記録番号二二九番 ――再会――
戦争が始まった。異形の軍団が北街区へと攻め入ろうとしていた。軍団の先頭に立ち、指揮を執るのはタイ・セインだった。彼らは荒川を越え、新田を突破し、隅田川を越えて赤羽の入り口に限りなく近い神谷へと降り立つ。
軍団の前に片翼の半神が立ち塞がる。己が神剣白夜を手に上空のタイ・セインを静かに睨みつける。
「貴様、生きていたのか。だが、もう一度殺すまでだ」
ノーヴィレはヤン・スナーリ・カマーノの顔を見るとあの日の光景を思い出した。自分の羽を材料に赤羽を作り出してしまった日を。
「何者だ、片翼の者よ。フフフ、いい実戦経験になるな。タリムリア、やれ」
タイ・セインは見知らぬ半神を指差した。タリムリアは雄たけびを上げ、丸太のような豪腕でノーヴィレへ殴り掛かる。
「貴様も変わってしまったのか。ある意味、我らは似た者同士だな」
ノーヴィレは迫るタリムリアの拳を風のようにひらりと避けると、白銀の軌跡を描く神剣で、伸びきった巨人の腕を根元から切り落とした。
「ウアアアアアアアアア!」
タリムリアは痛みに喘ぎ、もう一方の腕でノーヴィレを殴りつける。半神はそれを剣で受け止めた。すると、あまりの怪力に身体が吹き飛ばされてしまった。巨人の切断された腕からは大量の血が流れていた。
「力は異常であるが、それだけであるな」
ノーヴィレは剣を支えに立ち上がる。すると、彼の肩に後ろから手が置かれた。振り返ると、そこにはトミンの姿があった。
「ノムさん、助太刀します」
「トミン・ナーガ」
ノム・ラスカイ。彼は過去に捨てた名で呼ばれることはないだろうと思っていた。ただ、彼は内心安堵していた。今まで彼はこの世界で孤独だった。特に赤羽を生み出してから、自分の役割を失ってからは神谷でただ独りだった。
「わかった、やろう。あの巨人は隻腕だ。二手に攻撃すれば撃破は容易い」
「了解です」
トミンとノーヴィレは二手に分かれて走り出した。ノーヴィレは片方だけの翼を羽ばたかせてタリムリアとの距離を一気に詰めた。トミンも全速力でタリムリアへ向かう。
「そう容易く事が進むと思わない方がいい」
タイ・セインがトミンの背中に飛び込んで不意打ちを狙うも鱗に覆われた左腕に止められた。
「何?」
タイ・セインはそれ以上の言葉を失った。
「タイ・セイン、お前はヤン・スナーリ・カマーノと記憶を共有できていないのが致命的だ。ヒヒ、笑える」
トミンは次々に降り注ぐ神速の連撃を、すべて的確に受け流し続けた。どれほど素早い攻撃だったとしても身体には傷一つつかなかった。タイ・セインは最初こそ焦りを見せたが、やがて自分の物理攻撃が通らないことを冷徹に認識し、徐々に動きを変えていった。攻撃、観察。その輪廻を高速で繰り返す。
「僕にはどの様な攻撃も効かない。そろそろ気がつく頃だろう」
「ああ、とっくに気づいている。思考を読んでいるのかとも考えたが、違うらしいな」
タイ・セインは不敵に笑った。両者ともに全力ではないようだった。
「では、これはどうかな?」
タイ・セインは右の拳を振るった。当然のようにトミンは左手で受け止める。もう一方の拳を振るう。トミンは右手で受け止める。
「そんなんで僕に傷を作れると思ったのか?」
「フハハ! 当然、思っていない」
タイ・セインは自分の拳を受け止めていたトミンの両手を力任せに強く握り込み、そのまま自身の額をトミンの顔面へと勢いよく叩きつけた。トミンは反応したものの、拘束された手を振り解けず、まともにそれを受けてしまう。
「「離れろ」」
その言葉がトミンの頭に流れ込んだ。まるで何人にも囲まれて声を浴びせられているようだった。さらに隙を突き、タイ・セインの強烈な蹴りがトミンの腹部を捉える。
トミンはその精神攻撃を受け流す術を持っていなかった。彼は大きくよろけ、たまらず頭を抱えた。
「僕の頭から出ていけ!」
トミンが膝をついたその瞬間、反対側では決着がついていた。
片翼で宙を舞ったノーヴィレが、タリムリアの巨躯の頭上を取ったのだ。
「沈め」
神剣「白夜」が煌めき、巨人の頭頂部から胸の奥深くへと深々と突き立てられる。致命的な一撃を受けたタリムリアは、断末魔の叫びすら上げられず、巨木が倒れるように地響きを立てて沈黙した。
それを見たタイ・セインは追撃を止め、トミンからふわりと距離を取った。
「ここでやられるとは。魂なき場所で戦うべきでなかったか」
タイ・セインは地に倒れ伏したタリムリアを見下ろし、忌々しそうに舌打ちをした。
「魂だと?」
ノーヴィレが、鋭い視線を向けた。
「貴様……死者の魂で他者の再生を? 否、あり得ない。では、魂で巨人を編んだというのであるか」
「我が能力を試したまでだ」
タイ・セインは冷酷に肯定すると、タリムリアの巨体を持ち上げ、どこかに飛び去った。
「サクヤウヤがこの場にいれば止められたものを。彼は何をしている」
ノーヴィレは拳を握りしめた。二人は邪悪な風に吹かれていた。
「あいつはさらなる力の使用許可を求めて神の元へ行きました。奴らは僕たちが思っている以上に素早く行動しています。仕方がないことなんです」
トミンが頭痛を堪えながら立ち上がり、そう答えた。
「そうであるか。ならば仕方ない」
不満は残るものの、納得する他なかった。
だが、息をつく暇はなかった。二人の前には異形の軍団が迫ってきていた。顔の半分が溶けた大男。鱗に覆われた女戦士。腕が刃に変異した青年。無数の針が身体中から生えた男。
トミンは目を疑った。彼らは共に地獄の門をくぐってこの世界へやってきたかつての仲間たちだった。
「トッシュ・イミ。イクイータ・カーユ。ヤンマン・モント。トウト・シーキ」
トミンは彼らの名を呟いた。途端、トミンの脳裏に無数の記憶が濁流のように流れ込んできた。
「生きていたのか。これほどにも。亡者たちはどうせ使い潰しているであろう。完全な力を使えるわけではないが、残った者たちは精鋭ばかりだ」
ノーヴィレは剣を握りなおした。しかし、トミンはその気にはなれなかった。ここで戦う意味がない。
「トミン・ナーガか? お前、生きていたのか」
顔の半分が溶けた大男、トッシュ・イミが言った。喜ばしくも、どこか悲しげであった。
「生きてるよ。でも、なんで今になって戦おうとしてるんだよ。僕たちに戦う意味なんてもうないだろ?」
「意味はある。俺たちはただ自由を求めているだけだ。俺たちも長年不自由で問題だらけの生活を強いられた。ヤン・スナーリ・カマーノ、いやタイ・セインのいる今、俺たちには自由を勝ち取れる機会ができた。しかし、わからないな。君が俺たちの前に立ちはだかる理由がわからない」
身体中から無数の針が生えたトウト・シーキが苦笑した。これ程までに当たり前なことを説教することが馬鹿馬鹿しかった。
「僕たちのようなアメスゲンの者が、この世界で戦うべきじゃないんだ。僕たちの常識をこの世界まで持ち込むべきじゃない」
トミンの悲痛な叫びに、しかし、異形たちは歪に笑う。
「何言ってる、トミン。俺たちの隣にはいつも生死をかけた戦いがあったじゃないか。それを抜きにして俺たちが生きていけると思っているのか?」
腕が刃に変異したヤンマン・モントが、自身の刃を打ち鳴らして嗤う。
「違う、僕たちはここの人間たちと共存すべきなんだ。戦いを続ければいずれ僕たちは滅びる」
トミンは無意識に震え出した左手を、右手で強く押さえつけた。
「戦わずして、私たちは生きることができない。だから赤羽に残った万全な状態だった者は闘争本能を抑えきれず、ここの人間に殺された。まるで私たちが害虫かのように」
鱗に覆われた女、イクイータ・カーユは散って行った過去の仲間たちを想った。
「戦わずして死ぬのなら戦って死ぬ方が俺たちにとって幸せだ。戦った上で赤羽という自由を手に入れられたのならもっと幸せだ。今まで俺たちは赤羽の空気を吸ってこなかった。だから闘争本能は抑えられた。しかし、赤羽のためなら戦える。戦わずして、俺たちは死ねない。本当はお前もそうなんだろう? 仲間たちの魂も戦いを望んでいる。お前の左腕が震えていることが何よりの証拠だ」
トミンはトウト・シーキの言葉に、たまらず頭を抱えた。
溢れ出す過去の記憶。血と泥に塗れ、昨日まで言葉を交わしていた仲間が死に、それでも狂ったように敵を殺し続けた、あの地獄の日々。
「闘争」という名の快楽が、トミンの脳髄を痺れさせていく。
「トミン・ナーガ。彼らの言葉に耳を貸すな。戦うべきではない」
ノーヴィレが、異変を察知して鋭く制止した。しかし、トミンはゆっくりと首を振った。死んだ魚のようだった彼の瞳の奥に、ギラギラとした猟奇的な光が宿り始めている。
「……半神のあなたには、もうわからないよ」
低く、狂気を孕んだ声でそう呟くと、トミンはノーヴィレの制止を振り切り、獣のような雄叫びを上げて亡者たちの群れへと単身で飛び込んでいった。




