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魔法は焦げても進歩の証。そして、ほんの少し兄妹に


火の玉がふわりと消えたあと、私の手のひらにはまだじんわりとした熱が残っていた。

不思議な感覚。まるで心の奥にほんのり火が灯ったような、そんな暖かさだった。


「どうじゃ? 魔法というものの手応えは」 

満足そうな顔で尋ねるエリク先生に、私はゆっくりと頷いた。

「はい、楽しかったです。うまくいくまでがちょっと大変でしたけど……でも、不思議と、怖くはありませんでした」 

「それは良い兆候じゃ。火の魔法は扱いが難しいぶん、使い手の感情を強く映す。お主が焦らずに制御できたのは、大したものじゃよ」 

私は小さく笑った。……いや、先生、それは焦げ跡から目を逸らした上での褒め言葉では?

「本日はここまでにしておこう。魔力の使いすぎは身体に響く。小さいうちはとくに、のう」

「ええ、ありがとうございます。……あの、先生」


「ん?」

私は少しだけ迷って、思い切って口を開いた。

「火の玉以外にも、いつか他の魔法も教えてもらえますか? 水や風……光や闇も、使ってみたいんです」

先生の口元がにやりと上がる。

「ふむ、よくばりじゃな。よろしい、お主ほどの魔力を持つ者なら、複数属性を扱える可能性もある。ゆくゆくは適性を見極めつつ、順に教えていこう」

「本当ですか!? やった……!」

大げさに飛び跳ねたい気持ちをぐっとこらえ、代わりに優雅な笑顔を装ってみせる。こういうとこだけ、“公爵令嬢”が染みついているのが、自分でもちょっと面白い。

「そういえば……」と、先生が手帳をめくりながらつぶやいた。

「近いうちに、うちの孫がこちらに来ることになっていてな」

私は首を傾げた。

「お孫さん、ですか?」

「うむ。レオンハルトという。まだ若いが、魔法の素質は高い。わしの補助として修練に同行させるつもりだ。お主と共に学ぶことになるかもしれん」

(……あれ、名前に聞き覚えが……?)

ふと脳裏に、ぼんやりとした記憶のかけらが浮かんだ。でも、まだはっきりとは思い出せない。

「そのときはよろしく頼むぞ。若者同士、刺激し合って成長してくれると良いのじゃがのう」

先生の言葉に、「はい」と返しながら、胸の奥に小さなざわめきを感じた。

授業が終わったあとの午後。

私は自室の椅子に深く腰掛けて、今日の出来事を反芻していた。

火の玉を出せたこと。焦げたこと(まだちょっと恥ずかしい)。

でも、うまくできたときのあの喜びは、何にも代えがたい。



「――楽しかったな」

ぽつりとこぼれた独り言は、誰に聞かれることもなく、部屋の静けさに溶けていく。

これからの私の“勉強”は、きっと前とはまるで違う。

義務でも虚栄でもなく、自分のために、自分で選んで進む道。

小さな火種が、少しずつ灯りを増していくのを感じながら――私は明日も、また魔法の本を開くことに決めた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


魔法の授業を終えた私は、中庭の舗道をひとり、静かに歩いていた。

午後の陽射しは柔らかく、石畳の隙間から覗く草花が、まるで「おつかれさま」と言ってくれているように風に揺れている。

火の玉の成功――もとい、“焦げたけれど成功”を反芻しながら、私はふと空を仰いだ。

 

(ふう……なんとか形になってよかったですわ……)

 

掌の感触はもう薄れているのに、胸の奥はまだじんわりと温かい。

火の玉という名前から想像していたよりもずっと、魔法は繊細で、奥深くて、なにより……楽しかった。

 

「……わたくしとしては、あの火の玉は“焦げマシュマロ”ではなく、“香ばしい成功”と呼びたいところですわね」

 

誰に聞かせるでもなく、ぽつりとつぶやいたそのとき。

 

「――また妙な例えをしているな」

 

その声に、私はぴくりと肩を揺らした。

振り返ると、そこにいたのは――兄、ユリウスだった。

 

「お兄様っ……! い、いつからそこに……?」

 

「途中から。……焦げマシュマロのくだりからだ」

 

「っ……! ま、まさか、あんな独り言を……!」

 

恥ずかしさで頬が熱くなる。

けれど、ユリウスはくすりとも笑わず、まるで当たり前のことのように続けた。

 

「魔法の訓練を再開したんだな。……ずいぶんと真剣だった」

 

「……ご覧になっていたのですか?」

 

「この辺で本を読んでいただけだ。目の端に動くものが見えた。そしたら、お前が炎と格闘していた」

 

「っ……炎と格闘……いえ、わたくしなりに優雅に魔力と向き合っていたつもりでしたのに」

 

小さく溜息をついて俯くと、ユリウスが静かに声を落とす。

 

「だが、意外だった。あのわがままだったお前が、自分から訓練に打ち込んでいるとはな」

 

「お兄様、それは……褒めてくださっているのですわよね?」

 

「さあな。受け取り方は人それぞれだ」

 

相変わらずそっけない。けれど、その口調はどこか以前より柔らかい気がした。

 

「……母様が、お前が最近熱心だと嬉しそうに話していた。父上も驚いていたらしい。今朝など、“やっと姫君が目覚めた!”と叫んで執務室で椅子から転げ落ちかけたそうだ」

 

「父様ったら……!」

 

「お前が庭で腕立て伏せしていた時は、使用人たちがあっけにとられていたそうだ。『公爵令嬢が芝の上で汗を流すとは……』と口々に言っていたぞ」

 

「わたくしとしては、上流貴族としてのしなやかな筋力も育てておこうと思っただけですのに!」

 

思わず声が高くなってしまった。

けれど、ユリウスは珍しくほんの少しだけ、唇の端を緩めていた。

 

「……まあ、何をするにせよ、前よりもずっと楽しそうだ」

 

「えっ……」

 

その一言が、胸の奥に、そっと灯るような感覚をもたらした。

 

「お兄様。わたくし、前と少しは変わったと思われますか?」

 

勇気を出して、そう尋ねた。

きっと前の私だったら、こんなふうに聞けなかった。

でも今は、ちゃんと聞いてみたかった。

 

ユリウスは一瞬だけ、視線をそらして空を見上げた。

木漏れ日が髪に降り注ぎ、その横顔はどこか懐かしいくらい穏やかだった。

 

「……そうだな。確かに変わった。ほんの少しだが、いい方向に」

 

「ほんの少し、ですの?」

 

「お前が“少しずつ”頑張れるようになったということ自体が、奇跡だ」

 

「まあ……それは……ええ、否定はできませんわね」

 

私が笑うと、ユリウスもほんの一瞬だけ、目元を和らげた。

 

「それで、どうするつもりだ。続けるのか?」

 

「もちろんですわ。わたくし、逃げるのはもうやめにしましたの。自分の足で立って、歩いてみたいのですわ」

 

「ふむ……」

 

ユリウスは腕を組み、少しだけ間を置いたあと、ゆっくりと口を開いた。

 

「……そうだな。なら、今度時間が空いたときにでも、魔法の本を一緒に見てやる」

 

「――えっ!? 本当に?」

 

思わず声が上ずった。

でも、お嬢様としての品位を保たねば、と必死に胸元を押さえて背筋を伸ばす。

 

「い、いえ……つまり、その……ご一緒に勉強していただけるのは光栄でございます、お兄様」

 

「はは……」

 

初めてかもしれない。

ユリウスが笑った。ちゃんと、声を出して。

 

「無理に言い直さなくていい。素直に喜んでおけ」

 

「はいっ、嬉しゅうございますわ!」

 

そのあとも少しの間、私たちは他愛もない話をした。

天気のこと。弟の昼寝の癖。昔、わたくしが誕生日にケーキをひっくり返した話まで。

 

前は、こんなふうに話すことなんてなかった。

けれど今は、話したくなるし、ちゃんと話せるようになった。

少しずつ、距離が縮まっている。兄と妹として。家族として。

 

別れ際、ユリウスがふと足を止めて言った。

 

「お前が、今のまま少しずつ進んでいけるなら――俺は、それで十分だ」

 

その言葉に、私は深く一礼した。

 

「そのお言葉、心に刻みますわ。……お兄様」

 

軽く手を振って去っていくその背中に、小さく微笑みながら、私はぽつりと呟いた。

 

「お兄様、やっぱり素直じゃありませんわね。でも、そういうところも……少しだけ、好きですわ」

 


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