27話 とっておきの花束を、君に
歩幅の合わぬ
たった2人
姫騎士の憂鬱と
友の気がかり
鎧を脱いだ
乙女
「あ、あまり見ないでくださいっ! こんな格好、私だって不本意なんですから!」
青葉に包まれた村の道は、土の香りがほのかに漂う。
小川のせせらぎと小鳥のさえずりがのどかに歌う。
哀愁ある村の小道に耳を桜色に染めた姫騎士が1人ほど。
「いまお笑いなられましたねっ! 似合っていないからって心のなかで小馬鹿にしていますでしょうっ!」
「笑ってない笑ってない。さっきから背中が丸くなりっぱなしだからもっと堂々としなさいよ」
なんでこんなことになってんだ。
鎧を脱いだ姫騎士アフロディーテは、まるで別人だった。
軽やかな白のワンピースに身を包み、露わになった肩先が日差しの下で震えている。
あの凜々しくも品のある尊大さはどこへやら。いまここにいるのは、ただの――……いや、花のように美しい乙女だった。
「うぅ……視線が刺さる……人目が、痛い……」
彼女は真っ赤な顔を俯けていた。
豊かな孤を描くバストを押さえ、スカートの裾をシワになるほど握りしめる。
全身を羞恥色に染めながら、俺の2歩後ろを小走りで追ってきていた。
「村の人口を舐めるな。子供は学び舎、大人は農作業や軽作業で忙しいんだぞ。わざわざアンタのことなんて見てる暇ないっての」
「そ、そうはいってもですね! たまにすれ違うかたがいるじゃないですか!」
言ってる間に前からお年寄りが近づいてきていた。
アフロディーテは、そそくさと俺の影に身を隠す。
俺はすかさず「こんにちは」すれ違いざまに笑みを作る
すると杖をもった老婆もまた笑みを浮かべ「こぉんにちはぁ」と、挨拶を返してくれた。
そして老婆は慌てて隠れたアフロディーテに目もくれない。なにごともなかったかのように腰を曲げたまま去って行ってしまう。
「こんな真っ昼間に散歩してるなんてご老人くらいだ。目も悪いし耳も遠いんだからアンタのこと気にしてすらいない」
「それでも心がままならないモノなのです! 鎧を着ずに誰かと接するなんて遠い過去の記憶なのですから!」
美しい眉を鋭利に逆立てようが、気迫は皆無だった。
「貴方は気楽かもしれませんが、もしこんな姿を冒険者に見られでもしたらどうするおつもりなのです! 剣も鎧も帯びず粗暴者に絡まれでもしたら打つ手がありませんのよ!」
「だから斡旋所近辺を遠ざけて歩いてるんだろ。この辺は田んぼと畑が多いからあぜ道くらいしかない。しかも周囲の村人が見てるのは景色より土のほうだから心配するな」
彼女が恥ずかしがるいっぽう、俺は余裕綽々を崩さない。
だって歩いているだけだもの。あさくらなえ。
彼女にとっての非日常は、俺にとって平穏かつただの日常だった。
「あんまりセンシティブに考えずもっとナイーブにいこう。そんな肩肘張ってたら首謀者の思うつぼだ」
「……致しかたありません。心ならずもご協力頂いているのですから耐えるとします」
俺が諭してようやく。
アフロディーテは丸めていた背をしゃんと伸ばす。
「まったくなぜシセルはこのような服を用意しているんですか! 当人こそ鎧しか着こなせないくせに!」
「(たぶん面白いからだろうな。アイツはそういうことに糸目を付けないタイプだろうし)」
朱の混ざる頬をむぅ、と膨らし、不機嫌だが足どりはしっかりしていた。
白のワンピースは風に揺れて、裾が足元をふわりと包む。肩には淡い藤色の花飾りが一輪、つばの広いハットの影に収まる横顔に清楚な華を添える。
肌には季節感のない汗が滲んでいた。首筋までほんのりと朱に染まっているのを隠しようがない。
「(なにがどうなっているか。なぜ俺とアフロディーテがこんな形でいるのか。突飛すぎてこっちが聞きたいくらいだ)」
俺は、アフロディーテ隊の隊長を横目に、足先を高く上げる。
簡潔に言うと、デートなう。
シセルという首謀者に緊急依頼され、いまに至っていた。
「貴方はワタクシと一緒にいてなにも感じませんの? ずいぶん飄々としておられますが……」
「ガチの美女が隣にいる、っていう点なら少しだけ誇らしいかな」
「そ、そういうことではなくってですねっ! なんらかの身体の変化や感情の猛りのことを聞いているのですっ!」
なんだその初心な反応は。可愛いかよ。
意外なことにアフロディーテは美人という単語に身をよじって拒絶反応を示す。
「花の君とか大層な名前で呼ばれてるのに、もしかして褒められ慣れてないのか?」
「基本そういった浮ついた言葉を耳に入れぬようにしておりますのでっ! それより私の質問のほうに応じてくださいっ!」
蝶よ花よと愛でられてきただろうに。
魅了体質もあってか、それだけに他者を信用できないのかもしれない。
もしかして格式張った場では、自我を抹消し、虚像をまとっているのだろうか。
「とくに身体にも感情にもそういう変化はないかなぁ~。正午付近の日差しがきもち~な~」
「どうしてそれほど呑気なのですか!」
いまいち肩の力が抜けないアフロディーテ。
そんな彼女を置いて、俺は欠伸と背伸びで身体をほぐす。
もし都だったらいまごろ彼女は注目の的となっていただろう。しかしいまアフロディーテ隊の《花の君》がいるのは、はじまりの村である。
小さな村の小さなコミュニティ。村民は《花の君》の噂くらいなら聞いたことがあっても、本人の顔まで知っているわけではない。
つまりここアークフェンの村ならば、彼女は騎士ではない。ただの1人の女性として振る舞える。
「ところでさ」
「は、はいっ!? なんでしょう!?」
気を使って声をかけてみる。
するとアフロディーテは驚いたように白い肩を跳ねさせた。
そもそも男に慣れていないのだろう。特異な体質も相まって本能的に距離を置く癖があるのかもしれない。
「シセルとはいったいどういう関係なんだ? 本音を言うと2人とも馬が合うような性格とは思えないんだが?」
「彼女は2年ほど前まで騎士団の諜報員を任されておりました。ああ見えてあの子は、若くして人の心を読み、表と裏を見極める目に長けております」
そう話すアフロディーテの声は、どこか懐かしむような響きを帯びていた。
「表情ひとつ、言葉の間ひとつで、相手の腹の内を読む。そんな彼女の観察眼と弁舌は、諜報任務において欠かせぬ才能とされていました」
語るうちに、アフロディーテの表情がやわらぐ。
ふふっ、と。口元で上品に浮かんだのは、小さくも心が現れる微笑だった。
「無礼で遠慮がなくて、失礼のかたまりのような子ですが……だからこそ、ワタクシのように扱いづらい者にも真っ直ぐに言葉を届けてくれる。彼女だけは、最初からワタクシを飾りとして扱わないでくれたのです」
その瞳には、確かに信頼の色が灯っていた。
たしかに、性格は真逆だ。でもだからこそ、分かり合えることもあるのかもしれない。
「……なるほどな。シセルってああ見えても意外と人情家なんだな」
「ええ。ときおりハチャメチャですが、根はとても真面目な子です。お節介でもありまして……ワタクシが正式に隊を預かったときも、しばらくの間そっと見守ってくれていました」
彼女の横顔に、再び風が吹き抜ける。
帽子のつばがわずかに揺れ、ワンピースの布が小さく波打った。
「それだけに……彼女が隊を抜けて冒険者をすると言いだしたときの衝撃は忘れられません」
視線があぜ道へと落とされて、まつげの影が長く伸びる。
凛とした立ち居振る舞いの裏に、繊細な心。
だけどそれは少しだけ繊細すぎるのかもしれない。
「……正直、少しだけ……いいえ、かなり、戸惑いました。急なことで……寂しくて、なにをどうすればよいのか、わからなくなってしまいましたもの」
品が崩れないていどには、笑っていた。
けれどその声は、微かに潤んでいた気がする。
「(初対面のときの印象は辛辣だったけど、話してみると意外に素直でいい子じゃないか)」
それだけにはやり腑に落ちない。
シセルからの依頼、というかお願いは、不可解だった。
「(アフロディーテと普通に接して対等に話をしてあげてほしい、か)」
ぼんやり。視線を空に投じると、鳶がひょろろと鳴く。
つまるところガス抜きをしてほしいという依頼なのだろうか。都の宮殿で鬱屈している旧友にノンビリ田舎でスローライフを送ってほしい。
「(じゃあシセルが相手してやればいいだけだよな。わざわざ俺に魅了の呪いの話まで聞かせてきた理由がよくわからん)」
そもそも導入が間違っていた。
正史のヴェル・エグゾディアでシセルは物語序盤に退場するキャラだ。
物語中盤にメインキャラとしてでてくるアフロディーテとの接点があること自体は明確な異常である。
しかしいまこの77777回ループを繰り返したヴェル・エグゾディアでは、補完が起きていた。
補完というのは俺というバグが現れたことで起こる歪み。それを世界のほうが辻褄を合わせようと変化している。
おそらくアフロディーテとシセルが繋がっているのも俺のせい。勇者ちゃんが勇者に覚醒していないことであらゆる意味で歪んでしまっている。
「……んん?」
ふと考え耽っている横顔に視線を感じた。
見てみると、いつの間にかアフロディーテが隣に追いついている。
そして身体を斜めにしながら俺の顔を下から覗きこんでいた。
「貴方は、本当になんともないんですか?」
まただ。
まるで主治医が患者を往診するかのよう。
そわそわと落ち着かない雰囲気で伺い立ててくる。
「なにか、こう……身体に細やかでも異常があったり……」
まるで俺の具合を心から気にしているかのような口調だった。
が、その語尾が終わるか終わらないかのうちに、異変は突如として割りこんできた。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいい!!」
鋭く裂けるような悲鳴が、空気を切り裂いた。
俺もアフロディーテも、即座に顔を上げる。
方向は、あぜ道の奥。畑と林の境に近い、視界の狭まる土手の向こう。
次の瞬間、杖を投げ出し、よろけながら老婆が駆けてくるのが見えた。
「魔物よ! 畑のほうに、魔物がでたわあああああ!!」
俺はすぐに脚に力を籠める。
しかし駆けだすよりも早く、背後から、さらりと風が通り抜けた。
振り返るまでもない。アフロディーテが疾風の如く先に動いていた。
風に揺れるワンピースが翻り、花飾りが静かに跳ねる。
彼女と俺は走だしながら、すぐに互いを見つめ合う。
「下がってろ! そんな格好で戦えるわけがない! 暇ならシセルを呼んできてくれ!」
「貴方こそ丸腰でなにたわけたことを! 一般人が騎士であるワタクシを差し置くとは言語道断です!」
どちらも譲るどころか、対立する。
「一般人でも命張るときゃ張るんだよ! ああ見えてあの婆さん、いい人なんだ!」
「ワタクシにとっても民の安寧は守るべき義務です!」
走りながら言い合い、互いに前へでようと肩がぶつかる。
お互い相手を制して進ませようとするせいで、速度が上がらない。
魔物はまだ遠くにあるというのに、こっちが鍔迫り合いだった。
「くっ……ならば、これは指揮命令です! あなたは、下がりなさい!」
「俺は騎士じゃねぇ! だからアンタがいくら偉い隊長さんでも命令を聞く義理はない!」
「うぐっ……! 小癪な言い訳をっ……!」
アフロディーテはギリギリと奥歯を噛む。
帽子の影に隠れていても、耳がほんのり赤い。
だが、口論している間にも、あぜ道の奥に見える影が、はっきりと形をとってきた。
のそのそと大地を揺らして現れたのは――異形の獣。
「それに――」
魔物を視認し、俺はさらに加速する。
魔物は4足で老婆へ追いつこうとしていた。悠長に構えていては彼女の命は、風前の灯火。
俺は、さらに、もっと、加速する。
「誰かを守るのに騎士も、一般人も、関係ねぇだろッッ!!!」
「っっっ!!?」
※つづく
(区切りなし)
最後までご覧いただきありがとうございました!!!