった。
「あれ? そういえばレーシャちゃんママは? 帰ってきてから姿を見てない気がするけど?」
俺は、目の前の夕飯に集中しながらふと、普段と違うことに気づく。
さすがにいま気づくというのも失礼な話だが。普段ならはす向かいに座っているはずの人物がいない。
勇者ちゃんはこほん、と咳をしてから空いた隣の椅子に触れる。
「今日は村の会合のお食事にでてくるそうです。普段お食事を担当するご婦人がギックリをやっちゃったみたいで、そのお手伝いだそうですよ」
「村づきあいかぁ……それは難儀だねぇ」
「村社会を悪く言う人はいますけど、これも助け合いの延長ですから。もちつもたれつのバランスさえ保てていれば良いことのほうが多いんです」
勇者ちゃんはパンをちぎりながら、ちらりと俺の顔を覗きこんでくる。
「それで……さっきのお考えごとというのは、やっぱりアフロディーテ様のことでしょうか?」
手が止まった。スプーンを持つ手が、中空で固まる。
「……な、なんでそう思うのかな?」
「だってナエ様、シセルさんと一緒にでていってから様子がオカシイです。アフロディーテ様を見つめてそわそわしたり、やっぱり変です」
「うぐっ!」
やはり女の勘というのは侮れない。
観察力というか、もうこれは一種のセンサーのようなものだ。
俺の小さい邪な気持ちなんて即座に察知されてしまう。
「どうなんですか! あれからシセルさんとなんのお話しをなさったんです!」
勇者ちゃんは興味津々と言った様子だった。
純粋な栗色の瞳が爛々と宝石のように輝き、満ちている。
これにはさすがに俺の心がちくり、とした。とりあえず話せることだけを抽出するしかない。
「……ああ。実際、俺の考えていたのはそのことだよ。どうしても気になるんだ、あの能力のことが」
「能力なんですか? シセルさんはあの香りのことを呪いっておっしゃってましたけど?」
ああそうか。能力と確定しているのは俺の脳内だけ。
あれは香りでも呪いでもない。姫騎士が端正で魅力的なため、そういう勘違いが生じているのだろう。
「その呪いのせいでアフロディーテは周囲の人を信頼できないらしい。近づいてくる男は100%魅了されてるし、あの子の内面や性格なんて知ろうともしないクズばっかりだそうだ」
「ふーん……」
俺は食事を終えると、匙をそっと皿に戻し、口元をナプキンでぬぐった。
すでに勇者ちゃんも食事を終えており夕食の名残は香りだけ。食卓は静かにゆったりとした空気に包まれている。
窓の外から、夜風がそよりと入りこんでくる。夜の湿った香りを含んだ、やわらかい風。
「……あの、やっぱり、アフロディーテ様のこと気になっちゃいます?」
「気になるというか、気が置けないというか。とりあえずあのまま放って置くのは可哀想だと思ってるかな」
「つまりああいう高貴で美しい人のほうが、好みなんですか?」
「へ?」
間の抜けた声をだしたまま、食後の伸びが途中で静止した。
なにか柔らかいもので頬を叩かれたような、そんな軽い衝撃が頭に走る。あまりに予想外すぎる一言だった。
俺は、あらためて正面に座る勇者ちゃんを見つめる。
すると彼女は、ちょこんと背筋を伸ばしたまま。指をもじもじと編むように絡めていた。
上目がちにちらちらとこちらを見るその仕草は、どこか落ち着きがない。
「……べ、べつに気にしてませんけど? ナエ様がそういう人が好きでも、私には関係ないですし……」
小声でそう言う勇者ちゃんは、どこか不満げだった。
けれど怒っているというより、むしろ恥ずかしさを押し殺しているようにも見える。
髪の毛先を指先でいじりながら目を逸らしたかと思えば、またこちらをちらり。唇もわずかに尖ってむくれているかのよう。
「あの、えっと……私、子どもっぽいですし、地味ですし。ぜんぜん魅力ないですけど……」
そう言って勇者ちゃんは、小さく縮こまるように肩をすくめた。
なんというか、ずるい。可愛い子が可愛いことを自覚しないでする可愛い行動。
「だれもそんなこと言ってないだろ!? ていうかなんでそんな自己評価低いの!?」
「だって……ナエ様ってばアフロディーテ様のことばっかりじゃないですか。いつも以上に熱心ですし、一緒にご飯食べてるのに私すら視界に入らなかったみたいですし……」
むぅ、と唇をとがらせて、今度は堂々とこちらを睨んでくる。
それはどう考えても俺が悪い。勇者ちゃんママがいないことすら気づいていなかったし、反省はしている。
「もしかしてですけど、アフロディーテ様を助けるとナエ様にとても良いことがあるんですか?」
「いや、別に、そういうわけじゃ……」
「その反応、まさか……――あるんですねっ!? なにか良いことが!?」
慧眼だった。
いつの間にか俺は、追い詰められている。
しかも善意100%で。
「じゃあ私も是非お手伝いしちゃいますよっ!! ナエ様には命どころか村まで救っていただいたんですっ!! このような絶好の機会、見過ごすわけにはいきませんっ!!」
勇者ちゃんは秒でやる気満々になってしまう。
その間、俺はといえば。
「(勇者ちゃん手を借りて問題を解決したらシセルの処女がもらえる!? やってることクズすぎて頭トロール過ぎだろ!?)」
罪という罰に打ちひしがれている。
そもそも俺は別に報酬のために動いてるわけじゃない。断じて違う。
創作者として責務をまっとうしようとしているだけにすぎない。決して色香に惑わされているわけじゃないから、ガチで。
それ屋って俺が色々試行錯誤していると、不意に頭が真っ白になる。
「あ、あの……レーシャちゃん?」
やけに静かだと最初は思った。
しかしそれは突発な異変であることにすぐ気づかされる。
「……………………」
勇者ちゃんは、椅子から立ち上がる姿勢だった。
両手でガッツポーズをしたのまま。彫像の如 く停止していた。
まるでそう、世界そのものが、時を止めたかの如く。
「くすくすくす。い~けないんだぁ」
勇者ちゃんの口元が音を紡ぐ。
普段と同じ声、音量、でもどこか異なっている。
声色はそのままで、口調はどこか普段以上に幼い。なのにどこか妖艶ささえ感じられる。
そして俺の目には、彼女越しに見える背景の色が、ヒドく褪せて見えた。
それはさながらモノクロのなかに彼女だけがいるみたいな。
空気が肌を刺すような感覚が痛い。呼吸を刻むだけで苦しい。喉奥が異様に渇く。
「お前は……誰なんだ? この間の襲撃のときにも一瞬だけでてきたよな?」
やっと吐きだせたのは虚勢だった。
中身なんてなにもない。ただ思いついただけの虚偽。
「………………」
だがソレは俯いたまま。
黙したまま。語らず。
着崩れた肩口から着物をぶら下げるように白い肌を晒す。
ざっくりと開いた胸元には、はっきりと六弁の花の紋章が顕現している。
「まさかお前も俺と同じバグなのか? いったいレーシャちゃんのなかでなにをやってる?」
「せっかくまたお会いできたのにつまらない質問ばーっかりですかぁ……もっと楽しい話がしたいなぁ」
ソレは、踊るように垂れた袖口をふらふらと揺らめかせた。
茶化すような言葉とは裏腹に、顔を上げようとしない。表情も感情もなにもかもが見えてこない。
だが、これではっきりとした。勇者ちゃん、レーシャ・ポリロのなかに、別の誰かがいる。
「そうか。つまりお前が断罪の覇者なんだな。本来ならレーシャちゃんは慈愛の勇者だったのにお前の存在が上書きしたってことかよ」
目の前の不可思議が、恐ろしかった。
それでも前進することを止めようとしなかったのは、よくわからない。
なんでかこの不可思議が自分と同じ気配をもっている。そんな予感くらいしかなかった。
肩をはだけた勇者ちゃんの姿をしたソレは、ゆらりと。身体を滑らかにくねらせる。
「上書き? クヒッ――」
その瞬間、ぷつんと何かの糸が切れたようだった。
口元が三日月を描く。端がひくつき、白い肩が揺れる。
「ハヒーヒヒッヒッ! アハッ、アハハハハハハハッ!」
タガが外れたかのように、奇声めいた笑い声がほとばしった。
脳のネジが3本くらい飛んでった感じだ。
「今回の私はとっても幸せいーっぱい! お父さんもお母さんもずぅぅーっと一緒! しかもナエ様と暮らして毎日がまるで花のある夢見心地のよう!」
肩を抱きしめ、まるで夢でも見ているかのようだった。
勇者ちゃん――らしきソレは、ふわりと足元を浮かせるように、部屋の中を舞いはじめる。
「るんららら~るん、らららら~♪」
そして、口からこぼれる。
それは、旋律というにはあまりに不安定。歌というにはあまりに気味が悪い。
「らんらんるるら、赤いお花、六弁の~♪ ふわふわおふとん、焼けたお肉~♪ ぐちゅぐちゅしてもだいじょうぶ~ だいじょうぶぅ~♪」
ねじれた言葉の羅列だった。
足元をふらつかせ、まるで壊れたオルゴールの人形。
節のついた調子外れの声が、壁に、天井に、染みのようにまとわりついていく。
「うれしいの。しあわせなの。なのにどうして、心がざらざらしてるのかなぁ」
笑っている。泣いている。あるいは、そのどちらも。
いくつもの感情を貼り合わせた仮面のように声が裏返る。瞬時にくるくると表情を変える。
「……ナエ様? ねえ、ナエ様ぁ? ナエ様ァァァ!?」
「うっ!?」
こちらに向き直るその笑顔は、ひどく歪だった。
そして驚くほど、とても幼かった。
「イイナイイナイイナイイナイイナァ!! こぉんなに大切にされて愛に満たされてェェ!! 私のなかまで幸福感が流れこむッ!! ほだされ湿気ってしまいそうッ!!」
部屋の空気が、ぐにゃりと歪んだ気がした。
目の前のソレは、勇者ちゃんの姿をしているのに、まったく別の存在に思えた。
いや、存在と呼ぶことすらはばかられるなにかだった。
ふと、ソレは糸の切れた人形のように静止し、首をぐらぁり、傾げる。
「……だから穢さないでくださいね?」
ピクリと小さく笑う。
声の温度が、底まで冷えた。
瞬間、部屋の気温が数度下がったように感じた。
「ああそれと」
呼吸が止まった状態で視線が合う。
「そろそろ旅にでないと次のイベントに遅刻しちゃいますよ」
刹那に、途絶する。
まるでスイッチをプツンと切ったモニターのよう。
ONがOFFになるみたいに。白と黒のモノクロに世界が還ってくる。
「……はれ? わたし、なにを?」
目の前のソレは、勇者ちゃんは、いつもの調子に戻っていた。
ぱちぱちとまばたきさせ、首をこてんと傾ける。その仕草には、先ほどの狂気の片鱗すら感じられない。
「ひゃあああああああああ!? なんでお着物が脱げちゃってるんですかああああああ!?!」
しかも脱げた着物に混濁していた。
「なんだったんだ、今のは……」
こっちが聞きたい。
鼓膜の奥で血がさえずっている。指先まで冷えて脳は痺れるくらい疲弊している。
さっきまで冷えきっていたはずの室内が、いまは逆に火照っていた。
その中心で、あられもない格好のまま勇者ちゃんは泣きそうな顔で立ち尽くしている。
そしてしばししてからこっちをキッ睨む。愛らしいいつも通りの表情で。
「なーーえーーさーーまーーぁぁぁ!!! スカートのなかだけじゃ飽き足りずぅぅぅ!!!」
「ちょ、待ってくれよぉ!? それに関しては自分で脱いでたし完全に冤罪だからぁ!?」
「もんどーーむよーーです!!!」
そこから待っていたのは、ただの理不尽な暴力だった。
地味に痛いグー攻撃。勇者ちゃんの気がすむまで俺は殴られつづける。
しこりのように残滓と謎を残し、不思議な夜が更けていく。
「(勇者ちゃんのなかにいる彼女は果たして眠れるのか)」
なんとなくそう思った。
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最後までご覧いただきありがとうございました!!!