25話 花の君、アフロティーテ・エロイーズ・サクラミア 襲来
痛ましい
沈黙
嫌な予感
悪寒
無慈悲で静謐な
美女姫騎士
場所をリビングに移した俺たちは、卓を囲むようにして座っていた。
柔らかな陽光が差し込む室内。温かい茶と菓子を前にしているのに、なぜか空気が浮つきがちで、落ち着かない。
原因はひとつ。いや、ひとりだ。
辺鄙な村の小さな商店に似合わぬ高嶺の花が1輪、咲く。
当代きっての姫騎士。その栄光の数々は、外れにあるはじまりの村にさえ轟き得るほど。
「…………」
彼女は静かに膝を揃え鎮座していた。
背筋をまっすぐにしたまま、湯気の立つカップに手を伸ばす。
所作がまるで舞台のように美しい。動くたびに光沢ある新芽色の髪がさらりと揺れ、きらめく。
これにはたまらずといった様子で、勇者ちゃんが身を乗りだす。
「こんなにお綺麗なお人なのに隊長さんなんですかっ!!」
くりくりの瞳が興味と好奇に輝いていた。
もし彼女に尻尾があったら振り切れんばかりに降られていただろう。それくらい距離感ゼロの直球好奇心が剥きしになっている。
なにを間違えたらこんな骨身が軋むような状況になるのか。ここまで間違いっていると正しても正しくはならないだろう。だからそもそも問題が間違っているということだ。
アフロディーテは、カップを口に運ぶ途中で、そっと微笑む。
「ふふ、一応。名ばかりのようなものですけれど」
湯気立つ薄いカップの縁に音もない口づけを交わす。
声は柔らかく、けれどどこか奥に壁のようなものを感じる。
それでも、勇者ちゃんは良い意味で気づかない。
「そんなことないですっ! だって、多くの人をまとめるのって人を使う才能がないと務まらないものです!」
まっすぐで、実直で、感情すら乗った言葉だった。
アフロディーテは静謐とした美貌を僅かに崩す。驚いたように瞬き、ほんの少し目を見張る。
だが、それはすぐに柔らかな笑みへと溶けていく。
「ありがとうございますっ。あなたのような純粋な子にそう言っていただけるなんて、とても光栄ですね」
舌を湿らせるようにまた、もうひとくち緑茶を啜った。
桜の花弁のように薄く桃の引かれた唇が色気を香らせる。
その言葉に、勇者ちゃんは顔をぱあっ、と。よりいっそう愛嬌を輝かせた。
彼女の頬は上気し、声のトーンもひときわ高くなる。
「う、うわあ、やっぱりすっごく綺麗で優しいです……! 私、お姫さまってこういう人のことを言うんだって、いまはじめて思いましたっ!」
なんか、もうダメだこの子。
姫騎士を前に意外とミーハーな勇者ちゃんだった。
「(しかし勇者ちゃんが浮かれるのがわかるくらいには、とんでもない美女だな)」
カリスマがあるというか、まずまとうオーラそのものが違っていた。
美しい、では足りない。艶やか、では追いつかない。とにかく存在が常軌を逸している。
絹のような若草色のの髪、夜を溶かす金の瞳。豊満な胸元はレース越しに柔らかさを滲ませ、桃色の鎧はまるで肌の一部のよう。
腰から流れる白布は大胆に脚を覗かせ、女の輪郭をこれでもかと強調している。つまり、そこにいるという事実が華になる。
俺は、横でミカンを貪るシセルに向かって声を潜めた。
「おいこれどうなってんだよ。せっかくのんびり暮らしてたって言うのに処理できない巨大爆弾もちこみやがって。まず説明をするという義務を果たせ」
「んんぅ? らっれひょがらいひゃんいひなひわらひのほほひ――」
「皮を剥いたミカンをひとくちで頬張るな! ミカン様は人間が食べやすいよう進化してくださっているんだぞ!」
姫騎士とは反比例して、冒険者らしいズボラだった。
シセルも見た目は――元モブのくせに――悪くはない。だが目の前にある姫騎士を宝石をとしたら路傍の石ていどに過ぎない。
「で、どうよ。ナエナエっちぃ?」
シセルがにやけ面全開で俺の肩に腕を回してくる。
否。回すというより体重を乗せてくるような雑さだった。
「正真正銘の《花の君》のモノホンだぞぉ? なんか感想のひとつくらい言ってみなさいよぉ?」
俺の脇腹をうりうりと指で突いてくる。
やけに楽しそうだなコイツ。
「……だからまず説明しろって」
ここでようやく沈黙が破られる。
虚ろに卓を眺めていた姫騎士は、じゃれつくシセルを捉えた。
そしてそっと底の乾いたティーカップをことりと静かに卓へ下ろす。
「ご健勝のようでなによりです。シセル・オリ・カラリナ」
温度や感情のない、しかし美しく繊細な声だった。
「突然の来訪ご容赦いただけると幸いです。なにぶんこの地に貴方以外に信を置ける者がおられなかったので」
「いいっていいってそんな堅苦しいこと気にしなくても♪ 隊で同じ釜の飯を食ったなかなんだしっ、もちつもたれつでいきましょうや♪」
なんともいつも通りのシセルだった。
礼儀も最低限で自然体。それだけ心許している間柄と言われれば、そう見える……のか?
すると姫騎士もシセルの軽さに感化されるかのよう。僅かに白い頬を解して緩ませる。
「ふふ。相変わらず貴方の本質は変わらないのですね。いきなり冒険者をやりたから騎士を止めたいと申しでたときのままです」
「いやはやアレはアレで突然の申しでに思えたかもだけど、けっこう前々から迷ってたのよ♪ 由緒正しい騎士よりも束縛のない冒険者のほうが私に向いてるんじゃないかってさ♪」
「まったく……昔から、自分を曲げない。放たれた投石機の岩のよう」
姫騎士は、白磁のような頬をわずかに緩めた。
その声音には呆れも嫌味もなく、むしろ懐かしさすらにじんでいる。
「(それにしても、だ)」
ここまで軽口叩かれても、眉ひとつ動かさないとは。
高貴なまま、微笑を保ったまま、シセルの無礼を完璧に受け止めている。
「はぁぁ……! なんか大人っぽい再会の会話してますぅ……!」
そして勇者ちゃんの崇敬の眼差しでさえどこ吹く風とばかり。
そこに在るという形が、まるで作られた美術品のよう。美しいという成分のみを抽出して生みだされたかの如き精巧さ。完璧さ。
ただ俺は違和感を覚えた上で、確信に至っている。
「(この状況は、どう考えてもオカシイ。前もってシセルから得ていた情報と現状の齟齬がある)」
本来ならば、彼女1人で行動しているはずがない。
大規模ダンジョン攻略のためにアフロディーテ隊が入村する予定だったはず。
なのにここにいるのは、姫騎士ただ1人のみ。さらにいえば元隊員でしかないシセルという根無し草を拠り所としているように見える。
「(これはなんかあるな。シセルが俺のところにきたのも含めて作為的ななにかを感じる)」
なにより先ほどから殺気めいた視線を感じている。
それは包み隠そうともしない、明確で確定的な、拒絶。卓の対面から五月雨の如く襲いくる。
「……………………」
姫騎士は顎を引いて粛々とした態度をとっているのではない。
明らかな意図をもって俺のことだけを睨んでいた。
「じゃあ俺は散歩にでもでてようかな。女性3人のなかに男1人っていうのもなんだか浮いてるし」
好奇心猫を殺す。君子危うきに近寄らず。
俺は、偉大な先人たちの残した教えを尊重する。
しかし椅子を引いて立ち上がる俺の腕に組み付くモノが、1人いた。
「ナエナエっち。ちょっちまっち」
「……っ。待たないっち」
案の定シセルが俺を制した。
主犯格らしい姑息な笑みを浮かべて俺の腕を掴む。
「さっきちょっと協力してって頼んだじゃーん♪」
猫なで声で縋りながら、シセルがさらに腕へ体重をかけてくる。
近い。妙に近い。おまけに柔らかい。
しかも逃げようにも強い。まるで絡みついた蔦のようにしつこく離れない。
「ちょ、離せ! お前のお願いを聞くとはひと言も言ってねぇ! しかも人のこと駒呼ばわりしやがって!」
「花の君の極秘情報知られて逃がすわけないっしょ♪ 常識的に考えて♪」
「それはお前が勝手にべらべら喋っただけだろがァ!」
俺が本気で逃げ腰になるなか、刺さる。
視線を感じた。痛いくらいの、まっすぐな眼差し。
「……………………」
まるでナイフだ。
いまにも心臓を貫かんばかり。肌で感じる。美にあふれながら怨嗟に満ちる暴力的な凄み。
「貴方、先ほど」
シセルともみ合っている雑音のなかでもよく通る声だった。
姫騎士は、俺を睨みながら、僅かに唇を開く。
「あどけない無垢な少女の裾を不貞にも覗きこんでおりましたね」
刹那のうちに、空気が死んだ。
刻が止まった。俺の心臓も数秒、止まったかもしれない。
俺は、ブリキのように油の切れた首をぎぎ、と。回す。
「信頼する友がお顔繋ぎしたいとおっしゃる殿方がいると聞き及びやってきてみれば、なんたる稚拙。人の風上にも置けぬ所業、はっきり言って万死に値します」
そう言って彼女は若草色の瞳を怜悧に細めた。
俺は慌てて時の針を強引に動かそうとする。
「み、みみ――見てたけどぉ!? それがなにか悪いことなんですかぁ!? 状況的に視界に入っちゃっただけで俺の意図していたモノではないからぁ!?」
「言い訳さえ稚拙はなはだしいにもほどがあります。その少女の瞳を見つめながら故意ではないと宣言できるのですか?」
俺は、横目がちに勇者ちゃんのほうを見た。
すると唐突に勇者ちゃんは、椅子から跳ねるように立ち上がる。
「し、ししし、っ!! 知っていましたから!!」
「ほぅ・・?」
「知ってたのぉ!?」
俺の驚愕の声が無様に裏返る。
だが勇者ちゃんは、意地でも引き下がろうとしない。
「知ってましたから!! 知っていて、見せて、気にしてなかったんです!!」
無理がある。
真っ赤だった。顔も、首も、耳も、ぜんぶ。
全身が完熟トマトみたいに真っ赤だった。
「(知ってないじゃん! いま初めてスカートのなか見られてたことに気づかされて混乱してるじゃん!)」
震える手で裾口をぎゅっと握りしめ、潤んだ瞳でこちらをちらちら見てくる。
それでも彼女は、俺の尊厳を文字通り命をかけて庇おうとしていた。
その羞恥や涙で滲む瞳を見て、俺はついに悟る。
「私、知っていて、気にしてなかったんです!! だからナエ様が悪いことをしたわけじゃなくて、きょ、許容していたのでなんの問題もないんです!!」
「(勇者ちゃん……なんて……やさしいんだッッ!! こんな俺如きのために身を粉にしてくれるなんてッッ!!)」
「……なるほど」
姫騎士が、すっとまぶたを伏せた。
若草の睫毛がかすかに揺れ、まるで断罪の鐘が鳴る前の静寂のよう。空気が一層冷たく張りつめる。
「……お恥ずかしい限りです」
そう前置きし、アフロディーテは静かに俺のほうへと向き直った。
正面から、その若草色の眼差しで俺を捉える。
威圧ではない。怒気でもない。彼女の高貴な理性が、俺に対して向けられていた。
「本来、視線というものは、最も誤魔化しの効かない意志のかたちです。意図せず向けたと言うのなら、それはすなわち――無意識であっても貴方の品性が反応したという証左となりましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……あれはほんとに事故で――」
「事故であれ、過失であれ、結果として貴方は少女の裾へと視線を上げたのです」
淡々と。ひとつずつ。
まるで論理を積み上げるように、彼女は言葉を重ねていく。
「そしてその事実に対し、言い訳を試み、さらには彼女自身に責任を押しつけかねない発言をした。違いますか?」
「……ち、違わない、です」
「わたくしは、少女のつく嘘を責めてはおりません。彼女は、貴方のために羞恥に身を焦がしながら自らを晒し、かばいました。それだけの価値が、貴方にあるのでしょうか?」
言葉が、胸に突き刺さる。
ゆっくりと、まっすぐと。剣や炎ではなく、論理で貫く。
そしてその言葉のひとつひとつがあまりに正しすぎるからこそ、激痛だった。
「このたびは、ひとえにわたくしの認識が甘うございました。この少女がここまで必死に庇うほどのご関係だったということですね。しかと拝受いたしました」
あっさり引き下がっての謝罪だった。
しかし決して俺へ注がれる憤怒の如き怒りはそのまま。ただ純粋にゴミクズを見下す盤石な姿勢だった。
そしてまた別の方角から毛色の違った視線が降り注ぐ。
「自業自得で草っ♪ がんばっ☆」
「お前の軽さが1番罪深いんだよッ!!」
※つづく
(次話への区切りなし)