白衣と黒衣の交錯と倒錯
「ういーっす」
黒い衣が翻った。スカベンジャーズの権能で目的の人物のもとまで転移した彼は気だるげに挨拶を述べた。
呼び止められた方はというと、白いローブを翻して振り返る。
長髪をそのまま下ろし、肩に落としたフードのたるみの影に金色の光が潜んでいるのが見える。あれは精霊だ。精霊がその姿を『できるだけ』隠す時、金色の光をまとう。
この形態は一定のランクとレベル以下の探索者には見えないもので、ある程度の経験を積んだ探索者ならその姿を捉えることができる。精霊というものの基本形態だ。
「アラ? 珍シイコトモアルモノネェ……」
「ネージュ、静かに」
肩の精霊をそっとたしなめて黙らせる。ひゅう、と黒衣の男が口笛を吹いた。
精霊はこの世界の管理をする存在だ。神が塔を創造したのなら、精霊はその塔の管理維持を担うと言われている。
戦闘や何らかの原因で迷宮の石の壁が破壊されればそれを修復し、探索者への試練として迷宮に仕掛けを施し魔物を生む。一説には、迷宮のあちこちに生える植物が突如別の種に生え変わるのも精霊のしわざという。
人間などよりもはるかに格上。だというのに、それに命令をし、言うことを聞かせるとは。さすが塔の守護者というべきか。
心中で揶揄し、しかし口に出すことなく、黒衣の男は本題を切り出す。
「確認したいことがあってさぁ」
「へぇ? 僕にかい? 聞こうじゃないか」
「あぁ。……帰還者は町にいてはいけない。そうだよなぁ、ネツァーラグ?」
帰還者は町にいてはいけない。出現してはいけない。存在してはいけない。それが世界のルールだ。そのはずだ。
そうだろう、と黒衣の男が問うと、問われた彼は是と頷いた。そうだ。帰還者は町にいてはいけない。出現してはいけない。存在してはいけない。それは世界のルールだ。
「塔の守護者、ネツァーラグ・グラダフィルトとして保証しよう。それは世界のルールさ」
帰還者は町にいてはいけない。もし存在することがあれば、それは『エラー』だ。あってはならない重大な間違いだ。
だから先程、ダレカが町に現れた時に対処した。塔の守護者の権限で強制削除して消し去ってやった。
それが何か、とネツァーラグは黒衣の男に問い返す。そんな大原則の確認をするためにわざわざ来たのか。ご苦労なことだ。
「……じゃぁなんで、完全帰還者が町にいる?」
ネツァーラグの皮肉げな言葉を剣呑な言葉で返し、黒衣の男は問う。
完全帰還者とて立派な帰還者だ。帰還者は町にいてはいけないというルールに抵触するはずだ。なのになぜ、町にいることが許されている。滞在どころか、生活さえしている。
塔の守護者として、なぜあのルール違反を見過ごしているのだ。
「あれは塔の巫女の権限で許可されている。問題のないものさ」
「巫女が?」
塔の巫女とは、探索者をこの塔の頂上に導く存在だ。精霊の使いでもあり、精霊が定めた筋書きに沿って事態を操作して辻褄を調整する係でもある。
その巫女が許したというのか。あの完全帰還者の存在を。重大な間違いを看過したというのか。
「あれは特別なのさ」
「特別?」
「霖、という名前は彼女が名乗ったんじゃない。ルッカがつけたんじゃない」
あの名前は、本人がそう名乗ったものでも、真鉄が名付けたものでもない。
その名前をつけたのは水神だ。この世界の水を司り、支配する静寂と慈悲の神だ。水神があの完全帰還者にその名をつけたのだ。
「そう、あの完全帰還者には水神の加護がついている」
霖という名前はその象徴だ。降り注ぐ雨という意味を持つその字でもって、加護があることを示している。
「この世界を作って、あとは放置しているような神々が、だ。その意味、わかるかい?」
「……わかんねぇさぁ」
「だろうね。僕もわからない。巫女も精霊もさ。だからこそ、だよ」
神々は基本的にこの世界を振り返らない。運営も管理も精霊や巫女に任せ、あとは放置も同然だ。
それなのに、わざわざあの完全帰還者に加護を与えた。精霊にも巫女にも、水神の意図がわからない。わからないからどうしていいか扱いかねているのだ。完全帰還者は危険だからと精霊の描く筋書きから排除していいのか、神々が慈悲を垂らしたものだからと組み込むべきか。
迷っているからまずはその正体を見極めよう、ということで飼育して分析しようとしているのだ。
「だから飼育と管理のために許しているのさ。……疑問への解答はこれでいいかな?」
「……おう、ありがとさん」
「納得してくれたようなら何より」
そういうわけだ。知らぬは当人たちだけ。精霊と、巫女と、真鉄と、霖と。少しずつ情報が絞られていって、本人は自らの正体すら自覚していない。
哀れなものだ。本当に。世界を睥睨してネツァーラグは笑う。飼育されている完全帰還者もそうだが、飼育していると思っているあの男もだ。なんと哀れだろう。
あの男の周囲のどこも、虚偽だらけだというのに。