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悪役令嬢裁判録~婚約破棄で断罪された公爵令嬢ですが、王宮記録官が証拠と手続きで冤罪を覆します~  作者: ビッグサム


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第四十一話 「公女」と最初に書かれたのは、焼け残った旧式欄だった


 焼こうとした紙ほど、先に何を恐れたかをよく残す。


 言い換えた語ではない。

 消しきれなかった古い欄名。

 誰かの手で新しく書いたつもりでも、もともとの型がそこにあれば、紙はそちらを先に思い出す。


 教育旧倉の裏階段下は、昼でも薄暗かった。


 倉庫として使われなくなって久しいらしい。積まれた古板、折れた仕切り、湿気を吸った古帳。だが、その埃の匂いの中にだけ、新しく焦げた紙の匂いが混じっている。

 逃げる前に、ここで燃やそうとしたのだ。

 燃やしきれなかったのは、たぶん慌てたからではない。燃やせば逆に目立つと、途中で誰かが気づいたのだろう。


 マルゴット・セヴランは、裏階段下の小卓へ座らされていた。


 年は四十前後。濃い藍の主任補佐衣。姿勢は崩れていない。だが整えすぎた人間が追い詰められたときにだけ出る硬さが、肩へはっきり残っている。

 逃げてはいない。

 ただ、先に自分の紙だけは減らそうとした顔だった。


 机上には、焼き損ねた帳片が三枚。

 その隣に、主任室の言い換え紙片。


 ――公女後着見込

 ――高位後着見込

 ――高位当事者後着見込


 さらに、その裏に書かれていた、


 ――南一

 ――白先

 ――席照会へ


 順番はもう見えている。

 今日問うべきは、そのさらに手前だ。


「確認します」


 ルカ・エヴァレットが言うと、マルゴットは小さく頷いた。


「ええ」


「あなたは、“公女”の二字を最初に仮控へ置こうとしたことを認めています」


「はい」


「ですが、“最初にそう呼んだのは自分ではない”とも言った」


「はい」


 そこまでは昨日出ている。


「その出所を聞きます」


 マルゴットはすぐには答えない。

 その沈黙は、名を庇う沈黙ではなかった。人ではなく、長く放置されてきた仕組みの名をどう言えばよいか迷う沈黙だと、ルカは思った。


「焼き損ねた帳片を」


 監査院受領官が言う。


 マルゴットの前へ、一枚目が置かれる。

 焦げた端。

 真ん中だけ残った細い欄。

 そこには、かろうじて読める字があった。


 ――終覧

 ――公女


 傍らのロウェルが、低く息を呑む。


「旧式の教育録です」


 エレノアが静かに言った。


 彼女は今日も立会に入っている。顔色はまだ優れない。だが、こういうときほど目が冴える。


「現行では、終覧役という欄は使いません。最終確認は主催側確認へ統合されたから」


「以前は使っていたのですか」


 ルカが問う。


「ええ。王太子妃教育が今よりずっと儀礼偏重だった頃、“公女終覧”の欄がありました。高位の教育対象者が最後に一巡だけ見る前提で、札や導線を仮に空ける時の古い欄です」


 空気が変わる。


 公女という二字は、誰かがその場で悪意からひねり出したものではなかった。

 もっと古い帳面の中に、もう死んだはずの欄名として生き残っていたのだ。


「それが、出所ですか」


 ルカが問うと、マルゴットは頷いた。


「はい」


「主任室に、その旧式録が残っていた」


「残っていました。正式には廃式済みです。ですが、旧例照会用の束の中に、何部か」


 だから焼こうとしたのだ。


「あなたは、その旧式欄を見て“公女後着見込”と書いた」


「はい」


「なぜ」


 マルゴットは視線を焼け跡へ落とした。


「茶会前日、南回廊の補助一が空くと聞いた時です。主催側も礼拝棟も落ち着かず、返礼卓も混んでいた。正式な差替をその場で置けば、低位補助を立ててすぐ引くことになる。それは……」


「傷が残る」


 エレノアが静かに継ぐ。


 マルゴットは小さく頷いた。


「はい。ですから、旧式欄の発想が先に浮かびました。昔なら、そういう時は“公女終覧”で空けていた、と」


 ロウェルが低く言う。


「でも、今はその欄はない」


「はい」


「ないのに、古い欄の理屈だけを使った」


「はい」


 そこがこの章の核心だった。


 欄は死んでいる。

 だが理屈だけが残っていた。

 そして、その理屈がいまの記録運用へ無理やり差し込まれた。


「言い換え紙片の三行」


 ルカが問う。


「最初に“公女後着見込”と書き、まずいと気づいて“高位後着見込”、さらに“高位当事者後着見込”とした」


「そうです」


「なぜ“高位当事者”まで下げた」


「“公女”では露骨すぎるからです」


 マルゴットははっきり言った。


「しかし、“高位”だけでは礼法側の処理に見えすぎる。主催側の仕事として流すには、“当事者”の語が要る」


 あまりに実務的で、嫌になるほど整っている理屈だった。


「つまり」


 ルカが言う。


「旧式の“公女終覧”を、そのまま現行へ出すのは危険だと分かっていた。だから、現行の礼法語へ抽象化した」


「はい」


「でも頭の中にあったのは、最初から公女」


「……はい」


 それで充分だ。


 マルゴットは誰かに命じられて、突然エレノアの名を思いついたのではない。

 主任室に残っていた古い型が、先にその二字を呼んだのだ。

 そして彼女は、それを今の机に流せる形へ整えた。


「裏面の

南一/白先/席照会へ

は」


 ルカが続ける。


「その場であなたが書いた」


「はい」


「なぜ一枚にまとめた」


「照会を分けると止まるからです」


 またそれだ。


 止まる。

 整う。

 傷が少ない。

 結局は全部、そこへ戻る。


「南回廊補助一の空白、白封の先行、主催側照会席への流し――この三段は、あなたの机上では最初から一続きだった」


「はい」


「差替票や毒や流通は、まだなかった」


「ありません」


「では、その時点で想定していたのは」


 マルゴットは少しだけ口を閉ざした。

 それから答える。


「……導線の最終確認を、エレノア公女が取る形です」


 エレノアは、その言葉を聞いても表情を崩さない。


 ただ、ごく短く言った。


「私は依頼していません」


「はい」


 マルゴットも、それを否定しない。


「ですが、教育側ではそう見ていました。王太子妃教育の最終段で、南回廊の見回りを公女殿下が一度ご覧になる――そのほうが格も収まる、と」


 格。

 またその語だ。


「その“格”のために、ルネの名を消した」


 ルカが言う。


 マルゴットは返せない。

 返せないまま、ただ頷く。


「そしてその空白が、後から白封と氏名後補へつながった」


「……そこまでは、私は」


「見ていない」


 ルカが先に言う。


「だが、入り口の器は作った」


 マルゴットはそこで初めて、はっきりと顔を歪めた。


「はい」


 その肯定は重かった。


 ここまで何人もの“だけ”を聞いてきた。

 だが彼女の“そこまでは見ていない”は、他の者たちの言い逃れとは少し違う。

 ほんとうに、その先の白箱裏の細工までは見ていないのだろう。

 それでも十分に重い。

 器を作れば、そのあと誰かが毒を注ぐ。


「もう一枚」


 受領官が焼け残りの二枚目を置いた。


 こちらはもっと黒い。

 だが真ん中にだけ、数語残っている。


 ――空欄先行

 ――見回り後置

 ――礼を乱さず


「これは」


 ルカが問う。


 マルゴットは目を閉じた。


「旧式録の余白注です。昔の主任の書き込みだと思います」


 エレノアが低く言う。


「だから“礼法の顔”をしていたのですね」


 マルゴットは小さく頷く。


「……はい」


 古い注。

 死んだ欄。

 残った理屈。

 それらが、現代の白箱裏と聖女席と法務院に寄生した。


 そのとき、三枚目の焼け残りを近侍がそっと差し出した。


 これはさらに小さい。

 ほとんど灰に近い。

 だが、下端にだけ、細い署名欄の一部が残っていた。


 ――マ……


 その下に、別の筆で小さく追記がある。


 ――口頭はベルへ


 ベルへ。


 ベルナールへ、だ。


 これで、主任室から法務院補佐官へ、口頭照会札がどう流れたかまで一段つながる。


「あなたがベルナールへ直接」


 ルカが問う。


「いえ」


 マルゴットは首を振った。


「フローラに仮控を作らせ、そのあと主任室口から照会席へ回しました。ただ……」


「ただ?」


「口頭はベルへ、と書いたのは私です」


 そこも出た。


 照会席一般ではない。

 ベルナール個人へ届くよう、最初から向けていたのだ。


「記録する」


 セドリックの声が落ちる。


「王太子妃教育主任補佐官マルゴット・セヴランは、旧式教育録の“公女終覧”欄および余白注を参照し、現行運用へ“高位当事者後着見込”として抽象化した。加えて、南回廊補助一の空白、白封先行、主催側照会席流しを一体の方針として紙片へまとめ、口頭照会をベルナール補佐官へ向けたことを認めた」


 また一段、入口が固まる。


 白票は後から。

 毒も流通も後から。

 その手前で、主任室が古い欄の亡霊を今の机へ呼び戻していた。


 そのときだった。


 傍聴席の中ほどから、椅子の擦れる音がした。


 小さく、だが場に不似合いな硬さのある音だ。


 全員の視線が向く。


 立ち上がっていたのは、痩せた老女だった。

 衣は地味だが、首元の印が古い。

 王太子妃教育の退任者にのみ許される銀の細紋。


 見覚えのある者はいない。

 だが、その場の空気だけが、先に彼女を知っていた。


「それは、私の注です」


 老女は言った。


 掠れた声。

 それなのに、奇妙なくらいよく通る。


「“空欄先行、見回り後置、礼を乱さず”」


 室内が、今度は音のない驚きで揺れた。


「誰です」


 セドリックが問う。


 老女は一礼する。


「元王太子妃教育主任、アグネス・ヴェルナー」


 新しい名ではない。

 古い名だ。

 それも、今まで誰も疑っていなかったくらい古い。


「私が若い頃に書いた注です。ただし――」


 老女はまっすぐマルゴットを見た。


「それは、正式な代置名が既に別紙で確定している時だけの余白運用でした。名を空けたまま白封を先に流すための注ではありません」


 場の空気が、そこでまた変わる。


 つまり、マルゴットは旧式欄を参照しただけではない。

 その注の意味まで、都合よく曲げていたのだ。


 アグネスは続ける。


「昔の注を、今の白箱裏へ持ち込んだ時点で間違いです。まして、“公女”の名を頭に置いたまま抽象化したなら、それは礼法ではなく、礼法の盗用です」


 その一言は、誰の怒鳴り声よりも深く刺さった。


 エレノアは、初めてわずかに息を吐いた。

 助かったという息ではない。

 ようやく、自分を踏んできた“綺麗な理屈”の源が、真正面から否定されたことへの、遅い了解の息だった。


 断罪の入口は、ついにその最初の言い換えへ辿り着いた。

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